[第6話:目覚めれば、俺はヘンリーになっていた]
「目を覚ましたら、目の前に剣が突きつけられていた——」
そんな言葉を聞いたことがあるだろうか?
普通ならただの比喩だ。目が覚めた瞬間に絶望的なトラブルにぶち当たり、いっそもう一度目を閉じて現実逃避したくなるような、と惨めな状況を揶揄したジョークに過ぎない。
だが悲しいかな、今の俺にとってその悲劇は現実そのものだった。
目の前に突きつけられているのは、本物の冷たい鉄の刃。あの皮肉めいた慣用句は、大昔に俺と同じような目に遭った奴が実体験から紡ぎ出したんじゃないかと疑いたくなる。
「誰だ、貴様は……?」
氷のように冷酷な声が耳腔を刺す。首元に押し当てられた剣先と同じくらい、鋭く重い殺気を含んだ声だ。
「……あー……ヘンリー……ですが?」
適当にそう答えてみたが、返ってきたのは容赦のない反応だった。剣先が押し込まれ、首筋の皮膚が薄く切れる。俺は反射的に両手を高く挙げた。
「誤魔化せると思うな、ミストラリスの狗め! 昨日は泥と埃まみれで気付かなかったが……本物のヘンリーの髪は茶髪だ! 貴様のような漆黒ではない!」
しまんた。どうやら俺の幸運もここまでらしい。
「吐け! 百の首を跳ねてきたこの剣が、貴様の心臓を穿つ前にな!」
女騎士は威嚇するように叫ぶと、素早く剣を引き抜き、次の瞬間——無防備だった俺の手の甲を躊躇なく貫いた。
「——っっぎゃあああああああ!?」
激痛が脳腔を突き抜け、叫び声が鼓膜を破らんばかりに響き渡る。昨日、戦場で肩を槍で貫かれた時でさえ声一つ漏らさなかった俺が、だ。
「いくら叫ぼうと無駄だ。ここは私の自室……すでに外へ音が漏れぬよう防音の結界を張ってある」
痛みに悶絶し、意識が飛びそうになりながらも、俺の脳の片隅はある一つの単語に引っかかっていた。
マホウ……? マジでこの世界には魔法が存在するのか? 一体俺は、どんな奇想天外な世界に飛ばされたんだ?
待てよ。ここが彼女の自室だということは……まだ交渉の余地が残されているということだ。
俺は歯を食いしばり、血の味のする唾を吐き捨てながら叫んだ。
「分かった……! 話す! 何が知りたいんだ!?」
「ヘンリーはどこだ!? 他の部下の奴らはどうした!? 奴の鎧を着ているということは、知っているはずだ!」
落ち着け、俺。この舞台でのセリフ選択を一歩間違えれば、俺の胸穴は手の中指と同じ数だけ増えることになる。
「落ち着いて聞いてくれ……剣を下げ……いや、無理だな。分かった、話すよ」
俺は浅く息を吐き出し、言葉を紡いだ。「……ヘンリーは死んだ。俺の鎧が砕けたから、まだ状態の良かった彼の鎧を借りたんだ」
女騎士の身体が、ピクリと揺れた。
先ほどまでの盤石な構えが嘘のように崩れ、その瞳に薄い膜が張り始める。
「ヘンリーは……息を引き取る直前、隊長への伝言を俺に託した」
俺はかつて、地球での最終公演でアーリャに向けて放ったセリフのトーンを再現した。目の前の女がこれほど必死に部下の安否を気遣っているということは、彼女の部隊は全滅したのだろう。そして、罪悪感に苛まれる指揮官が最も欲している言葉は——これだ。
「彼は言っていた……『隊長のせいじゃない』……とな」
「うくっ……ひっ……くすん……」
鉄の意志が瓦解した。
女騎士は膝を折り、その場で小さな子供のように泣きじゃくり始めた。つい数秒前まで殺意の塊だった人間が、これほどまでに脆く崩れ去る。昨日出会ったばかりだが、一つだけハッキリと分かった。
この女は……心底、部下を愛していたのだ。素晴らしい指揮官だったのだろう。
俺は無言を貫き、防音結界で塞がれた部屋の中で、彼女が感情を吐き出しきるのをじっと待った。
やがて彼女の呼吸が落ち着きを取り戻した頃を見計らい、俺は静かに声をかけた。
「……隊長?」
「なによ!?」
語気を強め、失った威厳を無理やり取り戻そうとする彼女。
「真実をお話ししたついでに……この手を治療する薬か何かをいただいても?」
彼女は一瞬絶句し、胸の痞えを吐き捨てるように大きく息を吐くと、ゆっくりと立ち上がった。
「……こっちへ来い。手を出せ」
ベッドの端に腰掛けた彼女に促され、俺は素直に従った。血まみれの手を彼女の膝上に載せると、彼女は奇妙な手印を結び始めた。
