第11話 このゲームが好きですか(後)
第一講堂の観客席は、紬の対局の倍に膨らんでいた。勝率九九%の女王。
勝率一〇〇%の予測者。数字だけを並べれば、玲奈の方が下になる。
大型表示板には、王冠戦の戦績が表示されている。
九条玲奈 〇勝〇敗 桐生蓮 〇勝〇敗 右半分には、蓮の個人予測モデルが公開した質問候補が並んでいる。
第一候補――敗北確率について。三六・六%。第二候補――予測不能への不快感について。二七・九%。
第三候補――勝率一〇〇%への執着について。二二・一%。その他四十三件――一三・四%。
僕たちが意図的に漏らした三枚が、上から順に表示されていた。蓮のモデルは、僕がそれを使うだけでなく、玲奈が採用するところまで計算している。
この一戦の勝者が、最初の王冠印を得る。僕は記録係席へ座り、提出カードを《ミラー》横の読取部へ差し込んだ。
対局開始後は話せない。赤い沈黙ランプが点く。
玲奈が質問者。蓮が回答者。
蓮は、昨日と同じ無糖炭酸水を足元へ置いていた。今日も未開封だった。
「質問登録を行ってください」
老教授が告げる。玲奈は提出カードをケースから抜く。
一度、読む。僕を見ない。
捨てることもできる。別の質問を選ぶこともできる。
彼女はカードを読取部へ置いた。大型表示板に、一文が映る。
同時に、予測モデルの欄が激しく書き換わった。上位三候補が消え、「その他」の内訳が展開される。
第四十七候補。
――あなたは、このゲームが好きですか。
質問採用確率、二・一%。予測回答、「いいえ」九三・八%。
質問は低確率だった。答えは、高確率だった。
「桐生蓮さん」
玲奈が問う。
「あなたは、このゲームが好きですか」
観客席に、戸惑いが走った。勝率。
予測。恐怖。
もっと鋭そうな言葉を期待していたのだろう。表示されたのは、小学生でも意味の分かる質問だった。
意味確認が読み上げられる。
『本質問における「このゲーム」は、回答者が競技者として参加する《クエスチョン》を指す。勝敗の利益、研究上の価値、訓練上の必要性を除き、質問と回答による不確実な競技行為そのものへ、回答者が個人的な好意または楽しさを自覚しているか』
蓮は意味確認へ「はい」と答えた。これは承認。
本回答ではない。三十秒のカウントが始まる。
回答中に許されるのは、「はい」か「いいえ」だけ。条件も、言い換えも、時間稼ぎの私語もできない。
蓮は、初めて僕を見た。
次に、表示板の「第四十七候補 二・一%」へ目を移す。
予測していたことを誇る表情ではない。低い確率の問いが、実際に選ばれたことを確かめる目だった。
それでいい。僕は赤い沈黙ランプの下で、目を逸らさなかった。
残り、二十五秒。蓮が「はい」と答えれば、僕たちは真実と宣言できる。
ただし彼は、感情を排した完成体という自分を否定する。校正記録で「個人的な好みはない」と答えたばかりだ。
それを覆せば、今までの訓練結果まで再評価される。蓮が「いいえ」と答えれば、人格は守れる。
でも、好きだと自覚しているなら嘘になる。どちらを選んでも、彼の中の何かが失われる。
僕が作ったのは、そういう質問だった。強い。
同時に、嫌な質問だと思う。回答時計の数字が、二十を切る。
蓮の視線が大型表示板へ移る。猫動画。
予測が外れかけた対局。嫌いな飲み物。
僕たちが見たものを、彼も知っている。それでも、自分は好きではないと信じ切っている可能性がある。
「興味」と「好意」を明確に分けているかもしれない。
その場合、「いいえ」はTRUEになる。六十二%。
玲奈が僕の質問を採用した確率ではない。僕たちが蓮の認識を正しく読めている確率だ。
残り、十五秒。蓮の指が、机の下で動いた。
足元の無糖炭酸水へ触れ、離れる。あの飲み物を選び続ける自分。
好みを持たない自分。答えを迷わない自分。
守るべき人格を確認するような動きだった。
