[第18話:宴、そして吐露]
部屋の荷整理を終えた俺たちは、そのまま車座になって緊急ミーティングを開いていた。棚からボタモチで降ってきた黄金の舞台(ジャスミン伯爵夫人の園遊会)という機会を逃す手はない。目標は二日後の夜会。本来なら一週間かけるはずだった準備をわずか二日で仕上げねばならず、正気の沙汰ではないスケジュールだが……まあいい。虎穴に入らずんば虎子を得ず、だ。どうせなら一気にライオンの巣窟まで飛び込んでやろうじゃないか。
「実に立派な筋骨(筋肉)をお持ちですね、ヘンリー様」
石造りの浴槽の向こう側から、セバスが不意に声をかけてきた。
「ありがとよ、セバス。お前こそ見事なプロポーションだな。正直、エルフ族ってもっとヒョロ高い連中ばかりだと思ってたんだが」
俺は身体に冷水を浴びせながら応えた。
「王国の人間が抱く典型的なイメージですね。ですが実際のところ、我が同胞にも肉体を鍛えるのが好きな者はおりますよ」
セバスは蒸気を拭いながら静かに微笑んだ。
「それに、我が派閥の男子はほぼ全員が軍務を義務付けられております故……嫌でも鍛え上げられるのです」
セバスの言葉を聞き、俺は今自分が宿している肉体を見下ろした。
確かに認めざるを得ない。この身体は、元の世界での俺の身体とは比べものにならないほど鍛え抜かれている。演劇部育ちとして発声や舞台での動きに必要なスタミナはあったものの、俺自身は筋トレやランニングを極力避けてきた人間だった。呼吸法のコントロールやスタミナの省エネ運用といった「ズル」を覚えてからは、余計に運動から遠ざかっていたのだ。その不摂生の果てが……まあ、あの脳動脈瘤の破裂だ。舞台の真っ最中に命を奪っていったクソ野郎である。
過去の惨状に比べれば、この新しい身体は幼少期から苛烈な鍛錬を叩き込まれてきたようだ。技術革新前の世界ゆえ、狩猟や農作業で日常的に身体を動かしていたせいかもしれない。この身の元の持ち主が誰だったのかは未だ知る由もないが、少なくとも「ヘンリー」の筋肉は、「ラディヤ」のそれより遥かに強靭でたくましい。
俺は石風呂に足を踏み入れ、セバスの隣に腰を下ろした。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ……」
長々と息を吐き出し、顔に立ち上る湯気を浴びる。幌馬車に揺られた長旅の後に浸かる温水風呂の心地よさは、まさに至高の一言に尽きた。まともに体を洗ったのがいつだったか思い出せないレベルだ。王都の城を出る前だったろうか? ダリア伯爵とのゴタゴタからジャスミン伯爵夫人の襲来まで、怒涛のトラブルが続いていた分、この湯浴み(バスタイム)の贅沢さは何倍にも跳ね上がっていた。
「それで……アルヤ様とはお仲直りされましたか、ヘンリー様?」
セバスが彼らしい落ち着いたトーンで切り出してきた。
「はぁ……さあな、セバス。あいつ、急に俺を無視し始めたんだ。話し合う機会すらくれやしない」
俺は疲れ果てた声を漏らし、浴槽の縁に頭を預けた。
「フェイを仲間に加えることの何がそんなに気に入らないんだ? 旅を続ければキャラバンがでかくなっていくことくらい、想像がつくだろ? 俺たちにはもっと多くの『役者』が必要なんだよ」
「アルヤ様はただ、貴方様をご心配されているのかもしれませんよ」
「そうだとしてもだ。何も言わずに黙り込まれたら、こっちだって心配になるだろ。本人が口を開いてくれなきゃ、俺には何も分からないんだからな」
俺は苛立ち紛れに親指と人差し指で眉間を揉みほぐした。
熱い湯のリラックス効果のせいか、防壁がゆるくなっていたらしい。聞き上手なセバス相手ということもあり、溜め込んでいた愚痴が知らず知らずのうちに溢れ出てしまっていた。
だが、続くセバスの返答は、予想外のものだった。
「フェイの裏の意図をあれほど容易に見抜かれたお方が、アルヤ様の『真意』にはお気づきにならないとは……不思議なものですね?」
セバスは薄く口元を緩め、試すような笑みを浮かべた。
(……くそっ、脚本家としてのプライドを突かれやがった)
「さあな……俺の頭がどうかしてるのかもしれない」
これ以上追及されるのを避けるため、俺は顔の半分を湯の中に沈めた。湯気立つ水面を、苦々しい目で見つめる。
セバスも察したのかそれ以上は追及せず、しばしの静寂が訪れた。
やがて、頭がクラクラとし始めた。長湯ののぼせが回ってきたらしい。脱水症状で倒れる前に上がるべきだな。
