新幹線の列車食堂
「こちらは帝国ホテル列車食堂でございます。ただ今、食堂とビュフェではお食事にお飲み物をご用意いたしまして、皆様方のお越しをお待ち申し上げております。」
昭和の時代の東海道新幹線ではおなじみの放送である。当時はすべての列車にビュフェが連結され、すべての「ひかり」に食堂車が連結されていた。そして、食堂車・ビュフェの営業会社も、日本食堂、ビュフェとうきょう、帝国ホテル列車食堂、都ホテル列車食堂の4社が競っていた。大型時刻表だけでなく、ポケット時刻表にも食堂車・ビュフェの営業会社が書かれており、好みの会社で列車を選ぶ人もいた時代である。
そんな昭和のある日の東海道新幹線の想い出である。
当時、私は水泳を習っていた。記憶が正しければあれは小学校2年生の冬休み。その日は水泳の進級テストだった。水泳が終わった後、母親と妹と私の3人は、母親の実家である鎌倉に行く予定となっていた。
当時の「ひかり」はほとんどの列車が東京~名古屋がノンストップだった。なので、父親の実家である静岡に行くときも、母親の実家の鎌倉に行くときも、乗るのは「こだま」。よって食堂車には縁が無かった。0系時代の食堂車に乗ったのは小学校のまだ小さい頃、祖父と一緒に東京から「ひかり」に乗ったときただ1回である。だが、このときは水泳の後という遅い時間に帰省するからか、いつもの小田原乗換ではなく、「ひかり」で新横浜駅まで行き、新横浜駅に迎えに来る祖父のクルマで鎌倉に行く予定になっていた。当時、上りの「ひかり」は、夜の3本だけ新横浜駅に停まったのである。
水泳が終わり、母は進級テストの結果を聞いてきた。私は言葉を濁した。母は察したのか、それ以上は聞いて来なかった。そのまま電車に乗って新大阪駅まで行き、新大阪駅から「ひかり」に乗った。当時の時刻表を見るとおそらく新大阪20時18分発の「ひかり530号」である。
「ひかり」に乗ると言っても食堂車で夕食を食べさせて貰えるわけではない。なので食堂車は通路から匂いを楽しむだけである。食堂車に行くと最低でも1人千ン百円かかる。新幹線に乗るとき、母は家でおにぎりを作って持ってきていた。お茶は駅で買った記憶がある。お茶と言っても今のようにペットボトルのお茶など売っていない。日本で小型のペットボトルの販売が解禁されたのは平成8年4月。この頃は存在しなかった。ポリ茶瓶という、変な形をした蓋がコップとして使える容器に入ったお茶である。おにぎりもお茶も、3人で分けて飲んで食べる。ときには新大阪駅で弁当を買ったこともあったかな。まだ我々が子どもだったからか、そんなときも1つの弁当を3人で分けて食べていた記憶がある。ポリ茶瓶は容量も200mlほどしかなく、3人では少ないように思えるかもしれないが、当時の新幹線はデッキに冷水機があったため、喉が渇いたら冷水機に行けばいいので問題は無かった。冷水機の横に封筒型の紙コップがあった。そんな節約家の母だが、何故か車内でアイスクリームだけは買ってくれた。お金をもらってビュフェにアイスクリームを買いに行くのが嬉しかった。そのアイスクリームも1個を3人で分けるのだが…。後に車内販売のアイスクリームはスジャータハイクオリティアイスクリーム、通称シンカンセンスゴイカタイアイスに統一されてしまったが、このアイスクリームの販売開始は平成になってから。当時は普通のアイスクリームだった記憶がある。
さて時刻は22時頃、作戦を実行に移す。
「ちょっと見せたいものがあるんだけど…。」
カバンの中から取りだしたのは進級した証拠のワッペン。そう、実は進級テストには合格していたのである。驚き喜ぶ母親。そりゃそうだ。落ちたと思っていたところへ合格と言われたのだから喜びも大きい。そして、それから15分もしないうちに目的のものは来た。
「うなぎ弁当でございます。」
車内販売。
「お母さん、お弁当欲しい!!」
喜び覚めやらぬ母は、勢いで買ってしまった。作戦成功である。もちろん買ったのは1個で、それを3人で分けて食べるのだが、あのうなぎ弁当の美味しかったこと。今でも想い出である。
当時、帝国ホテル列車食堂では、厨房で調理したうなぎ弁当を車内で売っており、それが人気商品だった。冷凍うなぎを温めて炊きたてご飯の上に載せただけなのだが、食堂車やビュフェがあり、車内調理が出来た時代だからの商品。しかも食堂車で食べるよりずっと安かった。当時の私には事情は分からなかったが、気になっていた商品ではあった。当時の時刻表で確認すると「ひかり530号」は帝国ホテル列車食堂の担当。この商品で間違い無い。
色々想い出のある帝国ホテル列車食堂だが、平成4年に撤退。同じくホテル系の都ホテル列車食堂は一歩早く平成2年に撤退していた。新幹線の食堂車は平成12年に営業終了し、就職して自分のお金で食堂車で食事をすることはかなわなかった。冷水機も無くなり、代わりに置かれたはずの自動販売機も平成26年に全廃。車内販売も「こだま」は平成24年に、「のぞみ」「ひかり」の普通車も令和5年に終了した。東海道新幹線は日本の看板列車なのに、食事や飲み物を買い忘れて乗ってしまうと飢えと渇きに苦しむしかないというのは残念な話である。列車が途中で止まってしまうことも考えると心配しかない。亡くなった祖母は「列車が止まったらまずお弁当を買うのよ。」と言っていた。朝から晩まで、すべての列車で食事と飲み物が用意されていた時代が懐かしい。あのうなぎ弁当も、今となっては貴重な経験だった。




