第39話 一問だけ、君の嘘を暴く(後)
何を問う。観客も考えている。
宗一郎は玲奈を愛しているか。答えは、おそらく「はい」。真実だ。
宗一郎は規約違反を自覚しているか。本人は、必要な研究だったと信じている。曖昧だ。
玲奈を支配した本当の動機は恐怖か。動機は一つではない。《ミラー》では無意識を測れない。
美琴を見捨てたか。事実確認にはなる。だが今ここで玲奈が取り戻そうとしているものとは違う。
ならば、どこへ針を落とす。未来ではない。
現在の理念でもない。証拠が確定している、一夜。
宗一郎自身が「怖い」と言葉にした、その瞬間。僕なら、そこを問う。
僕は、その質問を封筒へ入れた。玲奈は、何を選ぶ。
残り二分。彼女はカードへ一行書き、止まった。
消さない。次の行へ、時点と対象を書く。
独立審判へ差し出す。審判が意味登録を読み上げる。
「対象者、九条宗一郎本人。対象時点、相馬美琴死亡直後の夜。対象未来、九条玲奈が自らの意思で回答者から離れる未来。判定命題、回答者が当該時点で自らの感情を『怖い』と認識したか」
宗一郎が確認する。
「異議はない」
「質問を登録します」
残り時間が止まる。玲奈は、僕の方を見なかった。
必要なかった。
* * *
対局開始。判定卓の《ミラー》が黒く光る。
巨大表示の左に、《ORACLE》の演算窓が開いた。登録された質問。
宗一郎の過去回答。利益相反を認めた場合の損失。
父としての自尊。玲奈が「嘘」と宣言する確率。
数字が走る。玲奈は父へ、一問を向けた。
「お父様」
講堂の空気が止まる。
「美琴さんが亡くなった夜、あなたは――」
宗一郎の薬ケースが、照明を反射する。
「私が自分の意思であなたから離れる未来を、『怖い』と自分で認めましたか」
質問は一つ。答えは二つ。
巨大表示が確定する。
《ORACLE》 予測回答――「いいえ」九八・八%。
宗一郎は、その数字を見上げた。九八・八%。
この学園で、その数字は何度も人を黙らせてきた。勝率、推薦可能性、契約継続率。
高い数字は正しさに見え、低い数字は本人の希望より先に候補から消された。宗一郎は、その権威を作った人間だ。
今度は自分の回答が、同じ数字で囲われている。審判が回答時間を開始する。
三十秒。宗一郎は玲奈を見る。
僕ではない。娘がどの答えを望むかではなく、どの宣言をためらうかを測っている。
「はい」と答えればどうなる。
火災の夜に抱いた私的な恐怖を認める。その恐怖が目的関数と進路削除へつながった可能性を、自分の口で監査対象にする。
「いいえ」と答えればどうなる。
音声を、混乱時の不正確な表現だと言い換え続けられる。《ORACLE》の九八・八%が、合理的な答えという権威を与える。
そして何より、娘が父を「嘘」と公言できない可能性へ賭けられる。宗一郎は、玲奈を知っている。
彼女が父を敬い、与えられた正解を守り、家族の顔を公の場で潰さないよう育てられたことを知っている。だから、答えは予測できる。
「いいえ」
宗一郎は言った。《ORACLE》の演算窓が緑へ変わる。
――予測的中。
観客席に、小さなどよめきが走った。宗一郎の表情は崩れない。
玲奈の宣言時間、三十秒。彼女は父の目を読む必要がない。
転入初日の僕は、彼女の視線と手の力から最後の仮説を補強した。けれど今回は、それを使わない。
父が平静でも。涙を流しても。
笑っても。判定の根拠は変わらない。
呼吸も、指の震えも、視線の揺れも主証拠ではない。削除された未来。
書き換えられた目的関数。火災直後の本人音声。
その音声を自分の発言だと認めた記録。玲奈は、一つずつ口にした。
「私は、お父様が今も同じ恐怖を持っているかを問うていません」
残り二十秒。
「私を管理した理由が、それだけだったとも言っていません」
残り十五秒。
「その夜、お父様自身が、自分の感情を『怖い』と認めたかだけを問いました」
宗一郎の顔ではなく、証拠を見る。
「音声で認めています。先日の対面でも、その言葉が自分のものだと認めました」
残り八秒。玲奈が宣言する。
「嘘です」
《ミラー》の黒い面へ、白い線が走る。一秒。
二秒。三秒。
