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第33話 予測されても選べる(後)

「質問登録を開始します」


 老教授の声。玲奈がカードを読取部へ置く。


 表示板へ質問文が出る。


『あなたは、命令どおりの答えを選び続けたいですか』


 意味確認。


『本質問における命令とは、研究責任者または運用者が、回答者本人の判断より前に指定する回答方針を指す』

『選び続けたいとは、本対局に限らず、今後もその方針を本人の回答として採用することを望むかを指す』

「桐生選手。解釈に異議は」

「ありません」


 質問が確定する。同時に、《ORACLE》が再計算した。


 予測回答。いいえ――八七・六%。


 変わらない。研究責任者の指示。


 はい。二つの答えが、同じ画面へ並ぶ。


 回答時計、三十秒。蓮は表示板を見上げた。


 初めて、八七・六%を正面から見る。自分が「いいえ」と答えることまで、父のシステムは予測している。


 ここで予測を外すだけなら、「はい」と答えればいい。命令どおり。


 研究所属も守れる。予測だけを外した人間になれる。


 でも、その「はい」は誰のための答えか。残り二十三秒。


 蓮の指が、青い缶へ触れる。観客席の誰かが息を呑む。


 残り十八秒。蓮は缶を持ち上げた。


 一口飲む。また少しむせる。


 講堂の緊張と合わない、小さな咳が響いた。蓮は口元を手で押さえた。


「やはり、甘すぎます」


 老教授が眉を寄せる。


「回答以外の発言は記録される。時間内に答えなさい」

「はい」


 蓮は返事をしてから、わずかに笑った。


「この『はい』は、命令されていません」


 残り九秒。研究所属権。


 専用端末。研究寮。


 十歳から与えられた居場所。全てが、答えの向こう側にある。


 残り五秒。


「いいえ」


 回答固定音。表示板の予測欄が白く点灯する。


 《ORACLE》 予測的中。


 ざわめきが広がった。


「当たった」

「やっぱり選ばされてる」

「反抗まで予定どおりだ」


 宣言時計が始まる。玲奈は蓮の顔を見ない。


 机の上の三つを見る。削除されずに残った命令文。


 本人署名の研究所属権放棄同意。半分残った、初めて選んだ飲み物。


「いいえ」は、宗一郎への反抗を見せる嘘かもしれない。


 研究所属権を失いたくない本音を隠し、僕たちに自由な人間だと認めさせるための答えかもしれない。別解は残る。


 玲奈の指が、宣言卓へ触れる。


「桐生さん」


 蓮が顔を上げる。


「あなたは、予測を外すために『いいえ』と答えたのではありません」


 宣言前の説明は、判定理由として記録される。


「外すだけなら、命令どおり『はい』と答えればよかった。あなたは、当たると分かっている答えを、失うものごと選びました」


 玲奈は宣言する。


「真実です」


 《ミラー》が照合を始める。一秒。


 二秒。三秒。


 青い文字が、八七・六%の下へ重なる。


 TRUE 予測は当たった。


 真偽判定も当たった。蓮が何と答えるかを、《ORACLE》は読んだ。


 その答えを、蓮がどんな代償で自分のものにしたかまでは、数字にできない。勝者表示。


 九条玲奈。同時に、設計ログの復号鍵が移転する。


 そして、蓮の机の端末が消えた。研究者用の黒い画面が、一般生徒用の白へ変わる。


 学生証の紫色の研究線も消える。


『研究所属権――失効』

『専用研究室アクセス――停止』

『研究寮居住期限――七十二時間』


 講堂が静かになった。勝利の拍手は起きない。


 蓮の右手が、机の下で震えている。隠そうとして、左手で押さえる。


 それでも震えは止まらない。玲奈は質問者席を離れない。


 慰めの言葉も、称賛も言わない。蓮が自分で呼吸を整えるまで待つ。


 やがて、彼は青い缶を持ち上げた。


「負けました」

「はい」

「予測も、当たりました」

「はい」

「研究室へは、もう戻れません」

「そうですね」


 玲奈の声も、少しだけ硬い。蓮は缶を飲み切った。


 甘さに顔をしかめる。それから、震えたまま笑った。


「好きではありません」

「決まったのですか」

「今日の時点では」

「明日は変わるかもしれない?」

「はい」


 今度の「はい」は、《ミラー》に問われていない。蓮は空になった缶を机へ置く。


「でも、嫌いだと知ったのは、僕です」


 赤い沈黙灯が消えた。僕は記録係席から立つ。


「怖くなかったんですか」


 聞いてから、答えの分かる質問だと思った。


「怖かったです」


