第18話 第零問
予測されたのは、僕の人生ではない。目の前に置かれた問いへの、たった一つの反応だった。
それでも、十分に怖かった。
* * *
大型モニターの右上に、小さく表示されている。
『公式競技ではありません』
『Qポイント移動なし』
『《ミラー》判定なし』
『真偽宣言なし』
「第零問は、《クエスチョン》ではない」
玲奈が確認するように言った。
「勝敗もない。ただの実験です」
「ただの実験なら、被験者の同意が必要です」
「同意欄は?」
凛が操作卓を探す。画面下に、灰色の文字があった。
『包括研究協力規約 第十八条に基づき実施』
入学時、全生徒が署名する規約。教育改善のため、匿名化した競技データを研究利用できるという条項だ。
僕の名前も、顔も出ている。匿名化されていない。
「規約違反です」
玲奈の声が硬くなる。
「父へ停止を要求します」
「待ってください」
僕は画面を見た。質問は、まだ表示されていない。
先に二つの予測欄だけが開く。
『強制回答条件』
YES 九一・八%
NO 八・二% 『自由応答条件』
回答拒否 七九・六% YES 一八・一% NO 二・三% その下には、回答以外の予測まで並んでいた。
『初回視線 質問本文 二・八秒』
『次視線 右側出口 六一・四%』
『次視線 九条玲奈 二七・九%』
『発話前動作 右手指先の屈曲』
僕は反射的に右手を開いた。画面の枝が切り替わる。
『対抗動作を検出』
『回答拒否 八〇・一%』
外そうとした行動まで、拒否の確率へ足される。
「二種類?」
凛が言う。
「答えなければ失格、という条件なら『はい』。拒否できるなら、拒否する」
玲奈の指が、予測欄の時刻で止まる。
「質問を見る前から、結果が出ているわけではありません」
「どういう意味です」
「予測開始時刻を見てください」
画面の端に、時刻がある。質問入力完了――十九時三十一分十二秒。
予測演算開始――十九時三十一分十三秒。
「この時刻は」
凛が自分の端末の停止履歴を開く。
「私が同期を止めた、一分半後」
僕たちはまだ第一講堂の廊下にいた。旧研究棟へ向かうと決めた直後だ。
誰かが同期停止を知り、この質問を外部端末から入れた。
「質問が置かれた後です」
玲奈は言う。
「《ORACLE》が質問を作ったのではない。誰かが質問を入力し、その質問に対してあなたが何と答えるかを計算した」
予測しているのは、人間そのものではない。問いを与えられた後の、回答の選択。
それでも、僕の呼吸は浅くなった。画面中央へ、質問が現れる。
――あなたは、自分が母親を見殺しにしたと思っていますか。
質問文は短い。
「事故の責任があるか」ではない。
「母を助けられたか」でもない。
僕が今も、自分をどう裁いているかだけを問うている。客観的な答えで逃げられないように作られた一問だった。
視界の端が赤くなった。
* * *
非常灯。煙。
母の白衣の袖。何度思い出しても、順番が曖昧になる。
鳳凰院の研究施設。警報音。
閉まりかけた防火扉。母は僕の肩を押し、出口を指した。
『零司。一人で外へ出ると決められる?』
頷けばよかった。はい、と一言答えればよかった。
僕は母の手を見た。出口を見た。
煙の奥を見た。正しい答えを探した。
一人で出れば、母を置いていくことになる。残れば、母を困らせる。
どちらを選べば母が安心するのか、顔を見た。その間に、防火扉が一度閉まった。
母は非常解除を使って僕を外へ出した。僕だけを。
扉が閉まる直前、母は研究室の方へ戻った。最後に何を言ったか、聞こえなかった。
僕は外へ出た。警備員に腕をつかまれた。
母を呼ばなかった。呼んでも戻らないと思ったのか。
自分が戻されるのが怖かったのか。分からない。
