[第2話:|主役を降りた男の|演出]
【終幕まで、あと29日】
【本番まで、あと13日】
その夜、病院から追い出されるように退院した俺を、ヘルミさんはアパートの玄関前まで送ってくれた。道中、彼は「とにかく休め」と何度も繰り返していた。なぜだろう、その親切な助言を聞くたびに、俺の頭の奥でズキズキとした痛みが激しさを増していく。
だが、一度固めた決意は揺らぎそうにない。この世界の何ものも、今の俺を止めることなんてできないはずだ。
ヘルミさんが帰った後、部屋のドアを開け、手元にあった荷物を床に降ろした。二日前に俺が倒れてから、彼が練習室から運んでおいてくれたものだ。俺はキシキシと悲鳴をあげる貧弱な体をかがめ、床に直接座り込んで木製のベッドに背中を預けた。まあ、今の俺にはこの姿勢が一番落ち着く。
「自宅」とは呼んでいるものの、ここは四畳半ほどの一人暮らし用アパートに過ぎない。一人で住むには十分だが、ただそれだけの空間だ。右の奥には小さな布団とベッド、反対側には勉強机と椅子。あとはクローゼットとユニットバスがあるくらいの、ごくありふれた部屋だ。
壁には、大学生活で俺が出演してきた演劇のポスターが整然と貼られている。皮肉なことに、どの作品を見ても、俺の名前は通行人や脇役の欄に小さく書かれているだけだった。
静まり返った夜の静寂の中で、俺の視線は部屋の中をあてもなく彷徨う。そしてついに、机の上に置かれた一つの物体——写真立ての上で止まった。胸の奥を、妙な息苦しさが締め付ける。今は何も思い出したくない。俺は咄嗟に視線をそらした。
「よし、ラドヤ。まだ舞台に立ちたいなら、何か方法を考えろ」
自分自身に言い聞かせるように呟く。
「ついに掴み取った主役なんだ。絶対に無駄にはさせない」
俺は深呼吸を一つついた。両親に「俺は大丈夫だから」とだけ短くメッセージを送り、具体的な計画を練り始めた。
そして翌日、俺はその計画をさっそく実行に移した。
◇
「ここで稽古を続けるのは無理だって言っただろ、ラド! 少なくとも、完全に治るまではな!」
練習室にヘルミさんの怒号が響き渡る。その表情には、隠しきれない同情の色が浮かんでいた。
だが、俺にはもうそんなことどうでもよかった。
「それって……『一生』って意味ですか?」
俺の反問に、ヘルミさんは言葉を詰まらせた。俺たちの誰もが知っているのだ。「余命1ヶ月」という宣告において、「完治」なんて言葉は存在しないということを。
重苦しい空気になりかけたのを察し、俺は雰囲気を和らげるように軽く笑ってみせた。
「冗談ですよ、ヘルミさん。大丈夫ですって。今日はただ、見学しに来ただけですから」
そう言って、俺は部屋の中央で硬直していた部員たちに向き直った。
「みんなも急に一緒に練習できなくなって本当にごめん。でも、もし俺が演じるはずだった役の解釈とかで悩みがあったら、いつでも聞きに来てくれ! 部屋の隅で待機してるからさ」
こうして、稽古が再開された。だが正直に言って、影のようなギャラリーと化した俺の存在のせいで、室内の空気はどこかぎこちなさを孕んでいた。
◇
【終幕まで、あと22日】
【本番まで、あと6日】
一週間という時間は、霞がかかったようにあっという間に過ぎ去った。そしてそれに比例するように、俺の視界も少しずつ、確実に霞み始めていた。
最近では、毎朝目を覚ますたびに、鼻から生温かい液体が垂れてくるのを感じる。歩くたびに、膝が激しくガクガクと震えた。この一週間、厚手のジャケットを着込むことでその衰弱した体の震えを隠し通してきたが……果たしていつまで持つだろうか。
肉体が蝕まれていくのと同時に、俺の精神もまた揺らぎ始めていた。
一年の後輩であるウィロが、本来なら俺が立つはずだった舞台の中央に立ち、俺の役を演じているのを見るのは……不思議な感覚だった。胸が押しつぶされるような、奇妙な苦しさ。おまけに、彼の演技に納得がいかないヘルミさんの怒声が連日響き渡っている。
