第六章 舞台女優の化粧箱②
ロザンヌはノートに目を落とした。
「茶会や慈善会でのエルシー様のお姿を思い出してメモをしていたところでした」
アドリアンはメリーの防御をするりと抜けて、ロザンヌのノートが見えるところに移動した。
メリーがぎろりとアドリアンをにらむが何も言わない。
「エルシー様は、弱々しい声でしたのに、遠くにいたわたくしのところまで聞こえました。それに、表情はよく見えないのに、遠くのわたくしにも、肩が震えて悲しんでいるとわかりました。……彼女は遠くからでもわかる大きな眼鏡をかけ、首元まで覆う地味な服を着て、帽子や黒髪で顔を覆っていらっしゃった」
ノートを読み上げている途中で、ロザンヌの脳裏に、慈善会へ向かう枝道を通った記憶がよみがえった。
あの道は、慈善会のほかに何がある道だと、マイクは言っていたか。
「……ああ」
ロザンヌは手をあわせた。
「そうですわ。顔を似せる必要はございませんのね」
「どういうことかな?」
ロザンヌは顔を上げた。
「皆がエルシー様だと思っている服装をして、エルシー様らしい振る舞いをすればよいのでは? お顔は眼鏡と帽子で隠せます」
そして、人が別の誰かを演じる場所が、あの枝道の先にはあった。
「遠くから見てもエルシー様だと思わせればいいのです。そう、演じればいいのですわ」
「演じる……?」
メリーがつぶやいた。
ロザンヌは深く頷いた。
「ええ。馬車に乗っていた女性はエルシー様を演じていたのです。舞台に立った時と同じように」
「舞台……あ」
メリーがはっとなった。
「メリーも気づきまして?」
ロザンヌはにこりと笑ってアドリアンを見た。
「失踪現場から分かれる道の一つは、慈善会だけでなく、劇場街にも通じていました。偶然かもしれませんがエルシー様自身も演じていた可能性が高い。次の調査は劇場にいる役者たちですわね」
「劇場の数は結構あるよ?」
「そう、ですわよね」
アドリアンの指摘に、ロザンヌは唸った。
そこへ、控えめなノックの音がした。
ロザンヌが返事をすると、扉が開き、その向こうに執事が立っていた。
「旦那様がお呼びでございます。アドリアン様もご一緒に、と」
「あらなにかしら。謹慎を解いてくださる話なら大歓迎なのですが」
「それはないかと」
即答するメリーを、ロザンヌはじろりとにらんだ。
「帰りが遅くなったことをお父さまに黙っててくれればこんな謹慎はなかったのに」
「黙っていても馬車の帰りが日没後になったのはバレますよ」
しれっと答えるメリーに、ロザンヌは頬を膨らませた。アドリアンはくすりと笑ってロザンヌの頬を指先でちょん、とつついた。
「謹慎のおかげで僕はきみを捕まえられたんだけどね。さ、行こうか」
アドリアンのエスコートで、ロザンヌは当主の執務室へと向かった。
◇◇◇
執務室に通されて、ロザンヌとアドリアンは意外な先客がいることに気づいた。
「叔父さま! マイク!」
ロザンヌが笑顔でロバートに近づいた。ロバートはソファから立ち上がり、ロザンヌを抱きしめてその場でくるりと回転した。
ロザンヌのはしゃいだ声に、父親であるデヴィッドが不機嫌な顔でロバートをじろりとにらんだ。
「私が腰痛もちでなければ……」
デヴィッドは拳を震わせながら悔しそうに唇をかんだ。
「そろそろいいですか?」
アドリアンはロバートに声をかけながら、そっとロザンヌを彼の腕から引きはがし、自分の胸に取り込んだ。
デヴィッドはアドリアンにも険しい目を向けたが、メリーの咳払いではっとした。
「そうだった。ロバートが二人に聞かせたい話があると言って、やって来たんだったな」
「ええ。ロザンヌが自宅謹慎中とのことでしたので、私と記者クラブのマイクとで来たんですよ」
