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[第17話:新しい領地とジャスミン伯爵夫人]

俺はまだハゲている。


アルヤやウェンディ姉さんとのキャラバン旅を始めてから約二週間。そして役作りのため――ついでに縁起担ぎ(厄払い)のために頭を丸めてから、ちょうど一ヶ月ほどが経っていた。


この前の初公演ではあり合わせの material で急造したかつらで乗り切ったが、今回はこの小さなサーカス団の変装と評判を保つため、別のウィッグを装着している。そうして俺たちの馬車は、ようやくジャスミン伯爵夫人の領地の門を潜り抜けた。


ダリア伯爵の領地が騒々しく、埃っぽく、どこか愛すべき混沌に満ちていたのに対し、ここジャスミン伯爵夫人の領地は……何と言うべきか。非常に「ハイソ(洗練されている)」だった。


向こうの広場が露店商の叫び声が飛び交う日曜の青空市場なら、こちらはさながら高級オープンエアモールだ。通りには馬糞一つ落ちておらず、磨き上げられた石柱が並ぶ街並みは美しく整っている。行き交う人々の身なりも随分と小綺麗だ。俺の目には概ねそんな風に映った。


正直、中世風の都市計画や美観なんて俺にはさっぱり分からない。元の世界では薄暗い稽古場に引きこもって演劇ばかりしていたし、この異世界に来てからもその習性は変わっていないようだ。王都オステリアにいた頃もウェンディ姉さんの療養に付きっきりで、観光する余裕など皆無だった。そして今もこうして馬車の中に閉じこもり、次の「舞台」の仕込みに追われている。


「見て! ラクダだよ!」


リリィが嬉しそうに指差したのは、俺たちの馬車とすれ違った一頭のラクダだった。コブの上の乗り手と一瞬視線が合い、旅人同士のよしみとして互いに軽く会釈を交わす。


「ヘンリー様、少しお伺いしても?」


御者台で俺の隣に座っていたセバスが声をかけてきた。現在、アルヤは幌馬車の中で大人しくしており、セバスが俺の話し相手を務めている。


「ダリア領での公演をたった一回で切り上げたのは何故でしょう? あそこでもう少し回数を重ねた方が、我が劇団の名も早く広まったのでは?」


「まあ、最初は俺もそのつもりだったんだ」


俺は手綱を軽く揺らしながらフッと息を吐いた。


「だが、セバス。お前があそこまで完璧に仕事をこなすとは思わなかったんだよ。あのド派手な演出の後にあり合わせの設備で続編をやったら、観客の膨らみきった期待を裏切ることになる。それに……ダリア伯爵とはちょっとした『厄介事』もあったからな。さっさとズラかるのが一番の悪手回避だ」


「なるほど……承知いたしました」


セバスが感心したように頷いたのと同時に、馬車は三階建ての頑丈で清潔そうな木造建築の前で停車した。


ここが目指す宿だ。ダリア領の酒場で『温水風呂』があると聞きつけ、目を付けておいた場所である。二週間の旅で汗ばんだ身体と、初公演の成功で潤っている懐事情を鑑みれば――うん、たまの贅沢くらいバチは当たらないだろう。


だが、一歩足を踏み入れた途端、雲行きが怪しくなった。


「大変申し訳ございません、お客様。あいにく現在は空き部屋が二つしか残っておらず……」


受付の女性が申し訳なさそうに困り顔を浮かべる。


出鼻をくじかれたか。俺が交渉しようと口を開かけかけたその時、先手を打たれた。


「ええ、それで構いませんわ」


振り向くと、ウェンディ姉さんとセバスが既にフロントで支払いを済ませていた。いや「構いません」って、マジで言ってるのか……?


