↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
2/43

第2話 自分で決めましたか(前)

勝率九十九%の女王を倒した翌朝、僕はその女王から雇用契約書を突きつけられていた。


「断ります」

「まだ一頁目ですよ」

「表紙に『専属記録係契約』と書いてあります。目的は十分です」

「契約は、目的ではなく条件を読むものです」


 玲奈は僕の前へ端末を滑らせた。場所は競技管理棟の小会議室。


 白い壁。白い机。窓の外には手入れされすぎた中庭。向かいの玲奈だけが、黒い髪と制服で切り抜かれたように見える。昨日拾った灰色の猫は、どこにもない。


 鞄の口が、妙にきっちり閉じられているだけだ。


「僕は記録係になりたくありません」

「理由を聞いても?」

「質問で人を追い込む仕事だからです」


 人が欲しがる答えを読むのは、難しくない。教師は反省を望む。親は安心を望む。友人は同意を望む。


 相手が欲しい形へ言葉を整えれば、たいていの会話は壊れずに終わる。逆もできる。


 相手が守りたいものを先に見つけ、そのために選びたくなる答えを作る。昨日の玲奈にしたことだ。


 勝負なら技術と呼ばれる。日常でやれば、ただの誘導だ。


「僕は、相手が自分で答えたように見える質問を作れます。だから、仕事にしたくない」


 玲奈の指が契約書の端をなぞる。


「できるから、しない?」

「おかしいですか」

「いいえ。できない人より信用できます」

「褒めても変わりません」

「褒めたつもりはありません。危険性を理解していると評価しただけです」

「昨日、私を追い込んで勝った人の発言とは思えませんね」

「一度やったことと、続けたいことは別です」


 自分で言ってから、その言葉が胸のどこかへ引っかかった。続けたいか。


 僕は昨日の対局を、嫌だったとは思っていない。黒い卓。三枚のカード。予定されていない三枚目を選んだ瞬間。


 あの小さな高揚を、否定する言葉も見つからない。


「相馬くん」


 玲奈が端末の一箇所を指で叩く。


「記録係は質問を命令する役職ではありません」


 契約書の横に、競技規則が展開された。


 RULE 6 記録係。


 公式戦では、選手一名につき記録係一名を任命できる。記録係は対局前に、過去記録、利害、候補質問、宣言方針を記したカードを一枚提出できる。


 対局開始後の発言は禁止。違反すれば即時失格。


「選手が、そのカードどおりに質問する義務は?」

「ありません」


 答えたのは玲奈ではない。部屋の隅で湯飲みを持っていた老教授だった。昨日の審判役だ。名前を嶋崎というらしい。


「選手は読む、捨てる、別の質問を作る。どれでもよい。記録係はあくまで提案者じゃ」

「質問を書かないカードにも、意味があるんですか」


 僕は規則の末尾にある一行を見つけた。


 RULE 6-c 空欄カード。


 嶋崎教授が、湯飲みを机へ置く。


「『提案なし』という意思表示になる。ただし、選手が登録時間内に自分の質問を作れなければ、その時点で不成立敗じゃ。空欄は安全策ではない。勝敗を選手へ返す、いちばん危ないカードだよ」


 玲奈は説明を遮らない。それどころか、僕が規則を読む間、手元の契約書から指を離している。


 選べ、と言っているらしい。その態度まで計算かもしれない。


「それでも断ります」

「では、一問だけ」

「勧誘に《クエスチョン》を使うんですか」

「昨日、あなたが勝った方法です」

「昨日は、あなたが先に対局へ呼びました」

「今日は私が質問者です。公平でしょう」

「公平の定義が雑です」


 玲奈は、そこで初めて口元をわずかに緩めた。


「私的対局なら、記録係資格の有無にかかわらず双方を選手として扱えます。嶋崎教授に立会人をお願いしました」


 僕は教授を見る。教授は湯飲みを持ち上げて顔を隠した。


 断るべきだ。玲奈は僕のデータを事前に調べている。昨日の対局で、それは分かった。


 一方、僕は彼女のことをほとんど知らない。質問者と回答者の有利不利以前に、盤面が違う。


「賭け金は?」


 それでも、口から出たのは拒絶ではなかった。


「私が勝てば、契約書を最後まで読む。あなたが勝てば、収集したあなたの個人資料を削除し、二度と勧誘しません」

「その資料には、何が入っていますか」

「入学願書、面接記録、旧校の成績、選択科目、寮申請、購買履歴」

「最後は昨日からでしょう」

「水だけを買い、味を選ばなかった記録です」

「水は飲み物です」

「無味を選んだのではなく、選ばずに済むものを買った」

「推測です」

「だから、質問します」

「読むだけですか」

「署名まで賭ければ、あなたは『強制されたから』と逃げるでしょう」


 胸の内側を、細い針で突かれた気がした。


「逃げるつもりはありません」

「では、受けられますね」


 まただ。相手が欲しがる答えの形を先に作り、その中へ僕を立たせる。


 この少女は、僕と同じことをする。


「受けます」


 今度は、自分で選んだつもりだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。