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第38話 一問だけ、君の嘘を暴く(前)

 全校の端末へ、空欄が映し出された。ざわめきは、波のように講堂を回った。


 王冠戦最終局。質問者側選手、九条玲奈。


 記録係、相馬零司。回答者、九条宗一郎。


 最前列には、玲奈の救済買戻しによって強制付帯条項を停止された二十三人が座っている。先日、段ボール箱を抱えたまま立ち尽くしていた一年生もいる。


 凛の家族の代理人もいる。研究所属権を失った蓮は、生徒席ではなく証人席だ。


 その後ろには理事会。左右には外部監査員。


 中央上段には、《ORACLE》の予測表示を監視する独立技術者。勝敗は、父娘だけのものではない。


 だからこそ、玲奈は私的な怒りだけで質問を選べない。玲奈が勝てば、学園運営に対する一度限りの監査請求権が発動する。


 独立監査が重大違反を予備認定すれば、強制契約は暫定停止される。宗一郎が勝てば、玲奈の後継者契約が確定する。


 財団研究部への進路、居住区、卒業後の役職。すでに用意された未来へ戻る。巨大表示の中央には、僕が提出した記録係カード。


 証拠欄は埋まっている。質問欄だけが白い。


「記録係が逃げたのか」


 前列から声が上がる。


「何のために二人で来たんだ」

「女王一人へ押しつけた?」


 聞こえる。僕は記録係席へ座り、手を膝に置く。


 対局開始後、発言はできない。今ならまだ、質問を書き足せる。


 控室の封筒には、完成した一問がある。取りに戻る時間もある。


 玲奈が判定卓の前に立つ。空欄を見ても、こちらを振り返らない。


 宗一郎側の代理人が立ち上がる。


「記録係カードに質問文がない以上、助言義務を果たしていません。記録係の任命自体を無効とし、質問者側の不成立敗を求めます」


 講堂のざわめきが一段大きくなる。独立審判は、規約画面を開いた。


「RULE 6-c。記録係は〈質問案を提出しない〉という意思表示として空欄カードを提出できる。ただし、選手が登録期限までに自ら質問を作れなければ不成立敗」

「最終局への適用を想定した条文ではない」

「適用除外の記載はありません」

「記録係制度の趣旨に反する」


 今度は玲奈が答えた。


「記録係制度の趣旨は、選手へ正解を強制することではありません」


 白いカードを持ち上げる。


「相馬くんは、証拠と規約を提示しました。質問を提案しないことも、規約に認められた提案です」

「作れなければ、あなたが負ける」

「承知しています」


 代理人は宗一郎を見る。宗一郎が小さく手を上げ、異議を引かせた。


「玲奈が選んだのなら、その危険も記録すればいい」


 父親の言葉に見える。同時に、娘が失敗する確率まで実験へ取り込む研究者の言葉だった。


 独立審判が確認する。


「九条玲奈選手。記録係から空欄カードが提出されています」

「確認しました」

「質問登録に失敗した場合、質問者側の不成立敗です。異議はありますか」

「ありません」

「相馬零司記録係。提出意思に変更は」

「ありません」


 対局開始前に許された、最後の発言だった。審判が頷く。


「では、証拠能力の事前審理へ移ります」


 宗一郎は、回答者席で薬ケースを机の右へ置いた。玲奈が幼い頃から使っている型だ。


 食卓にもあった。講堂へまで持ってきたのは、彼が娘の体調を本当に心配しているからだ。


 その事実は、質問を簡単にしない。


* * *


「第一証拠の音声について、真正性へ異議を申し立てる」


 宗一郎の声は、いつもと変わらない。


「焼損端末から復元された音声には欠落がある。さらに研究棟の時計は学園標準時より一分遅れていた。別時刻の発言を火災直後と結びつけた可能性を排除できない」


 独立審判が僕へ発言を許可する。これは質問ではなく、提出証拠の手続確認だ。


「原本端末の内部時刻だけを使っていません」


 僕は巨大表示へ四本の時刻線を出す。


「防火扉の開閉、消防設備の作動、凛さんの送信サーバー、研究端末。四系統が、学園標準時に対して同じ五九・八秒の遅れを持っています。音声開始は、防火扉閉鎖の二分十三秒後です」

