疑惑の真相
児玉武。彼は定年後再雇用で勤務を続けている。「チョコレートキャラメル」製造はもちろん、最終的な味の検査は児玉の手による。
「もう70歳だからね、そろそろお役御免だよ」
口数は少ないが、柔和な人柄で、全社員からの信頼も厚い人物である。
「今、うちの会社の味を引き継げる社員を養成しているんだ。味だけじゃない。製法、原料の選定…目も大切なんでね」
「あの…児玉さんは、どうして一筋に来られたのですか」
福寿が質問をすると、児玉は腕を組んでしばらく天を仰いだ。
「まぁ…色々任せてくれたからな。俺は親元から出てきて、中卒で雇われたんだ。ここまで育ててくれた、会社への恩義だよ」
児玉は目を閉じたまま答えた。
「これまで、他社からお話しはありませんでしたか」
福寿の質問に、今度は即答した。
「あったよ、断ったけどな。俺の名前なんてどこで知ったんだか、設備を整えて給料も3倍出すとか言ってたかな」
「3倍…ですか」
「金だけ聞けば魅力的だった。だけど、それだけじゃ、人は動かないって事だよ」
高津啓介、38歳。児玉が継承者として、現在全てを引き継いでいる途中である。
「私は今、児玉さんから色々受け継いでいる最中です。『未来製菓』イコール児玉さんの味と言っても過言ではありません。そうやって代々引き継がれてきたんです」
他社からの引き抜きについて聞くと、児玉は若干バツの悪そうな表情になった。
「実は…ありました。つい最近も、半年くらい前でしたか。3倍の給料を出すとも言われましたけどね…もちろん断りましたよ。今もその気はありません」
きっぱりと言い切った。
「心境は揺れませんでしたか?」
「まぁ…何とも思わなかったと言えば嘘になります。それに、評価されるのは嬉しいですから」
「でも、乗らなかった?」
「はい。海外資本の会社だったんです。先方が欲しいのは、私の技術じゃなくて、『未来製菓』のレシピでしょうね、きっと。それはさすがにね…」
高津はそう言うと、壁にかけられた額縁に目をやった。それは、創業者の大和田が工場をバックに、当時の従業員と並んで撮った写真だった。
翌日、「未来製菓」会議室に、三好社長と佐伯工場長、奥寺広報の他、総務の鈴江課長が揃った。
福寿と工藤が揃って座る。工藤が机に資料を並べ、話し始めた。
「福寿が、御社従業員の皆様にヒアリングをさせていただいた結果を申し上げます」
三好社長以下、固唾を飲んで工藤の話に耳を傾けている。
「紗知、お願いね」
工藤が福寿に視線を向け、福寿が頷いた。
「結論から申し上げますと、今回の様な出来事は、御社の内部からは起き得ない…つまり、起き得る条件に足らないのです」
「もう少し、詳しく教えていただけますか」
佐伯が机に半身、身を乗り出した。
「一般的に『炎上』を起こすには、それ故の『理由』が存在します。それが、内部からであれば、例えば待遇や労働環境の悪さ、人間関係、賃金…これらがきっかけになり得るのです」
奥寺がタブレットに、福寿の話を入力している。
「ところが、皆様にヒアリングさせていただいた結果と、もう一つ。これをご覧ください」
総務課長の鈴江に予め依頼していた資料を、福寿が指す。
「御社の従業員構成、労務環境、定着率、そして技術継承の仕組み。これらを見ました」
福寿は、一つひとつを丁寧に説明していく。
「定年退職や病気などの理由を除き、離職率1%前後は、驚異的な低さです。さらに、児玉さんに見られるように、定年後の再雇用制度も確立されています。安心して長く働ける会社だということです」
「確かに、これはすごいわ…」
工藤が頷きながら資料を見ている。
「児玉さんと高津さんに見られるように、それぞれの技術を御社の『伝統』として、大切に継承されている姿勢もそうです」
福寿が資料を閉じ、机に置いた。
「つまり、外部に『売る』理由が、社員の皆様には存在しないということです。内部から叩いて、誰が得をしますか?」
三好が佐伯と顔を見合わせた。
「では、内部犯行の可能性は…」
佐伯が恐る恐る福寿に聞く。
「今申し上げた御社の『構造』から考えて、まずあり得ないと申し上げて良いと思います。もっと言えば、『動機がない』かと」
佐伯が安堵した表情を浮かべ、ハンカチで額を押さえた。汗が滲み出ていた。
「良かった…弊社の様な規模では、何か問題が起きれば、すぐに立ち行かなくなります…本当に良かった」
三好が目を閉じて、噛みしめるように言った。
「それと、工場を見学させていただいた際の事です。自動車が場内を行き交いながらも、全てが10キロの速度制限を守っていました。そして、私たちが通行する際には、守衛さんが規制をして下さって…」
三人の視線が、福寿に集まる。
「これほど安全衛生を重視されている会社なのかと、社労士としても個人としても、敬意を持ちました。そして、その結果の『あれ』ですよね」
福寿が指差した窓の先には、工場棟がある。そこに掲げられた横断幕に書かれている言葉。
[労災事故発生ゼロ・10年継続中]
「私、ちゃんと見ていましたよ。社労士なので」
福寿が言うと、佐伯の目から光るものが落ちた。奥寺もハンカチで鼻を押さえている。
「さすがね紗知。やっぱり見ているところが違うわね」
工藤が福寿に笑顔を見せた。
「社員皆の努力のおかげです」
三好が頭を下げた。
「となると、今回の『異物混入』事件は、外部の捏造の疑いが強くなりました」
工藤が言った。
「SNSで流された異物混入が虚偽であり、御社の評判を落とす意図があれば、偽計業務妨害罪に該当する可能性があります。問題は、それが何のためなのかという、最初の疑問に戻ります」
工藤の後に福寿が続く。
