第34話 分からないままで(前)
最終局まで、二十時間。勝つための証拠は三つ揃った。
それでも僕は、昼食一つ決められなかった。
* * *
「終わったら、何を食べたい?」
凛の質問に、僕は券売機の前で止まった。生徒会棟の小会議室。
最終局準備のため、僕たちは朝から規約と証拠を確認している。昼休みになり、凛が五人分の食券を買おうとした。
玲奈は温野菜のサンド。神代は辛口カレー。
蓮は研究所属を失って一般食券へ切り替わったため、初めて通常定食の列に並ぶ。僕だけ決まらない。
「終わったら、ですか」
「明日の夜でも、三日後でもいいよ。最終局が終わったら食べたいもの」
「勝敗で状況が変わります」
「食欲の話だよ」
「監査が始まれば、関係者対応が――」
「回答拒否」
蓮が横から言った。
「相馬さんが質問へ直接答えない確率、九四・一%でした」
「予測していたんですか」
「はい。白鳥先輩と賭けました」
「賭け金は?」
「午後の飲み物です」
凛が端末を見せる。
『零司くんの回答』
A カレー。
B 麺類。
C 質問の条件を確認する。
D 無回答。
蓮はC。凛はD。
僕はCを選んだ。
「桐生くんの勝ちだね」
「予測精度が上がりました」
「僕を学習対象にしないでください」
「嫌ですか?」
凛が聞く。また、答えに詰まる。
玲奈が券売機の横で腕を組んだ。
「普通の質問一つへ、どれだけ時間を使うのですか」
「普通だから難しいんです」
「意味が分かりません」
「勝敗があれば、相手の利害から答えを絞れます。食べたい物には賭け金がありません」
「あるでしょう」
「何ですか」
「食べたい物が食べられるかどうかです」
玲奈は当然のように言った。僕には、その賭け金が小さすぎて見えない。
「では次だ」
神代が自分の食券を取る。
「勝った後も、この学園へ残るのか」
「監査結果によります」
「質問は、制度条件ではなく君の希望だ」
「希望を決めるために、条件が必要です」
「回答拒否」
凛が記録する。
「相馬先輩が条件節を三つ以上置く確率、八九・七%」
蓮も端末へ入力する。
「二つでした」
「惜しいですね」
「惜しくありません」
神代は呆れたように食券を折る。
「君は最終局で理事長の答えを読むつもりだろう。その前に、自分が残るかも決められないのか」
「決められません」
口にすると、以前より恥ずかしくなかった。分からないものを、分かった形へ整える方が怖い。
「では、三つ目」
蓮が僕を見る。
「玲奈さんと、どうなりたいですか」
食堂の音が一段小さくなった気がした。実際には、隣の機械から釣り銭が落ちただけだ。
玲奈の指が、温野菜サンドの食券から離れる。
「桐生くん」
「はい」
「なぜ、私の名前を使うのですか」
「相馬さんの回答分布が最も広がる質問だからです」
「研究所属を失っても、趣味が変わっていませんね」
「趣味ではなく、関心です」
「同じです」
玲奈の声が冷たい。蓮は気にせず、回答候補を表示する。
A 記録係として組み続けたい。
B 友人でいたい。
C 交際したい。
D 条件を確認する。
E 無回答。
「Cを入れた根拠は」
僕が聞く。
「昨夜の発話停止、視線回避、質問語彙の――」
「削除してください」
玲奈が言った。
「なぜですか」
「不快だからです」
蓮が一度瞬く。
「本人の申告が最優先です」
Cが消えた。なぜか、僕は少しだけ残念だった。
何が残念なのかは考えない。
「相馬さんの回答は?」
蓮が尋ねる。
「質問が広すぎます」
「D」
凛と蓮が同時に言った。
「当たったね」
「予測どおりです」
玲奈だけが笑わない。
「相馬くん」
「はい」
「その質問へ答える気はありますか」
彼女自身の質問に変わった。周囲の音が、今度こそ遠くなる。
答えを探す。玲奈が望む答え。
凛と神代が安心する答え。蓮の予測を外す答え。
どれも違う。
「今は、ありません」
玲奈の眉が寄る。
「答えが、ですか。答える気が、ですか」
「区別できていません」
「そうですか」
玲奈は食券を取り、先に歩いた。凛が僕の横で小声になる。
