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第九話

「ねぇ、本当にこれでいいの?」

「いいの。ナディーさんがあの状態になったら、咀嚼なしで栄養が取れるご飯を届けることって決められてるんだ。このスープはナディーさんからの指定だよ」

「指定なんだ。それにしたってビジュアルが悪すぎない?ご飯なのに灰色なんだけど」

「味は美味しいよ。それに、ビジュアルを気にしてる余裕は今のナディーさんにはないから大丈夫」

「本当にぃ……?」


 心底不安そうな顔をしているララを横目に、トイフェルは椀に食事(スープ)を注ぐ。山土芋(ハルッファ)を摩り下ろしたものを鶏と山菜の出汁でのばし、塩と胡椒で味を整えるだけの簡単なスープは口にいれても火傷せず、内臓もあたためられる温度に保っておいた。調べ物に没頭し、ろくにご飯を食べなくなったナディーが一瞬で食べ切れて、かつ胃を驚かさないための食事だから、究極見た目はどうでもいいのである。

 山土芋(ハルッファ)のスープは山間香草花(ソルンジア)という花を一緒に煮込むことで食欲をそそる橙色に染めることができるのだが、ナディーはこの山間香草花(ソルンジア)の香りが特に苦手で口をつけようとしないため、いつも灰色のまま食卓に上げていた。


「さてと……ぼくはナディーさんに食事を届けてくるけど、ララはどうする?一緒に来る?」

「勿論一緒に行くわよ、一人で残っていてもつまらないしね」

「そう、ついてきて。あ、ナディーさんの態度でショックを受けないようにね。調べ物に没頭したあの人、本当に人が変わるからさ」

「ナディーがそんなに豹変するなんて信じられない。取調室で話した時から、ナディーは優しくて落ち着いている理想的な大人って印象を崩していないんだもの」

「普段はね。仕事に関わる調べ物に没頭したナディーさんは、子供の頃に戻ってしまうんだ。疑問を抱いた点が消えるまで、探求を続けてしまうみたい」

「お湯浴みも睡眠も取らないの?」

「いや、綺麗好きな人だから湯浴みはちゃんとしてくれるし、眠くなったら寝てくれる。でも食事だけはどうでもいいらしくて。困っちゃうよね」

「そうね。あと、とっても不健康!」


 少しだけ呆れたようにララは言う。その言い草が何だか面白くて、トイフェルはクスリと笑った。家に来た当初はコロコロと入れ替わっていた人格が、最近は子供らしい一面に固定されてきているらしい。ナディーがララに施す治療は、確実に実を結んできているのだ。

 


 

 スープをなみなみ注いだ椀と木製スプーン、それから大判の布を丁寧に畳んで盆にのせ、トイフェルとララは階段を上る。上がりきってすぐ、二室あるうちの階段に近い方の部屋がナディーの私室だ。重厚な扉に守られたその部屋は、ナディーが買取屋(サルウァトル)になるための修業時代からあるのだという。何度もノックをしてきたその部屋の扉は、よく見れば細かな傷がたくさんついていた。


「ナディーさん、ご飯を持ってきました。ちゃんと食べてください。……ナディーさん?聞こえてます?入りますからね。ララ、扉開けて」

「分かった。ナディー、入るね」

 

 キィ、と古めかしい音を立てて扉が開く。窓へ向けた机には今にも倒れそうなくらい本が積み上げられ、半分近く窓が埋まってしまっている。扉に背を向けるかたちで座っているナディーは、分厚い本のページを信じられない早さでめくり、目的の情報が書かれていないかをチェックしていた。


「わぁ、私達が入ってきたことにも気がついてなさそう」

「本当にね。どういう集中力してんだか……」


 今度はララが吹き出す番だった。トイフェルがここまで呆れた声を出す事は今までなかったから、面白かったのだろう。笑わせるつもりはなかったのだが、楽しい気持ちになってくれたのならなによりだ。人格混濁症の一番の薬は、前向きな気持ちになることだから。

 