俺は浴槽から立ち上がった。体から雫が滴り落 we る中、視線がふと右肩に留まる。初日に槍で穿たれた傷跡はだいぶ塞がり小さくなっていたが、その痕の隙間に、何やら奇妙な湾曲した紋様のようなものが浮かび上がっているのに気づいた。……まあ、ただの痣か何かだろうと気にせず流そうとした、その時。
「失礼、ヘンリー様。少々そのお肩を拝見しても?」
セバスの声が静寂を破った。彼も浴槽から上がり、速やかに歩み寄ると、礼儀正しくも力強い手つきで俺の右肩を固定した。眉間に皺を寄せ、数秒間じっとその皮膚を見つめた後、彼は顔を上げた。
「無礼を承知でお伺いしますが……ヘンリー様のご先祖様に、大規模な領地移動――言わば『お引っ越し』をされた方はいらっしゃいますか?」
奇妙極まりない質問だった。だが、彼の微小な表情の変化を俺の役者インスティンクトが見逃さなかった。引きつったその顔は、「慎重に回答せよ」と警鐘を鳴らしている。
「……さあな。五歳の頃に両親を亡くしてるから、家の過去なんて覚えてないんだ」
俺はウェンディ姉さんから聞いていた「本物のヘンリー」の生い立ちに合わせ、極めて自然に応じた。
「だが、人が引っ越すなんて珍しいことでもないだろ?」
「ええ……そうかもしれません……」
セバスは手を離したが、その瞳には重苦しい思考の陰りが残っていた。
「大変失礼いたしました、ヘンリー様。どうやら私の見違いだったようです。そのお身体の刻印……昔、ミストラリス王国で見かけた紋章に酷似しておりましたもので」
申し訳なさそうに軽く頭を下げるセバスに、俺は大慌てで「気にするな」と告げ、一足先に浴室を後にした。
冷水で汗を流し、清潔な服に着替えて部屋へ戻る廊下の中、俺の思考はパニックに陥っていた。
(おいおいおい……いきなりこの肩の傷跡が『ミストラリスの刻印』だって!?)
確かにこの体で目覚めた時、俺はミストラリスの灰色の軍服を着ていた。だが、まさかこんな「生まれつきの紋章ギミック」まで仕込まれているとは夢にも思わなかったぞ! クソッ、プロットが複雑化しすぎだろ!
深呼吸をしてドアの前に立ち、乱れた鼓動を整える。しかし、ドアを開けて踏み込んだ瞬間、俺の平静は再び打ち砕かれた。
目の前――あのロングソファの上に、オステリア王国の王女・アルヤが一人、夜の静寂の中で佇んでいた。
「あ……風呂、終わったのか?」
(うわ、なんだその聞き方!? キモすぎるだろ俺!)
口を開いた瞬間、己の間の悪さに猛烈な自己嫌悪が押し寄せる。気まずい冷戦中の相手にかける第一声がそれかよ!
だが案の定、アルヤは一言も発しなかった。ソファに座ったまま微動だにせず、俺という存在を夜風か何かのように無視し続けている。
湯あたりで血が昇っていたせいか、あるいは長引くシカトに限界が来ていたのか。俺の頭に一気に血が上った。歩み寄り、彼女の両肩を強く掴みつける。
「おい……人が話しかけてんだから、少しは耳を傾けたらどうなんだ!?」
問い詰める俺に対し、アルヤはやはり言葉を発しなかった。ただ、顔を上げ――鋭い瞳でじっと俺を見つめ返してきた。
「……なら、あなたこそあの時、私の話を聞いてくれたの?」
低く、冷ややかな声だった。
「あの時……?」
俺は眉をひそめた。
「あの時っていつだ!? フェイを仲間に引き入れるって決めた時か!?」
溜め込んでいた挫折感とフラストレーションが爆発する。
「このキャラバンがいつか大きくなっていくことくらい、お前だって分かってただろ!? 旅を始めてから既に二人も新メンバーが増えてるんだぞ! 一体……一体お前は何をそんなに問題視してるんだよ!?」
俺の怒声に対する彼女の返答は――強烈な突き放しだった。
胸を押され、視界が跳ね上がる。俺の身体は後ろへと吹き飛び、ベッドの上に仰向けに転がされた。
理解が追いつく前に、ソファから立ち上がったアルヤが覆いかぶさるように迫ってきた。見下ろしてくる彼女の瞳は凍てつくように冷たい。だが……その氷の奥底に、ひどく儚く、悲しげな色が揺らめいていた。
「ずっと耐えてた……偽物だって分かってても、また『小隊の仲間』と一緒にいられる感覚を味わえると思ってたのに……」
ぽつり。
温かい一滴の涙が、ベッドの上で硬直する俺の頬に落ちた。
「なのに……あなたまで、結局同じなのね……」
俺は絶句した。
喉が急激に締め付けられ、頭の中で準備していた論理的な反論がすべて吹き飛ぶ。どう対峙すればいいのか分からない。長年培ってきた何百もの舞台シナリオの経験が一瞬で霧散し、俺はただの無力な素人に逆戻りしていた。
だが……なんだって? 偽物……?
