[第4話:アクション!]
【終幕まで、あと0日】
【本番当日】
学園祭当日のキャンパスは、人波で溢れかえっていた。通り沿いや border、中央広場に至るまで屋台が隙間なく立ち並び、家族連れで訪れた子供たちが楽しそうに駆け回っている。そして——今回の学園祭の主役である大学生たちが、あらゆる模擬店を取り囲むように群がっていた。
模擬店といえば、食べ物やゲームの屋台はもちろん、中には占いコーナーなんて怪しげなブースまで出ている。どう見てもインチキくさいのに、人々は長蛇の列を作っていた。人間とは常に他者からの承認を求める生き物であり、ああした偽りの占い所は、手軽にそれを買い求めるには絶好の場所なのだろう。
そんな屋外の賑やかなお祭り騒ぎとは対照的に、劇団の楽屋裏は未曾有のパニックに包まれていた。俺が到着したときには、すでに人々が右往左往していた。舞台の設営や小道具の準備に追われる者、衣装を抱えてドタバタと走り回る者。
だが、この大混乱の元凶は間違いなく役者陣——そして、演出家のヘルミさんだった。
「ウィロの奴、まだ電話に出ないのか!?」
ヘルミさんの顔は不快感と焦燥で真っ赤に染まっていた。
「ダメです、監督! 『体調が悪い』ってメッセージが届いた直後に電源が切れちゃって……電波が繋がりません!」
他の役者たちも、同じように悲壮感を漂わせながら叫ぶ。
「終わった……万事休すだ!」
代役を務めるはずだった主演の消息を追って大騒ぎする部員たちを余目に、俺の視線はある一人の少女を捕らえた。アーリャだ。彼女もまた俺を見つめ、静かに、小さく頷いた。
俺たちの『共犯』は、完璧に機能していた。
それにしても、一体どんな魔法が作用したのだろうか。今朝の俺の体は、驚くほど軽かった。目を覚ましたときの鼻血もなく、劇場に足を踏み入れるまで俺を苦しめ続けていた猛烈な頭痛も嘘のように消え去っていた。肉体が、突如として完璧に機能し始めたのだ。
「ヘルミさん」
俺は覚悟を決めた足取りで、監督の元へと歩み寄った。
ヘルミさんは振り返るなり、即座に首を横に振った。
「ダメだぞ、ラド。この話はもう終わったはずだ」
「でも、この状況をどうするんですか! ウィロは来ない。あの役を……俺以上に演じ切れる奴が、他にいるんですか!?」
俺は揺るぎない自信を込め、ハッキリと言い放った。
「俺はこの役を三ヶ月間稽古してきたんです! それに今朝から頭痛も全くない。きっと治ったんですよ。見てください、手だって全然震えてない!」
俺の叫びがあまりにも鋭く響き渡ったため、緊急の作業を抱えている者以外の部員一斉にこちらへ視線を向けた。ヘルミさんは俺をじっと見つめた。その瞳は、頭から足の先まで異常がないかを探るように検分していた。
彼はしばらく沈黙し、自身の理性と葛藤した末に、重い溜め息を吐き出した。
「……本当に、大丈夫なんだな?」
「大丈夫です、ヘルミさん」
「……」
張り詰めた空気の中、最後に背中を押したのはアーリャの声だった。
「もう選択肢はないと思います、監督。それに……正直なところ、芝居の相性で言えば、私はラドヤと演じる方がずっとやりやすいです。私たちは三年間、ずっと一緒に舞台に立ってきたんですから」
相手の急所を正確に穿つ一撃のように、アーリャの言葉はヘルミさんの最後の防壁を打ち砕いた。彼はついに、今回の公演で俺を主演に復帰させることを受け入れたのだった。
「よし、全員聞け!」
ヘルミさんがパンと大きく手を叩き、場を仕切る。
「多少の再調整は必要だが、お前たちもラドヤを主役として稽古してきたはずだ。衣装もそのまま残っているな? 開演まであと二時間、正午が開演だ。最高の舞台を見せてやれ! 直前ゲネプロに入るぞ、急げ!」
それから俺たちは突貫で最終ゲネプロを行った。すべてが驚くほどスムーズに進行し、技術的なミスもセリフのトチリもほぼゼロだった。
「認めざるを得ないわね、ラド。あなた、本当にお芝居の天才だわ。この二週間、一度も稽古を休んでいなかったんじゃないかって錯覚するくらいよ」
舞台の転換の合間、アーリャが囁くように言った。
「問題ないさ。感謝するよ、アーリャ」
心からの言葉を返すと、アーリャは静かに頷いた。俺を見つめる彼女の瞳が、微かに潤んでいるのが見えた。劇中の王女役に没入しすぎているのか、それとも……別の理由からだろうか。
本番直前、俺と役者たちはメイク室へと誘導された。メイク担当の指先が自分の顔を彩っていく間、俺は鏡に映る己の姿をじっと見つめていた。ここ数週間、食べ物を喉に通すのも苦労したせいで痩せこけた頬。眠れぬ夜が作った濃いクマ。それらが手際よく覆い隠され、やがて一人の勇猛な騎士の顔へと変貌していく。
舞台メイクとは実に恐ろしい魔法だ。瞬く間に、人間を全く別の存在へと塗り替えてしまう。そして肉体の変化と調和するように、俺の魂もまたゆっくりと溶け合い、演じるべき人物へと転移していった。
奇妙なことに、この騎士のキャラクターは俺自身の性格と酷似しているように思えた。だからこそ、俺は舞台上でこれほど容易に彼に命を吹き込むことができるのだ。
……あるいは、俺の本当の性格こそが、彼に似ているのだろうか?