地球の常識なら、コスプレした重度の痛い奴にしか見えない動作だ。
だが次の瞬間、俺の目の前で物理法則が書き換えられた。
彼女の指先から、清廉な水球が湧き出し、俺の傷口へと滑り落ちていく。激痛が走る——まるで高濃度のアルコールを直接流し込まれたかのようだ。だが奇跡的に、黒ずんだ血小板と汚れがキレイサッパグリ洗い流されていく。
続いて彼女が別の印を結ぶと、部屋の中に心地よい風が巻き起こった。その風が集束し、傷口を包み込むと——肉芽が高速で再生し、何事もなかったかのように皮膚が塞がっていった。
「……終わりだ」
俺は塞がった手から視線を上げ、初めて至近距離で彼女の素顔を凝視した。
長いまつ毛、微笑んだ時にうっすらと浮かぶえくぼ、そして松明の光を反射して煌めく艶やかな髪。まるで磁石のように、俺の視線は彼女の造形から離れなくなった。
この至近距離での顔立ち……俺の脳内の記憶素子が、過剰反応を起こして一つの名前を叩き出した。
「……アーリャ姫……?」
「……なぜその名を知っている!?」
一瞬で彼女の瞳が絶対零度へと巻き戻り、一度収められたはずの剣先が、再び俺の胸元一ミリの地点へと突きつけられた。
どうやら俺は、またしても死の露天掘りを引き当ててしまったらしい。
剣が俺の皮膚を切り割く直前——扉を激しく叩く音が、部屋の中に響き渡った。
トントン、トン!
「アーリャ姫殿下! 国王陛下がお呼びです! 昨日の全滅戦から唯一生還した apprentice(見習い)兵を伴い、直ちに謁見の間へお越しください!」
助かった。九死に一生を得た。……だが、これから向かう先の状況を考えると、ちっとも心は晴れない。
謁見の間? つまり、本当の審問はこれから始まるということか。
俺は静かに息を吐き出すと、防音結界を解除しようとする彼女の背中に向かって、一つの『狂気的な提案』を投げかけた。
◇
「分かった、すぐに向かう」
アーリャ姫は毅然とした声で応じ、小さな手振りで結界を消し去った。
重厚なオーク材の扉が開かれる。
鎧を纏った美しい姫君が凛とした足取りで歩み出で、そのすぐ後ろを一人の見習い兵が従っていた。
「ほう……あれが昨日の惨劇から唯一生き残ったという、姫殿下の部下か?」
「確か、ただの見習い兵だったはずだが……」
「待てよ、噂では敵国ミストラリスの間諜じゃないかと言われていただろ? ヘンリーは茶髪だったはずだ」
「……だが、あの後ろの兵士……禿頭じゃないか?」
「戦場で頭部に大火傷を負い、偽装のために髪を全て焼き切ったのかもしれんぞ」
「そう言われてみれば……目元の骨格はヘンリーに似ている気が……」
俺は深く頭を下げ、口元から漏れそうになる不敵な笑みを必死で噛み殺した。
そう、部屋を出る直前、俺はアーリャ姫の風魔法を使って、俺の頭に生えていた漆黒の髪を根元から完全に刈り上げてもらったのだ。髪色の違いを物理的に揉み消す、最も手っ取り早い解決策である。
姫の後ろを歩きながら、俺は耳を澄ませ、廊下にたむろする近衛兵たちの雑談や噂話をくまなく回収していった。
公式な記録には載らない下衆の勘ぐりの中にこそ、本物のヘンリーの性格、立ち位置、そして人間関係のヒントが隠されている。
やがて、黄金の装飾が施された謁見の間の大門の前で、俺たちの足が止まった。
俺は深呼吸を一つつき、両目を閉じて脳内でイメージトレーニングを開始した。
これまで書いてきた無数の戯曲のページをめくり、感情を剪定し、この門の先で待ち受けるであろうあらゆる展開に備える。
間もなく幕が上がる。
そしてこれからの数時間、俺は世界で一番完璧な『ヘンリー』を演じ切らなければならない。
第6話をお読みいただき、ありがとうございます!
目覚めた瞬間に首元へ剣!
最大のピンチを「演技」と「ハゲ(丸刈り)」で乗り切ったラドヤ(笑)。
しかし、休む間もなく次なる舞台——【国王との謁見】へと引きずり出されることに……!
果たしてラドヤは、王宮の狐どもを騙し通して『ヘンリー』になりきることができるのか!?
「ハゲで押し通すの最高ww」「アーリャ姫との掛け合いが面白くなってきた!」と思った方は、
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次回の更新もお楽しみに!




