[第10話:エルフが倒れて、俺は野宿する]
馬車の真ん前に、誰かが勢いよく倒れ伏した。
ちなみに今後の俺の精神衛生のため、この馬車のことは『幌馬車』と呼ぶことにする。
「大丈夫!?」
騎士道精神の塊であるアーリャが御者台から飛び降り、倒れた人物へ駆け寄る。
遠目で見れば、泥に汚れたただのボロ布に見えただろう。だが、その布地の隙間から覗く特徴的な容姿に、俺は思わず息を呑んだ。
尖った耳、光を孕んだ長い髪、そして長くしなやかなまつ毛。
地球のファンタジー本でしかお目にかかれない、完璧な長耳族のビジュアル。俺は今更ながら、自分が本当に異世界へ来てしまったのだと痛感させられた。
「……エルフ?」
呆然とした言葉が漏れ出る。
「ヘンリー……今、エルフって言ったの?」
背後のウェンディ義姉さんも驚愕していた。病弱ゆえに家から出られず、村の境界線すら越えたことがなかったであろう彼女にとっても、未知の存在なのだろう。
「ううう……」
そのエルフ——立ち上がっても俺の腰ほどしかなさそうな小さな少女——が、か細く呻いた。
直後、彼女のお腹から地鳴りのような衝撃音……いや、極限に達した空腹の悲鳴が響き渡る。
「うぅ……ご飯……」
瀕死の幼女エルフが力尽きそうに呟いた。
「お嬢様ぁぁぁあああ!!」
いいぞ、今度は何だ神様。
声のした方へ目をやると、もう一つのボロ布が猛烈なスピードでこちらへ突進してくるのが見えた。距離が縮まるにつれ、その巨大な布塊がブレーキをかける気ゼロなのが目に見えて分かる。我が劇団の新車に激突する気満々だ!
俺は即座に掌をかざした。新車の幌馬車が粉砕される一歩手前で、集中する。
ボガァンッ!!
俺の発動した風魔法が直撃し、巨大な布塊は5メートルほど吹き飛んだ。フードがめくれ上がり、その素顔が露わになる。
そこにいたのは、整った容姿を恐怖で歪ませた成人エルフの男だった。
脳内データベースが即座に弾き出す。この男は恐らく、あのエルフの幼女——どこかのエルフ貴族のご令嬢の従者なのだろう。
「はぁ……なんて慌ただしい日だ」
俺が深く溜息をつくと、隣のウェンディ義姉さんがクスッと笑いながら俺の頭を優しく撫でてくれた。
「お嬢様! 今すぐお助け——」
男エルフは跳ね起き、恐ろしい形相で再び飛びかかろうとした。
「落ち着けって、兄さん。自分のお嬢様がどうなってるか見てみな」
俺が呆れ顔で指さしたのは、ハンカチでお嬢様の汗を拭ってやっているアーリャの姿だった。
男エルフが視線を向ける。その顔から怒りが吹き飛び、一瞬でポカンとした表情に変わった。
彼は俺たちとお嬢様を交互に見つめると、突如として地面に伏せ、土下座を決めた。額が見事に芝生へ突き刺さる。
王都を出て早々、実に予測不能な展開だ。……まあ、劇団員的には想定内のテンプレだけどな?
◇
太陽が西の地平線へと完全に沈んだ。
静まり返った草原の只中、大きな木の下にワゴンを停め、拾い集めた乾いた薪で陣営の火を焚いて夕食の準備を進める。
「重ね重ね、昼間は不躾な非礼を……お嬢様は好奇心旺盛で目を離すとすぐに姿を消してしまうのです……」
エルフの執事、セバスと名乗った男が申し訳なさそうに頭を下げた。
「気にしないでくれ、セバスさん。俺も魔法で5メートルも吹き飛ばしちまって悪かったよ」
俺は温かいスープを口へ運びながら気さくに返した。
「おかわりー!」
甲高い愛くるしい声の主は、エルフの幼女・リリィだった。頬をパンパンに膨らませて猛烈な勢いで飯を喰らっている。
子供はよく食べて大きくなるのが一番だな……と微笑ましく思っていたのだが、直後に地球の知恵を思い出した。
(……待てよ。エルフって外見と実年齢が乖離してるのがお約束じゃなかったか? もしかしてリリィちゃん、実は俺より年上……いや、野暮な勘繰りはやめよう)
「ご飯、おいしいかい? リリィちゃん」
ウェンディ義姉さんが優しく微笑みかける。
「すっごくおいしい!」
リリィが目を輝かせた。
大木の根元で、義姉さんは手際よくリリィの世話を焼いている。その光景はまるで本物の母子(あるいは姉妹)のようだ。
聞けばウェンディ義姉さんは今年で25歳。15歳の時に両親を亡くし、たった一人で幼いヘンリーを育て上げてきたという。どれほど過酷な苦難を乗り越えてきたことか。若くして滲み出るその包容力と母性は、壮絶な過去の裏返しなのだろう。地球とこの世界では年齢基準が違うとはいえ、胸が締め付けられる思いだった。