俺は小さく首を振った。余計な雑念に囚われている時間はない。メイクを終えた俺は勇壮な鎧衣装を身に纏い、舞台袖に立って立ち位置の距離感を再確認した。
やがて時間は刻一刻と過ぎ、ついに運命の幕が上がる時が来た。俺は舞台の定位置に立ち、これから自分の体に訪れるであろうあらゆる最悪の事態に覚悟を決めた。だが、眩い光を放ち始めた大ホールのアッパーライトの下で、もはやそんなことはどうでもよかった。
この瞬間、俺はこの物語の主役だ。
「——それでは皆様、お待たせいたしました! 劇団の登場です!!」
スポットライトが踊り、オープニングのBGMが響き渡る。満員の観客席から湧き起こる割れんばかりの拍手と歓声が、大ホールの隅々にまで鳴り響いた。
物語は、ある王国の王女と、互いに愛し合う騎士団長を描いた悲恋劇だ。二国間の戦乱が激化する中、戦場へと赴いた団長は帰らぬ人となった。絶望に暮れた王女は現実から目を背け、城の最果てにある古びた離れに身を寄せて暮らしている。
「くっ……姫……様……」
戦場の渦中で瀕死の重傷を負った騎士団長。頭部と体に深い傷を負い、血に染まっている。
「ほう、見ろ。息があるぞ。連れて行け」
「し、しかし閣下!」
「構わん。言葉を吹き込めば、我らに忠実な駒へと生まれ変わる」
敵国によって拾われた団長は、過去の記憶をすべて書き換えられ、敵国の騎士として育て上げられたのだった。
たとえ記憶を失おうとも、その両手の温もりだけは変わらないというのに。
再び戦争の火蓋が切って落とされた。両国は全戦力を投入して激突する。かつての騎士団長は再び戦場へと舞い戻ったが、それは故郷のためではない。彼の圧倒的な武勇と剣技は、敵国を絶対的な勝利へと導いていく。
そしてある日の夕刻、彼の指揮する an ad-hoc 部隊が、城郭内の建物を捜索していた。
「あの古びた建物はなんだ……?」
団長の視線が、城の端に佇む崩れかけた離れに止まった。なぜか、彼の目も、心も、そこから逸らすことができない。彼は部下を率いてその建物へ足を踏み入れ、窓の外を静かに見つめる一人の女性を見つけた。
気品に満ちた佇まいの女性。艶やかな美しい黒髪。振り返ったその顔立ちには息をのむほどの美しさがあったが、その瞳は深く絶望に陰っていた。
「姫……様……?」
団長の唇から、無意識にその言葉が漏れ出た。すると次の瞬間、王女の瞳にパッと彩りが戻る。
「団長……様……? 本当に、あなたなの……?」
その声を聞いた瞬間、団長は頭を抱えて激痛に悲鳴を上げた。封印されていた記憶の濁流が、一気に脳内へとなだれ込んでくる。彼女と育んだ愛の記憶、そしてすべてを奪い去った残酷な戦争の記憶が——
……それが、本来の脚本のシナリオだった。
「ぐっ……あがぁぁぁぁぁっ!!!」
頭が弾け飛ぶかと思った。これまで人生で経験してきたどの頭痛よりも凶悪な激痛。巨大な手のひらに頭蓋骨を握り潰され、中身を貪り喰われているかのような、あるいは卵の殻を両側から強く圧迫されて粉々に砕け散るかのような衝撃。
舞台袖にいたヘルミさんが俺の異常に気づき、今にも舞台へ飛び出してこようとした。だが俺は即座に手で制するジェスチャーを送った——幸いにも、それは後ろに控える部下へ制止を命じる動作と見事に一致していた。
ここで止まるわけにはいかない。物語が、まさに最高潮を迎えたこの瞬間に。
俺は客席へと視線を出した。どうやら観客たちは、俺が記憶を取り戻す激痛を鬼気迫る演技で表現しているのだと錯覚しているようだった。上出来だ。俺は次のセリフを発するために必死に意識を集中させようとした——その時、中列の客席にいる『ある人物』の姿が目に飛び込んできた。
俺の部屋の写真立ての中にいた人物。怒りにまかせて三分の一を破り捨てた、あの写真の人物だ。その『三分の一』の人物が今、客席から必死な眼差しで俺を見つめていた。
「うああああああああっっっ!!!!」
頭痛は増すばかりだったが、知るかよ。耐えてみせる。
しばらくして、先ほどまでの冷徹な表情から一転、苦悩に満ちた顔となった団長は静けさを取り戻した。彼は千鳥足で王女に向かって歩み寄る。両手を前へと伸ばし、まるで愛しい王女を抱きしめ直そうとするかのように。
「……姫……様……」
一歩、また一歩と踏み出すたびに、団長の容体は明らかに悪化していく。観客全員が息を飲み、引き裂かれた二人の恋人がどのような結末を迎えるのかを見守っていた。
