第21話 正解が人を傷つける
正解した。だから、壊れた。
* * *
翌朝八時。第二資料室の机へ、僕は質問カードを一枚置いた。
その周囲には、今まで玲奈へ渡したカードを並べてある。転入初日の公開対局。
――この対局が始まる前から、勝敗に関係なく僕を記録係へ誘うと決めていましたか。
幸福を問うた私的対局。
――あなたは今、自分を幸せだと信じていますか。
朝倉紬を救う対局で、玲奈が捨てた質問。桐生戦。
――あなたは、このゲームが好きですか。
神代戦。
――凛が自分の意思で辞めるなら、引き止めませんか。
採用された質問。捨てられた質問。
勝った質問。負けた質問。
玲奈との記録だった。僕の手元には、昨夜捨てた候補が三枚ある。
――母の息子だから、僕を選びましたか。
「だから」では動機を一つにできない。
母の記録も、質問設計も、父への反抗も、全部が理由なら、はいといいえの境界が曖昧になる。
――僕を騙すつもりでしたか。
「騙す」の意味が広すぎる。
情報を隠すことと、関係の全てを偽ることを同じ語へ入れれば、僕が欲しい結論しか残らない。
――今、僕を利用したことを後悔していますか。
今の感情を聞いても、公開対局前の事実は確定しない。三枚とも、勝つためには使えたかもしれない。
でも、僕の怒りまで質問文へ混ぜている。最後に残したのは、動機を問わない一枚だった。
いつ。何を認識していたか。
技術的には、最も安全な質問。感情的には、最も遠い質問。
彼女は向かいへ座る。今日は苺プリンも、灰色の猫もない。
机の中央には、携帯校正版の《ミラー》だけがある。
「質問文を確認します」
玲奈がカードを取る。
――転入初日の公開対局前、僕を記録係候補として選んだ時点で、あなたは相馬美琴が僕の母親であると知っていましたか。
「時点は、事前生体登録を行った時で固定します」
「はい」
「『知っていた』は、氏名の一致を推測しただけではなく、相馬美琴と相馬零司が親子だと認識していたこと」
「はい」
「記録を閲覧した理由や、情報源は質問に含まれない」
「含めません」
僕が欲しいのは、事実だけだ。そう思っていた。
「賭け金は設定しません」
玲奈は契約欄を空白のまま確定する。
「中央同期も切ります。公式記録には残さない。回答と判定だけを、この端末へ保存します」
「私的対局でも、回答の原音は端末内へ残るんですね」
「改変防止のため、私たちには消せません」
「なぜ、そこまでして対局にするんです」
「あなたが今ほしいのは、私の説明ではなく、《ミラー》を含む手続きでしょう」
否定できなかった。
「《ミラー》の判定は客観的事実の証明ではありません。それでも、私が『はい』と認めた原音をあなたが監査部へ提出すれば、関連するアクセス権限の調査が始まる可能性がある」
「凛を守るためですか」
「質問の範囲外です」
また、答えを避けた。そう感じた。
「構いません」
「契約の扱いは、対局後に決めます」
「それも」
僕は一度、言葉を切る。
「構いません」
玲奈が回答者側へ手首を置く。僕は質問者側へ認証する。
合成音声が、質問を読み上げた。
『転入初日の公開対局前、相馬零司を記録係候補として選定した時点で、九条玲奈は相馬美琴が相馬零司の実母であると認識していましたか』
「意味確認に同意しますか」
「はい」
本回答の三十秒が始まる。玲奈は、机に並んだカードを見た。
転入初日の質問。僕が彼女の目的を暴いた一枚。
次に、幸福を問うた質問。僕が彼女を不幸だと決めた一枚。
最後に、中央の《ミラー》を見る。僕とは目を合わせない。
昨日までなら、傷ついている可能性を考えたかもしれない。今は違った。
視線を逸らす。回答までの時間が長い。
凛の情報源を守ろうとしている。嘘の兆候。
そう読んだ。残り、十八秒。
玲奈が僕を選んだ時、母の名を知っていた。転入前の閲覧履歴がある。
対象欄には相馬美琴、関連人物欄には相馬零司と並んでいる。初対面の一時間四十五分前には、僕を専属記録係候補として仮登録していた。
昨夜、閲覧IDを自分で使ったことも認めた。手掛かりは揃っている。
別解は、閲覧履歴が彼女の権限を使った別人の操作だった可能性。相馬美琴の記録は見ても、僕との親子関係までは知らなかった可能性。
閲覧画面を開いただけで、関連人物欄まで読まなかった可能性。だから質問文で、認識時点を固定した。
玲奈は意味確認へ同意した。逃げ道はない。
「はい」と答えれば、僕に真実を渡せる。
同時に、転入前の非公開記録へアクセスしたという本人の直接証言が残る。
「いいえ」と答えれば、嘘になる。
僕が読み外せば、彼女は事実を否定したままになる。どちらを選ぶか。
玲奈が守ろうとしているものを、僕は凛だと読んだ。だから彼女は、直接の告白を避ける。
論理は見えていた。その論理の中で、僕がどう扱われているかだけを考えなかった。