数分後、研究棟の窓が赤く光った。母は戻らなかった。
* * *
『回答してください』
機械音声が、記憶を切った。はい。
僕は、自分が母を見殺しにしたと思っている。客観的な事実ではない。
僕が火災を起こしたわけでも、母へ戻れと命じたわけでもない。でも、あの日に答えられなかったことが、今も残っている。
強制されれば、「はい」と答える。《ORACLE》の予測どおりに。
「相馬くん」
玲奈の声。
「答える必要はありません」
自由応答なら、拒否。それも予測どおりだ。
僕は画面を見る。ここで「いいえ」と言えば、予測を外せる。
たった二・三%の答えを選べる。でも、それは僕の答えではない。
機械へ勝つためだけの嘘だ。
「はい」と言えば、機械の予測へ従う。
黙れば、拒否まで当てられる。どちらを選んでも、先に答えが置かれている。
「答えません」
声は、思ったより乾いていた。画面が即座に更新される。
『回答拒否を記録』
『予測一致』
七九・六%。たった一つの数値が、喉を締めた。
「……最初から、こうなると」
声にした瞬間、画面の数字が七九・六から七九・七へ変わった。僕の声量と呼吸まで、次の計算へ加えられている。
凛が有線端末を抜こうとする。
「止める?」
抜けば、今のログが失われるかもしれない。続ければ、僕の反応がまた学習される。
どちらが正しいかを、凛は決めなかった。僕を見る。
「残してください」
抜かれかけたケーブルへ手を伸ばす。
「これが何をしているか、見ます」
母の問いからは逃げた。この画面からまで逃げれば、また誰かの用意した答えだけが残る。
「確率です」
玲奈が僕の隣へ立つ。
「二割近くは別の応答を予測している。あなたを完全に知っているわけではありません」
「でも、当たった」
「当たるように質問を選んだ可能性があります」
僕は彼女を見る。
「質問を?」
「あなたの過去を知っている人間が、最も答えを固定しやすい問いを置いた」
母のことを知っている人間。理事長特別研究室。
九条宗一郎。
「それは予測ではなく、誘導です」
玲奈は画面の質問設定欄を指す。
『質問生成方式』
外部入力。
『設定者』
管理者権限――非表示。
『予測対象』
回答形式のみ。《ORACLE》は、僕が何を問われるかを決めていない。
問いが置かれた後、僕がどの答えを選びやすいかを計算した。問いを作ったのは、人間だ。
予測欄の下に、参照項目が並んでいる。入学願の文章。
食堂で選択へ要した時間。過去八回の回答。
質問前に目を閉じる平均秒数。母の最期に何があったかは、参照項目にない。
それでも質問した人間は、僕がこの一問から逃げられないと知っていた。《ORACLE》が僕を理解したのではない。
僕の傷を知る誰かが、数値の出やすい場所へ刃を当てた。
「誰が問うかは、予測していない」
僕は呟く。
「ええ」
「何を問うかも」
「ええ」
「答えだけ」
「正確には、質問を受けた後の応答です」
恐怖が消えたわけではない。むしろ別の形になった。
機械が人を支配しているのではない。人間が機械を使って、答えやすい問いを選んでいる。
僕が対局でしてきたことと、似ていた。
「過去の校正記録を開けます」
凛が操作卓の別領域を表示する。同じ生徒へ、一時間のうちに三種類の質問を与えた実験だった。
――あなたは部活動を辞めたいですか。
YES予測、六四・二%。
――顧問を失望させても、部活動を辞めたいですか。
NO予測、八七・五%。
――今辞めなければ、来年も続けると約束できますか。
YES予測、七一・一%。
「同じ人なのに」
凛が呟く。
「質問ごとに、答えが変わる」
「人が変わったのではありません」
玲奈は三つの文を読む。
「守るものを変えた。自分の疲労、顧問への罪悪感、未来の拘束。それぞれを先に見せている」