ロバートはロザンヌに目をやり、話を続けた。
「寄付の話はデヴィッド兄上にしてある。今後、慈善会の台帳を調べる必要が出たときは、レマー家からの寄付内容を検討するためということにする」
「わかりましたわ」
「では、マイク?」
ロバートに促され、マイクはいつものキャスケットを膝の上に置いてちょこんと頭を下げた。
「昨日、マイクは駅の周辺の聞き込みをしたんだ」
「まあ」
「彼から報告を聞いてほしくてね」
ロザンヌはちらりとデヴィッドへ目を向けた。父はまだすねた顔をしていたが、しぶしぶ座るようにと言い、自分は並行に置かれた二つのソファの中央の一人掛け用の椅子に腰を下ろした。
「それで?」
ロバートとマイクの向かい側にロザンヌとアドリアンが座った。
マイクが胸のポケットからメモ帳を取り出し、ページをめくった。
「駅でエルシー嬢らしき女性が目撃されていました。帽子の隙間から黒髪が少し見え、大きな丸眼鏡をかけ、地味な外套をまとっていた。帽子は深く被り、小型の旅行鞄を持って、発車直前の列車に一人で乗ったそうです」
そのあとをロバートが引き継いだ。
「これは当局も掴んでいる情報でね。エルシー嬢は自ら列車に乗って王都を離れたという見方の根拠になっている」
「そういうことなのですね」
ロザンヌがうなずいた。マイクはメモをめくって続けた。
「ただし、駅員を含め、エルシー嬢の顔をちゃんと見た者は、だれもいません。切符を確認した人もそうです。なぜその人がエルシー嬢だとわかったのかと尋ねたら、翌日の新聞に載った特徴と同じだったからそう思った、と答えました」
アドリアンは、膝の上に置かれたロザンヌの手に、自分の手を重ねた。ロザンヌはアドリアンに顔を向け、小さくうなずいた。ロザンヌはロバートに笑顔で言った。
「もう叔父さまもお気づきなのでしょう? 駅に現れた女性はエルシー様の替え玉なのだと」
ロバートはにやりと笑った。
「ああ。ロザンヌも同じ答えのようでうれしいよ。今日はロザンヌと替え玉の移動経路を考えようと思ってね」
マイクも交えて、わかっていることを順に書き出していった。
一、エルシー嬢に扮した女性が、侍女らしき女性とともに馬車へ乗った。
二、馬車は分かれ道を左へ進んだ。日暮れの鐘が鳴ったころ、金物商の妻が車内の女性を目撃している。
三、その先の道幅が狭くなった場所で、馭者は荷車を先に通すため馬車を止めた。
四、そこから先、令嬢本人の声を聞いた者も、車内にいた姿を確かめた者もいない。
五、さらに先の開けた場所で、道端に停まっていた別の馬車の馭者が合図をした。
六、ホプキンスが速度を落としたところ、背後から何者かに襲われた。
七、ホプキンスが意識を取り戻したときには、車内から二人の女性と荷物の一部が消えていた。
八、その後、エルシー嬢らしい女性が駅で目撃され、列車に乗っている。
書き出された順序を眺めていたメリーが、眉を寄せた。
「替え玉の女性たちは、いつ別の馬車へ移ったのでしょう」
「馭者が襲われたあとだと考えるのが自然では?」
マイクの言葉に、ロザンヌはすぐにはうなずかなかった。
「ですが、襲った者たちが二人を別の馬車へ移したのなら、そのまま駅へ行かせたことになります。わざわざ馭者を襲った者が、エルシー様の失踪を完成させて差し上げるでしょうか」
ロバートが目を細めた。
「襲撃した者と、替え玉を駅へ向かわせた者は別かもしれない、ということかい?」
「まだ、わかりません。ただ――」
ロザンヌは、三番目の項目を指さした。
「馬車は、荷車を先に通すため、一度ここで止まっています。このときに二人が降りていたとしたら?」
