[第15話:次なる目的地と、覚悟のロックイン]
「ふぁああ……みんな、おはよう」
「おはよう、ヘンリー! おはよう、アーリャ!」
ウェンディ姉さんとリリィが仲良く二階から降りてきた。どうやら昨夜は二人で同じ部屋に泊まったらしい。
一階の食堂では、すでに俺とアーリャ、そしてセバスが朝食を摂っていた。今朝のメニューは、カリッと焼いたパンに卵とチキンフィレを挟んだもの——平たく言えば、和製バーガーだ。
「あら、ヘンリー……夕べは眠れなかったの? ひどい隈よ」
ウェンディ姉さんが心配そうに覗き込んできた。相変わらず、女神のように温かい人だ。
「ヘンリー、パンダみたい!」
リリィがきゃっきゃと無邪気に囃したてる。俺は心の中で密かに驚いた。この異世界にも『パンダ』という概念が存在するのか……?
「大丈夫だよ、姉さん。心配してくれてありがとう。慣れない場所だったから、何度か目が覚めちゃっただけさ。ははは」
俺は適当な言い訳を取り繕った。
本物の『ヘンリー』は繊細で神経質な男だったらしい。だからこそ、その過去の評判をカモフラージュに使えば、ウェンディ姉さんを安心させる絶好の口実になる。不安げな視線を向けてくる姉さんを遮るように、俺はバーガーを大きなお口で頬張ってみせた。
「ところで、ヘンリー様。次なる目的地について、何かお考えはまとまりましたでしょうか?」
セバスが最後のひと口を飲み込み、行儀よくナプキンで口元を拭ってから尋ねてきた。
「お嬢様も私も特別急ぎの旅程ではございません。皆様のルートに合わせますので」
「助かるよ、セバス」
俺は頷き、言葉を返した。
「エルフの隠れ里に向かう前に、あと二つほど寄りたい場所があるんだが……構わないか?」
「「もちろんです」」
セバスとアーリャが息ぴったりに頷く。
「よし、それなら次の目的地だが……北のルートを取ろうと思う」
俺はテーブルの上に羊皮紙の地図を広げ、次の行商ルートとなる特定の地点を指し示した。
「ふむ……となると、ジャスミン伯爵夫人の領地に入るわけだな。彼女は温厚で良い人物だが、それでも油断は禁物だぞ?」
——突如、どこからともなくマツダ・フォン・ダリア伯爵が会話に割り込んできた。
急な登場だったが、俺は驚かなかった。昨夜のエキセントリックな乱入劇を経験した俺の演劇脳は、この変人おじさんが朝食時にフラッと現れるシナリオなど百も承知で予知していたのだ。
「あの……ヘンリー、こちらのおじ様は、あなたの知り合いなの……?」
ウェンディ姉さんが困惑顔で俺の袖を引っ張る。無理もない。昨夜の窓ガラス破壊&突入騒ぎは彼女たちに隠していたのだから、この反応が正常だ。
「この街を治めている領主様だよ、姉さん」
俺は投げやりなトーンで答えた。
「初めまして、可憐な淑女。我が名高き名はマツダ・フォン・ダリアと申す!」
ダリア伯爵は胸を張り、無駄にキザな自己紹介を炸裂させた。
正直、親しい姉さんにアラフォーのおじさんがナンパ紛いの挨拶をするのは面白くないが……一応、根は悪くない貴族のはずなので、ここはぐっと耐えることにする。
「それで? ダリア伯爵ほどの多忙な方が、こんな安い宿屋に朝早くから何の用です?」
俺は単刀直入に切り出した。貴族相手にしては礼儀に欠ける言い草だが、昨夜のやり取りでこのおじさんの器の大きさと許容範囲は把握済みだ。
「ハハハハハ! 相変わらずぶしつけな若者だな、君は!」
マツダ伯爵は大笑いした。
「いや、俺たち昨日会ったばかりですけどね」
「コホン……まあ良い。今回私が足を運んだのは他でもない。一人の商人の先輩として、ビジネスの機会を提示しに来たのだよ」
『ビジネス』というワードを聞いた瞬間、俺の脳内のマネタイズ・センサーがピンと跳ね上がった。
「ビジネス、ですか?」
「そうだ。昨夜、君が披露したあの未知の弦楽器……あれだよ。ダリア家として、あの楽器の量産化に向けた正式なライセンス契約を結びたいのだ」
なるほど、バイオリンか。
