[第1話:舞台の上の余命宣告]
ドサッ!
誰かが床に倒れ伏す音が響いた。
練習室全体が瞬時に静まり返り、次の瞬間、騒然とした悲鳴と動惑に包まれた。室内のあらゆる視線が、中央で起きたその惨事に注がれる。
その日の夕方、大学の演劇部は2週間後に迫った本番に向けた最終調整の真っ最中だった。役者たちの最後の磨き上げと、舞台美術の仕上げ。誰もが胸を躍らせ、自らの才能を披露しようと熱気にあふれていた。
だが、その熱狂の只中で、俺の頭を突如として猛烈な激痛が襲った。
まるで脳内で時限爆弾が爆発したかのような衝撃。視界が激しくグラグラと回転し、体を支えていた足枷が崩れ去る。
「あ、あはは……悪い悪い。ちょっと足をすべらせて……」
場の空気を和らげようと、俺は引きつった笑みを浮かべながら途切れ途切れに呟いた。
「ラドヤ!! あなた、鼻血が……!?」
誰かの悲鳴のような叫びが響き、温かかった部屋の空気は一瞬にしてパニックへと変貌した。
ああ。
口元をつたうこの暖かい液体は、汗なんかじゃなかったのか。
耳元で遠ざかっていく喧騒が、やがて長いキーンという耳鳴りへと変わる。視界が白く霞んでいき——やがて、すべてが真っ暗な闇に呑み込まれた。
◇
あの日、俺の世界が本当に終わったわけではない。だが、目が覚めたとき、俺は「いっそ二度と目を覚まさなければよかった」と心から思った。
薄目を開けたとき、最初に鼻を突いたのは消毒液と洗剤の鋭い匂いだった。白。この部屋の天井は、不気味なほど真っ白だ。
俺はもう、あの練習室にはいなかった。
部屋の隅で、大学の医療スタッフが白衣を着た医師と深刻そうに耳打ちし合っている。その隣には、悲痛な表情を浮かべた演劇部の監督が立っていた。
俺は体にムチ打って起き上がり、彼らの深刻な会話を遮るように声をかけた。
「……体調はどうだ、ラドヤ?」
監督がすぐさま駆け寄ってくる。その瞳には、深い懸念が宿っていた。
「……う、うん。大丈夫です、監督。たぶん」
息を整え、なんとか体を起こすと、俺たちの視線は目の前の医師へと集まった。その初老の男性はレントゲン写真を手に取ったまま、重い何かを耐えるような虚無の目を出していた。
「それで……俺の経過はどうなんですか、先生? あと何日で演劇の練習に戻れますか?」
俺はストレートに尋ねた。本番まであと2週間。病院のベッドで横になっている暇なんてないのだ。
しかし、その問いかけは部屋を死のような静寂へと突き落とした。
医師だけでなく、大学スタッフも監督も、一斉に口をつぐむ。息が詰まるような重苦しい空気。胃の腑から込み上げてくる吐き気に、俺は吐瀉物をぶちまけたくなる衝動を抑えた。
「ラドヤ君……で間違いないね?」
医師がようやく沈黙を破り、椅子を前に乗り出した。
「はい、先生……何かマズいことでも?」
「……結論から言うと、君はもう練習に戻るべきではない。当分の間、な」
俺は眉をひそめた。「……は?」
「君の脳内で、極めて深刻な症状が起きている。脳動脈瘤だ」
医師はできる限り穏やかな声で告げたが、その言葉は重鉄の槌となって俺の胸を打ち砕いた。
「脳の血管の壁が薄くなり、コブのように膨らんでいる。今後、肉体的な疲労や感情の昂ぶりを感じることは非常に危険だ」
「で、でも先生! 演劇の練習は俺にとって楽しみなんです! ストレスなんて感じてません!」
思わず声が大きくなり、静寂を切り裂く。
「ただの寝不足による鼻血ですよ! 2週間後には本番なんです! 俺が主役なんですよ!? 俺が練習に出なかったら——」
「ラドヤ君」
医師の冷淡で静かな声が、俺の言葉を遮った。彼は発光パネルに飾られたモノクロの画像を指でコンコンと叩く。
「これは単なる寝不足などではない。見なさい。この血管の膨らみは、いつ破裂してもおかしくない状態だ。舞台の上で叫んだり、感情を激しく昂ぶらせたりしたとき、これが弾けたらどうなるか分かっているのか?」
俺は絶句した。喉がカラカラに干からびる。
「脳内での大出血だ」医師は容赦なく言い放った。「そして多くの場合、患者は病院に搬送される時間すら与えられない」