僕は呼吸を忘れる。やがて中央へ、三文字が浮かんだ。
LIE 《ORACLE》の緑色の〈予測的中〉は消えない。
予測回答――「いいえ」九八・八%。回答――「いいえ」。
真偽判定――LIE。二つの装置は、どちらも正しい。
宗一郎が何と答えるかは予測された。その答えが本人の真実だとは、誰も証明していない。
予測は外れなかった。それでも、予測された答えを正解と呼び、娘の人生へ押しつけた支配だけが敗れた。
* * *
歓声は、すぐには起きなかった。五百人が、表示を理解する時間が必要だった。
最初に聞こえたのは、硬い物が床へ落ちる音だった。宗一郎の薬ケース。
蓋が開き、中から錠剤の包装と、小さな写真が滑り出す。幼い玲奈が、病室のベッドで笑っている。
隣には若い宗一郎がいた。宗一郎は椅子から立とうとし、膝をついた。
写真へ手を伸ばす。一度で拾えない。
指先が震えていた。彼は写真を掌へ収め、長い間、何も言わなかった。
玲奈は判定卓の向こうで待つ。勝者の笑顔を作らない。
父へ駆け寄らない。宗一郎が、ようやく顔を上げた。
「怖かった」
音声より小さな声だった。
「美琴を失った夜、お前まで私の知らない場所へ行くのが、怖かった」
玲奈の唇が、わずかに開く。
「だから、残る道だけを選ばせた」
「選ばせたのではありません」
玲奈は言った。
「残る道以外を消しました」
宗一郎は否定しなかった。
「私は、お父様が私を愛していたことを否定しません」
薬ケースを見る。写真を見る。
低い警報音を思い出しているのかもしれない。
「だから、すべてを悪意だったことにもできません」
玲奈の指が、判定卓から離れる。
「でも、愛していたことは、私の答えを決める権利になりません」
宗一郎は、写真を握ったまま俯いた。
「では、私はどうすればいい」
理事長としてではない声だった。玲奈はすぐに答えない。
「私が決めれば、また従うのですか」
宗一郎の口が閉じる。
「謝ればよい、退けばよい、待てばよい。私が正解を一つ渡せば、お父様はそれを行うでしょう」
「償いには手順が必要だ」
「監査の手順はあります。私への答えは、手順だけでは決まりません」
宗一郎は、拾った写真を薬ケースへ戻せなかった。蓋の開いたケースと写真を、別々の手で持っている。
「私は、あなたを許すとも、憎み続けるとも、まだ決めません」
講堂は静かなままだ。
「今日決めるのは、あなたから離れて考えることだけです」
独立審判が立ち上がる。
「王冠戦最終局、質問者側の勝利」
その言葉で、ようやく息をする音が戻った。前列の一年生が泣きながら拍手を始める。
隣の生徒は拍手せず、両手で顔を覆った。凛は立ち上がりかけ、神代に袖を掴まれて座り直す。
蓮は巨大表示の二つの結果を、何度も見比べている。
「予測は、外れていない」
彼の呟きが、静かな講堂で聞こえた。
「でも、答えの意味は、予測のものじゃなかった」
その理解が広がるまで、歓声にはならなかった。やがて拍手は、勝者を称える音というより、長い間止めていた息を吐く音のように講堂を満たした。
「規約第十二条に基づき、学園運営への一度限りの監査請求を受理します」
全校端末が、同時に白く光る。画面中央へ、新しい文字が現れた。
独立監査開始。その下で、玲奈は誰にも支えられず、自分の足で判定卓から離れた。
僕も記録係席を立つ。彼女へ手を伸ばしかける。
止める。玲奈の方から、僕の袖を掴んだ。
ほんの一秒。
「質問は、私のものでした」
前を向いたまま言う。
「はい」
「でも、あの場まで一人では来られませんでした」
僕は、最適な返答を探す。役に立ててよかった。
君ならできると思っていた。僕たちの勝利です。
どれも、今の玲奈が言ったことを分かりやすくしすぎる。
「僕も、一人では白紙にできませんでした」
凛と神代と蓮。僕の支配欲を言葉にさせた人たち。
そして、答えを急かさず待った玲奈。
「では、引き分けですね」
「勝った直後に言う言葉ですか」
「父には勝ちました。あなたとは、まだ決着していません」
いつもの調子が、少しだけ戻る。それから自分で手を離し、講堂の出口へ歩いた。
僕は、その半歩後ろではなく、隣へ並んだ。




