第17話 送信された質問(後)
「停止した表示を、信用しない方がいい」
僕は凛の端末へ、新しい候補質問を入力した。
――王冠戦で監査請求権を得た時、あなたはその権利を父へ譲渡しますか。
僕の端末にも、玲奈の端末にも保存していない。今、ここで作った。対局へ使う予定もない。
「存在しない質問です」
玲奈が文面を読む。
「これが外へ出れば、送信経路が生きていると分かります」
凛は同期設定を確認した。
『中央同期 停止中』
「下書きに入れるね」
保存。何も起きない。
十秒。二十秒。
講堂の空調が止まり、無人の客席から冷えた布の匂いだけが流れてくる。三十秒後、端末の右上で小さな点が一度だけ赤くなった。
『高優先度質問を受信』
受信したのは、凛の端末ではない。研究管理側から戻ってきた評価要求だった。
僕が今作った一文が、一字も違わず表示されている。
「止まっていない」
凛の唇から、笑いに似た息が漏れた。
「送信側のボタンだけを、止めたように見せてる」
評価要求の経路を開く。銀色の端末には、二種類の時刻が記録されていた。
左側が学園標準時。右側が研究記録時。
僕が保存したのは十九時二分。研究側の受信は十九時一分。
ちょうど一分。
「時計の故障ではありません」
玲奈が時刻列を拡大する。
「研究設備の内部時刻へ、対局会場の時計を合わせている」
「なぜ会場側を変えるんです」
「生体記録と質問登録を、同じ時刻列で照合するためです」
凛が過去の送信履歴を一件開いた。僕が候補質問を玲奈へ見せた時刻。
玲奈が読んだ時間。採用を決めるまでの沈黙。
本番でカードを登録した時刻。回答者の脈拍。
視線。宣言。
一つの画面に、途切れず並んでいた。
「勝敗を集めているだけではない」
時刻列を指でなぞる。
「質問を与えた時、人がどちらを選ぶかを記録している」
「日常会話もです」
玲奈が別の項目を開く。
『選択履歴』
飲み物。昼食。
帰寮時刻。玲奈が父の提案へ何分で同意したか。
僕が二択を与えられた時、相手の顔を何秒見たか。《クエスチョン》の外まで、同じ形式で整理されている。
問い。選択肢。
回答。沈黙時間。
「送信先は理事長特別研究室です」
玲奈の声が低くなる。
「中央サーバーの場所は?」
「表示されてない」
凛が端末を操作する。
「でも、同期先の経路は残ってる。生徒会棟から本館地下を通って――」
画面上の線が、学園北端で止まる。現在は閉鎖されている旧研究棟。
鳳凰院から届いた推薦状には、母が所属していた研究財団の名しかなかった。旧研究棟のことは、どこにも書かれていない。
それでも、胸がざわついた。
「行きます」
僕は立ち上がる。
「今からですか」
凛が講堂の時計を見る。表示は十九時二十八分。
学園標準時なら十九時二十九分。
「中央同期は二十時に一度切り替わる。たぶん、その前なら今日の記録経路を追える」
「たぶん?」
「研究端末の説明書なんて、もらってないから」
玲奈も立ち上がった。
「白鳥さん。入棟権限はありますか」
「外扉だけ。中は理事長権限」
「十分です」
「玲奈」
呼び止める。
「あなたも来るんですか」
「私の記録もあります」
「父の研究室です」
「だからです」
「危険かもしれない」
「それを決めるのは私です」
言われると思っていた。僕は凛を見る。
「あなたは」
「来るよ」
「契約を守るなら、ここで端末を返すべきでは」
「そうだね」
「家族のことは」
「怖いよ」
凛は端末を鞄へ入れず、手に持った。
「でも、怖いから行くのか、怖くても行くのか、自分でもまだ分からない」
彼女は少しだけ笑う。
「分からないまま選んじゃ、駄目?」
玲奈が答える。
「いいえ」
僕の答えも、同じだった。講堂を出ると、廊下の窓際に神代がいた。
帰ったと思っていた。壁へ背を預け、凛の公式記録端末だけを持っている。
「銀色の方は、出さないのか」
神代が聞く。凛は端末を胸の前で抱えた。
「出したら、司くんが止める?」
「止めない」
「知ってた。何か送ってること」
「内容までは知らなかった」
「どうして聞かなかったの」
「聞けば、君は僕が望む答えを先に作る」
神代は僕を見る。
「そう判断した。正しかったとは言わない」
「凛が危険だと分かっていて、待ったんですか」