「……いいですね、乗りましょう。セバス、食べ終わったか? 馬車からバイオリンを持ってきてくれないか?」
最近、どうにもセバスを使役するのがクセになりつつある。彼の迅速かつ的確で「完璧すぎる」レスポンスは、俺の執事欲を刺激してやまないのだ。セバスは恭しく一礼すると、即座に食堂を出て馬車へと向かった。
「では、契約書のドラフトについて話し合おうか……」
マツダ伯爵が懐から高級な羊皮紙を取り出そうとした、その時。
「書類は私に渡しなさい。この男はそういう官僚的な手続きに疎いのよ」
朝食を食べ終えたアーリャが、間髪入れずに割り込んできた。
どうやら我が Princess は、いつもの気高くて冷徹な元・指揮官モードに切り替わったらしい。
俺は心の中でひっそりと苦笑した。
……いや、フツーに令和の現代人として、国際貿易や契約実務の知識ならそこらの貴族より遥かに頭に入ってるんだが。問題はただ一つ、この世界の文字がろくに書けないことだ。韓国語のハングルは読めるのに、意味がさっぱり分からない旅行者状態なのである。
結局、朝食の残りの時間はバイオリンの量産化計画についての打ち合わせに費やされた。将来的に、この弦楽器が大陸全土を席巻する日が来るのは間違いない。
話し合いが終わる頃には、セバスが馬車からバイオリンを運んできており、アーリャもダリア伯爵との契約書案を完璧に仕上げていた。
「これが現物です。俺たちはすぐに出発しなければならないので、詳細な構造の解析や職人への指導はダリア家に一任してもよろしいですか?」
俺がバイオリンを手渡すと、マツダ伯爵は力強く頷いた。
「もちろんだとも。この素晴らしい提案への返礼として……これを受け取ってくれたまえ」
伯爵は豪華な上着のポケットに手を入れ、一つの金属片を取り出した。
そこには、格式高い紋章が刻み込まれていた。
「これは『ダリア家の紋章印』だ。これを持っていれば、君たちの行商キャラバンは我がダリア家の正式な提携商人とみなされる。非常時の危機において、君たちの身を守る盾となるはずだ……まあ、たぶんね」
俺はビジネス用の営業スマイルを浮かべて紋章を受け取り、固い握手を交わした。
エキセントリックな伯爵は、最後に向かった正面ドアから颯爽と去っていった。……彼にしては驚くほどまともな退出方法だった。
間もなくして、ウェンディ姉さんとリリィが出発の準備をするため二階の部屋へと戻り、テーブルには俺とアーリャ、そしてセバスの三人が残された。
「……ヘンリー様。昨夜の騒動につきましては、ウェンディ様には伏せておくという認識でよろしいでしょうか?」
セバスが周囲を気にしながら、極めて慎重なトーンで尋ねてきた。
「ああ、余計な心配はかけたくない。姉さんはまだ病み上がりだからな」
俺が短く答えると、セバスは深く納得したように頷いた。
「ねえヘンリー。どうして次の目的地がジャスミン伯爵夫人の領地なの?」
今度はアーリャが不思議そうに首をかしげ、俺をじっと見つめてきた。
「昨日、街の噂好きたちから情報を探ったんだ。ジャスミン伯爵夫人の人脈を使えば、俺たちの行商を上流階級へ売り込む一番の近道になると思ってね」
「筋は通っているわね……。あの夫人は貴族たちの夜会を頻繁に主催していることで有名だし……って、ちょっと待ちなさい」
アーリャは突然目を細め、ジト目で俺を睨みつけてきた。
「あんた、いつ街で聞き込みなんてしたのよ? 昨日は一日中、私の部屋で寝て——」
「その通り!」
俺は彼女の言葉を遮り、満面の笑みを浮かべてその瞳をまっすぐ見つめ返した。
己の発言の意味に気づいたアーリャは、コンマ一秒でパッと顔を背けた。その顔には、隠しきれない猛烈な罪悪感が浮かんでいる。
……そう、彼女は思い出してしまったのだ。昨夜、己の猛烈なドロップキックで俺を何度もベッドから叩き落としたという事実を。プライドがエベレストより高い 姫殿下 は、申し訳なさのあまり顔の置き所に困っているようだった。
ガシャンッ!