「玲奈ちゃん、たぶん怒ってるよ」
「分かっています」
「何に?」
答えられない。
「そこは分からないんだね」
凛は困ったように笑った。蓮が自分の勝ちで得た飲み物を選ぶ。
無糖紅茶ではなく、温かいココア。
「白鳥先輩の予測が外れた罰です」
「私の奢りだよね」
「はい」
紙カップを受け取った蓮は、一口飲んで言った。
「これは、好きかもしれません」
「早いね」
「昨日のラムネソーダより、判断材料が明確です」
僕だけ、まだ食券を買っていない。後ろに列ができる。
焦る。最も早く出て、誰とも重ならず、午後の眠気が少ないもの。
また他人の条件を集めている。最後に、目の前のボタンを押した。
温かいきつねうどん。
「なぜ、それにしたのですか」
戻ってきた玲奈が聞く。
「列を止めたくなかったので」
「自分の理由ではありませんね」
「湯気が、少し良さそうに見えました」
玲奈は一秒だけ黙る。
「それなら、及第点です」
「誰の試験ですか」
「私のです」
彼女は先に席へ向かう。怒りは、少しだけ薄れていた。
* * *
午後、玲奈は一冊の薄いファイルを僕へ渡した。表紙には、何も書かれていない。
「最終質問の候補ですか」
「違います」
「では」
「私が書いて、送らなかった質問です」
手が止まる。
「読んでいいのですか」
「許可するから渡しています」
「後で後悔する可能性は」
「あります」
「それでも?」
「質問を作る人が、問うことを恐れる場合もあると知っておいてください」
小会議室には、僕たち二人しかいない。凛たちは証拠保全庫へ行った。
窓の外では、午後の風が樹木を揺らしている。僕はファイルを開く。
一枚目。
『私が自由になったら、あなたは必要なくなりますか』
必要、という語に二本線が引かれている。その下へ書き直し。
『私が父の予測から外れた後も、あなたは記録係を続けますか』
これも消されている。余白には、小さな文字。
『役割を聞けば、役割の答えしか返らない』
二枚目。
『あなたは、私を選びますか』
質問としては短い。対象も期間も意味も曖昧だ。
《ミラー》へ登録できない。その下に、何度も書き直した跡がある。
『父と対立していなくても』
『王冠戦が終わっても』
『私があなたを必要としなくても』
最後は全て消されていた。
「なぜ、送らなかったのですか」
「答えを知りたくなかったからです」
玲奈は窓際に立ち、こちらを見ない。
「いいえと言われる可能性がある」
「はい」
「はいと言われても、私が望む答えを選んだだけかもしれない」
「はい」
「だから、問わなかった」
「そうです」
質問する側も、逃げ道を失う。相手の答えを受け取らなければならない。
玲奈は、誰より強い質問者だ。それでも、勝敗のない一問を恐れている。
「相馬くん」
「はい」
「今、答えないでください」
開きかけた口を閉じる。
「答えようとしましたか」
「はい」
「何と」
「あなたが自由になっても、必要かどうかで関係を決めない、と」
「綺麗ですね」
「作った答えです」
「ええ」
玲奈がこちらを向く。
「だから、今は要りません」
ファイルを閉じる。返そうとすると、彼女は首を横へ振った。
「持っていてください」
「なぜ」
「私も、問うことを恐れると覚えておいてもらうためです」
僕はファイルを、最終質問用の白いカードとは別の封筒へ入れた。混ぜてはいけない。
勝つための質問と、答えを聞くのが怖い質問。どちらも一問だけだ。
* * *
夕方、宗一郎から玲奈へ私的面談の申請が届いた。最終局前、最後の家族面談。
場所は理事長公邸の小食堂。同席者は認めない。
ただし、玲奈が先日の条件交渉で加えた規定により、面談記録は独立審判室へ同時保存される。選手の希望があれば、記録係は隣室で音声を聞ける。
発言はできない。
「聞きますか」
玲奈が僕へ尋ねる。
「あなたが望むなら」
「あなたは、聞きたいですか」
また、自分の答えを求められた。
「聞きたいです」
「では、聞いてください」
決定は短かった。