「彼女の契約を僕が暴けば、研究協力違反が確定する可能性があった」
「だから放置した」
「そうだ」
言い訳をしない。凛を守ったとも、自分が正しかったとも言わない。
「卑怯だったと思う」
神代は凛へ公式端末を返した。
「君が自分で話すのを待つという形で、決める責任から逃げた」
凛は端末を受け取らない。
「今日は、正しいこと言わないんだね」
「正解が分からない」
「珍しい」
「君のせいだ」
凛が、ほんの少しだけ笑った。今度の笑顔は、記録のためではなかった。
「行ってくる」
「どこへ」
「まだ言えない」
「分かった」
神代は行き先を求めなかった。ただ、凛の公式端末を自分の鞄へ入れる。
「戻ったら、記録を聞く」
「命令?」
「お願いだ」
凛は答えなかった。答えないまま、僕たちと歩き出した。
* * *
旧研究棟は、学園の北門近くにあった。四階建ての灰色の建物。
渡り廊下は途中で封鎖され、外から回る必要がある。凛の端末を認証部へ当てると、外扉だけは開いた。
中の空気は冷たい。使われていない建物の匂いではない。
空調と機械が動いている匂いだった。廊下の照明が、僕たちの進行に合わせて一本ずつ点く。
「閉鎖されているようには見えません」
「表向きは設備保全中」
凛が答える。
「研究室から記録を送れって言われた時、この建物の識別番号が出ることがあった。でも中へ入ったのは初めて」
一階の案内板は外されている。代わりに、扉の横へ英数字だけが刻まれていた。
Q―01。Q―02。
M―03。玲奈がM―03の認証へ手を置く。
赤い光。
『権限がありません』
「私の生体情報は、特別研究室へ登録されているはずです」
「登録されていることと、入れることは別でしょう」
僕が言うと、玲奈は少し不満そうに手を離した。凛の端末に残る同期経路は、廊下の一番奥を示している。
そこには扉がなかった。壁。
古い研究掲示板。何も書かれていない黒いモニター。
凛が端末を近づける。黒い画面へ、銀色の光が走った。
『記録端末を確認』
『本日分の同期を再開します』
「止めたはずなのに」
凛が端末を見下ろす。
「停止できたのは送信側だけです。受信側へ直接つながれば、管理権限で上書きされる」
玲奈が表示を読む。選んで止めても、仕組みの側が勝手に続ける。
壁の一部が音もなく奥へ下がる。隠し扉だった。
中には、人が座る机が三つ。中央に大型モニター。
壁一面の記録装置。僕たちが入ると、モニターへ今日の対局が表示された。
玲奈の質問。神代の「いいえ」。
僕たちの「嘘」宣言。TRUE判定。
その横に、数値がある。
『回答予測 NO 九六・四%』
『宣言予測 LIE 八一・九%』
神代の答えも。僕たちの誤読も。
対局前から予測されていた。
「これが」
凛の声がかすれる。玲奈が画面下の名称を読む。
「《ORACLE》」
予言者。僕たちが答える前に、答えを出すシステム。
ただし画面には、今日の結果だけではない。桐生戦の準備記録。
僕が蓮へ用意した偽質問。本物の質問。
蓮が「いいえ」を選ぶ確率。転入初日の公開対局。
玲奈が「はい」と嘘をつく確率。僕が「嘘」と宣言する確率。
僕たちの勝利も、敗北も、全て数値になっている。画面の時刻列を追う。
質問登録。予測演算。
回答。宣言。
どの対局も、予測演算は質問登録の一秒後に始まり、回答より前に終わっている。質問そのものを当てた記録はない。
登録された一問を見てから、その先だけを計算している。意味を考えるより先に、壁の小型モニターが一台ずつ点いた。
三台。五台。
廊下側の黒い画面まで。全てに僕の名前が並ぶ。
最後に、大型モニターが一度暗くなった。
「触っていません」
凛が言う。次の瞬間、画面中央へ白い文字が浮かぶ。
《第零問》 その下に、僕の顔写真。
氏名。生体識別番号。
被験者――相馬零司。玲奈が操作卓へ手を伸ばす。
『実験中は停止できません』
「公式戦ではありません」
玲奈が画面へ言う。
「審判も、《ミラー》もない」
返答はない。代わりに、新しい一文が表示された。
『質問は入力済みです』
続いて、カウントが始まる。質問表示まで、十秒。
九。八。
僕は、自分の名前から目を逸らせなかった。三。
二。一。
画面が告げる。
『あなたの回答を予測します』




