第十話
「落ち着かれましたか?」
「……はい」
依頼者用のソファに座り、俯いたまま顔をあげないイリーナに、ナディーは厄介な事になったとため息を着いた。
普段ナディーが座る椅子には、アンヘルが腰掛けている。イリーナが突然ララに掴み掛った件についての事情聴取を行う為だ。暴力行為は、重要度に関わらず公的機関から調査を受けることになる。定期的な監視調査の為にアンヘルが訪れたタイミングで事が発覚したのはイリーナにとっても、ナディーにとっても運が良かった。
「それでは早速聴取を始めさせていただきます。何故、あなたはララを襲ったんですか。高等教育学校に通われているのなら、アヴニール帝国内における一方的な暴力行為は禁じられている事くらいご存知の筈でしょう」
「……彼女の顔を見たら、カッとなってしまって。気がついたら、飛びかかってしまいました」
「どうして、カッとなってしまったんですか?」
至極優しい語調で、アンヘルが問い掛ける。イリーナは話したくないのか、口を噤んで黙り込んでしまった。これでは事情聴取が進まないと、アンヘルは現場に頭から居合わせたトイフェルに水を向けた。
「トイフェルくん、イリーナさんがララに掴み掛った時、何か言っていませんでしたか?」
「えっと……なぜ止めるのか、と怒られました。ララはトキさんを魔力事故に巻き込んだ犯罪者なのにって」
「ほう?シジェラ地区魔力事故の事情聴取では、何も知らないと仰られていたはずですが。なにか思い出されたんですか?」
「……前、ナディーさんにもう一度自分と向き合ってからまたおいでって言われてから、ずっとあの日のことを考えていたんです。私がどうして“死にたくなった”のかを。
私は、トキがあの魔力事故に巻き込まれるまで、死にたいだなんて思ったことは一度もなかったんです。だから、あの日のことをずっと反芻して考えるうちに思い出したんです。
あの日のシジェラ地区には、見慣れない女の子が沢山いたことを。よくテレビとか新聞に載ってる『根無し草』の紋章が刻まれた通信機器を持っていて……その中のひとりがそこに立っている人でした」
ギロッとイリーナがララを睨みつける。トイフェル越しにその視線を受け止めて、不愉快そうに眉を顰めた。一触即発の空気に挟まれたトイフェルは、自然にため息を洩らす。どうやら何か、認識の違いがありそうだ。
「嘘よ、その人が言っていることはありえないわ」
「ありえない?私が嘘を言っているとでも言うわけ?私はちゃんとこの目であなたを見たわ!あなたが通信機器に向かって、混乱を起こす用意は整ったって言っていたのも思い出してるんだから!」
「こら、落ち着きなさい」
「ララも、今は口を出さないで。教えて欲しいことがあったら都度聞くから」
イリーナの証言をばっさりと切り捨てたララに、イリーナはまた怒りの表情を浮かべて食ってかかった。アンヘルとナディーがその仲裁に回る。
イリーナはまたばつの悪いといった顔をしたけれど、ララはツンとすねたように顔を背けた。
「私はありえない事はありえないと言っただけ。第一、仮にその人が言う魔力事故を起こしたのが父様達だったとしたら、私がその事を知らないのはおかしいわ。」
「作戦を知っている筈だから、という事で」
「ええ。私は組織の中で作戦立案を担当する中枢の一角だったから、アンヘルとその人達に捕まってから1年か半年か……それぐらいの期間の作戦は全部頭に入ってる。その中に、シジェラ地区なんて地名はなかったもの。第一、組織の紋章入の通信機は中枢の人間しか持てないの。そういう事件を起こす子達は、存在すら知らないはずよ。第一、私達が魔力事故を起こした所で、組織に入る美味みもないしね」
ララの証言はダグル壊滅に大きな功績を残す事になるか、その事はまだ誰も知らない。
ただ、彼女を協力者として迎え入れたいと考えていたアンヘルにとっては、その思惑の正しさを証明する、重大な証言であると共に、上司であるユンゲやマクイレンを説得する材料を手に入れた事につながったのである。歓喜に震えそうになる身体を押し止めて、アンヘルはララに向き直った。
「君は、シジェラ地区の魔力事故にダグルは関与していないと言うんだね?」
「ええ、そうよ。嘘だと思うのなら調べれば良いわ。情報の真贋鑑定ぐらい、国際魔法警備局の人間なら簡単に出来るんでしょう?」
「ララ、挑発しないで。……アンヘル、どうするのかしら?」
煽るような口調のララに注意して、ナディーはアンヘルに問うた。アンヘルは、柔和な顔を崩さない。懐から杖を取り出しつつ、アンヘルは自信満々といった顔で答える。
「真贋鑑定魔法を、イリーナさんとララ、両者に使用します。その結果によって、聴取の結果を本局に報告するか否かを決めましょう」
「ちょっと待って下さい!その子だけでなく、私にも真贋鑑定魔法を使用する理由が分かりません、説明を求めます」
