第八話
「本当に良かったのですか、フリアー警視。ダグル・ララを釈放してしまって」
低く、渋みを感じる落ち着いた声が後方から飛んでくる。月の光が差し込む薄暗い魔法犯罪対策課のオフィスへ繋がるバルコニーの、その入り口をマクイレンはゆっくり振り返り、微笑んだ。
そこには、マクイレンが信を置く部下……ユンゲが立っている。ユンゲは、規律正しい姿勢でそこにいた。
「……ゴルバトン警部。もう、あなたの耳にも入りましたか」
「勿論。私の部下に関わる事ですから、監視員が気を利かせてくれたようです」
「あぁ、そうでした。カルンヘラ警部補は、ゴルバトン警部直轄の局員でしたね」
「はい」
国際盗賊組織ダグルの中枢構成員、ダグル・ララ。彼女は、アンヘル・カルンヘラ警部補が連れてきた買取屋、ナディー・エスペランサに連れられて国際魔法警備局アヴニール本部を出た。夕方に差し迫るころだっただろうか。
「……彼女は、人格混濁症を発症していました。わたくしは何度も彼女を尋問していたはずなのに、何も気がつけなかった」
「人格混濁症は発見のしにくい病です。医学の心得がない我々では、発見が遅れるのも致し方ないことでしょう」
ユンゲの言葉に、マクイレンはチクリといたんだ胸の内を無視してそうだねと同調する。そう、難しい病なのだ。ダグル・ララが発症していた"人格混濁症"という病は。
「それにしても、ダグル構成員の命など捨て置けば良いというのに。随分な慈悲をかけられたものですね」
マクイレンの隣へ歩きながら、ユンゲはそんなことを言った。その声には、若干の呆れと諦念が混じっている。ユンゲの言い分こそマクイレンの本心だったが、それはあくまでもマクイレン個人の本心だ。国際魔法警備局魔法犯罪対策課を預かる警視として、守るべき民草の意を汲むものならば、決して表に出してはいけない感情だった。
「救える患者は救いたい。そう言われてしまえば、反対する気も失せるというものです。きっと、ゴルバトン警部ががあの場にいても、わたくしと同じ判断を下したと思いますよ。エスペランサ師の言葉は、それだけの力がある」
「あの娘に?そうでしょうかねぇ……」
「……そういえば、王宮より国際魔法警備局各部署へ連絡があったと聞いていますよ。魔法犯罪対策課は、代表としてゴルバトン警部が聞いたと報告を受けています。どんな内容だったのですか?」
苦い表情で、にわかに信じ難いといった顔を浮かべたユンゲは、それっきり口を開かない。何か考え込んでいるのか、それとも単純にあきれて言葉も出ないのか。何を考えているのかはわからないが、空気は一気に重たくなったのを感じて、マクイレンはそれを払うように話題を変えた。重苦しい空気には変わりないが、ダグルの話題を続けるよりも幾分か口は開きやすいだろうと思っての事だった。しかし、ユンゲはなおも重い空気を崩さない。どうしたのか、と。もういちど訪ねようとしたところで、ユンゲは言葉を選びながら口を開いた。
「……皇帝は、まもなく身罷られる、と。そう通達されました。これ以上寿命を移植しても延命は難しく……そのことは皇帝陛下御自身が、よくお分かりになられているからと」
「そうかい。……ついに、エンティ様の長い帝位が終わるんだね」
現皇帝、エンティ・ド・アヴニールが病に伏せ始めたのは、30年も前のことだ。マクイレンもユンゲも、当時はまだ子どもだった。
皇帝は病にかかりながら、寿命を移植する事でこの30年を永らえ、120歳を迎えた。身体も、もうとうに限界を超えていたのだろう。近年の寿命移植手術の頻度を考えても、それは明白だった。
「陛下が最後に寿命移植の手術を受けられたのは5年前。手術の執刀者は確か……当時最高位の買取屋になったばかりのエスペランサ師だったかな」
「えぇ。慣例を大きく下回る年齢で最高位の買取屋に就任した彼女の腕を見たいと陛下が望まれたことで行われた手術だったかと」
「陛下は長く生きるために買取屋を容認していたけれど、心の奥底では嫌っていたお方だから……あわよくば辞めさせようとしていたのではないかな。当時のエスペランサ師の年齢なら、医療魔法士に転向しても十分余裕があったから」
