第28話 外れではない(前)
九十九・九七%という数字は、玲奈の人生を理解した証明ではなかった。何を問うか。
誰と会わせるか。どこまで選択肢を減らすか。
それらを先に決めた人間が、残された答えを高い精度で当てているだけだ。そう言えば済む。
けれど、画面の一番下に僕の名前がある限り、その説明は僕たちを救わなかった。
* * *
食事は、ほとんど残った。宗一郎は僕たちへ二十四時間の閲覧権限を与えた。
「隠す理由はない」
彼は食器を下げさせながら言った。
「全てを確認すれば、環境を整えることが玲奈の利益だったと理解できる」
悪事が露見する人間の声ではない。正しさを証明できると信じている人間の声だった。
理事長公邸を出ると、夜の空気は湿っていた。旧研究棟へ戻るまで、玲奈は一度も僕を見なかった。
歩幅はいつもと同じ。背筋も崩れていない。
ただ、右手だけが空いていた。普段なら端末を持つ手だ。
今は何も持たず、指先を制服の脇へ強く押しつけている。研究棟の保全室には、凛と神代が残っていた。
「お帰り」
凛は僕たちの顔を見て、用意していた言葉を飲み込んだ。神代が椅子を二脚、無言で机の前へ出す。
玲奈は座らない。
「計画書を最初から見ます」
「休んだ方がいい」
神代が言う。
「必要ありません」
「必要かどうかを決める前に、君は今日一度もまともに食べていない」
「空腹ではありません」
「食べたいかは聞いていない。身体が持つかを言っている」
玲奈の眉が少しだけ動いた。宗一郎と同じ言い方に聞こえたのだろう。
神代も気づいた。
「……僕が決めることではない。休憩を提案する」
「却下します」
「そうか」
神代はそれ以上止めなかった。凛が机の端へ、小さな包みを置く。
「食べたくなった時だけね」
苺味の栄養バーだった。玲奈は礼を言わず、包みを自分の側へ引いた。
拒否もしなかった。僕たちは、宗一郎の計画書を開いた。
* * *
最初の項目は、僕の転入だった。相馬零司。
母、相馬美琴。《ミラー》共同開発者の遺族。
回答設計傾向、不安定。自己決定傾向、低。
鳳凰院学園の編入枠が一つ空いた日付。僕の保護者へ案内が届いた日付。
僕が受験を勧められた日付。全て、同じ計画番号で結ばれている。
「僕へ送られた編入案内も、偶然ではなかった」
「あなたが受ける確率は」
玲奈が尋ねる。僕は表示を拡大した。
七二・一%。質問候補。
『相馬美琴の研究に近づく機会があるなら、鳳凰院学園への転入を選ぶか』
実際に僕へ示された説明は、もっと曖昧だった。母の名は出ていない。
研究資料へ接触できる可能性だけが、進路相談員の言葉へ混ぜられていた。
「父は、あなたが来る可能性を作った」
「来ると決めたのは僕です」
口にした瞬間、第二区画の私的対局を思い出した。
――あなたは、自分でこの学園へ来ると決めましたか。
僕は「はい」と答え、玲奈に嘘を見抜かれた。今なら、もっと答えにくい。
「訂正します」
僕は言った。
「書類へ署名したのは僕です。でも、その選択肢がどう置かれたかを、僕は知りませんでした」
「では、自分で決めたとは言えない?」
「分かりません」
玲奈の指が止まる。その言葉を、僕が先に使ったからではない。
今の彼女にとって、簡単に通り過ぎられない言葉になっている。次の項目。
玲奈への資料提示。図書塔の研究者索引に、相馬美琴の関連資料が一時的に表示される。
閲覧権限を持つ生徒のうち、玲奈だけに推薦通知を送る。関連人物欄へ、相馬零司の編入予定を付記する。
「私は、自分で見つけたと思っていました」
「見つける場所へ置かれた」
「父は、私が興味を持つと知っていた」
予測回答。
『相馬美琴の息子を調査するか』
はい、九四・八%。玲奈が画面を送る。
公開選抜対局の日程。僕の転入初日。
玲奈の通常予定が一つだけ空けられている。対局申請枠には、僕の生体IDが事前登録されていた。
転入初日の対局で僕が見抜いた手掛かりだ。あの時は、玲奈が僕を選んだ証拠だと思った。
実際には、玲奈が選ぶ前から、宗一郎もその席を用意していた。
「父が作った対局で、私はあなたを試した」
「質問を決めたのはあなたです」
また、早すぎた。玲奈が欲しがりそうな安心を、僕は反射で差し出している。
「すみません」
「何についてですか」
「今の答えを、あなたのために作りました」
玲奈は僕を責めなかった。画面を次へ送った。
その方が痛かった。接触後反応予測。
初回対局で玲奈が勝った場合。零司への関心、三九・二%。
記録係候補としての継続接触、五一・七%。玲奈が敗れた場合。
零司への関心、九六・一%。再対局要求、八八・四%。
専属記録係への勧誘、九三・二%。さらに下。
接触後三十日以内。信頼形成、七四・六%。
依存傾向、五八・〇%。父親の意思決定に対する疑義、六三・九%。
対象SR―17への情緒的選好、四七・三%。凛が息を止めた。
神代は数字ではなく、玲奈の手を見る。玲奈は端末へ触れたまま動かない。
「情緒的選好とは」
声は平らだった。僕は定義欄を開く。
『合理的利益のみでは説明できない接触希望、優先順位上昇、喪失回避行動』
「恋愛感情と同義ではありません」
僕は言った。
「分かっています」
玲奈はすぐ返した。
「今、私が聞きたかったのは用語の定義ではありません」
画面の数字が、彼女の頬を白く照らす。
「父は、私があなたへ合理的でない感情を持つ可能性まで計算していた」
「可能性です」
「四七・三%」
「外れる可能性の方が少し高い」
「慰めになっていません」
「慰めるつもりで言いました」
「なお悪いです」
凛が机の下で神代の袖を引いた。神代は何も言わない。
玲奈は画面を閉じた。閉じたのに、数字だけが瞼の裏へ残っているようだった。
「外へ出ます」
「雨です」
凛が窓を見る。
「知っています」
玲奈は傘を持たずに保全室を出た。神代が僕へ視線を向ける。
「追うかどうかも、自分で決めろ」
追う理由は、いくつも作れる。証拠閲覧権限の管理。
最終局選手の体調保全。夜間の単独行動防止。
全部捨てた。
「僕が行きます」
自分を主語にすると、言葉が少し重くなった。