 蓮は自分の端末が白くなった画面を見る。


「今も」

「それでも答えた」

「怖くなくなってから選ぶなら、九条理事長が安全な方を残すまで待つことになります」


 その言葉が、胸へ刺さる。僕は、資格を失った時、玲奈のQで戻れる可能性を期待した。


 自分で異議を申し立てるまで、一晩かかった。蓮は、予測も命令も知った上で、失う方を選んだ。


 尊敬する。悔しい。


 年下の彼に先へ行かれた気がした。


「相馬さん」

「はい」

「あなたの回答は、今、二つありました」

「何の話ですか」

「僕を尊敬している。僕に負けたくない」

「予測ですか」

「観察です」

「精度は」

「五九%」

「低いですね」

「相馬さんの気持ちは、質問がないと難しいです」


 玲奈がこちらを見る。


「質問があれば分かるような言い方ですね」

「九条先輩が聞けば、回答選択の確率は上がります」

「桐生くん」

「はい」

「研究所属を失った直後に、余計な分析をしないでください」

「すみません」


 蓮は素直に頭を下げた。観客席から、遅れて拍手が一つ鳴った。


 凛だった。神代が続く。


 次に、周囲の生徒。大きな歓声にはならない。


 怖さの残る拍手だった。


* * *


 設計ログの確認は、独立証拠保全室で行った。蓮の研究端末は失効したため、彼は一般閲覧者として同席する。


「自分が作ったモデルへ、もう管理者権限で入れません」


 白い端末を前に、蓮が言う。


「後悔していますか」


 凛が聞く。


「その質問は、回答が日ごとに変わると思います」

「今日は?」

「三七%くらい後悔しています」

「残りは?」

「まだ計算できません」


 神代が復号鍵を確認する。


「本物だ。外部監査署名も一致する」


 ログは九層に分かれていた。最下層、《ミラー》。回答時点の自己認識を判定する。


 その上、《ORACLE》。登録質問と利害から、回答選択を予測する。さらに上、運用層。


 誰へ。何を。


 いつ問うか。質問を作るのは、機械ではない。


 最上位権限者の名前。九条宗一郎。


「進路候補生成を開いてください」


 玲奈が言う。蓮が一般閲覧手順を案内する。


 対象R。九条玲奈。


 最終学年の進路候補。学園研究科。


 九条財団臨床部門。理事会後継課程。


 全て、宗一郎の管理領域内。


「削除履歴」


 玲奈が自分で開く。学外大学の一般選抜。


 海外研究機関への交換留学。寮外居住を伴う民間研究助手。


 競技から離れる一般課程。学力条件、全て適合。


 健康条件、基準内。費用条件、独立奨学枠で充足。


 削除理由。


『管理領域外への長期移動』

『対象Rの自主離反確率を上昇』

『喪失リスク許容値を超過』


 玲奈の独立する進路だけが、候補から消されている。承認者。


 九条宗一郎。個人注記が一行あった。


『幸福指標の上昇を確認。ただし、本人が管理者から離れる選択は不可逆。喪失リスクを優先する』


 凛が両腕を抱く。神代は画面から目を離さない。


 蓮が言う。


「これが、第三証拠です」


 一つ目。火災直後、宗一郎自身が口にした恐怖。


 二つ目。幸福最大化から、離反・喪失リスク最小化へ変えた目的関数。


 三つ目。幸福が上がると分かっていても、玲奈が離れる進路だけを削除した記録。


 父が娘を愛していなかった証拠ではない。愛情の中にある恐怖を、娘の選択肢へ変えた証拠だ。


 玲奈は、注記を原本のまま証拠保全庫へ移した。


「父は、私の答えを予測したのではありません」


 声は震えていない。


「私が選べる質問を、父のそばへ残るものだけにした」

「その後で、高い精度を出した」


 僕が続ける。蓮は設計ログの注意書きを表示した。


『本モデルは、質問入力者の権限の正当性を検証しない』

『質問の倫理的妥当性を評価しない』

『回答と本人の長期的幸福との一致を保証しない』


 《ORACLE》自身は、一度も人を理解したと主張していない。宗一郎が、その数字を理解と呼んだ。


 保全室のプリンターが作動した。最終局管理システムから、一枚のカードが排出される。


 記録係提出用。質問欄は、白い。


 右上に、登録期限。残り、二十四時間。


 カードを持ち上げる。薄い紙だった。


 それなのに、指へ重さがかかる。何を書けば勝てるか。


 何を書けば玲奈を守れるか。何を書けば、僕が必要な人間でいられるか。


 白さは自由には見えなかった。間違えた時に、誰のせいにもできない責任の色に見えた。


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