焚き火の反対側では、アーリャが一人黙々と愛剣のお手入れに励んでいる。
元指揮官の習性はそう簡単に抜けないらしい。まあ、弱冠の身で3年間も最前線に身を投じていたのだ。その圧倒的な剣技と生存能力は伊達ではない。
「何よ、じろじろ見て……!」
視線に気づいたアーリャが、いつもの不機嫌顔で威嚇してきた。
恐怖どころか、俺は思わず口元を緩めてしまう。穏やかな夜だ。あまりに静かで満たされた時間が、俺の意識を遥かなる故郷へと引き戻していく……。
「あ、俺ちょっとあっちに行ってるわ。食べ終わったら先に寝ててくれ。今夜の見張りは俺がやるから。ごちそうさま!」
俺は立ち上がり、ワゴン車の上部に特設された簡易舞台へと木梯子を登った。
ステージの上に立ち、遠くを見渡す。昼間は鮮やかだった緑の絨毯が、深淵のような夜の闇に呑み込まれていた。深く息を吸い込み、腕を枕にして木製の舞台の上に寝転がる。
思い返せば、この見知らぬ世界に叩き落とされてから約一ヶ月。
死体の山の中で目覚め、アーリャ指揮官と出会い……彼女が実は『王女殿下』だと判明し、今ではただの『アーリャ』としてワゴンを共にしている。ウェンディ義姉さんとの涙の再会、魔法の発現、そしてこのワゴンを手に入れての旅立ち。
……まあ、その一ヶ月のうち半月近くは昏睡状態だったわけだが。
ベッド、そして『アーリャ』という名前。
思考はさらに過去へ、地球での前世へと遡る。
脳血管障害という死刑宣告を受ける前、俺の人生は順風満帆だった。現実世界に4つのエレメントを操って病を治してくれる神通力など存在しない。だが、俺の最期は役者として最高の幕引きだったはずだ。満員の観客が立ち上がり、スタンディングオベーションを贈ってくれたのだから。
……唯一の心残りは、激痛に耐えていた最後の最後、客席にいた『あいつ』の顔が見えてしまったことだ。おかげで最後の演技が少しオーバーになってしまった。
地球にいた、あのアーリャ……今頃どうしているだろうか。
俺を最後に舞台へ立たせるため、裏で必死に画策してくれたあいつ。あいつはただ『役者としての最後の公演』だと思っていたはずで、まさかあれが本当に死の舞台になるとは思っていなかったはずだ。どうか、自分を責め続けていなければいいのだが……。
「隣、いいかしら?」
思考が遮断された。
目の前に、元・姫様にして元・指揮官のアーリャの顔が躍り出た。夜空の星々を遮るように覗き込んでくるその悪戯っぽい微笑みは、地球にいた演劇部のアーリャを嫌でも想起させる。……まあ、もう過ぎ去った過去の話だが。
「どうぞお寝鎮まりください、お嬢様」
「何よそれ」
悪態をつきつつも、月光に照らされた彼女の頬が朱に染まっているのが見えた。
アーリャは俺の隣に横たわった。幸い、この屋根上ステージは3人が雑の寝できるほど広く作ってある。
ふたりで静かに、オステリアの澄み渡った星空を見上げる。
「アーリャ」
「ん?」
「ありがとうな」
「何がよ」
「ぜんぶ」
静寂がふたりを包み込む。遠くで聴こえる秋虫の羽音だけが夜気に溶けていく。
「ふふ、変なヤツ……」
小さく呟く声。
やがて規則正しい寝息が聞こえ始め、隣を見るとアーリャはすっかり夢の中だった。
俺はそっとステージを降り、客室から分厚い毛布を持ち出すと、彼女の身体に優しくかけてやった。
地上へ降り、陣営を見渡す。
皆、安らかな眠りの中だった。ウェンディ義姉さん、セバス、そしてエルフの幼女リリィも心地よさそうに息を立てている。
俺は焚き火の元へ歩み寄り、山火事を防ぐために残った熾火を丁寧に消し込んだ。
夜番に戻る前、俺は今一度、果てしない夜空を見上げた。
右手をつと高く差し出し、空中で力強く握りしめる。
今度こそ——この世界で、俺が全員を守ってみせる。
第10話をお読みいただき、ありがとうございます!
倒れていたのはまさかの【エルフの幼女・リリィ】と【イケメン執事・セバス】!
賑やかになった一行は、星空の下で初めての野宿を迎えます。
そして、夜空を見上げながら明かされるラドヤの地球での過去と、アーリャへの秘めたる誓い……。
「エルフのコンビが良いキャラしてる!」「ラドヤの過去と決意にしんみりした……」と思ってくださった方は、
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次回、いよいよ『旅の劇団』としての初公演!?
更新をお楽しみに!