「引き抜きの話はご存じですか?」
「それとなくは…聞いております」
奥寺はそう言うと、一冊の雑誌を机に置いた。ページをめくると、児玉と高津が握手をしている写真が載っていた。
[匠の技の継承ー未来製菓の職人達]
見出しに大きく書かれていた。内容は、児玉から高津へ、秘伝のレシピを継承するというものだった。
「菓子業界向けの雑誌なのですが、これが売られて以降、何件か二人について取材名目の連絡がありました。本当の取材かは分かりませんでしたが…」
奥寺が言う。
「それで、取材は受けられたのですか?」
福寿が聞くと、奥寺は首を振った。
「一応二人には確認しましたが、二人とも断りました。それに、相手方の素性がはっきりしなかったので、最終的に当社としてもお断りした経緯があります」
奥寺はきっぱりと言い切った。
「その後、半年くらい前でしたでしょうか。児玉と高津宛に郵便が届いたことがありました。その二日後くらいに、『転職を勧める内容だった』と、報告がありました」
「ちなみに、差出人は分かりますか?」
工藤が聞くと、奥寺はタブレットで記録を調べた。
「『自大ホールディングス』という会社です」
工藤がスマートフォンで調べているのを、福寿が横から見ている。
「見て、紗知。海外資本ね。聞いたことがないわ」
工藤は福寿にスマートフォンの画面を見せる。
半年前の郵便、海外の会社…全て高津の証言と一致する。
自大ホールディングスは、特にアジア地域での食品部門強化を目論んでおり、次々と買収を行なっていた。
中堅規模の「未来製菓」にも、かつて買収工作を仕掛けた事があったが、社員や株主からの猛反発を受け、撤退した過去がある。
「そこで児玉さんや高津さんといった、御社製品の頭脳と言うべき存在に、接触を試みたのでしょう」
工藤がホワイトボードを使って説明をする。
「しかし、断わられた事によって、別の方策を考えたのです」
「それが、異物混入ですか…」
三好が眉をひそめながら聞く。
「はい。御社の信用を失墜させ、株価操作を行い、あるいは立ち行かなくなる状況を作り出す。それを誘い水にして、職人の引き抜きを画策した…」
工藤がホワイトボードのペンを置いた。
「状況によっては、会社そのものも買い叩けると考えたでしょうね。技術が手に入らなければ、『未来製菓』という、伝統あるブランドを破壊することもいとわないんです…嘘をついてでも。恐ろしいやり方です」
福寿が言うと、三好は一層、眉間の皺を深くした。
「許せません…そんな卑劣な真似は、絶対に認めるわけにはいきません」
「ただ一つ、彼らは大きな目論見違いをしました。そうよね、紗知」
工藤が福寿に視線を送ると、福寿は笑顔を見せた。
「前にも申し上げた通り、社員の皆様は、背信行為に手を染める理由が存在しません。例え3倍の給与を提示されても…児玉さんが仰っていたんです」
「何と申しておりましたか…」
三好、佐伯、奥寺の視線が福寿に集中する。
「『金だけ聞けば魅力的だった。だけど、それだけじゃ、人は動かないって事だよ』と」
しばし、沈黙の時間が流れた。それを破ったのは三好だった。
「結局、私たちは、社員の皆に守られたのですね…」
「そうですね。でも、皆さんにそう思わせたのは、何より御社が社員の皆様を守ってきた結果…私はそう思います」
「今、福寿が申し上げた通りだと思います。給料や条件だけで人が動くだろうという目論見は、見事に外れたということですね。100年以上の歴史と、社員の皆様の絆は、SNSくらいで壊せるものではありませんよ」
工藤が笑顔で言った。
「当社には『企業は人なり』という社是があります。これまで何度か、売上を上げるため、他社との提携や、販路拡大を検討した事もありました」
三好が工藤に向き直る。
「ただ、最終的にそれはやりませんでした。今の規模で、社員数で出来る仕事にベストを尽くそうと。粗製乱造は、結果として社員もお客様も離れてしまうと思いました」
「賢明なご判断だと思います。結果は後からついてきましたね」
福寿が言った。
「あとは、当社の異物混入が無かった事の証明をしなければなりませんが…どうすれば良いですか。」
佐伯が不安そうな表情で工藤に聞く。
「起き得ない構造である事を、より合理的な方法で説明していかなければなりません。それともう一つ、インフルエンサーです」
工藤が鞄から資料を取り出した。
「このインフルエンサーには、過去にも『自大ホールディングス』傘下企業の製品をアップしています。そこで調べたところ、関連企業から、広告宣伝の為の費用が支払われていました」
「え…じゃあ、グルになっていたってことですか…」
奥寺が訝しんで工藤に聞いた。
「疑うには十分な可能性があります。そして、今私はこのインフルエンサーに、該当製品の『チョコレートキャラメル』の購入時期と場所に関して、質問状を送っています…返答は今のところありませんが」
「すると…どうなるのでしょうか」
佐伯が尋ねる。
「製造日と製造番号から、流通経路を追います。製造工程で異物混入が起き得ないことは、福寿が証明しています。ならば、工場出荷後のどこかで起きたとしか言えなくなります…インフルエンサーの手によるものでなければですが」
「それであれば、すぐに調べられると思います」
佐伯が立ち上がった。表情に明るさが戻っている。
「ありがとうございます。インフルエンサーからの返答があり次第、該当品の製造日における、製造工程の記録を調べて下さい。これで、異物混入の記録がなければ、偽計業務妨害で告訴の準備に入ります」
「やりましょう!私たちの名誉がかかっています」
奥寺の表情にも熱がこもっていた。