「そうかもしれません。買取屋は禁忌とともに生きる者……二十年と生きていない人間が覚悟を固められるほど、優しい職ではありませんから」
ユンゲは、顔見知りとなって久しい女性の顔を思い浮かべる。ナディーは、これまでユンゲが出会ってきたどの買取屋よりも優秀で、若かった。若干29歳にして、トイフェルという名の弟子をとり育てていることも、国際盗賊組織ダグルの一員であるダグル・ララの命を助けるために引き取っていったことも、なにもかもがイレギュラーに満ちている。
当時24歳だったナディーを、皇帝が延命治療のための手術の担当者に指名したと聞いたときも、ユンゲはひどく驚いた覚えがある。皇帝の延命治療を担当することができるのは、最高位の買取屋だけだ。当時のナディーは最高位の買取屋に就任してから2年しか経っていない若輩者で、その使命に疑問を抱く者も多かったと記憶している。
結局彼女は、皇帝への寿命移植という延命治療を鮮やかに終わらせて見せた。ナディーを軽んじていた年嵩の最高位の買取屋すら口をつむぐほど、完璧な手術だったと聞いている。
「当時、エスペランサ師が陛下の延命治療を担当することに異議を唱えていた買取屋のほとんどは引退していると聞く。仮に今回も陛下が延命を望まれたなら、順当に師が担当することになっていただろうね」
「えぇ。基本、指名がない限り前任者が担当する手術ですから。昨今は買取屋への風当たりが強く、普通の買取屋すら成り手がいないとされていますし、新規の最高位の買取屋は片手で数えられる程度しかいませんので。実績と階級を照らし合わせれば、エスペランサしかいないでしょうな」
ユンゲは、随分と難しい顔をする。禁忌を扱うからと嫌厭されているが、買取屋がなければ、重罪を犯してこの世を去る民の数は激増してしまう。難度の高い資格を複数取得しなければならないkとを含めて考えても、買取屋が今のように嫌われるのは、社会的にもよろしくないことだと考えているのだ。
「えぇ、そうですね。まぁ、エスペランサ師が担当されるにせよ、他の最高位の買取屋が担当するにせよ、エンティ様の治世が終わり新たな皇帝を戴くとなれば、買取屋へ向けられる忌避の視線は早急に解消する必要があるでしょう。今のままでは、これまで積み上げてきた帝国のシステム自体が壊れかねません」
「我ら国際魔法警備局アヴニール本部の意識改革さえ成功すれば、アヴニール帝国における買取屋の地位は飛躍的とまではいかずとも、今のように人目を避ける必要性は目減りするでしょうからね。彼らが長く構えた拠点からの移動を望むかどうかはわかりませんが」
「そんな先のことはその時が来たら考えればよろしい。とにかくまずは意識改革……ダグル・ララの件にエスペランサ師を関わらせたことはおそらく今週中に本部に広まるでしょう。まずはこの段階で、どれだけの忌避感情がでるかどうかを確認し、意識改革の段階を定めなければなりません。
感情とは、個人の思想に強く絡みつくものですから、無理に変化させることはできません。そんなことをすれば反感を買い、仲間割れを起こしてしまう……アヴニール帝国の治安を守るために存在する私達が、仲間割れをしている暇はありません」
そこで、マクイレンはふいに言葉を切った。後ろに控えたユンゲは、どうしたのかと上官の背をみやる。マクイレンは、どんな言葉を選べばいいのか、迷っているようだった。他人を思いやることが一等上手なマクイレンのことだから、買取屋を嫌煙している層の感情を否定することを恐れているのだろう。思想や感情を否定されることは、とてもつらく、受け入れがたいことだから。
「フリアー警視、あなたが迷われてどうするのです。警視は、我が魔法犯罪対策課の統括長でしょう」
「……えぇ、そうですね。国際魔法警備局でも花形の我が課の意識が変われば、救われる民衆も買取屋も増えるでしょう。ゴルバトン警部、協力してくださいますか」
「私が、警視の御命令に逆らうとお思いですか。喜んで、協力させていただきますよ」
部下のこともありますからね、と。ユンゲは闇夜の中でも明るく見えるほどの自信と笑みを持って、上官であるマクイレンに敬意の礼を見せたのだった。




