タバコの煙の向こう
昭和の時代と今とで、状況がまったく変わってしまったものの一つがタバコである。
平成の初期、私が中学校に入った頃はまだ先生方が普通にタバコを吸っていた。放送部の顧問(あの和文タイプライターの先生である)もタバコを吸っていたので、放送室には灰皿代わりの空き缶が置かれており、生徒の横でも普通に吸っていた。そもそも中学3年の頃は、一部の生徒が教室でタバコを吸っていたのだが、なぜかバレなかった。(ヲイ)
私自身はタバコは吸わないが、祖父がヘビースモーカーだった上、祖父と二人で鉄道に乗りに行くことが多かったので、タバコの煙は気にならなかった。列車でタバコが禁止されていたのは通勤電車くらいで、駅のホームもタバコ吸い放題だった。皮肉なことに祖父の利用する横須賀線は当時から全面禁煙だったのだが。新幹線でも禁煙車は1号車の自由席だけだった。なので、家族で帰省するときには自由席の1号車に乗ったものである。この頃は「おタバコの吸える座席は○号車です」ではなく、「禁煙車は○号車です」と放送されていた。
状況が変わったのは昭和55年の嫌煙権訴訟以降である。この訴訟自体は棄却に終わっているが、その理由が「受動喫煙は一過性で受忍限度の範囲内」「日本社会は喫煙に寛容である」とされたのも、当時の空気をよく表している。実際、この頃は今のように喫煙場所が限られていなかったため、煙が一ヶ所に集中することもなく、あまり気にならなかった。
昭和60年、禁煙車は一気に増えた。東海道・山陽新幹線で言うと自由席の1号車、2号車と、指定席の10号車が禁煙車になり、グリーン車の一部が禁煙席となった。禁煙車が指定席とはどうするのだろうかと、当時は不思議に思ったが、これ以降、指定券を買うときには「おたばこをお吸いになりますか?」と聞かれるようになり一手間増えた。なお、禁煙席とそれ以外の席には仕切りはなく、高いグリーン車なのに何だかなぁと思った。
その東海道・山陽新幹線も、平成2年には約半分が禁煙車に、その後平成23年には3両を除いて禁煙車となり、「ひかり」の自由席から喫煙できる車両は無くなった。もはや禁煙車が特別な車両ではなくなり、喫煙車とそれ以外という形になった。きっぷも平成8年10月からは、それまでの「禁煙席」という表記から、禁煙・喫煙を表すピクトグラムに変わった。喫煙車はほぼ全てがタバコを吸う人となり、デッキから車内を見ると、もやがかかっているような状態だった。さすがにタバコが気にならない私も引くレベルだった。喫煙者が「この前、喫煙車に乗ったけど、タバコの煙だらけでかなわんわ。今度から禁煙車にしよう。」と言っていたという笑えない話もあった。平成16年に開業した九州新幹線は全車禁煙、翌平成17年には長野新幹線が全車禁煙となった。時代は分煙から禁煙になっていった。航空機は平成11年に全面禁煙になっていたから、タバコが吸えるのは鉄道の利点になっていたのに惜しいものである。祖父はそんな暮らしにくい世の中を見ることなく、平成17年に亡くなった。
私が就職した平成後半には、すでに会社では自席でタバコを吸うことは出来ず、喫煙室でタバコを吸っていた。前述の通り、私は某所で教員をやっていたのだが、その頃は職員室の一角にタバココーナーがあり、そこへ集まってタバコを吸っていた。その後、某県庁でも仕事をしたのだが、その頃は屋内禁煙だったので、外階段の踊り場が喫煙場所になっていた。前述のとおり私はタバコは吸わないが、タバコの煙は気にならない。教員のときは校長・教頭・教務主任が、県庁のときは副課長と班長が喫煙者だったので、よく禁煙パイポを持って喫煙場所に行き話をしていたものである。普段校長は校長室にいるし、副課長も前の席にいるので気楽に話しかけられるものではない。喫煙場所に行って雑談を聞き、職場の状況を掴み、意見を伺ってから後で正式に発案する。喫煙する先輩からは「副流煙を吸いに来ている」と言われていた。非喫煙者からは「タバコ部屋の密室で物事が決まる」と文句を言われていたが、私自身も吸わない側である。喫煙者と同様、煙の濃度はものすごく、喫煙場所から戻った後、服に染み付いたタバコの臭いはさすがに気になるレベルだったが、思えば、あれはあれで、いい時代だったのかもしれない。その後、敷地内禁煙となり、上司と気軽に話せる場所が無くなった。その後、不満分子みたいに扱われて短期で異動することになったのも、タバコ部屋の廃止と無関係ではないような気がする。
今はどこの職場も「敷地内」禁煙となり、喫煙者はこっそり抜け出して敷地の外で吸っているらしい。門の前で吸っていて「見苦しい」と苦情が入ったり、敷地の隅で吸っていたら通報されたりと、世知辛い世の中になったものである。今や同じ職場でも、誰が喫煙者か分からなくなってしまった。上司を捕まえて根回しするのも難しくなった。煙と一緒に、そういう場所も消えてしまった。




