第十一話
「最近、訳がわからないくらいイライラしたり、悲しくなったりしたことはあった?」
「イリーナだっけ、彼女が来た日以外は今までよりずっと安定していたわ。今までにないくらい過ごしやすかった」
「そう。なら、人格混濁症の症状は随分落ち着いてきていると見て良さそうね。何かストレスを感じることはある?」
店の応接室。ナディーとララが向かい合って座っている。ララの人格混濁症治療のためだ。
ララが発症した人格混濁症の症状は日に日に良くなってきていて、最近はトイフェル相手でも激しい攻撃性や異常なほど大人っぽい対応は出なくなってきている。トイフェルとしてもそれは喜ばしい事だった。年相応にコロコロと表情が変わる分には可愛らしいが、その中でふいに、明らかな敵意を向けられるのは恐ろしかったから。
ララがナディーに引き取られてから3ヶ月。週に四回行われる治療を、ララは一度も嫌がらなかった。受けても意味がないと思っていたようだったけれど先月頃にはララからナディーに声をかけ、治療時間を少し長くもしたのだそうだ。彼女の中で、何かしら心境の変化が起きたことは確実だった。
(まぁ、それが何なのかは、ぼくには分からないけど……)
ナディーの後ろに仮設した小さな机でララの治療記録をとりながらトイフェルはそんな事をぼんやりと思った。
“人格混濁症”の治療は、精神負荷をかけながら主人格を見極め、そこに複数出現した人格を統合していくものが主となっている。『人格を統合する為には患者と身体的に接触する必要がある』という条件が、この病の治療の難易度を上げているらしい。
ララは比較的初期に発見できたからそこまで難しくはなかったというが、重症度が上がれば上がる程、暴れる頻度も高くなる。治療が一段落するまで身体接触を解除してはならないという縛りがある中で、暴れる患者との接触を保ち続けるのは容易ではない。そこが、“人格混濁症”の治療が難しいとされる点なのだ。
「……うん。随分症状も落ちついてきているし、これなら根治も近いわね。今日の治療はここまでにしましょう。良く頑張ったわね、ララ」
「本当に?嬉しい、私死ななくて済むのね?」
「ええ。まあ、油断は禁物だけどね。しばらくは経過観察期間になるから、無理はしない事。異変があったら、すぐにわたくしかトイフェルに報告なさい。いいわね?」
「分かったわ、約束する。トイフェルも!よろしくね?」
「よろしくって……別にいつも通りに過ごすだけでしょ」
「分かってないなぁ。こういうのはロマンなの、ちゃんとのってくれなきゃ楽しくないわ」
「そういう問題?」
ララは最近、トイフェルが個人的に集めていた物語集にハマっていて、ロマンがどうこう言うようになった。そんなララの相手をするのは少し面倒で、貸さなければよかったと最近はすこし思っている。ナディーから褒められたから、悪いことではなかったのだろうけど。
じゃれついてくるララを適当にあしらうトイフェルを見ているナディーは、穏やかな笑みを浮かべている。ナディーの師匠がこの世から旅立ってからというもの、ナディーはまだ幼かったトイフェルの養育に四苦八苦していた。買取屋に育てられている子供は珍しく、入学した初等教育学校では仲間外れにされてしまったあとからは殆ど同年代との接触を絶っていたトイフェルが、訳有とはいえ同年代の少女ララと仲良くしている姿を見るのが嬉しかったのである。
微笑ましく二人の様子を見守っていた中、ふいに店の扉につけられたベルがカランカランと音を立てた。ぱっとそちらを向けば、ナディーが営む店を担当するアンヘルと、その上司ユンゲ・ゴルバトンが言い表し難い表情を浮かべて立っていた。
「あら、ゴルバトン警部?珍しい方がいらしたものね」
「突然すまないな、邪魔をするぞ」
「えぇ、ごゆっくり。で、アンヘル、今日はどうしたの?店からの定期報告もララの報告も、直近の分はきちんと済ませたはずだけれど」
「今日はその事ではないよ。ダグル・ララに、シジェラ地区魔力事故の件について事情聴取を行う為に来たんだ」
「私に?」
水を向けられたララが怪訝な顔をして問い、その間にトイフェルがじゃれついてくっついていたララの身体を離す。そんな二人の様子に苦笑を浮かべて、アンヘルはララの疑問を解消するための答えを口にした。
「事故の関係者が新しく証言した中に、君にまつわる話があった。別に本部に連れ戻そうってわけじゃあないんだ、大人しく応じてくれ」
「……ふぅん、いいわよ。上から目線なのは気になるけど、私があなた達から言われたことを抵抗せずに受け入れたら、それは巡り巡ってナディーの為になるんでしょうし」
少しわざとらしく、ララはアンヘルに答えてみせた。
あの日。真贋鑑定魔法にて両者の主張がどちらも『真』である事が分かったあと。ナディーはイリーナからの謝罪を受け入れ、暴力未遂の一件を国際魔法警備局に報告しないと決めていた。そして、そう取り決めたあと、アンヘルから一つだけアドバイスをされていたのである。