一方、幽閉されていたために何が起きたのかを知らない王女は、目の前に現れた愛しい人の姿に涙を抑えきれずにいた。アーリャが駆け寄ろうと足を踏み出したその瞬間——またしても運命の残酷な悪戯が彼女に襲いかかった。
血に染まった一筋の刃が、閃光のように眼前へと突き出される。
背後から、愛しい人の胸を容赦なく貫いていた。
「ガハッ……ごほっ……!」
俺の口から、そして鼻から、濃密な血の海が撒き散らされた。
「嫌ぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!」
王女の悲痛な絶叫が、大ホール全体に響き渡った。
引き抜かれる刃と、ドラマチックに崩れ落ちる団長の肉体。同時に、隠されたシナリオの真実が明かされる。敵国の部下の一人は、最初から団長を処刑する秘密指令を受けていたのだ。どれほど功績を挙げようとも、元敵国の人間である彼が生き残る道など最初から存在しなかったという残酷な事実。
客席のあちこちから、すすり泣く声が漏れ聞こえ始めていた。
……上出来だ。
本物の喀血のタイミングを、刺される瞬間に合わせた甲斐があったというものだ。
フッ、やっぱり俺は芝居の天才だな。
台本通りなら、ここからは王女が最後のモノローグを詠唱し、部下の手によって共に命を落とすシーンだ。そして二人が夢見た『我が家』で、折り重なる遺体となって終幕を迎える。
俺はこの最高のシーンを最後まで見届けたかった。だが、床へ崩れ落ちると同時に、俺の視界はゆっくりと闇に呑まれ、消えていった。
愛しい王女の温かな腕の中で、俺は本当の『最後のセリフ』を口にすることを許してもらった。
「姫……様……」
俺は間を置き、彼女の応えを待った。
「……はい?」
溢れ出る本物の涙と嗚咽に混じった声が、俺の ears にはっきり届いた。
「……君の……せいじゃ……ない……。ようやく……ここまで……来られた……。ありがとう……」
「こちらこそ……私の騎士……」
それが、俺の意識が途切れる前にハっきりと聴き取れた最後の言葉だった。すべてが遠のき、霞んでいく。それでも俺は最後の瞬間まで意識を繋ぎ止めようと抗い続けた……あの声が聞こえるまで。
王女は騎士の体を優しく床へ横たえると、静かに立ち上がった。彼女から放たれる圧倒的な王女の威厳に気呑まれたのか、舞台上の敵兵たちはまるで彼女の最期の言葉を待つかのように動かずにいた。
「——貴様たちはこの戦に勝ったかもしれない。だが、この気高き騎士には敗北したのだ! 彼は最後の瞬間まで戦い抜き、己の魂のすべてをこの場所に捧げた……この舞台のために! だから、決して彼のために泣かないで。彼のような人間は、息が止まった程度で死に絶えはしない! 彼の魂は生き続ける……今夜という時間を記憶刻む、すべての者の心の中で永遠に!!」
再び、血がその家を赤く染めた。運命に引き裂かれた二人の恋人たちが眠る、最後の安息の地。
舞台の幕が、ゆっくりと降ろされていく。
次の瞬間、ホール全体が揺れた。雷鳴のような拍手が巻き起こり、客席のあちこちでスタンディングオベーションが始まった。この演技は、間違いなく人々の心に深い刻印を残したはずだ。少なくとも、これから先何年もの間。
……良かった。
この人生、後悔することはたくさんあった。けれど、感謝したいことも同じくらいたくさんあった。
暗転した舞台袖で最後の息を引き取りながら、俺は確信していた。
俺はついに……最高の主役として、一つの伝説を作り上げたのだと。
第4話をお読みいただき、ありがとうございます!
そして、これにて【第1章・現実世界編】が完結となります!
命の灯火を燃やし尽くし、最高の舞台で『主役』として伝説を刻んだラドヤ。
彼の真迫の演技と、共犯者アーリャの圧倒的な存在感によって、物語は最高のフィナーレを迎えました。
……しかし、彼の『演劇人生』はここでは終わりません。
命を落としたはずのラドヤが目を覚ましたのは——なんと、本物の剣と魔法が交差する「異世界」!?
次回より【第2章・異世界編】が開幕!
現実世界で培った「演劇」と「演技力」だけを武器に、ラドヤの新たな舞台が始まります!
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第2章でのラドヤの新たな活躍を、どうぞお楽しみに!