俺は苦い唾を飲み込み、助けを求めるように監督へ視線を向けた。
「ヘルミさん……ヘルミさんなら分かるでしょ!? 俺たちがこの3ヶ月、どれだけ血の滲むような練習をしてきたか! たった2週間前に役を降ろすなんて無理ですよ! モノローグも立ち位置も、全部頭に入ってるんです!」
ヘルミ監督はすぐには答えなかった。彼は視線を床に落とし、自らの指を固く握りしめている。その肩は痛々しく落ち込んでいた。
「ラド……」
ヘルミさんの声は掠れていた。練習室で怒号を飛ばしていた、あの厳格な指導者の面影はどこにもない。
「……お前の命は、卒業公演なんかよりも遥かに大切だ」
「なんですか、それ……!?」
俺は自嘲気味に鼻で笑った。目元が熱く焼けるような感覚が走る。
「ヘルミさん自身が言ったんじゃないですか! 『舞台こそが俺たちの生き様だ、役者は幕が下りるまで舞台を降りるな』って! なのに、なんで今さら逃げろなんて言うんですか!?」
「お前を俺の舞台の上で死なせたくないからだろ、ラドヤ!!」
ついにヘルミさんが怒鳴り散らした。だが、その目には涙が浮かんでいた。部屋が再び静まり返る。彼は深呼吸をし、感情を必死に抑え込もうとした。
「俺は……こんな状態で舞台に上げて、もしお前に何かあったら……ご両親にも、自分自身にも一生取り返しのつかない罪を背負うことになるんだ……」
俺は金縛りに遭ったように固まった。ヘルミさんの言葉は、目に見えないビンタとなって俺の頬を強く張り飛ばした。
「ラドヤ君、聞きなさい」
医師の声が柔らかく、けれど絶望的な重みを持って響く。
「君の動脈瘤はすでに限界だ。これほど体力が低下している状態で、もし集中治療を受けずに無茶な活動を続ければ……」
医師は一瞬言葉を切り、手元の診断書を見つめた。
「……残された時間は、あと1ヶ月だ」
ドクン。
1ヶ月。三十日。
その冷酷な言葉はあっさりと告げられたが、俺の未来のすべてを粉砕するには十分すぎる威力を持っていた。頭の中が真っ白になる。2週間後には卒業公演。なのにこの医者は、俺の余命が今期の単位発表日すら迎えられないかもしれないと言っているのだ。
「この段階では……最新の医療技術をもってしても、致命的な後遺症を残さずに治療するのは極めて困難だ」医師は俺の残された希望を打ち砕く決定打を放った。「今の私たちの最優先事項は、君の『生存を維持すること』だ。夢を追いかけることじゃない」
命を維持する。
その言葉は、俺にとって終身刑の宣告のように聞こえた。心臓が少し速く脈打つたびに怯え、生きているだけの屍になれというのか? そんな生き方に何の意味がある?
世界が停止したかのような錯覚。いや、いっそここで止まってしまえばよかったのだ。
ヘルミさんが一歩踏み出し、俺の肩をそっと優しく掴むと、静かに首を振った。
「医者の言う通りにするんだ、ラド」
追撃のような、絶望の一言。俺の心はすでに、いくら繋ぎ合わせても元には戻らないガラスのように砕け散っていた。激しい頭痛が再び襲いかかり、俺はベッドの上に力なく崩れ落ちた。
だが——
それと同時に、俺の中でたった一つの覚悟が揺るぎないものとなった。
「余命1ヶ月」という宣告は、俺を絶望させなかった。むしろ、その数字が俺のやるべきことを明確にしてくれたのだ。
どうせ俺の人生が近いうちに終わるのなら、薬臭い病院の上で死ぬのだけは真っ平御断りだ。
死ぬ場所くらい、自分で選ばせてもらう。
——舞台の上で。
【終幕まで、あと30日】
【開演まで、あと14日】
はじめまして!
本作をお読みいただき、誠にありがとうございます。
情熱を注いできた舞台を奪われ、余命1ヶ月を告げられた主人公・ラドヤ。
彼はこの絶望的な状況から、一体どのような「最後の舞台」を選ぶのか——?
次回、物語は大きく動き出します!
演技とハタリ(ハタリ=ハタリ・ハタリ……騙し合い)だけを武器に異世界を生き抜く、嘘つき役者の大逆転劇をお楽しみいただければ幸いです。
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それでは、第2話でお会いしましょう!