「ナディーさん、トイフェルです。食事を持ってきましたけど、どうします?自分で食べます?」

「……そこ、置いておいて」

「はぁ、だと思いました。ちょっと本どかしますね、どれが読み終わった本ですか」

「……」

「まったく……ララごめん、ぼくの方にある本、机から避けてくれる?寝台に放っていいから」

「う、うん。分かったわ」


 忠告したとはいえ、いつも優しくて、間違えた事をすると厳しく叱るナディーの姿しか見たことがなかったからか、ララは若干腰が引けたように近づいてくる。ナディーはただ一心不乱に本を読んでるだけなのだが、顔すら上げず本に向かう姿が怖いのだろう。トイフェルだって最初は怖がっていたのだ、ララの気持ちはよくわかった。


 ララが積み上げられた本を退かして出来たスペースにお盆を滑らせる。このまま置いて戻ってもいいが、一旦中断させないとナディー(この人)は食べ物が腐るまで放置してしまう。トイフェルは盆に載せていた布を広げると、ナディが読み進める本のページをさっと隠してしまった。


「あっ!」

「……トイフェル、これだけは辞めてって前にも言ったわよね?」

「ナディーさんが本に夢中になるあまりご飯を腐らせるまで放置する悪癖を治して下さるのなら、僕はそもそもこんなことしませんよ」


 強制的に調べ物を中断させられたナディーは、常ではありえないほど不機嫌な顔をしてトイフェルを見上げる。トイフェルもまたしらっとした顔でそれに応答した。流石に分が悪い自覚はあるのか、ナディーもそこまで追求せず溜息を吐くだけだ。


「とりあえず、持ってきた分だけでも食べてください。ナディーさんが倒れたら、ぼくもララも、依頼者も、アンヘルさん達も困るんですから」

「……分かったわ、いつもごめんね、ありがとう」

 

 ――――

 調べ物のときのご飯は一人で食べたいから、と部屋から出されたトイフェルとララは、取り敢えず自分達も昼食を摂ることにした。灰色のままの山土芋(ハルッファ)のスープに山間香草花(ソルンジア)を入れて煮込む傍らで。固めに焼き上げられた赤麦のパンを温める。歯応えのいい赤麦のパンはスープに浸して食べると丁度いい柔らかさになるし、そのまま食べれば噛むほどパンの甘みがじんわりと滲み出る。アヴニール帝国では定番の主食の一つだ。

 ララにスープが焦げないように混ぜてもらいながら、トイフェルはあたためたパンを切り分けていく。一つはそのまま、一つは溶かした赤山牛(カウハ)のチーズをかけて食べるのだ。アヴニールの定番かは分からないが、トイフェルはこのメニューで育てられてきたし、これをララにも知ってほしいと思っている。


山間香草花(ソルンジア)の香り、結構クセがあるのね。嫌いな人がいるの、分かるかも」

「この香りがあるからこそ、山土芋(ハルッファ)の味が際立つんだけどね。さて、煮込むのはそのあたりにして、そろそろ食べ始めようか。食器はどれを使うかわかる?」

「もちろんよ、舐めてもらっちゃ困るわ」

「そっか、ごめんね」


 きょうだいのようなやりとりをしながら、二人は昼食を食べるための用意を進めていく。午前中は二人で魔法の特訓に勤しんでいたから、すっかりお腹が空いているのだ。成長期が揃う食卓は、2人分とは思えない量が盛り付けられた皿が並ぶ。ちまちまオカワリに席を立つのも面倒だろうからと、ナディーはララを連れ帰る途中で2人分の大皿を買ってくれていた。最初は気恥ずかしかったけれど、慣れた今ではあの時固辞していなくて本当に良かったと思う。


「それでは、食べましょうか」

「えぇ。いただきます」


 トイフェルとララの二人でとる昼食の時間に会話はない。ララがナディーに引き取られて店にやってきた当初に比べれば随分と仲は良くなったけれど、双方食事中に談話する程気を許しきってもいないからだ。そもそも、三人で食卓を囲む際もナディーが率先して話している節があるので、どう話せばいいかが分からないのが本音であった。

 

