第13話 砂糖三本と苺プリン(後)
会議の途中で、玲奈の端末が鳴った。表示は『父』。
彼女は一度、画面を伏せた。切りはしない。
「出なくていいんですか」
「予定では、十八時の報告です」
現在、十七時四十二分。端末が二度目の振動をする。
玲奈は席を立った。
「失礼します」
廊下へ出る。扉は完全には閉まらなかった。
「はい、お父様」
玲奈の声が聞こえる。
『薬は飲んだか』
宗一郎の声は小さいが、静かな室内では分かった。
「十四時に服用しました」
『昼食に胡桃が含まれていた記録がある』
「同席者の食事です。私は口にしていません」
『接触器具は分けたか』
「確認しました」
『ならいい。左目の充血は』
「治まっています」
父親としては、正しい会話だった。玲奈のアレルギーを把握し、誤食だけでなく器具の接触まで心配する。
その後に、宗一郎は言った。
『本日の帰寮は十八時三十分。相馬くんとの個別活動は終了しなさい。明日は授業後、医療室、理事長報告、十九時から対局準備。白鳥さん以外との私的な会食は控えるように』
「次戦資料の確認が終わっていません」
『神代くんの記録は中央分析で処理済みだ。要約を送る』
「自分で確認します」
『疲労状態での情報過多は判断精度を下げる』
「それを決めるのは私です」
短い沈黙。
『玲奈。心配している』
その一言に、玲奈はすぐ返せなかった。
「……十八時五十分まで延長します」
『四十分』
「四十五分」
『分かった。帰寮後に連絡しなさい』
通話が切れた。玲奈が戻ってくる。
「交渉成立ですね」
僕が言うと、彼女は席へ座った。
「五分しか増えていません」
「最初の時刻を置いたのは父親です」
「分かっています」
「心配されると、拒否しにくい?」
玲奈は端末を伏せる。
「心配が嘘ではないからです」
答えは、すぐに返った。
「父は、本当に私を心配しています」
「だから従うんですか」
「それとこれとは別です」
玲奈は資料を開く。
「別にしなければいけません」
誰へ言った言葉か、分からなかった。
* * *
会議が終わり、玲奈は医療室から届いた帰寮確認に従って先に出た。神代も、生徒会長との会議があると言って席を外す。
残ったのは僕と凛だけだった。
「相馬くん、今日の記録、共有しておくね」
凛は明るく言い、端末を操作する。
「神代先輩の資料だけでいいです」
「雑談にも手掛かりがあるよ。砂糖三本とか、苺プリンとか」
「質問へ使うつもりですか」
「使うか決めるのは、相馬くんたちでしょ?」
正しい。凛は共有端末へ記録を送った。
その後、机の下からもう一台、小さな端末を取り出した。学園支給品ではない。
薄い銀色の本体。角に、研究管理用の黒い識別帯がある。彼女の笑顔が消える。
さっき記録を書いていた時と、同じ顔だった。送信画面に、今日の会話が並んでいる。
玲奈が苺プリンを買った時刻。宗一郎の電話に対する返答。
僕が蓮へ「自分で勝ちたい」と言った発言。候補質問の選定過程。
対局記録の範囲を越えている。宛先欄は、一瞬しか見えなかった。
『特別研究監理――』
凛が僕に気づき、端末を伏せる。
「何を送ったんです」
「王冠戦の活動記録」
「共有端末には、もう送りました」
「こっちは生徒会保管用」
「研究管理用の識別帯がついています」
凛は、いつものように笑った。
「相馬くん、本当によく見てるね」
「答えになっていません」
「生徒会と研究室は、対局設備を共同管理してるの。時計の不具合もあったでしょ?」
「雑談まで必要ですか」
「どこが手掛かりになるか、後からじゃないと分からないから」
同じ言葉を、僕も使う。人の好み。
失いたくないもの。日常の癖。
質問設計には、対局外の情報が必要だ。だから不自然ではない。
不自然ではないように、説明できる。凛の端末に新しい通知が表示された。
『白鳥家・特別奨学契約 更新審査中』
彼女は僕が読む前に画面を消した。
「それも生徒会の記録ですか」
「家のこと」
「契約内容は」
「対局に必要?」
質問を返された。僕は答えられない。
紬の対局で、彼女の秘密を勝つために使おうとしたばかりだ。疑わしいからといって、凛の家族契約を勝手に開く権利はない。
「必要になったら、本人の同意を取ります」
「うん。そうして」
凛の笑顔は、少しだけ安心したように見えた。それが本物かどうか、僕には分からなかった。
* * *
生徒会室を出ると、廊下の突き当たりに神代がいた。会議へ行ったはずだった。
「凛の端末を見たな」
「知っているんですか」
「何を送っていた」
「それを僕に聞くんですか」
神代は答えない。
「あなたは、凛を大切にしている」
僕は言った。
「記録帳を三年間捨てていない。飲み物の好みも覚えている。彼女が何か隠していることにも気づいている」
「それで?」
「なら、放置する理由が分かりません」
「大切なら、自分が正しいと思う行動を相手へさせるはずだと?」
「危険からは止めるでしょう」
宗一郎が玲奈へしたように。久我が紬へしたように。
その二つを同列へ置きかけて、違和感が生まれた。神代は僕の顔を見て、その迷いまで読んだようだった。
「桐生蓮は、自分を一枚の人格へ固定していた」
「何の話です」
「君は、その固定を利用して勝った。だから次も、相手を一枚の人間へまとめようとしている」
「あなたは違うと?」
「誰でも違う」
神代は、生徒会室の扉を見る。その向こうで、凛が一人、記録を片づけている。
「好きでも、引き止めない人間はいる」
「大切でも?」
「大切だからこそだ」
次戦の開始通知が、僕の端末へ届いた。明日、十七時。
第一講堂。神代は僕の横を通り過ぎる。
「次の対局で、君が人をどれほど単純に見ているか教える」
足音が遠ざかる。制服の内ポケットには、会議中に書いた候補カードが一枚ある。
玲奈には、まだ見せていない。僕の個人端末の非共有領域へ保存し、一枚だけ印刷した。
共有端末には登録していない。
――凛さんが自分の意思で記録係を辞めると決めた時、あなたは彼女を引き止めますか。
神代が凛を大切にしているなら、答えは「はい」。その答えを否定すれば勝てる。
そう考えながら、生徒会室の前を通り過ぎかけた。扉の細いガラスに、銀色の光が反射する。
凛は一人で、研究管理用端末へ向かっていた。記録を取る時と同じ、笑っていない顔。
画面の中央に、一文が表示されている。
――白鳥凛さんが自分の意思であなたの記録係を辞めると決めた時、あなたは彼女を引き止めますか。
僕のポケットの中にしかないはずの質問だった。