「それじゃあ、アルヤと私とヘンリーで一つの部屋。セバスとリリィとフェイがもう一つの部屋を使いましょう。リリィ、構わないかしら?」


「うん、もちろん! フェイ、おいで!」


リリィは元気よく返事をすると、抱え上げた牝狐のフェイと共に二階への木製階段を駆け上がっていった。


ロビーに残されたのは俺とウェンディ姉さん、そして……アルヤだ。


当のアルヤはというと、ダリア領を出てから一言も口をきいていない。腕を組み、前だけを見つめる彼女からは、せっかくの温水風呂も凍りつきそうな冷気が漂っていた。


「さあ、私たちもお部屋に行きましょう。アルヤ、行きましょうね」


ウェンディ姉さんの意味深な微笑みと、セバスのチラリと向けられた視線。……察した。この二人、俺とアルヤを仲直りさせようと裏で口裏を合わせているな。喧嘩しているつもりは毛頭ないのだが……まあ、余計な頭痛を避けるためにも黙っておこう。


それよりも、もっと重大な問題が脳裏をよぎっていた。


(……待て、三人でどうやって寝るんだ?)


ウェンディ姉さんとアルヤにとっては同性同士で気にならないかもしれない。だが「ヘンリー」という役を演じているものの、中身は生粋の男だ! 本物のヘンリーではないのだ! 年頃の女性二人と狭い部屋で夜を明かすイメージだけで、背筋に冷や汗が伝う。


しかし、その杞憂は部屋のドアを開けた瞬間に吹き飛んだ。


さすが高級領地と言うべきか、部屋は広く非常に清潔だった。中央には豪華なキングサイズベッド。だが俺を安堵させたのはそれではなく、大きな窓際に鎮座するベルベット張りのロングソファだった。大人の男が一人横になるには十分すぎるサイズだ。


体が勝手に動いていた。脳が命令を出す前に俺は跳躍し、吸い込まれるようにソファへ着地。深々と息を吐き出した。


「ふふ、ヘンリーったらまるで子供ね。まっすぐにソファへ飛び込むなんて」


クスクスと愉しそうに笑うウェンディ姉さん。


……くそっ。紳士としての生存本能リスエストが素早すぎたせいで、逆に間抜けに見えてしまったらしい。


荷物を解き始めたところで、ドアから規則正しいノック音が響いた。下の部屋を片付け終えたセバス、リリィ、フェイが合流してきたのだ。時間も惜しいため、俺たちはじゅうたんの上に車座になり、この新たな地で披露する演目のミーティングを始めた。


「で? ここで一体何を企んでいるわけ? アタシとしては、ゆっくり羽根を伸ばして何もしないでいたいんだけど――」


「駄目だ。お前も俺と一緒に舞台に立つ」


「げっ……」


開口一番、怠そうに発言したのはフェイだった。だが俺はこの狡猾な狐が調子に乗る前に、間髪入れずに言葉を遮った。絶対命令を下されたフェイは不満げに黙り込み、胡坐あぐらの上で尻尾をパタパタと苛立ち紛れに揺らしている。


「台本はすぐに書き上げられる」


俺はセバスとウェンディ姉さんに視線を向けた。


「だが、問題は許可取りだ。ここは雰囲気が格式高すぎる。俺の経験上、こういうお上品な街は大道芸の許可申請や官僚仕事ペーパーワークがクソ面倒なのが相場だ」


「『俺の経験上』……?」


ウェンディ姉さんが首をかしげ、不思議そうに俺を見つめる。


「それって、どういう意味……?」


(……しまんた、口が滑った!)


冷や汗が吹き出す。「元の世界(地球)」というワードを誤魔化すため、脳細胞をフル回転させる。言い訳をでっち上げる前に、思いがけない救いの手が差し伸べられた。


「仰る通りです、ヘンリー様。先ほど通過した広場も実に整然としており、ダリア領の自由で奔放な空気とは対照的でした」


セバスが深く頷き、顎に手を当てて納得してみせた。どうやら彼の中で『俺の過去の経験』とは、ヘンリーが従軍する前に各地を旅していた頃の知見として処理されたらしい。


俺は胸中で深く安堵の息を漏らし、セバスには伝わらない感謝の視線を送った。


「それに……先のダリア伯爵からの助言も無視できません。『この領地では特に慎重に行動せよ』とおっしゃっていました」


一瞬、全員の間に沈黙が流れた。ダリア伯爵が言っていた「ジャスミン伯爵夫人への警戒」の真意を誰もが模索していた。


しかし、その答えは思っていたよりも早く訪れる。


――バタンッ!!