まあ、無理もない。入部したばかりのひよっこが、いきなり主演の重圧を背負わされているのだから。そう思うと、胸の奥が再びチクリと痛んだ。
「……ラドヤ。この後輩に、何かアドバイスはあるか?」
ヘルミさんの声で、俺は我に返った。彼は俺の me dekat に立ち、じっと見つめていた。この一週間、彼は陰ながら俺のことを観察し続けていたのだ。同情からか、あるいは責任感からか。時折やってきては俺の体調を気遣う質問をしてきた——もちろん、俺の返答はすべて「大丈夫」という嘘だったが。
これまで彼が俺に助言を求めてこなかったのは、俺に演劇のことを考えさせないための配慮だったのだろう。だが、進展を見せないウィロの演技に対する初老の監督の忍耐も、どうやら限界に達したようだった。
俺は咳払いを一つし、喉の不快感を払いのけてから思考を口に出した。この十年間の演劇体験で培った分析だ。
「俺の意見ですけど、ウィロはこの一週間、フォーカスする場所を間違えてますね」
俺が静かに告げると、舞台の上にいたウィロがハッとこちらを振り向いた。
「この物語で一番見せるべきなのは、主人公の感情の揺れ動きです。殺陣や殺伐とした殺し合いのアクションが多い設定だからこそ——俺が倒れる前に見せたように——完璧な動作にとらわれすぎちゃダメなんです。混沌とした戦場の中で、彼の『絶望と葛藤』に焦点を当てる。そうすれば、自ずと存在感が際立ちます」
俺はそのまま、ウィロへの指導と意見を滑らかに言葉にしていった。剣の一振りよりも、たった一つの『視線の芝居』がいかに雄弁に語るかという細かいディテールまで。
俺の言葉を聞き終えたヘルミさんは、深く息を吐き出した。彼は何とも言えない複雑な眼差しで俺を見つめていたが、俺はその意味を深く考えなかった。一方、舞台上のウィロは目を輝かせ、尊敬と憧憬の念を隠そうともせずに俺を見つめている。
彼らだけではない。パイプ椅子に座っていた他の部員たちも、どこか寂しげな笑みを浮かべながら俺を見つめていた。ヘルミさんの瞳に宿っていたものと同じ、温かくも切ない哀愁。
彼らは知っているのだ。俺の命が尽きかけていることを。
そして同時に知っている——俺の魂が、まだこの舞台を少しも離れていないということを。
◇
舞台の袖で、アーリャは静かにラドヤを見つめていた。彼がウィロに自分の知恵を分け与えている姿を。
周囲が彼に哀れみの視線を向ける中、アーリャだけはもっと残酷で、痛々しい真実を目撃していた。
——ラドヤの頭の中では、今もなお情熱の炎が猛烈に燃え盛っている。しかしそれは、すでに力を失いかけた貧弱な肉体という檻の中に閉じ込められているのだ。
ジャケットのポケットの中で震える彼の左手。そして、主人公の表情を実演してみせるときに、かすかに弱くなっていくその声が、何よりも雄弁にそれを物語っていた。
この三ヶ月間、彼の相手役を務めてきたアーリャには痛いほど分かっていた。幕が上がるとき、ラドヤがどれほど自分の隣に立ちたがっているか。それはエゴなどではない。彼の魂のすべてが、今もこの舞台に取り残されているからだ。
——燃え上がるような情熱と、どうしようもない無力感。
その二つを同時に纏う彼の姿を見つめながら、劇中の『姫君』たる彼女は心の中で静かに誓っていた。自分の主演役者の最後の戦いを、絶対に無駄死になどさせはしない、と。
第2話をお読みいただき、ありがとうございます!
体はボロボロになりながらも、演出家として舞台に関わり続けるラドヤ。
そして、彼の中に燃える本気の執念に気づいたヒロインのアーリャ。
たとえ倒れても、彼の『執念の演技』はすでに始まっています……!
次回、いよいよ本番の幕が上がります。
しかし、ただで終わるはずのない彼の「最後の舞台」で一体何が起きるのか——!?
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次回更新も楽しみにお待ちください!




