第24話 裏切りではない(後)
第一講堂。王冠戦最終選抜を兼ねた再戦。
玲奈が勝てば選抜首位が確定し、白鳥家の奨学契約は独立基金へ移る。神代が勝てば、現行の生徒会保証が卒業まで続く。
どちらでも支援は途切れない。違うのは、凛が神代の庇護から離れるかどうかだった。
神代の記録係席は空いている。凛は観客席にいた。
公式端末も銀色の監視端末も持っていない。膝の上に、甘すぎる苺ミルクだけがある。
「質問登録を行ってください」
沈黙ランプが点く。玲奈が僕のカードを一度読む。
続けて、自分で追加した署名記録を確認する。読取部へ置いた。
「神代先輩」
「聞こう」
「公式報告を作成した時点で、あなたは、凛さんが自分の意思だけであなたを裏切ったと信じていましたか」
意味登録が表示される。
『自分の意思だけ、とは、家族契約、研究室の命令、経済的不利益その他の外部強制を主要因として認識していないことを指す。裏切った、とは、回答者自身との信頼関係を意図的に破壊したと認識していることを指す』
「解釈に同意しますか」
「同意する」
三十秒。神代は質問文を見る。
次に賭け金表示を見る。基金移管。
現行保証。最後まで凛を見ない。
本当に傷ついているから、見られない可能性もある。凛を裏切り者だと思う。
それでも守る。その二つは両立する。
僕は前回、その両立を読めなかった。署名を遅らせた事実も、守る意思しか示さない。
裏切られたと思っていない証明にはならない。決定的な証拠はない。
質問設計は、数学の証明ではない。相手が何を守り、どちらの損失を引き受けるかを読む。
真実の「いいえ」を選べば、公式報告の根拠が崩れる。嘘の「はい」を選べば、少なくとも回答直後まで支援は続く。
神代は、凛の選択を止めない。同時に、彼女が選べる場所を残そうとする。
「はい」
回答 ―― はい 玲奈の宣言時間。
僕のカードには『嘘』とある。彼女は見なかった。
もし「真実」と宣言しても、それは僕への不信任ではない。契約へそう書いた。
書いたのに、心臓は速い。玲奈は神代を見る。
次に凛を見る。凛は何も合図しない。
「神代先輩」
玲奈が言う。
「あなたは、他の十一件へ署名した日に、白鳥さんの契約だけを保留しました。その間に独立基金への申請を出し、彼女が情報を渡した後も取り下げなかった」
神代の表情は変わらない。
「外部強制を知らず、彼女だけの意思による裏切りだと信じていた人の手続ではありません」
僕がカードへ書かなかった順番だった。玲奈自身の読み。
「あなたの答えは、嘘です」
《ミラー》が照合する。一秒。
二秒。三秒。
赤い四文字。
LIE 表示板の契約欄が切り替わった。
『白鳥家特別奨学契約――独立奨学基金へ移管』
『神代によるQ保証――終了』
『本人以外による継続・解除権限――なし』
凛が立ち上がる。手の中の缶が少しへこんだ。
「勝者、九条玲奈」
続けて、王冠戦表示。
『最終選抜首位――九条玲奈』
『現理事長への最終局挑戦権――確定』
歓声が起きる。僕は勝利表示より先に玲奈を見た。
質問を作ったのは僕だ。最後に神代の答えを選んだのは玲奈だった。
自分の功績が減ったとは思わない。僕の質問が、彼女の宣言を支配しなかった。
それでいいと思えた。玲奈が回答者席を離れる前に、契約端末が一度だけ震えた。
『前提修正記録』
玲奈は、僕が置いた神代像をそのまま採用しなかった。僕の前提。
神代は、凛を裏切り者だと思っていない。玲奈の修正。
神代が凛をどう感じているかは断定しない。ただし、外部強制を知っていたため「自分の意思だけ」とは信じていない。似ている。
でも、同じではない。僕は感情まで読もうとした。
玲奈は判定に必要な範囲だけを残した。
「修正に異議はありますか」
対局終了後、玲奈が小声で聞く。
「ありません」
「自分の読みを削られたのに?」
「少し腹は立っています」
「契約違反ですか」
「利害の開示です」
玲奈の口元が緩む。
「受理します」
疑っても、契約は壊れなかった。
* * *
対局後、凛が回答者席へ下りた。
「司くん」
「基金移管は完了した」
「見れば分かるよ」
「君の弟の次年度分まで確保されている。家族債務の猶予条件も変わらない」
「そういうところ」
「何がだ」
「今、私が聞きたいことを先に決めるところ」
神代が黙る。
「私、裏切ったよ」
「規約上はそうだ」
「また規約」
「僕がどう思っているかは、今の判定で出た」
「自分では言わないんだ」
「言う必要があるか」
「ある」
即答だった。神代は初めて凛を正面から見る。
「裏切られたとは思っていない」
「うん」
「勝手に基金へ申請した」
「それは怒ってる」
「分かっている」
「分かっていたら、先に聞いて」
「聞けば、君は僕に合わせた」
「今なら、合わせないかもしれない」
神代は答えない。
「私、生徒会書記は続ける。これは私が決めた」
「分かった」
「記録係へ戻るかは、まだ決めない」
「分かった」
「引き止めないの?」
「前の対局で答えた」
凛が笑った。
「本当に、面倒な人」
「君に言われたくない」
その二人の背後で、移管表示が白く残っている。本人以外による継続・解除権限――なし。
僕は母の研究を、そのまま完成させたいとは思わなかった。答えることを強制し、真偽を判定するだけの仕組みでは足りない。
質問そのものを拒否できること。答えを保留できること。
誰かの正しさで、その権利を奪われないこと。そんな制度を、自分の方法で作りたい。
まだ目標と呼べるほど明確ではない。それでも、母が残した答えを継ぐのではなく、僕が選びたいと思った。
神代が僕たちへ近づく。
「勝者へ、一つ忠告する」
「負け惜しみですか」
玲奈が聞く。
「そう思って捨ててもいい」
神代は凛が渡した監視記録の媒体を見る。
「理事長は、君たちが負ける未来だけでなく、勝つ未来まで実験に使う」
「《ORACLE》の予測ですか」
「それだけではない」
彼は講堂の時計を見上げた。学園標準時より、一分遅れている。
「勝利も、敗北も、反抗も、全て学習データになる」
「では、何をしても無駄だと?」
「逆だ」
神代は言う。
「理事長は、君たちが勝つ未来まで、自分の正しさの証明に使う」