固く閉ざされていた窓が突如として吹き荒れる強風によって押し開かれた。舞い散る埃と共に、密度度の高い圧迫感が部屋を満たす。


「お目に掛かれて光栄だわ、『奇跡のキャラバン』の持ち主さん」


聞き覚えのない、しかし圧倒的な威厳を孕んだ熟練の女性の声が部屋中に響き渡った。


(マジかよ、この世界の権力者は窓から侵入するのがトレンドなのか!? ドアの意味を知らんのか!?)


心の中で毒づきつつも、役者としての反射神経が即座に体を動かす。俺はソファから立ち上がると、極上のビジネススマイルを張り付け、部屋の中央にいつの間にか佇んでいた人物へ恭しく一礼した。


「初めまして、ジャスミン伯爵夫人。私はこの小劇団を率いております、ヘンリーと申します。ダリア領より到着したばかりで、お見苦しい姿でお迎えしましたことをお許しください」


お辞儀の隙間から、相手の姿を盗み見る。


そこにいたのは、引き締まった顔立ちの中にどこか深く柔らかい瞳を湛えた中年の貴婦人だった。その佇まいと顔立ちは、どこか元の世界で見た伝説的なオペラ歌手を彷彿とさせる。だが、何より目を引いたのはその装いだ。


髪飾りからドレスの裾に至るまで、洗練された豪華絢爛さに包まれている。高価な生地に輝く宝石。それでいて品が悪くならず、むしろ計算し尽くされたファッションセンスが彼女の気品と支配者としての威厳を際立たせていた。


数秒間、息をのむような視線の交差の後、ジャスミン伯爵夫人は薄く微笑んだ。


「二日後、当領地で催される園遊会(夜会)に、あなた方のサーカス団をご招待したくてね。近隣領地の貴族たちにも既に招待状を出してあるわ。……前向きなご検討を期待しているわよ、ヘンリーさん」


彼女が最後の言葉を紡ぎ終えると同時に、再び旋風が巻き起こり、ほんの一瞬だけ視界が遮られた。


次の瞬間、部屋には静寂だけが残されていた。ジャスミン伯爵夫人の姿は影も形もなく消え去り、揺れるカーテンだけがその痕跡を物語っている。


俺は詰めていた息を長く吐き出した。


ダリア伯爵が「気をつけろ」と言っていた理由が、今なら痛いほど分かる。


あの圧倒的な存在感、風魔法の精密な制御……どれをとっても規格外だ。そして何より恐ろしいのは、今の誘いだ。「わざわざ他領の貴族まで招いた」という言葉は、裏を返せばこういうメッセージだ。


(……見抜かれている)


俺たちがこのキャラバンの知名度を爆発的に広げたがっていること。そして、俺が内に秘めている本当の目的までも、あの女は見透かしているのかもしれない。


新たな領地のステージは、支配者自身の手によって否応なしに幕を開けられたのだった。

第17話をお読みいただき、ありがとうございます!


ダリア伯爵領を後にし、次なる目的地・ジャスミン伯爵夫人の領地へ到着したヘンリー一行!

相変わらず一言も口をきいてくれないアーリャとの気まずい空気感や、まさかの「部屋が二つしかない」問題にヒヤヒヤするヘンリーでしたが……。


ラストには、窓から不法侵入(?)してきた圧倒的オーラを纏うジャスミン伯爵夫人が登場!

二日後の園遊会への招待という名の「強制出演」を突きつけられ、新たな舞台の幕が開きます!


「ジャスミン伯爵夫人の圧が凄すぎる!」「アーリャとの仲直りはどうなるの!?」と思ってくださった方は、

ぜひページ下部の【ブックマークに追加】や【評価(★★★★★)】で応援していただけると執筆の大きな励みになります!


それでは、第18話でお会いしましょう!

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