第6話 私が選ぶ質問(前)
九条宗一郎が母を知っている。その事実について考える時間を、玲奈は一晩もくれなかった。
「最初の依頼です」
翌朝、記録係資料室へ入るなり、一枚の申請書を僕の前へ置く。
「仮契約の開始条件は、公式戦への登録でしたね」
「昨日の話をする気は?」
「父とあなたのお母様の関係なら、私も知りません」
「聞いていないんですか」
「父は、必要な情報だけを与える人です」
玲奈の言い方は平坦だった。皮肉ではない。
その事実を、事実として置いているだけだ。
「だから、確かめます」
申請書の最上部に、対局名が記されていた。奨学契約紛争・公開仲裁戦。
申立人――朝倉紬。被申立人――久我冬真。
「父のことを調べる前に、奨学金の揉め事ですか」
「父へ近づくには、王冠戦の監査請求権が必要です。この対局は、その予備資格を得る公式戦でもあります」
「王冠戦」
「年間大会です。優勝者は、学園運営に対して一度だけ独立監査を請求できる」
「対局に勝てば、制度を止められる?」
「いいえ。監査が始まるだけです。重大な違反が認定されれば、その後に契約の暫定停止が行われる」
玲奈は、都合のいい部分を省かない。勝利即革命、という話ではないらしい。
「あなたは、その権利で何を調べるつもりですか」
「私の人生のどこまでが、父の『必要』で作られているのか」
初めて、彼女が必要という言葉を他人のものとして発音した。ほんのわずかに、苦かった。
「まずは依頼人に会います」
玲奈が申請書を回す。
「一試合だけの契約でしょう。勝たなければ、そこで終了です」
「脅しですか」
「条件の確認です」
僕は申請書を取った。自分の間違いを証明された直後だ。
次は勝ちたい。それが玲奈の役に立つからなのか、自分の推理がまだ使えると確かめたいからなのかは、考えないことにした。
* * *
朝倉紬は、一年生だった。指定された相談室へ入ってきた時、まず鞄を両手で抱えた。座るよう勧めても、椅子の端に浅く腰掛ける。
制服の袖口が擦り切れている。鳳凰院では珍しいが、奨学生なら不自然ではない。
「久我先輩へ、毎週二百Qを渡していました」
紬は机の木目を見たまま言う。
「八週間です。先週から四百Qにすると言われて……もう、払えません」
「最初の理由は?」
僕が問うと、彼女の指が鞄の持ち手へ食い込んだ。
「借りたものを返しているだけだと、先輩は言っています」
「あなたは借りたんですか」
「……いいえ」
間がある。借りてはいない。
だが、渡す理由は知っている。玲奈はその沈黙を急かさなかった。
「公開仲裁では、質問も回答も記録されます」
紬の肩が小さく上がる。
「私たちは勝つための情報を求めます。ただし、使ってほしくない情報は、使わないでほしいと言えます」
「言ったら、勝てなくなりませんか」
「その可能性はあります」
玲奈は優しい嘘をつかない。
「それでも、あなたの情報です」
紬が初めて顔を上げた。僕は昨日の《ミラー》を思い出す。
あなたの答えより、あなたにとって都合のいい私を信じた。玲奈は、僕へ見せるために言っているわけではない。
それでも、僕には聞こえた。紬はしばらく迷い、鞄から古い端末を取り出した。
「弟が、心臓の手術を受けました」
画面に、送金履歴が並ぶ。学内Qを外部の金銭へ換えることは規約違反だ。奨学生が行えば、支給停止や退寮審査の対象になる。
紬は非公式の交換業者を使い、Qを弟の治療費へ回していた。久我は、その履歴を見つけた。
黙る代わりに、毎週Qを渡せ。典型的な恐喝だ。
「この事実を質問へ含める許可は?」
僕が確認する。紬の唇が白くなる。
「必要なら」
それは、許可ではない。勝つために必要だと言われたから差し出した答えだ。
分かっている。それでも、この情報を使えば勝率は大きく上がる。
玲奈は僕へ答えを求めず、紬の手元へ目を落とした。
「他の記録も確認しましょう」
* * *
久我冬真は、金に困っていなかった。父親は学園運営企業の役員。保有Qは二万を超える。二百Qを八回受け取っても、彼の生活は変わらない。
それでも、毎週金曜の放課後、紬を旧寮の階段へ呼び出した。電子送金で済むものを、対面で受け取っている。
一つ目の手掛かり。紬が支援担当教員へ相談しかけた時、教員は残額一六〇〇Qの一括返済を提案した。
久我は拒否した。
――決めた方法で返させる。途中で楽をさせるな。
二つ目。紬が発熱して受け渡しに来られなかった週、久我は支払額を半分にした。
減免ではない。期間を一週延ばした。
――顔を見せないと、忘れるだろ。自分が誰に許されてるか。
三つ目。最初に久我が口にした「違反黙認の対価」は、計算上すでに返済されている。
それでも要求は続いた。久我が欲しいのは、Qではない。
紬が自分を恐れ、毎週決められた場所へ来ることだ。ここまで読めば、質問候補は三つに絞れる。
一つ。
――あなたは、朝倉紬から不当にQを受け取りましたか。
弱い。不当の定義を自分に都合よく解釈できる。
二つ。
――あなたは、朝倉紬に金銭的な返済を求めていますか。
答えが「いいえ」でも、彼は恐喝を認めない。金ではなく服従を求めているだけだ。三つ。
紬の規約違反を具体的に示し、口止めの対価だったか問う。久我が「はい」と答えれば恐喝を認める。
「いいえ」と答えれば、彼自身のメッセージと認識に反する嘘になる。
最も確実だ。同時に、紬が弟の治療費のために規約違反をした事実も、五百人の前へ残る。
僕はカードへ質問を書いた。書き終えてから、ペン先が止まる。
別の質問を探す。久我が金ではなく恐怖を求めていることは読める。だが、その欲望を本人がどこまで自覚しているかは分からない。
《ミラー》が判定するのは、僕の分析ではない。本人の認識だ。
なら、証拠が最も多い質問を使うべきだ。勝たなければ、紬は来週も払う。
僕はカードを封筒へ入れた。