 静かに進む時間の中で黙々と食事が進んでいく。そんな中で、ふと、トイフェルは顔を顔を上げた。ララが訝しげにトイフェルを見遣る。


「どうしたの?」

「依頼者が来られるようですね」

「何で分かるの?」


 ララが質問を重ねた瞬間、店の扉を開けたときになるベルがカランコロンと音をたてた。トイフェルはほらね、という顔をして立ち上がる。


「ぼくが対応してきますから、ララはそのままお昼を済ませて、ナディーさんをいつでも呼びに行けるように準備しておいてください」

「あぁ、なるほど。分かったわ」


 聞き分けよく食事を再開したララをおいて、トイフェルは店の方へと続く扉を開けた。応接用のソファーの前で所在なさげに目線を迷わせている女性の姿を確認して、トイフェルはあぁ、と一人納得する。来店していたのは、以前、寿命を買い取ってほしいとやってきたアヴニール帝国立大学附属高等教育学校の二年生、イリーナ・ハンベットだったからだ。あの日は結局買取に関する契約は行わず、時間をおいてもう一度カウンセリングをしようという話に纏まって帰していた。寿命を買い取るにしても買い取らないにしても、時間をおいてもう一度来てほしいとナディーが説得したのだ。


「おまたせしてすみません、イリーナ様」

「あっ、すみません。えっと、トイフェルさん、でしたよね?今って大丈夫でしたか?」

「大丈夫かどうかはぼくだとちょっとお答えできなくて。ナディーにご用事ですよね?」

「はい。依頼というか、この間のことで、ご相談というか……」

「なるほど。かしこまりました、呼んできますね」

「ナディー、呼んでこようか?」

「あぁ、おねが……」

「あなたっ!」

 

 いつの間にか後ろにいたララに驚きつつ、トイフェルは礼の言葉を紡ごうとしたが、最後まで口にすることは叶わなかった。イリーナが突如として顔色を変えて。ララに掴みかかったからだ。

 激しい怒りを滲ませているイリーナに掴まれたララは、痛みに顔を歪ませて突然危害を加えてきた彼女をにらみ返す。激高したイリーナに横をすり抜けられたトイフェルは一瞬唖然としたものの、ララを絞め殺そうとしてしまいそうな勢いのイリーナを認め慌てて仲裁へと入り、ララを掴む彼女の腕を引き剥がすために力を込めた。


「イリーナ様、落ち着いてください!」

「どうして止めるんですか!?どうしてこの人がここにいるんですか!?この人、ダグルの……あの日、トキを魔力事故に巻き込んだ犯罪者なのに!」

 

 どこにそんな力があったというのか、激しい怒りに見を任せるイリーナはなかなか止められない。同年代に比べ上背があり、力も強いトイフェルで止められないほどの怒りを発する依頼主(イリーナ)をどう扱えばいいかわからなくて、トイフェルは彼女の腕をララから引き剥がそうとしながら必死に考えた。


(どうする?イリーナ様からララを引き剥がさないとララが危ないけど、ぼくがこの場を離れたらイリーナ様はこのままララを絞め殺してしまうかもしれない……!ララの人格混濁症も落ち着いているだけで完治はしていないから、この拍子で凶暴性のある人格が現れてしまったら、イリーナ様の命もララの命も、どちらも危うくなってしまう……!)


「こっ、の……っ!」

「ララ!あぁ、もう!イリーナ様、一旦落ち着いて、この子から離れて!」

「君達、一体何をしているんだ!」


 ララの瞳に、イリーナに感化されたような怒りが滲む。ララの手がイリーナの首に伸びる前にトイフェルはその手を掴んで押さえ込みながら、イリーナを引き剥がそうと試みるが、怒りで視野が狭くなり、ララを害する事しか考えられなくなっているイリーナの力は一向に緩まない。いっそ自分から手を上げてしまおうか、とも考えたその時、背後から鋭い声が団子状態になり揉み合う3人を貫いた。


 驚いて力が抜けたイリーナの隙をついて、トイフェルは彼女をララから引き離し、ララを背に庇うように立ち上がった。


「アンヘルさん、ありがとうございます、助かりました」


 ララから離され、半ば突き飛ばされたイリーナを受け止めた男……アンヘルに、トイフェルは安堵の笑みを浮かべて礼を言った。突然怒鳴られ突き飛ばされて腰が抜けたのであろうイリーナをソファに座らせながら、アンヘルはいつもより少し固い笑みをトイフェルに向ける。


「間に合ったみたいでよかったよ。……とはいえ、暴力未遂が起きた件については、きちんと聞かせてもらう必要があるけれど。トイフェルくん、ナディーを呼んできてはくれないかな」

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