「では、ホプキンスさんが襲われたときには、馬車の中はすでに空だったと?」
「その可能性がございますわ」
マイクが、あ、と小さく声を上げた。
「今朝、ここへ来る前に、もう一度あの場所を見てきたんです。建物の間に、道からは見えにくい戸口がありました」
「その戸口は、どこへ通じていましたの?」
「細い通路です。建物の反対側の道へ抜けられました。あそこなら、馬車の陰に隠れて降りることもできたと思います」
ロザンヌは身を乗り出した。
「その先に、別の馬車を待たせておけますわね」
「ええ。ただ、戸口があっただけでは、二人が実際にそこを通った証拠にはなりません」
ロバートが満足そうにうなずいた。
「断定しないのは結構。だが、確かめるべき場所は見つかったな」
ロザンヌはノートに、狭い道から反対側の道へ抜ける細い線を加えた。
「こうなったら替え玉を演じた女優を見つけることだな。何を頼まれ、誰から金を受け取ったか。それがわかるまでは、共犯者とも決めつけられない」
ロバートの言葉に、デヴィッドを除く全員がうなずいた。
「ロザンヌ様とメリーさんと僕とで通ったあの枝道に劇場街がありました。おそらくそこで女優を見繕ったのだと思います。それと、もう一点あります」
「なにかしら?」
マイクはメモをちらりと見た。
「駅へ向かう道沿いで聞き込んだ範囲では、黒髪の女性が途中で下車したという証言は得られませんでした」
「劇場街からもですの?」
マイクがうなずいた。
「だとすれば、替え玉は衣装や化粧を自分で扱えた可能性があります。エルシー様らしい声や所作まで演じていたのなら、舞台に慣れた女性という線は考えられませんか」
「なぜ、舞台に慣れた女性だと?」
「背格好が似ていても、顔立ちまで似ていたとは思えません。それだけ化粧の技術があるのだと思います。それはおそらく、女優であれば身につけている技術でしょう」
マイクの言葉にロバートがうなずいた。
「というわけで、新聞社の演劇担当記者に、条件に合う女優を絞らせている」
「条件?」
「エルシーと身長や体格が近く、若い令嬢役を演じられること。失踪当日に公演や稽古を休んでいたか、その日の舞台に代役が立っていたこと。日暮れ前に劇場街周辺から動ける状況にあったこと。そして、声や所作の模倣が得意な女性だな」
ロザンヌは、見事な条件だと感嘆した。
「さすが、叔父さまですわ。でももう一つ、付け加えていただきたいことがございますの」
「なんだい?」
「化粧の上手な方、というものですわ。眼鏡に隠れるとはいえ、近くで見られる可能性もあったと思いますの」
「なるほどね」
ロバートは感心したようにうなずいた。
「マイク、今の条件を付け加えるよう、アンディの元へひとっ走りしてくれるかい?」
「ああ、いつも紺色のスーツを着ている?」
「そう。背が高いからすぐ見つけられると思うよ」
「わかりました」
マイクはメモをポケットに収めると、それでは、と挨拶もそこそこに部屋を飛び出していった。
「若いなあ」
ロバートが苦笑した。
「話はもう終わったか? 私はこれからロザンヌとお茶をするつもりだ」
デヴィッドが口を曲げてロバートを横目で見た。
「あら。でしたらお母さまもお呼びして、みんなでお茶にしましょうよ。ね、叔父さまもアドリアンもいいでしょう?」
アドリアンとロバートはそろって笑顔でうなずいた。
デヴィッドは泣きそうになりながら、無理やり笑顔を作った。
「私だけの天使が……」
その後、サンルームでお茶をしながら、母は父をしきりとなだめていた。
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