「キャーッ!?」
二階から、ウェンディ姉さんの悲鳴が響き渡った。
合図を待つまでもなく、俺、アーリャ、セバスの三人は弾かれたように立ち上がり、階段を駆け上がった。
部屋の扉を蹴開けると、そこには床にへたり込んで肩を上下させているウェンディ姉さんと,その胸の中で怯えて泣きじゃくるリリィの姿があった。部屋の奥の窓が、大きく開め放たれている。
「泥棒よ! ヘンリー……バッグが盗まれたの! 私たちの全財産と……母さんの形見のネックレスが……!」
震える声で訴えるウェンディ姉さん。彼女がこれほどパニックになり、取り乱した姿を見るのは初めてだった。
真っ先に動いたのは、俺ではなくアーリャだった。
元・指揮官としての戦闘本能が、一瞬でスイッチオンしたのだ。彼女は躊躇することなく、開いた窓から外へと飛び出していった。
一方の俺はといえば……悲しいかな、追跡スキルのないただの元・演劇部員だ。
この混乱の中で俺にできる最善の選択は、床に膝をつき、パニックを起こしかけている姉さんの肩を抱きしめることだけだった。
「大丈夫だよ、姉さん。アーリャが絶対に捕まえてくれる。うちの Princess がどれだけ強いか、姉さんも知ってるだろ?」
優しく声をかけながら、深呼吸を促す。
「気流の乱れから、容疑者の位置を特定いたしました。風の伝言にて、即座にアーリャ様へ座標を転送いたします」
窓際に立つセバスが、鋭い眼光で報告してきた。
「頼んだぞ、セバス。……ほら、ね? もう追い詰めたよ」
俺の言葉に、ウェンディ姉さんは何度も息を吐き出し、ようやく呼吸を取り戻していった。胸の中のリリィは、泣き疲れたのか静かに息を立てて眠りについたようだ。
……やはり、軍の元・指揮官が本気を出したターゲットが逃げ切れるはずもなかった。
わずか数分後、部屋のドアがバタンと勢いよく開いた。戻ってきたアーリャの息は全く乱れておらず、その手には後ろ手で頑丈に縛り上げられた泥棒のフードが握られていた。
『一匹』の泥棒、と表現すべきだろうか。
フードが脱げ落ちた瞬間、その頭頂部からピコピコと垂れ下がった、毛並みの良い獣の耳が露わになったのだから。
「獣人……?」
俺の呟きに、アーリャが苦々しく応じた。
「ええ、獣人よ」
彼女は捕らえた獲物を床へと放り投げた。
「わぁい! けものだー!」
不意に目を覚ましたリリィが、無邪気に歓声をあげる。
「あら……」
ウェンディ姉さんも驚きで口元を押さえた。
「……チッ」
当の獣人の少女は、汚れのついた小柄な顔をぷいっと背け、悔しそうに歯噛みするだけだった。
生意気で、意地っ張りに見つめ返してくる獣人の少女。
この時の俺はまだ知る由もなかった——彼女が、俺の設ける次なる舞台において、最高の『共演者』になるということを。
第15話をお読みいただき、ありがとうございます!
次なる目的地「ジャスミン伯爵夫人」の領地へ向かう決意を固めた一行。
しかし出発直前、ウェンディたちの全財産と大切な形見が盗まれる大事件が発生!
アーリャの超速ロックイン&セバスの風レーバーによって一瞬で御用となったのは、なんと生意気な獣人の少女!?
この新たな『共演者』の登場で、行商の旅はさらに賑やかになりそうです!
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次回、第16話! 捕まった獣人の少女との対話、そして波乱の出発!