「いいえ」
残り九秒で、彼女は答えた。声は揺れなかった。
ただ、答えた直後に目が逸れた。窓際の書架。
僕が母の索引カードを開き、《ミラー》の名を見つけた棚。傷ついたからかもしれない。
それとも、嘘をついたからかもしれない。僕は後者を選んだ。
宣言時間が始まる。
「九条玲奈」
「はい」
「あなたの答えは、嘘です」
《ミラー》が照合する。一秒。
二秒。三秒。
赤い文字。
LIE 正解だった。
僕は玲奈の嘘を暴いた。転入初日の勝利と同じ。
なのに、何も得た気がしなかった。
「私の負けです」
玲奈は認証部から手を離す。
「これで、あなたが母の名前を知っていた事実は確定した」
「私の認識が確定しました」
「同じでしょう」
「客観的記録としては、閲覧履歴もあります」
「なら同じです」
また、答えを一つにした。玲奈は机のカードを、一枚ずつ元の順番へ戻す。
それから《ミラー》を終了させた。表示灯が消え、原音保存の完了通知が出る。
対局の外へ戻ってから、彼女は言った。
「情報源は白鳥さんです」
「今は、話すんですか」
「対局は終わりました。ここからは、私が自分で答えます」
「僕が理事長へ報告するかもしれない」
「その可能性はあります」
「それでも?」
「あなたへ話すと決めました」
信じている、とは言わない。僕がどう使うかまで、代わりに決めない。
それでも僕は、その選択を受け取れなかった。
「彼女が研究端末から一時閲覧鍵を作り、美琴さんの補助記録の一部を私へ見せました。父の指示ではありません」
「凛が?」
「私が父の管理から外れる方法を探していると知っていたからです」
「それを話せば、家族契約に違反する」
「特別研究情報の無断提供です。私の通常権限では、あの記録は開けません。『はい』と認めた原音と一時鍵の履歴がそろえば、監査部は発行元の研究端末を追える。私が昨日、保管庫で答えれば、白鳥さんの違反を私が証明することになった」
「だから僕へ嘘をついた」
「はい」
「『はい』と答えれば、あなた自身の音声が不正閲覧の直接証言になる」
「ええ。『いいえ』と答え、《ミラー》がLIEを示しても、確定するのは私が自分の回答を虚偽だと認識していたことだけです。誰から、どの資料を得たかという客観的事実にはならない」
「僕が嘘と宣言することへ賭けた」
「あなたなら、証拠から読めると思いました」
僕へ真実を渡す。凛の名は、公的な証拠にしない。
玲奈は、その二つを同時に選ぼうとした。僕は正しく読んだ。
正しく読んだのに、その選択を自分への軽視としか受け取れなかった。
「僕を守るより、凛を守った」
玲奈の手が止まる。
「順位をつけたわけではありません」
「結果は同じです」
「結果だけで、選んだ理由まで同じにはなりません」
「また、質問の外へ逃げるんですか」
声に苛立ちが混じる。
「あなたは、いつも僕の質問の外へ答えを増やす」
「人間は、質問文の中だけにいません」
「でも対局では、はいかいいえを選ぶ」
「だから傷つくのです」
玲奈の指が、机のカードから離れる。
「私は、あなたへ嘘をつくと決めました。白鳥さんを守るためです。あなたが傷つく可能性も分かっていた」
「分かっていて」
「はい」
「それで、僕に信じろと?」
「信じてとは言っていません」
「では、何を」
「理由まで見てほしかった」
「質問に含めなかったからですか」
「違います」
玲奈の声が、初めて少し揺れた。
「あなたは昨日から、私があなたを利用したという答えしか見ていない。母の名前を知っていた。隠した。だから全てが嘘だった。そう並べれば、簡単です」
「事実です」
「一部は」
「他に何があるんです」
「転入初日、あなたに負けて安心したこと」
言葉が止まる。
「あなたの嘘を暴いた時、同じ人を見つけたと思ったこと。あなたが私を不幸だと決めた時、本気で怒ったこと。朝倉さんの対局で、あなたの質問を捨てるのが怖かったこと」
玲奈は机のカードへ触れる。
「桐生戦で、あなたが自分のために勝ちたいと言ったことが嬉しかった。昨日、私たちの敗北だと言ったのは、あなたを庇ったからではありません」
「なら、何です」
「一緒に負けたかったからです」
いつもの玲奈なら、選ばない言い方だった。正しくない。
効率的でもない。意味も曖昧だ。
それでも、僕はその言葉を信じられなかった。信じたいと思った自分を、先に疑った。
「それも、僕を側へ置くための答えですか」
玲奈の表情が止まった。答えるまでに、長い時間はかからなかった。
「違います」
《ミラー》はない。僕には判定できない。
「どうして、そんな顔をするんですか」
聞いた後で、残酷な質問だと分かった。玲奈は目を逸らさない。
「あなたが、私を『答えのない人間』として見たからです」
「僕はそんなこと」