「では、《ORACLE》が予測したのは、その人の本心ではない」
並んだ三つの質問を見比べる。
「問いによって切り取られた、その瞬間の選択です」
精度が高いほど、人間を理解しているように見える。実際には、答えが狭くなる問いを選んでいるだけかもしれない。
母がノートへ何を書いたのか、まだ知らない。それでも、彼女がこの使い方を嫌った理由だけは分かった気がした。
「相馬くん」
玲奈が僕の手元を見る。僕は無意識に、操作卓の縁を握っていた。
「離してください。指が白くなっています」
「平気です」
「今のあなたの認識ですか」
「……放っておいてください」
「それはできません」
彼女は僕の手を無理に外さなかった。代わりに、隣へ立ったまま動かなかった。
正しい慰めを言わない。母は悪くないとも、僕は悪くないとも決めない。
それが、今は助かった。
* * *
第零問の画面を閉じると、通常の管理画面へ戻った。停止命令は通らない。
外部通信も遮断されている。凛が銀色の端末を有線接続し、実験ログを複製する。
「持ち出せる?」
玲奈が聞く。
「全部は無理。質問、予測率、時刻、設定欄だけなら」
「十分です」
僕は管理画面の構造を追った。質問履歴。
回答予測。生体記録。
設定者。質問履歴の左に、小さな三角形がある。
展開すると、入力元の識別番号が表示された。Q―CORE/EXT―04。
「外部端末四番」
凛が室内を見回す。
「ここには三台しかない」
机は三つ。端末も三つ。
四番は、この部屋にない。入力元の位置情報を開く。
座標欄は削除されている。代わりに、保守記録の番号が残っていた。
M04―17―B。凛が旧研究棟の保守図面を開く。
「M04は四階の医療研究区画。十七は保管棚。Bは壁内区画」
「そこへ続く経路は?」
「図面にはない」
「端末の裏を見せてください」
中央の操作卓へ回り込む。配線カバーを外す。
埃のない内部。新しいケーブル。
その奥へ残された、古い金属板。隅に、細い字が刻まれていた。
印刷ではない。油性ペンでもない。
尖った器具で削った文字。M04―17―B。
その下に、右を向く短い矢印。母の字だった。
数字の「7」だけ、横線を二本引く。僕が小学校で真似して、教師に直された書き方。
「美琴さんの?」
玲奈が問う。
「はい」
声がうまく出なかった。大型モニターの横に、細い扉がある。
通常の案内図には載っていない。認証部は壊され、代わりに古い機械式の留め具が残っていた。
金属板の矢印と同じ向きへ、配線カバーの奥にあるレバーを倒す。小さな音。
扉のロックが外れた。
「パスワードではないのですね」
玲奈が、外れた留め具を指先で押す。
「電子記録なら、父に読まれます」
母は、機械の外へ答えを残した。保守通路は、人一人が通れる幅しかなかった。
僕が先に入る。玲奈が続く。
凛が最後に銀色の端末を持つ。四階まで、非常用の細い階段を上った。
壁には火災の跡が残っている。塗装の下から、黒い筋が浮いていた。
四階の突き当たり。医療研究区画。
保管棚十七番は空だった。棚板を外すと、背面に小さな機械式ダイヤルがある。
数字の横に、A・B・Cの区画記号。十七。
B。最後に、金属板の矢印と同じ右方向へ取っ手を倒す。
壁の一部が開いた。中にあったのは、耐火袋が一つ。
透明な袋越しに、大学ノートが見える。表紙には、母の字。
『《ミラー》臨床補助記録』
その横に、黒く焼けた音声端末。僕は手を伸ばす。
触れる直前で、止まった。
「相馬くん」
玲奈が名前を呼ぶ。
「開けますか」
決めるのは僕だ。母が残した答えを知る。
それが正しいかは分からない。それでも、ここまで来た。
「開けます」
今度は、自分で言えた。




