第9話 勝率一〇〇%の予測者(後)
「完敗ですね」
校正室を出た後、僕は廊下の窓へ背を預けた。
「まだ対局前です」
玲奈は三枚のカードを返してくる。
「作った時点で読まれていた」
「狙いが一般的すぎただけです」
「慰めになっていません」
「慰めていません」
分かっていた。腹が立ったのは、蓮が正しかったからだ。
僕は相手の失いたくないものを探す。蓮の記録から最初に見えたのは、一〇〇%、予測、完成された自分という評価。
だからそこを問おうとした。手順ごと読まれている。
「別の質問を作ります」
「ええ」
「今度は読ませません」
「隠すことが目的になっています」
「予測されれば負けます」
「質問を知られても勝てる問いなら?」
僕は答えず、窓の向こうを見る。中庭を、蓮が一人で歩いていた。
さっきの無糖炭酸水を持っている。自動販売機の横で蓋を開け、一口飲む。
眉間へ、ほんの少し力が入った。不味いものを飲んだ顔だった。
それでも捨てない。飲み終えるまで、一定の歩幅で進んでいく。
「好きではないようですね」
玲奈も見ていた。
「個人的な好みはないと言いました」
「嫌いも、好みの一つです」
僕は蓮の公開生活記録を端末で開く。王冠戦参加者は、対局に関係する範囲の活動記録を相互閲覧できる。
飲食、校正、公開映像の視聴履歴。飲料購入。
過去百八十七日、毎日同じ無糖炭酸水。動画視聴。
対局分析映像が大半。その中に、場違いな履歴があった。
猫の短編動画。三十七回。
「猫が好きなのでしょうか」
玲奈が少しだけ画面へ近づく。
「あなたが見たいだけでは」
「調査です」
動画を開く。箱の上を歩く猫が、突然足を滑らせる。落ちる直前で別の猫へしがみつき、二匹まとめて箱の中へ消えた。
十五秒。再生履歴には、同じ場面だけ三十七回戻した跡がある。
「予測不能な動きですね」
玲奈の口元が動きかける。咳を一つして隠した。
「笑いましたか」
「いいえ」
「今なら《ミラー》なしでも分かります」
「対局外の宣言は無効です」
僕は動画をもう一度再生した。蓮が見ているのは、猫そのものではない。
足を滑らせる瞬間。予測どおりに進まなくなる瞬間だけだ。
対局映像の保存履歴も確認する。勝った二十九戦のうち、繰り返し再生されているのは三試合。
いずれも、相手が予測と違う言葉を口にしかけた場面だった。最終回答は予測どおり。
でも、その直前だけ迷った。蓮は完全な予測を見たいのではない。
予測が崩れかける瞬間を見ている。
「相馬くん」
「はい」
「楽しそうですね」
「何がです」
「さっきまで、仕事を奪われた顔をしていました」
「今も腹は立っています」
「私のために勝とうとしているのですか」
いつもの僕なら、彼女が望む答えを考えた。王冠戦は玲奈が父へ挑むためのものだ。
僕は記録係で、彼女の勝利を支える立場にいる。だから「はい」が正しい。
でも、違った。
「玲奈のためではありません」
彼女の目が、わずかに見開かれる。
「僕が、あいつに勝ちたい」
口にしてから、胸の奥が熱くなった。役に立ちたい。
母の記録へ近づきたい。玲奈を父親の正解から外したい。
それだけではない。僕の質問は、答える前から記録されている。
そう言った蓮へ、自分の質問がただの予測可能な手順ではないと証明したい。子供じみている。
正しい理由でもない。それでも、初めて自分の欲望を一文で言えた。
玲奈は、しばらく僕を見ていた。
「分かりました」
「否定しないんですか」
「なぜです」
「記録係が私情で質問を作るのは危険です」
「私情がないと思い込む方が危険です。幸福を問われた時に学びました」
「僕の敗北を教材にしないでください」
「有効活用です」
彼女は端末から猫動画を閉じた。
「では、勝ちなさい」
「命令ですか」
「違います」
玲奈は一拍置く。
「一緒に、勝てますか」
質問形へ崩れた声だった。僕は答えを探さなかった。
「はい」
* * *
その夜、僕の学園端末へ一通のファイルが届いた。送信者は桐生蓮。
件名なし。本文は一行。
『明日の質問予測を更新しました』
添付ファイルを開く。候補質問、四十六件。
予測確率つき。一位は、僕がまだカードへ書いていない問いだった。
――あなたは、予測できないものを見たいですか。
確率、三一・二%。画面の最下部に、蓮の短い追記がある。
『あなたが「僕が、あいつに勝ちたい」と言う確率は、十二・四%でした。少しだけ面白いです』
僕が一度しか口にしていない言葉だった。予測されたことより、その数字が低かったことの方が腹立たしい。
十二・四%しかなかった僕自身の答えを、明日はもう一度選ぶ。