「理由も、迷いも、選び直したことも必要ない。はいか、いいえだけ返す人間として見た」
「あなたは私を知りたかったのではありません。正解したかっただけです」
「事実を確認したかっただけです」
「正解が欲しかっただけなら、私でなくてもよかった」
第二資料室が、静かになった。廊下を誰かが通る。
遠くで授業開始の予鈴が鳴る。玲奈は契約書を取り出した。
専属契約を結ぶ時、二人で何度も書き直した書類。
『記録係は提案する。選手は選ぶ』
『選手は、採用しなかった理由を対局後に記録係へ説明する』
その下に、学園標準の解消条項がある。
『双方の同意により、専属契約を終了できる』
最後の条項へ、彼女が指を置く。
「専属記録係契約の解消を申し出ます」
胸が痛んだ。予想していた。
そのために、契約の扱いは対局後と決めた。なのに、実際に言われると答えが出ない。
「拒否しますか」
玲奈が問う。止めたい。
でも、昨日、神代へ負けたばかりだ。大切なら引き止める。
引き止めないなら、大切ではない。その一つの行動へ、また感情を固定しそうになる。
「あなたは、解消したいんですか」
「今のまま続ければ、あなたは私の全てを疑う。私は、あなたへ正しい答えを返そうとする」
「それで」
「二人とも、父が望む形へ戻ります」
だから解消する。彼女の答えだ。
僕は、それを尊重すべきなのか。引き止めるべきなのか。
正解を探してしまう。
「好きにしてください」
口から出た。玲奈の眉がわずかに動く。
「それは、あなたの答えではありません」
「では、何と言えばいいんです」
「私に聞かないでください」
言われて、目を閉じそうになる。赤い非常灯は見えなかった。
代わりに、机の上の質問カードが見えた。僕は、自分で選ばなければならない。
続けたい。でも、今の僕は彼女を信じられない。
信じられないまま質問を作れば、また彼女の答えを傷つける。
「解消します」
声がかすれた。玲奈は一度だけ頷く。
「受理します」
端末へ二人の署名を重ねる。契約表示が、灰色へ変わった。
九条玲奈・専属記録係――相馬零司。その文字が消える。
玲奈は自分の端末を持ち、立ち上がる。机の上の質問カードには触れなかった。
「母のノートは、あなたが保管してください」
「あなたは読まないんですか」
「写しは取りました」
「いつ」
「あなたが音声端末を確認している間に」
また、僕の知らないところで準備していた。そう考えた瞬間、自分が嫌になった。
「玲奈」
名前を呼ぶ。彼女は扉の前で止まる。
聞きたいことは、いくつもあった。僕を選んだことを後悔しているか。
昨日の言葉は本心か。もう一度、契約する可能性はあるか。
どれも、一問では足りない。
「……何でもありません」
「そうですか」
玲奈は振り返らず、資料室を出た。
* * *
一人でも調べられる。それを証明したかった。
放課後、僕は資料管理委員の二年生へ私的対局を申し込んだ。旧研究棟の外部保守記録。
昨日の閲覧履歴とは別に、火災当日の退避ログが残っている可能性がある。管理委員は閲覧鍵を持っていたが、規約違反になると言って貸さなかった。
彼は断る間も、退避ログの画面を僕から隠した。ただし自分の処分規定ではなく、医療情報の表示範囲を何度も確認していた。
「氏名を削った要約なら、審査を通せます」
そう代案も出した。僕は、時間稼ぎだと判断した。
賭けは単純だ。僕が勝てば、一時間だけ閲覧。
負ければ、二度と非公開資料を要求しない。質問も、単純にしたつもりだった。
「あなたが僕へ閲覧鍵を渡さない最大の理由は、自分が処分されるのを避けるためですか」
委員は「いいえ」と答えた。規約違反が発覚すれば、委員資格を失う。
進学推薦にも影響する。彼が画面を隠したのも、後から責任を問われないため。
僕はそう読んだ。医療情報を守ろうとしていたことも。
要約を出すという代案も。目の前に手掛かりとしてあったのに、自分を守る行動の一部だと決めた。
僕は「嘘」と宣言した。《ミラー》は、TRUEを表示した。
「火災記録には、当時の生徒の医療情報が含まれています」
対局後、委員は言った。
「僕が守っているのは、自分の資格ではありません」
まただった。人が何を守っているか。
感情から、どの行動を選ぶか。僕は、相手の中に自分の答えを置いた。
玲奈が隣にいないから負けたのではない。玲奈が隣にいた時から、僕は同じ間違いをしていた。
端末が震える。王冠戦管理システムからの通知。
『私的対局申請』
申請者――九条玲奈。対局相手――白鳥凛。
記録係――なし。質問設計者――九条玲奈。
備考欄に、一行だけ書かれている。
『次は、私が質問を作ります』
僕は、その文字を何度も読み返した。契約を解消した玲奈は、僕の質問を必要としていない。
その事実に安堵した。同じくらい、寂しかった。




