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【完結】秘密は守りますわ ―消えた令嬢と三冊の帳簿―  作者: 飛絽じゅらん


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第六章 舞台女優の化粧箱④

 ロザンヌは目を瞬いた。

「エルシー様がここにいらしたの?」

 アイリーンは深くうなずいた。


「そうだよ。もう何年も前のことだよ。そのとき、地味な令嬢の演じ方を相談されたんだ。それからちょっと間をおいて、声の届かせ方や悲しそうに見える俯き方だとか、肩の振るわせ方とか、歩幅の狭め方の指導をしたんだ。消極的に見える受け答えも舞台稽古さながらに、アドリブでできるまでみっちり。あの子には報酬分以上に、女優としてもやっていけるくらいの演技力をつけてやったつもりだよ。筋がよかったんだ」

「理由はお聞きになりましたの?」


 アイリーンは首を振った。


「そんな野暮なことはしてないさ。ただ、エルシーから仕事を頼まれたとき、なにかやろうとしているんだなってわかった」

「お受けになった理由は?」


 彼女はにやりと笑って指でわっかを作って見せた。


「報酬が破格だった。でもそれ以上に、あの子が一世一代の舞台だって言ったからね」

「失踪当日には、エルシー様に扮してくれと頼まれたのですね」

「そうさ」

 アイリーンはうなずいた。


「黒髪のかつらを被って眼鏡をかけ、首元まで隠れる服を着て……。で、指定された馬車に乗って、途中で別の馬車に乗り換え、駅に向かう。で、エルシーが列車に乗ったように見せかける。いくつか先の停車駅で降りて、別の服に着替えて王都へ帰る。少しだけ観光をして帰ってきたんだけどさ」

「馬車に同乗した侍女は、どなたでしたの?」

「知らないよ。エルシーから、当日はその女の指示に従えと言われただけさ。名前も聞いていない」

「その女性も、あなたと一緒に迎えの馬車へ移りましたの?」

「そうだよ」

「駅まで一緒でしたか?」

「駅の少し手前で、あたしだけを残して降りた。どこへ行ったかは知らない」

「エルシー様が大がかりな舞台をする理由をお聞きになりましたか?」

「誰かに一泡吹かせるのかって聞いたら、『婚約者に、自分が本気でいなくなるつもりだとわからせたい』ってつぶやいたのを聞いたくらい」

「そうでしたの」


 なぜそう思わせたいのかという理由はロザンヌにはわからなかった。これは、サンドラに聞いてみるのがよさそうだ、と思った。


「あたしはね、エルシーが婚約者にお灸を据えてやるつもりなんだと思ってた。一時的な芝居だと思ったんだよ。数日後には姿を現して、ほらみろって言うとばっかり思ってた」

「いまだに姿を見せていませんわね」

 アイリーンは不安そうな顔でロザンヌを見た。

「あたしも気にしているんだよ。そのうえ、馭者が怪我をしたって聞いてさ。もうここのところ肝が冷えっぱなしだよ」


 アイリーンは自分の両腕をさすった。

「あたしはただ芝居をするだけだと思ってた。なのに、馭者が襲われるなんて聞いてない!」


 アドリアンの顔がこわばった。ロザンヌはその変化に気づくことなく質問を続けた。


「馭者が襲われることは、エルシー様から聞かされていなかったのですね?」

「そうだよ。ただ、分かれ道を左へ曲がったあと、馬車が一度止まるから、その隙に侍女と一緒に降りろって言われていた」

「降りた場所に、迎えの馬車がございましたの?」

「すぐそばじゃないよ。建物の脇の細いところを抜けた先に待たせてあった。あたしたちは荷物を持って、そこまで歩いたんだ」

「ホプキンスさんには、降りることをお知らせになりましたか?」

「侍女が、馭者には知らせるなって言ったんだ。あたしは言われたとおりにしただけだよ」

「では、その時点では、ホプキンスさんは襲われていなかったのですね」

「もちろんだよ。荷車を先に通すから少し待つと言っていた。あたしたちが降りたあと、馬車が走りだす音も聞いた」


 アイリーンは腕を組み直した。


「あたしが妙な二人を見たのは、その少し前だよ」

「妙な二人?」

「女と男さ。エルシーの格好に着替えて、馬車へ向かっていたときに見かけた。二人はずいぶん親しそうにしていたんだけど、女の方はあたしを見た途端、男から飛び離れた。まるで、見られてはいけないところを見られたみたいにね」

「その女性に見覚えは?」

「ないよ。あたしはエルシーの知り合いじゃないからね。ただ、あちらはあたしを知っているようだった。ずっと怖い顔でこっちを見ていた」

「男の方は?」


 アイリーンは記憶を探るように目を細めた。


「身なりのいい男だった。女の肩に置いていた右手の小指に、ごつい指輪をしていた。ランタンの光を反射していたから覚えている」


 アドリアンは自分の小指にある印章指輪へ視線を落とした。


「二人は、何か話していましたか?」

「男が女に、知り合いかって聞いたんだ。女は『オリバーの婚約者よ』と答えていた。小さな声だったけど、あたしは耳には自信があるからね」

「では、その女性は、あなたをエルシー様だと思ったのですね」

「そうなんだろうね。あたしが馬車へ乗ったあとも、女の方はこっちを見ていたよ」

「あなたが最初の馬車を降りたとき、ホプキンスさんに異変はございませんでしたのね?」

「なかったよ。荷車が通り過ぎるのを待っていた。あたしたちが降りたあと、すぐに馬車が走りだす音も聞いたって言っただろう?」

「では、ホプキンスさんが襲われたのは、あなたたちが降りたあとですわ」


 ロザンヌの言葉に、室内が静まり返った。


「襲った者は、空になった馬車を止めたのか」

 アドリアンが低い声でつぶやいた。

「おそらくは、空だと知らずに」


 ロザンヌは、先ほどアイリーンが語った男女を思い浮かべた。


「その方々は、あなたをエルシー様だと思っていた。そして、あなたを乗せた馬車が劇場街を出るところを見ていた」

「では、追いかけてきたということですか?」

 マイクの問いに、ロザンヌはゆっくりとうなずいた。

「その可能性がございますわ」

「ただ、こっちに帰って稽古に出たとき、知らない男が現れたんだ。そいつが耳元で、『劇場街で見たものも、あの夜の仕事も、すべて忘れろ。舞台の仕事は舞台の中だけにしておけ』って」

