第27話 父の正解(後)
食事はほとんど減っていなかった。玲奈が最終局の申請書を開く。
「条件を提示します」
一つ目。玲奈が勝利した場合、王冠戦の監査請求は、理事会を経由せず学外の独立監査機関へ自動送付される。
二つ目。監査対象の原記録、時刻ログ、契約履歴を削除、移動、再分類しない。
三つ目。対局申請、証拠提供、証言を理由として、生徒、家族、教職員へ不利益を与えない。
四つ目。審判、証拠管理者、質問文の意味登録担当を、理事長直属ではない者から選ぶ。
五つ目。僕の記録係資格停止について、最終局の登録期限前に独立審査を終える。結論が出ない場合、停止前の資格を暫定的に維持する。
六つ目。質問登録前の証拠閲覧権を、質問者と回答者へ同条件で与える。ただし被害者の私的記録は、本人同意なしに公開しない。
「証拠を持つ側が、自分から制限するのか」
宗一郎が問う。
「被害者の秘密で父に勝っても、私の勝利ではありません」
玲奈は僕を見なかった。以前、僕が公開しなかった閲覧履歴。
今回、僕たちが公開しなかった音声端末。彼女は、その選択を条件へ変えた。
「自分の勝利条件ではなく、記録係の復帰を先に入れるのか」
宗一郎が問う。
「対局の公正条件です」
「相馬くんがいなければ勝てない、とも読める」
「いても、質問を採用するとは限りません」
玲奈は淡々と返した。僕の質問を必要とすると言わない。
僕を外されることも認めない。
「三つ目は範囲が広い」
「対局との因果関係を、独立監査人が認めた不利益に限定します」
「監査開始前の運用停止は認めない」
「求めていません。私が得るのは監査請求権です」
勝った瞬間に制度が消えるわけではない。監査が始まり、重大な違反が予備認定された時に初めて、強制契約が暫定停止される。
「宗一郎側の賭け金は」
僕が聞く。
「玲奈の後継者契約だ」
宗一郎が答える。
「私が勝てば、玲奈は卒業後、《ORACLE》の研究責任者となる。監査請求権は失う」
「娘の未来を、賭け金にする」
「本人が処分できる進路契約だ」
「選ばない場合は?」
「現行運用が続く」
選ばない自由はある。ただし、選ばなければ何も止まらない。
宗一郎は二つの選択肢を残す。一方へ、大きな損失を置く。
僕が対局でしてきたことと同じだった。
「延期してください」
僕は言った。
「最低でも七日。資格審査と証拠確認が先です」
「開催日は六日後だ」
「だからです」
「相馬くん」
玲奈が僕の名を呼ぶ。
「今ある証拠では、勝てる質問を作れません」
「勝率は」
「出しません」
数字を置けば、玲奈はそれを正解に使う。低ければ諦める理由にする。
高ければ自分を賭ける理由にする。
「見つからない可能性もあります」
「あります」
「負ければ、後継者契約が残る」
「はい」
「怖くないんですか」
質問になった。玲奈は申請画面を見たまま答える。
「怖いです」
「なら――」
「怖くない選択だけを残された人生でした」
彼女の指が、受諾欄の上で止まる。
「待つ間も、契約は続きます。誰かが答えを強制されます。私も、父の実験の中にいる」
「それでも」
「あなたが止めたい理由は、私が負けるからですか。それとも、あなたがまだ質問を作れないからですか」
答えが出ない。両方だった。
他にもある。僕が隣に立てないまま、彼女が父へ向かうことが怖い。
「分かりません」
僕は言った。玲奈は一度だけ頷く。
「では、私が決めます」
条件修正へ、宗一郎と玲奈の署名が入る。玲奈が受諾欄へ触れた。
「間違うなら、その間違いも私が選びます」
承認音。
『王冠戦最終局――成立』
開催日は六日後。場所は中央講堂。
全校公開。質問者、九条玲奈。
回答者、九条宗一郎。記録係欄は、資格審査中のまま保留表示になった。
* * *
「条件が成立した以上、研究情報の一部を開示する」
宗一郎が壁面モニターを起動した。黒い画面に、一つの数字が出る。
九条玲奈・回答予測精度。九九・九七%。
対局だけではない。学習選択。
生活選択。対人選択。
進路選択。危機時選択。
登録された問い、三万二千八百四十件。予測不一致、九件。
「母集団を見せてください」
九九・九七%より先に、何を数えたかを見る。宗一郎が僕を見る。
「美琴と同じ質問をする」
「母なら、もっと早く聞きました」
「そうだな」
詳細が開く。履修科目。
課外活動。会食への出席。
対局申請の受諾。記録係候補。
指定進路。どれも、先に候補が二つまで絞られている。
「質問を選んだのは誰ですか」
「研究設計者だ」
「対戦相手は」
「勝率曲線が安定するよう配置した」
「進路候補は」
「適性と安全性から除外した」
「友人は」
一拍。
「接触頻度を調整した」
予測精度を上げただけではない。答えやすい質問を置き、会う人を選び、失敗できる場所まで決めた。
「入力を狭めてから、人を理解したと呼んだ」
「無制限の選択肢は自由ではなく負荷だ」
「だから、あなたが減らした」
「玲奈が最善へ到達できるように」
「最善を決めたのも、あなたです」
宗一郎は返事の代わりに、玲奈の選択履歴を表示した。四歳。
六歳。九歳。
十二歳。十五歳。
ピアノとヴァイオリン。国内研修と海外研修。
生徒会と研究補助。勝つ対局と、負ける対局。
右端に予測回答。その隣に実際の回答。
ほとんどが一致している。一覧の一番下。
未完了の項目が一つあった。
『予測外入力候補との接触試験』
対象者番号、SR―17。実名欄。
相馬零司。接触予定日は、僕の転入日。
資料提示先は、九条玲奈。想定手順。
『公開対局で適性を確認後、専属記録係候補として接触する』
《ORACLE》の出力ではない。予測へ入力する前に、宗一郎が書いた計画だった。
登録日は、僕が鳳凰院学園へ来る三か月前。玲奈が僕を指名するより前。
僕が玲奈を知るより前。僕たちの出会いは、彼女が僕を選ぶ前から、父親の表に書かれていた。
玲奈は表示を閉じなかった。いつもなら、意味を一つずつ確かめる。
質問し、条件を限定し、答えを要求する。今は、パンの端へ置いた指だけが動かなかった。
宗一郎は娘の沈黙を、予測済みの反応として記録するように見ている。僕は何も言えない。
慰めれば、その出会いは本物だったと僕が決める。否定すれば、父の計画どおりだったと僕が決める。
画面には、まだ九九・九七%が残っていた。その数字の下で、僕たちは自分たちの最初の日を見失いかけていた。