「復元処理で語を補った可能性は」

「使う箇所は、欠落のない連続波形です。復元前原本と公開部分のハッシュ値、処理記録、保全庫への移送記録を監査員三名が確認しています」


 監査員席のランプが三つ点灯する。宗一郎は次へ移った。


「目的関数の変更は、研究用語の整理にすぎない。幸福を守るために、離反による危険を減らす。二つは矛盾しない」

「同じ進路案に対する評価が逆転しています」


 比較ログを表示する。


「変更前は、本人満足度の高い学園外進路が候補に残る。変更後は、満足度が同じでも、保護者との離隔を理由に除外される。名称だけではなく出力が変わっています」

「未成年者の安全を守るのは保護者の義務だ」

「安全配慮が正当だったかを、この対局で確定する必要はありません」


 僕は監査条項を出す。


「問うのは、私的な喪失恐怖が制度判断へ混入した可能性です。合理性の最終判断は、勝敗後の独立監査が行います」


 宗一郎の視線が、一瞬だけ僕へ向いた。僕は質問を作っていない。


 それでも、ここまでの盤面は僕が作った。証拠を守った。


 意味を限定した。言葉尻で逃げる道と、無関係な被害者へ傷が広がる道を閉じた。


 最後の道だけを、玲奈へ残した。


「証拠能力を認めます」


 独立審判が告げた。


「対局開始後、記録係の発言を禁じます」


 僕のマイクが消灯する。これ以降、僕は何も言えない。


* * *


 宗一郎が、薬ケースへ触れた。


「玲奈」


 父親の声だった。


「お前が六歳の時、夜中に呼吸を乱したことを覚えているか」


 玲奈の指が判定卓の縁で止まる。


「覚えています」

「救急搬送までの九分間、私はお前の呼吸数を数え続けた。薬の副作用が出た時は、次に同じことが起きないよう全処方を見直した」


 巨大表示へ、投薬履歴が出る。玲奈が幼い頃に怖がった旧研究棟の警報音。


 宗一郎は翌月、全棟の音を低い二音へ変更している。幼少期映像の保管一覧。


 不要データとして削除可能になってからも、一つも消していない。


「私はお前を見ていた」


 宗一郎は、幼少期映像を一つだけ再生した。六歳の玲奈が、病院の廊下で点滴台を押している。


 警報音が鳴るたび肩を震わせる娘へ、若い宗一郎が両手で耳を塞いでいる。


『もうすぐ音を変える』

『本当ですか』

『約束する』


 翌月、研究棟の警報は実際に変わった。映像の宗一郎は、娘の恐怖を見落としていない。


 現在の宗一郎も、その映像を削除できずにいる。


「私は、お前が眠れない夜の回数も、薬を嫌がった理由も覚えている。美琴が亡くなった後、お前が一人で食事をすると手を止めることも知っていた」


 玲奈の肩が、ごく小さく上下する。


「その時、お父様は何をしましたか」

「食事の時間を固定した。栄養士と同席者を置いた」

「私に、一人で食べたいかとは聞きましたか」


 宗一郎は答えない。玲奈は否定しなかった。


「はい。お父様は、私の体調を誰より把握していました」

「ならば、私がしたことを、単なる支配と呼ぶのか」

「呼びません」


 観客席がざわめく。玲奈は続ける。


「愛情もありました。支配もありました。片方を嘘にして、もう片方だけを残しません」


 宗一郎の指が薬ケースから離れる。


「あなたは私を見ていました」


 玲奈は、父と同じ言葉を返す。


「でも、私が何を見たいかは、一度も聞きませんでした」


 宗一郎は答えない。審判が証拠提示時間の開始を告げる。


 玲奈は、僕が想定した順番を使わなかった。最初に出したのは、第三証拠だった。


 独立進路の削除履歴。


「私は、これを最初にします」


 誰へともなく言う。記録係席から、止めることはできない。


 止めるつもりもない。


「私が学園外へ進む案。財団の管理を受けない寮へ移る案。研究職以外を選ぶ案。この三つだけが、本人満足度の数値に関係なく削除されています」


 削除理由が表示される。


 〈保護者からの物理的・心理的離隔を伴うため不採用〉 「この記録から始める理由は」


 審判が聞く。


「最初に奪われたのが、未来だったからです」


 玲奈の声は揺れなかった。


「お父様の恐怖を聞く前から、私は選べる未来を失っていました。だから結果から示します」


 次に、目的関数。〈玲奈の幸福最大化〉から、〈玲奈の離反・喪失リスク最小化〉へ。


「この変更後、お父様から離れる選択は、幸福度と無関係に低評価になります」


 最後に、音声。研究棟の暗い廊下。


 遠くで鳴る、低い二音の警報。宗一郎の声が、講堂へ流れる。


『美琴を失った』


 息を吸う音。


『玲奈まで、自分の意思で私から離れるのが怖い』


 音声が切れる。玲奈は、食卓での本人承認映像を続けた。


『私の発言だ。当時、私は確かに「怖い」という語を選んだ』

『だが、それは恐怖ではない。保護責任を、混乱の中で不正確に表現しただけだ』


 映像が止まる。玲奈は父へ向き直った。


「お父様は、音声を最後に出すと思っていなかったでしょう」

「感情に訴えるなら、最初に使うべきだ」

「だから最後にしました」


 玲奈は、独立進路の削除履歴へ視線を戻す。


「私は、あなたを泣かせる順番を選びたいのではありません。私の人生で起きた順番を、私が理解できる形へ並べました」


 未来が消えた。消す基準が変わった。


 その基準の根に、父自身が言葉にした恐怖があった。僕の想定より、玲奈の順番の方が父娘の事実へ近い。


「この三つを、証拠として使います」


 独立審判が僕の席へ確認灯を点ける。提示順の変更で、時刻や原本の同一性が損なわれないか。


 僕に許されたのは、手続への一言だけだ。


「どの順でも、原本と時刻は同じです」


 マイクが再び消える。質問登録まで、三分。


 玲奈は白いカードへ目を落とした。観客席の端末には、証拠だけが表示されている。


 質問候補はない。誰も、零司の正解を待てない。


 前列の一年生が、膝の上で指を組み替える。凛は口元へ手を当てている。


 神代は腕を組んだまま、玲奈だけを見る。蓮の前では、《ORACLE》の未確定演算が何度も分岐しては消える。


 僕の封筒には答えがある。けれど、講堂の誰もそれを読めない。


 ここから先は、講堂の誰も玲奈と同じ材料しか持たない。


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