(イリーナさんからの新たな証言を聞いた国際魔法警備局がララに対して事情聴取を行うことは確実。だから、その時は落ち着いて応対してほしい。……アンヘルさんは、自分だけでなく、ゴルバトン警部が事情聴取に来ることが分かっていたからあんなアドバイスをしてきたんだ)
ユンゲ・ゴルバトン警部は、国際魔法警備局の局員らしく規律正しい人間なのだという。国際盗賊組織ダグルの一員には隠し切れない敵意を抱いていることも、アンヘルの口からよく聞いていた。
「それで、何が聞きたいの?私、あなた達のところにいた時にも言った覚えがあるけれど、シジェラ地区ってところがどこにあるのかも知らないの。それに、本当にあなた達が話す通りの被害規模でダグルが関わっているのなら、私が知らないはずないじゃない」
「魔力事故被害者の友人が、シジェラ地区を離れる前……つまり、事故が起きる直前に、シジェラ地区に不審な少女たちがいたと新たに証言した。そして、ダグル・ララ。お前はあの時期にこの国にいたダグルの一員だ。そんな言い訳が通用すると思うなよ」
本来依頼主が座るためのソファに深く腰掛けたユンゲは、剣呑な瞳でじっとララを見据えた。ララは不快だという表情を隠しもせず、大きなため息を吐いて口を開いた。
「ダグル・ララと呼ぶのは辞めてって言うの、これで何回目かしら。せめてララ・ダグルと呼んでほしいんだけど……というか、もしそのシジェラ地区っていうところで起きた魔力事故が御父様を筆頭とする私の家族によって引き起こされたものなら、私が知らないのはありえないのよ。私は、作戦立案を担当する一人だったんだから。それに、ダグルで通信機を持たされるような立場の人間は、現場には決して出ないわ。あなた達が普段、末端の子たちしか捕まえられないことには、きちんとした理由があるのよ。……詳しく話すと長くなるわ。全員座って、私の話を聞いてくれる?」
――――
御父様は、たくさんの孤児を拾い育てているの。私も、御父様に拾われて命を救われたわ。だから、御父様の夢を叶えるために私達は御父様の命令通りに動いているの。
御父様の夢は、この世界に生きる人間が等しく貧しくなること。御父様はとある国の貧民街の生まれでね、子供のころから貧しい暮らしをしていたそうよ。ただ生まれてきただけなのに、貧しさに喘ぎ、空腹に泣き、存在を罵られ続けた御父様は、この世界に住む人間すべてが同じ思いをすればいいと考えていたの。
でも、そんな考えを持つ御父様でも、良心は捨てきれなかったんでしょうね。親を失い、生きる術を失った孤児を、御父様は積極的に拾い集めて養育し、名前を与えてくださったわ。御父様のファミリーネームを名乗る事も許してくださった。私には御父様に拾われる以前の記憶がないの。気が付いたら、焦土と化した土地に一人で立っていた。御父様に出会わなければ、私はあの日に死んでいたでしょうね。あんな場所に、国際魔法警備局はこないでしょうから。
私があなた達に拘束された例は本当に珍しいの。今までなかったことだから、私を助けてくださるつもりがあるのかどうかも分からない。でも、探してくださっているとは思うわ。あなた達が普段いる建物、いつ襲われてもおかしくないわよ、多分。
あぁ、そう。どうしてダグルがシジェラ地区っていうところでおきた魔力事故に関係がないといえるのか、だったね。まず、私がまだ御父様のもとにいた頃、そのシジェラ地区っていうところを襲う計画は微塵もなかったのよ。むしろ、アヴニール帝国ではしばらく暴れない予定になっていたわ。まぁ、いずれは目的地になったとは思うけど、アヴニール帝国の帝都に近い場所を襲うほど、私達も命知らずじゃないの。
で、もう一つ。通信機についてね。
そもそもあなた達、おかしいとは思わなかったの?ダグルの紋章が入った通信機なんて、外で使ったらすぐにマークされるじゃない。
あぁ、分からないから私に聞きに来てるんだっけ?……もう、怒らないでよ。余裕がないなぁ。
言ったでしょ?御父様は全世界の人間が貧しくなること望んでいるって。今を生きている人間全員に、御父様が味わった苦痛を知らしめるためにね。それは、御父様に拾われた私たちも例外ではないわ。無駄遣いは許されないの、たとえ本当に必要なものだったとしても。
通信機は高価でしょう?だから、御父様は必要最低限の所持しか認めてくださらなかったわ。
必要最低限の通信機を使うことが許されたのは、御父様が直接拾った子供のみ……御父様の真似をして、私たちが拾ってきたこども達が使うことは許されなかったわ。そして、あなた達国際魔法警備局や、各国の国立警備局が調査し、拘束していた私達の仲間は、そういう通信機の使用すら認めてもらえない子たちだった。逆に言うと、通信機を持つことを許された御父様のこどもは、あなた達に捕まえられるような場所に行くことを禁じられていたのよ。




