第14話 引き止めないという答え(前)
大切なら、引き止める。僕は、それを疑っていなかった。
* * *
「質問は決まりました」
対局開始三時間前。第二資料室の机へ、僕は一枚のカードを置いた。
――白鳥凛さんが、自分の意思であなたの記録係を辞めると決めた時、あなたは彼女を引き止めますか。
玲奈は読んでも、すぐには手を伸ばさなかった。
「昨夜、凛の端末に同じ文が表示されていました」
僕は先に報告した。
「このカードは、彼女へ見せていません」
「それでも使うのですか」
「質問を知られても、神代先輩の自己認識は変わりません。むしろ、準備する時間があれば、彼が守りたい答えははっきりする」
「漏洩の確認を、対局へ兼ねる?」
「それだけが理由ではありません」
「それだけではない、ですね」
玲奈は言い直し、カードの端を指で押さえた。
「質問を変えれば、送った誰かに私たちの選択を動かされたことになります。採用するかどうかは、別の理由で決めます」
「長いですね」
「意味を限定するためです」
「神代先輩は、『いいえ』と答えると?」
「答えます」
「そして、嘘?」
「はい」
自分の返答を聞いて、少し皮肉だと思った。玲奈は質問カードの横へ、神代と凛の契約記録を並べた。
記録係契約は一か月更新。三年間で三十四回。
全て、凛の生体署名がある。
「強制更新の記録はありません」
「形式上は」
「契約外の罰則もない」
「神代先輩は、規約へ残る形では強制しない人です」
「白鳥さんが二度、更新を一日遅らせています。その間も、先輩は催促していません」
「凛が戻ると分かっていたからでしょう」
玲奈は契約更新記録から目を上げた。
「結論を先に置いていませんか」
「置いていません」
「神代先輩が引き止めるという結論に、全ての行動を合わせているように見えます」
「では、あなたは引き止めないと思うんですか」
「分かりません」
彼女は、今度はその言葉を避けなかった。
「だから確認しています」
机の上には、僕が集めた手掛かりもある。一つ目。
神代は凛の最初の記録帳を三年間保存している。廃棄予定と言いながら、折れた角まで直した。
二つ目。飲み物、筆記具、家族の連絡時刻まで覚えている。
凛が自分で選ばなくても、神代が必要なものを用意する。三つ目。
銀色の端末で何かを送っていると知りながら、凛を記録係から外していない。危険を承知で側へ置いている。
四つ目。契約書の旧版に、一度だけ『任意解約時の引継猶予、三十日』という案があった。
提案者は神代。採用前に凛が削除し、現行契約から消えている。
「引継猶予を入れようとしたのは、辞めても三十日側へ置くためです」
「業務上の必要かもしれません」
「落書き帳も、飲み物の好みも、業務上ですか」
「大切にしていることは、否定していません」
「なら、失いたくない」
「失いたくないことと、引き止めることは同じですか」
昨日、神代が言った言葉と同じだった。好きでも、引き止めない人間はいる。
大切だからこそ。
「綺麗事です」
僕は言った。
「本当に失う場面になれば、人は止めます」
「相馬くんは、止めるのですか」
「何を」
「私が記録係契約を解消すると言ったら」
質問の矛先が、急にこちらへ向いた。答えが出ない。
止める。たぶん。
玲奈が父親の隠している研究記録へ辿り着くには、僕の質問が必要だと思う。母の真相へ辿り着くにも、玲奈が必要だ。
でも、それだけではない。紬の対局の後、彼女の隣に立ちたいと思った。
蓮へ「僕が勝ちたい」と言えたのは、彼女が僕の欲望を捨てなかったからだ。いなくなってほしくない。
「質問を返さないでください」
「答えたくないのですか」
「今の対局と関係ありません」
「関係があります。あなたは、自分なら止めるから、神代先輩も止めると考えている」
「行動記録も見ています」
「その読みが、あなた自身と無関係ではないと言っています」
幸福を問われた時と同じだった。玲奈を不幸だと思いたかった僕。
神代を、凛を失いたくない人間として読みたい僕。違うのは、今回は行動の証拠があることだ。
「神代先輩は、凛が送信しているものを知っている」
「推測です」
「昨日の廊下で、端末を見たかと聞きました」
「内容は知らないようでした」
「知らないなら、なおさら側へ置いて確かめる。辞めさせない」
「監視と引き止めを混同していませんか」
「どちらでも、手放さないという結論は同じです」
玲奈はカードへ視線を戻した。
「宣言方針は」
「『いいえ』なら嘘です」
「確率は?」
「七十八%」
「桐生戦より高い」
「だから採用すべきです」
「確率だけで選ばないと、契約を改めた日に言いました」
「この質問で傷つく第三者はいません」
「白鳥さんが公開記録に残ります」
「本人の記録係契約は公開済みです。秘密は含めない」
「神代先輩の感情は?」
「回答者本人です」
玲奈は黙った。窓の外で、王冠戦開始を告げる予鈴が鳴る。
「捨てますか」
聞いた声が、自分でも思ったより硬かった。玲奈はカードを手に取る。
「採用します」
「本当に?」
「あなたの分析に従うのではありません」
彼女は僕の目を見る。
「私も、神代先輩が白鳥さんを手放せるとは思っていない」
僕と同じ結論だった。それで安心した。
安心したこと自体が、間違いの手掛かりだったのかもしれない。




