第30話 仕組まれた出会い(前)
選べるものが二つあり、一つしか選べないなら、選ばなかった方には必ず痛みが残る。自由は、痛みを消してくれる仕組みではない。
誰の痛みを引き受けるか、自分で決める仕組みだ。
* * *
翌朝九時。生徒会監査室の壁に、二十三枚の契約概要が並んだ。
どれも、表向きは支援契約だった。学費保証。
寮費免除。家族の医療費補助。
関連企業への雇用維持。その下に、付帯条項がある。
指定研究への協力。運営が求める情報の提供。
対局参加の義務。守秘を理由とした交友制限。
契約解除時の一括返済。支援と命令が、一枚の文書へ縫い合わされている。
白鳥家の契約も、その一つだった。凛は自分の家の画面だけを閉じた。
「私の分を見たら、玲奈ちゃんが気を使うから」
「閉じても、対象から外しません」
「うん。外してほしいわけじゃないよ」
凛は柔らかく笑う。
「でも、私の家だけで決めてほしくもない」
残る二十二件。父親の治療費を条件に、研究施設の夜間監視を続けている生徒。
弟の在学資格を条件に、対局相手の私的情報を集めている生徒。家業への融資を条件に、理事会の投票権を委任した生徒。
名前は伏せられている。事情だけが、十分に重い。
緊急救済交換を使えば、付帯条項を一括で切り離せる。玲奈の保有Qが、一年間の支援相当額を代替保証するからだ。
その間に独立基金へ移管する。誰も明日から学費を失わない。
その代わり、玲奈のQは全て消える。もう一つの画面には、僕の資格停止が表示されていた。
緊急審査保証を使えば、即時復帰。最終局の記録係登録にも間に合う。
「期限まで三時間です」
神代が壁時計を見る。
「相馬。事実確認だけする。自力の異議申立てが認められる確率は」
「過去五年で、仮停止が覆ったのは十一件中二件です」
「審査完了までの中央値」
「四日。最長九日」
「最終局まで」
「五日です」
間に合う可能性はある。間に合わない可能性の方が高い。
「二十三件を救済した場合、取り消しは」
「できません」
「相馬の資格へ使った場合も同じだ」
「はい」
神代は玲奈を見る。
「僕は助言しない。これは君が処分権を持つQだ」
凛も何も言わない。僕も言うべきではない。
二十三件を選ぶべきだ。そう答えれば、公平な人間に見える。
玲奈へ負担をかけない記録係にも見える。でも、僕は資格を失いたくなかった。
最終局で彼女の隣へ座りたい。勝てる質問を作れるのは自分だと思っている。
必要とされたい。その全部を隠して「二十三件を選んでください」と言えば、それも答えを誘導する嘘になる。
玲奈が僕へ向き直る。
「何か言いますか」
逃げ道をくれたのかもしれない。試しているだけかもしれない。
「事実なら言えます」
「では、事実だけ」
「二十三件を選べば、僕の即時復帰はなくなります。僕を選べば、二十三件の付帯条項は監査開始まで残ります。監査で違反が認定されても、個別移管には時間がかかる可能性があります」
「あなたは、どちらを望みますか」
事実ではない質問だった。胸の奥に、答えがある。
玲奈に選んでほしい。同時に、二十三人を見捨てたくない。
どちらか一つに整えることができない。
「両方です」
「規約上は不可能です」
「分かっています」
「なら」
「両方を望むことまで、規約に合わせる必要はありません」
玲奈の目が細くなる。怒ったのではない。
何かを確かめる時の目だった。
「選ぶのは私です」
「はい」
「選ばれなかった方を、あなたが恨む可能性は」
「あります」
神代が少しだけ眉を上げる。凛は目を伏せた。
玲奈は僕から壁面へ視線を戻す。
「正直ですね」
「怖いので、丁寧に嘘をつきそうになりました」
「それも正直に言うのですね」
「今は」
玲奈は二十三枚の契約概要を、一枚ずつ開いた。残り二時間四十七分。
最初の生徒。母親の雇用契約。
二人目。妹の医療保証。
三人目。寮費と研究協力。
玲奈は、一覧を流し見しなかった。どの契約の、どの条項を切るのか。
支援を残すために必要なQはいくらか。本人同意が取れているか。
二十三件全てを確認した。僕の資格画面は、一度も開かなかった。
それが痛かった。痛いと認めた瞬間、少しだけ呼吸が楽になった。
正午まで、残り三分。玲奈が交換先を選ぶ。
『強制付帯契約二十三件の救済買戻し』
確認画面。
『保有Qは全て消費されます』
『相馬零司の資格停止に対する緊急審査保証は利用できなくなります』
玲奈は僕を見なかった。確認欄へ署名する。
承認音。二十三枚の契約に、緑の線が走った。
『付帯条項――停止』
『生活支援――継続』
『独立基金移管手続――開始』
僕の画面は変わらない。
『資格停止――継続』
胸の奥にあった期待が、静かに潰れた。
「正しい選択です」
僕は言った。玲奈が指を止める。
「正しいから選んだのではありません」
寮生を救った初共闘の時と同じ言葉だった。
「二十三人が、今も命令を受けています。私はそれを先に止めると決めました」
「はい」
「あなたを不要だと決めたわけではありません」
その言葉を待っていた自分に気づく。恥ずかしい。
嬉しい。どちらも消せない。
「今のは、慰めですか」
「事実です」
「僕が欲しがっている事実を選びましたか」
「質問が多いです」
玲奈は端末を閉じた。
「自分で考えてください」
少しだけ口元が動いていた。