「いいえ」
残り十一秒で、蓮は答えた。大型表示板へ固定される。
回答 ―― いいえ 玲奈の宣言時間が始まる。
僕は話せない。提出カードには、宣言方針まで書いた。
『「いいえ」なら、嘘』
でも、彼女は従う義務がない。玲奈は蓮を見ている。
蓮の表情は、昨日と変わらない。脈拍表示も、通常範囲。
観客席から声が聞こえる。
「真実じゃないのか」
「桐生がゲームを好きそうに見える?」
「研究のためにやってるだけだろ」
別解の方が、見た目には自然だった。好きなら笑う。
好きなら楽しそうにする。好きなら嫌いな飲み物を選ばない。
蓮は、そのどれにも当てはまらない。宣言時計の外周が、三分の一だけ白く消える。
玲奈が、足元の炭酸水を見る。カードを持つ指が止まり、記録係席の方へ一度だけ上がる。
僕は何も伝えられない。目配せすら、質問の強制に変わるかもしれない。
だから動かなかった。玲奈が前を向く。
「宣言します」
声は静かだった。
「あなたの答えは、嘘です」
《ミラー》が照合を始める。一秒。
二秒。三秒。
黒い卓の中央に、赤い文字が浮かぶ。LIE
歓声が上がった。表示板に、九条玲奈の最初の王冠印が刻まれる。
九条玲奈 一勝〇敗 僕は息を吐いた。
自分の質問が通ったことより先に、玲奈が同じ宣言を選んだことへ安堵した。蓮は判定を見上げている。
負けた顔ではなかった。むしろ、猫が箱から落ちた瞬間の映像を見る時と似ていた。
「桐生選手」
老教授が勝敗確認を促す。
「異議はありますか」
「ありません」
蓮は答えた。それから、初めてはっきり笑った。
「答える前に迷ったのは、初めてです」
* * *
対局後、蓮は足元の無糖炭酸水を拾った。蓋を開ける。
口へ運びかける。止めた。
そのまま、近くの回収箱へ入れた。
「飲まないんですか」
僕が聞く。
「今日は、飲みたくありません」
「それは好みでは」
「そうかもしれません」
昨日までなら、予測誤差と言い換えただろう。蓮は、空いた手を見つめた。
「相馬先輩」
「何です」
「質問は予測できました」
「二・一%で」
「低確率でも、候補にはありました。僕が『いいえ』と答えることも予測どおりです」
「なら、どうして負けたと思いますか」
蓮は《ミラー》を見る。
「予測した答えが、正しい答えだと思っていたから」
その言葉を理解する前に、別の声が背後からした。
「質問を隠したんじゃない」
振り向く。長身の男子生徒が、観客席から降りてくる。
生徒会副会長章。黒い髪。
感情の少ない目。神代司。
その一歩後ろに、白鳥凛がいた。いつもの笑顔で、記録端末を胸へ抱えている。
神代は僕ではなく、表示板の質問文を見た。
「相手が守る人格を、質問にしたのか」
「次の対局相手が、講評に来たんですか」
「確認だ」
神代は腕時計を見る。僕も、つられて講堂の時計を見た。
十八時十二分。自分の端末は、十八時十三分。
壁時計も、表示板の時刻も、審判席の時計も、全て十八時十二分。端末だけが一分進んでいるのではない。
校外標準時と照合すると、講堂側が一分遅れていた。
「この時計」
僕が言うと、凛が先に答えた。
「古い建物だから、同期が甘いのかも」
「表示板も審判端末も同じです」
「じゃあ学園側の設定かな。あとで設備課へ出しておくね」
凛は明るく笑う。神代だけが、時計を見なかった。
「相馬零司」
彼は僕の名を呼ぶ。
「桐生に勝って、人間を理解したつもりになるな」
「なっていません」
「なら、次はちょうどいい」
王冠戦の対戦予定が更新される。九条玲奈、第二指定対局。
対戦相手――神代司。神代は凛の端末へ、何も確認せず手を伸ばした。
凛は当然のように渡す。長く組んだ二人にしかない動きだった。
「君が読んだのは、桐生が自分へ作った人格だ」
神代は言う。
「次は、人が他人を大切にする時、何を選ぶかを読んでもらう」