その言葉が耳の奥で強く反響し、胸の奥底で何かがドス黒く燃え上がった。
「……おい、アルヤ」
俺は顔を上げ、怒りで霞む視線で彼女を見つめ返した。
「二度と……俺の前で『偽物』なんて言葉を口にするな」
掠れていた声が、突如として滑らかに通り始める。クソッ、声帯の軸が変わった――頭の論理ではなく、胸の奥の純粋な「エゴ」が暴走を始めたのだ。
「俺が何年もどれほどの血を流して泥を啜ってきたか……俺の血の滲むような歩みを、一瞬たりとも侮辱するんじゃねえ! この……高慢ちきなワガママ姫がっ!!」
――バチィィィンッ!!!!
乾いた重い打撃音が部屋に響き渡った。
右頬に烈情のビンタが叩き込まれる。
肉体的な痛みで言えば、初日に喰らった槍の刺傷に比べれば大したことはない。しかし……なぜだろうか。この平手打ちの痛みが、胸の奥を何千倍も激しく抉っていった。
叩きつけたアルヤの息が荒く乱れる。溜め込まれていた涙が決壊し、一気に頬を伝い落ちた。彼女は俺の身体から飛び退くと、振り返りもせず、一言も発さないまま部屋を飛び出していった。ドアがけたたましい音を立てて閉まる。
「ヘンリー!? アルヤちゃんに何があったの!?」
隣の洗い場で風呂を済ませたらしいウェンディ姉さんが、頭にタオルを巻いた姿で大慌てで駆け込んできた。
「……お願いだ、姉さん……あいつを追ってくれ……」
俺はベッドに仰向けのまま、かすれた声で呟いた。視界の天井が滲んでいく。
「もし宿の周りにいなかったら……セバスに追跡させてくれ……」
「わ、分かったわ! すぐに探してくる!」
ウェンディ姉さんは大急ぎで翻転し、アルヤの後を追って廊下へ走り去った。
俺はゆっくりと体を起こし、急に広く冷たく感じられるベッドの端に腰を下ろした。静寂が痛いほど突き刺さる部屋で、俺は力なく頭を垂れた。
「くそっ……最悪だ……」
自分の髪をぐしゃぐしゃと掻きむしり、自蔑の言葉を吐き捨てる。
「ただの演劇バカのくせに……女の子一人前で感情のコントロールもできねえのかよ。ボケが……」
今夜はあまりにも多くのことが重なりすぎた。セバスに指摘された肩の刻印、ジャスミン伯爵夫人の園遊会の準備、そして――アルヤとの決定的な破綻。だが今の俺には、そのどれ一つとして向き合う余力すら残っていなかった。
身体が崩れ落ち、枕へと倒れ込む。溜め込んでいた涙が溢れ出し、宿屋の固い枕を濡らしていった。
「アルヤ……悪かった……ぐすっ……ごめん……」
静まり返った部屋の中、届くはずのない謝罪を虚しく呟き続ける。
その謝罪が、涙を流して部屋を飛び出していった元小隊長のアルヤに向けられたものなのか……
それとも、かつて元の世界(地球)の舞台の上で、血に染まる俺の身体を抱きしめながらボロボロと泣き崩れていた、あの『アルヤ』に向けられたものなのか――俺にはもう分からなかった。
俺は己の身勝手なプライドで、二人の『アルヤ』の舞台を壊してしまったのだ。
第18話をお読みいただき、ありがとうございます!
お風呂でさっぱり……とはいかず、肩の謎の刻印(ミストラリス!?)の発覚から、アルヤとの決定的な大喧嘩まで、感情がぐちゃぐちゃになる怒涛の展開となってしまいました。
お互いに譲れない想いがあるからこその衝突ですが、ラストで明かされたヘンリーの「地球でのトラウマ」と「二人のアルヤ」の関係性……ヘンリーの心が心配でなりません。
果たして二人の関係はこのまま壊れてしまうのか、そして迫るジャスミン伯爵夫人の園遊会はどうなってしまうのか……!?
「切なすぎる……」「早く仲直りしてほしい!」「二人の過去が気になる!」と思ってくださった方は、
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