「情報の正度をより高める為ですよ、イリーナさん。情報で最も重要なのは、その鮮度です。鮮度が落ちた情報を、ワタシ達国際魔法警備局は信用しません。その情報を再度信用する為に、真贋鑑定を行うのですよ。貴女の証言を嘘だと言っている訳ではありません」
アンヘルからの説明に一応納得はしたようだが、イリーナはまだ少し不満そうだった。そんな彼女の表情に気がつかないフリをして、ナディーはトイフェルへ耳打ちする。別室の用意をさせる為だ。
「声が漏れない奥の部屋、分かるでしょ?すぐ使えるよう、少し整えて来て」
「分かりました」
「協力ありがとう。ナディー、トイフェルくん。では、部屋の準備が出来たら始めましょうか。シジェラ地区魔力事故につながる真相の解明を」
「アンヘル。名探偵ぶるのは辞めてちょうだいな」
呆れたようなナディーの声を背で聞きながら、トイフェルは店で一番奥まっている場所にある部屋……寿命の取り出しなども行う部屋を整えるため、応接室から飛び出したのだった。
――――
――国際魔法警備局 警部補、アンヘル・カルンヘラが行った、イリーナ・ハンベット、ダグル・ララ両名の真贋鑑定。
その結果は、両者共に『真』。イリーナもララも、嘘はついていない事が明らかとなった。
「とりあえず、イリーナさんのご友人のトキさんが意識不明となった魔力事故に、ダグルの関与はないと言い切れる結果となったものの……別の懸念点が生まれてしまったね」
「別の懸念点?」
「アヴニール帝国内に、根無し草を編む悪質な組織が存在している可能性だよ」
「あ……!」
「ララが国際魔法警備局に拘束された後に計画が変更され、シジェラ地区魔力事故が引き起こされた可能性もなくはない。けれど、ララの証言に偽りがない事が分かった以上、それを疑い続けるのは無駄だろうね」
「なるほど、つまり……」
「……アヴニール帝国内に、根無し草に全ての罪を被せながら動く新たな盗賊組織が生まれている、ということね?」
「仮定の話だから、あまり真に受けてほしくもないけれどね」
そんなことを言って、アンヘルは首をすくめた。アンヘルに一任されているのはダグル・ララの処遇であって帝国内におけるダグル事件ではない。まして、根無し草に全ての積みを被せようとしている盗賊組織が現れただなんて報告を上げても、現時点では証拠が少なすぎて信じてもらうことすらできないだろう。
では、どうするか?
「イリーナさん。ワタシと取引をしませんか?」
「取引、ですか」
「えぇ。ララへの暴力未遂事件については、ワタシから国際魔法警備局に報告をあげるようなことはしない。代わりに、アヴニール帝国内に蔓延っている可能性がある新たな盗賊組織の調査に協力する。いかがでしょうか?」
「そんな事言われても……私はその、ララ、さんに謝ってすらいませんし、通信機を持っている女の子たちを見かけただけの普通の人間です。あの事故以降その女の子たちは見かけていませんし、お力になれるかどうか……」
「力になるか分からない、というのなら、とりあえず協力してくれませんか?それに、アナタが証言したシジェラ地区魔力事故に関する目撃情報は、捜査に多大な影響を与えるものです。明後日、再度聞き取り調査があるでしょう?あの事故が解決しない限り、アナタは国際魔法警備局アヴニール本部に呼ばれ続けます。ただ事故の関係者として呼ばれ続けるより、よほど有意義に時間を使うことができるようになるとは思いませんか?」
「えっと……」
「アンヘル、いい加減になさいな」
戸惑っているイリーナを庇う様に、ナディーは立ち上がってアンヘルと相対した。凄みのある表情に、アンヘルは一瞬面食らった顔をする。
「イリーナさんはまだ高校生。しかも、トイフェルとは違ってまだ進路すら定まりきっていない高等学生なのよ。あなたが守らないといけない子供なの。これ以上、守られるべき子供たちを大人の世界に引っ張り出すような真似は辞めて頂戴。イリーナさんとララの間に起きた暴力未遂事件は、ララの保護者として私が仲裁する。それじゃ、駄目かしら?」
「……参ったなぁ」
らしくなく、アンヘルはがりがりと頭を搔いた。その間にも、ナディーの厳しい表情は変わらない。ナディーに庇われているイリーナは、自分が起点となって引き起こされている大人たちの冷たい空気に戸惑っているようにも見えた。
「ま、ナディーの言うことにも一理あるね。高等学生さんに大人の取引を持ち掛けたのは、確かにワタシの落ち度だ。謝罪しよう。でもね、イリーナさんが新たに証言したシジェラ地区での目撃情報については、絶対に本部でも聞かせてほしい内容なんだ。だから、これだけはイリーナさんと約束させてほしい。
次の本部での聞き取り調査の際、黙秘を貫かず、今日ワタシに証言したことをそのまま担当者に伝えてほしい。不安があるのならワタシを読んでくれても構わない。君の証言は、この国を……いや、世界を混乱から救う一手になりえるからね」