「……口留めか」


 アドリアンの言葉に、アイリーンはうなずいた。


「その男の顔は?」

「帽子を深く被っていたから、よく見えなかった。服は貴族の使用人らしい上等なものだったよ。でも、去っていくとき、右手の小指にあった指輪がランプの光を返した」

「先ほどの男性と同じ指輪でしたの?」

「断言はできないよ。あのとき男がしゃべったのはほんの一言だったし、声だけじゃ同じ男かどうかはわからない。でも、指輪の大きさも形もよく似ていた。だから、あたしは余計に怖くなったんだ」

「ランプの光を反射したなら、面の大きいものだ。おそらく、印章指輪だ」

「使用人が、嫡子用の印章指輪を?」


 メリーが眼鏡の奥で目を細めた。


「使用人ではなかったか、そう見せかけたかったかだな」

 アドリアンは自分の指輪へ目を落とした。

 彼の小指には、嫡子用の印章指輪がはめられていて、化粧台のランプの光を反射させていた。

「そう。そんな風に光ってたよ」

 アイリーンはうなずきながら言った。


「エルシー嬢からほかに言われた言葉はありますか?」

 マイクが問うと、アイリーンはしばらく目をさまよわせたあと、ああ、とつぶやいた。

「彼女に最後に会ったとき、あたしが大丈夫なのかって聞いたら、『列車に乗ったところをだれかに目撃されたら、あなたの仕事は終わりよ。それより先のことは、知らない方がいい』って。慎重なんだなあって思ったんだったわ」


 それは、アイリーンの身を案じた台詞だったにちがいない。ロザンヌはそう確信した。エルシーは、アイリーンを自身の計画に極力かかわらせないよう配慮したのだろうが、調べようと思えばこうして知られてしまう。


 これ以上、長居をしない方が彼女のためにもよさそうだ。ロザンヌはアドリアンを見上げて、小さくうなずいた。


「また聞きたいことがあれば訪ねさせてくれ」

「いいけど。あたし、捕まるのかい?」

 アドリアンは首を傾げた。

「僕たちはそういうんじゃないからなにも言えないが、しばらくは派手に金を使わずおとなしくしておいた方がいい」

 アイリーンは殊勝にうなずいた。


 四人は彼女の部屋を辞して、もと来た通路を引き返した。

 馬車に乗ったところで、さっそく情報を整理することになった。


「その前に、今日わかったことは、外には僕とマイクが調べたことにしておこう」

 アドリアンが真面目な顔でロザンヌに言った。

「どうしてですの?」


 不思議そうにするロザンヌに、アドリアンは肩をすくめてみせた。

「僕も少しは役に立ったことにしてほしいんだよ」

「それは構いませんけれど……」

 浮かない顔のロザンヌに、アドリアンは作ったような微笑を浮かべた。


「ありがとう。これからは、調べに行く前に必ず僕にも知らせて。きみを守るよ」

 いつものアドリアンのようでいて、どこか違う雰囲気を纏っているようで、ロザンヌは首を傾げた。


 マイクはアドリアンに目配せをすると、さりげなく話を本題へ戻した。アドリアンはそのしぐさで、彼もロバートからロザンヌのことを頼まれているのだろうと察した。だが、アドリアンの心にあったのは、王太子殿下のことだけではなかった。関係者に口止めまでした何者かに、ロザンヌが事件を調べていると知られないよう、警戒しなくてはならない。


「これで、エルシー嬢が自分から消えようとしたことは確かですね」

 マイクの言葉に、ロザンヌは首を振った。

「替え玉を使って、列車に乗ったように見せかけたことは確かです。ですが、エルシー様がどこへ行かれたのかは、まだわかりません」

「それでも、馭者の襲撃までエルシー嬢が計画したわけではないことはわかった」

 アドリアンが言うと、ロザンヌはうなずいた。


「ええ。アイリーンさんと侍女らしき女性は、馭者が襲われる前に馬車を降りています。襲撃犯は、車内が空になったことを知らずに、馬車を止めたのでしょう」

 メリーが眉根を寄せた。


「では、襲った者たちは、エルシー様の計画を知っていたわけではないのですね」

「その可能性が高いと思いますわ」

 ロザンヌはノートを開き、二本の線を引いた。

「一本目は、エルシー様が用意した失踪のための道です。アイリーンさんを自分に仕立て、列車へ乗せる道」


 もう一本の線を、その途中へ交差させる。


「もう一本は、劇場街でアイリーンさんを見た何者かが、その馬車を追った道です」

「二つの計画が、途中でぶつかったのか」

 アドリアンがつぶやいた。


「ええ。失踪はエルシー様が用意した芝居でした。けれど、馭者を襲った者たちは、その芝居の筋書きを知らなかった」


 ロザンヌは交差した二本の線を見つめた。


「知らないまま同じ舞台へ上がってしまったのですわ」 


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