中編
天気は快晴。昨日からどうにも落ち着かないリシャスの心とは裏腹に、遠出するには最適の、すっきりとした空模様だった。隣では、ギリギリまで仲良くなった人たちへの挨拶回りをしていたココが、もらった餞別の品を鞄に詰め直している。
レクスバルトが集合場所に指定してきたのは、どういうわけか、王都を出て少し歩いた先にある、何もない平原だった。こんなところから、どうやって目的地まで行くつもりなのか。リシャスは、さすがに疑問を覚える。
「ここって、馬車の通り道とかでもないよなぁ。移動手段が謎すぎるんだけど。まさか空路?いや、それだと神殿の予算オーバーか」
「えっ!飛竜は――怖いから、ちょっと遠慮したいかも」
陸路なら、魔の森を大きく迂回する必要があるので、普通は出発地点が別の場所になる。海路は今回、はっきりと不向きだ。
こうして改めて考えてみると、コソラット子爵領に限らず北の領地はすべて、本当に王都から遠かった。だからココが村に帰ったら、きっともう、二度と会うことはないのだろう。
そう思ったリシャスは、なんとなく、長めの髪を乱暴にかき乱した。いつもなら、絶対にやらない仕草だった。
「待たせたな。今回はこれで移動する。転移の魔道具の複製品だ」
ぴったり時間通りに現れたレクスバルトは、挨拶もそこそこに、一見すると水晶玉のような魔導具を取り出した。初めて見るそれを、リシャスとココは感心しながら観察する。
「へえー。転移の魔導具って、魔族の遺跡からたまに発掘されるやつだよな?そんなもんまで複製できるなんて、知らなかったわ」
「これがあれば、王都と村を簡単に行き来できますか?――あ、でもきっと、ものすごく高価ですよね」
そう言って少し落ち込んだココは、ちらりとリシャスの方を見る。そして目が合ったことに驚いて、慌てて視線を魔導具へと戻した。ふわふわした明るい色の髪から覗く耳が、見る見るうちに赤く染まる。けれどリシャスは、それをからかう気にはどうしてもなれなかった。
「リシャス、魔力を注げ」
「は?――ああ、はいはい。じゃあこれ、ちょっと借りるな」
自分でやれよ、レクスバルト。と口にしかけて、そういやこいつ、魔力なしだったわーと思い出したリシャスは、言われるがままに魔導具を受け取った。
昔なら、魔力を持たないのは貴族として、致命的な欠陥だった。けれど、今は時代が違う。それにこの男の場合、それを補って余りある、でたらめみたいな強さで出世しているから。意識する機会もろくになく、すっかり忘れていた。
本当に、どこか一つくらい、親しみやすい欠点があって然るべきなのに。まったくもって、腹立たしい。
「ココちゃん。転移の魔導具を発動させるから、ちょっとオレに抱きついてもらってもいーい?」
「えええっ!?あ、あの、その、えっと、はいっ!ししし、失礼しますっ」
動揺しまくりながらギュッとしてくるココの、大きくて柔らかい胸が背中に当たる。おー役得役得、とリシャスはつい、心の中で喜んでしまった。
すると顔には一切出さなかったはずなのに、レクスバルトが呆れたような眼差しを向けてくる。いいだろ別に、こんくらい。最後なんだからさ。騎士服の裾を掴むだけでも十分だって、口が裂けてもバラすんじゃねーぞ。
水晶玉のごとく輝く魔導具に、リシャスが魔力を流した瞬間――ズンッと根こそぎ、持っていかれる感覚があった。
「なっ!?」
「ああ、それは試作品だからな。研究者たちが性能確認はしたが、実際に運用するのはこれが初めてだ」
眩しい光がその場に満ちる。転移が発動する瞬間、レクスバルトのひどく冷静な声が聞こえた。
良かったな。貴様が人間が手がけた転移魔導具の、正真正銘、最初の発動者だ――じゃねぇんだよ!性能確認の前に、安全確認をしろや!!というリシャスの心からの叫びは、音にはならず、かき消えた。
「ふっざけんなよ、マジで――うわあ、無理。目眩やべーわ。立ってらんねえ」
「リシャスさん、大丈夫ですか!?そのままゆっくり座ってください、この木にもたれて!」
一瞬で魔力枯渇に陥ったリシャスを、ココが必死に介抱してくれる。それにしても何なんだよ、この場所は。コソラット子爵領の領都に飛ぶんじゃなかったのか。どこからどう見ても、森の中なんですけど?
リシャスがレクスバルトを睨み上げても、当の本人は反省した様子もなく、周囲の木々を剣でサクサク斬り裂き続けている。その度に、耳障りな悲鳴が上がった。
どうやら、この辺りの樹木の多くは魔樹らしい。いや、何体か上位種のエルダートレントも混ざっているようだ――騎士が複数人で対処すべき魔獣を、木の枝を払うノリであっさり倒すな。人外か、お前は。
「ざっとこんなものか。リシャス、体調はどうだ」
「おかげさまで、すこぶる最悪だわ。レクスバルト、お前さぁ〜…転移の魔導具、試験運用すらまだなら先に言えよ!ありえねえだろ!魔力効率は最悪だし、転移座標もグッチャグチャじゃねえか!!」
「岩場や建造物、海上、空中等は避けると聞いていたが、ここまで座標がずれるとはな。そして、一度の転移で破損もした。これでは、実用化は難しいだろう」
「はぁ!?魔導具壊れたって、こっからどうすんだよ!ここ、魔の森だろ?一般人なら秒で死ぬぞ!」
「だから研究者たちではなく、私が試したんだ――使えない、という人類全体の知見が深まったな」
いけしゃあしゃあと言い放つレクスバルトを、リシャスは本気でぶん殴りたくなった。が、ダメだ。間違いなくこっちの手の方がイカれる。
それでも、部下の自分だけならまだしも、ココまで巻き込んだことは、さすがに許しがたい。
無言のまま強く睨みつけると、レクスバルトはリシャスの背中をさする彼女に視線を向けて、「巻き込んで申し訳ない」と真顔で謝罪した。いや、もっとすまなそうにしろよ。
「いえ、私はその、大丈夫でしたから。それにたぶん、少し行けば、領都の近くに出られそうですし」
「え!ココちゃん、この場所知ってるの?」
「えっと、そこにシスの実が成ってるので、コソラット子爵領に入っているのは間違いないです。冒険者の皆さんが採取のルールをきちんと守っているから、きっと魔の森でも入口付近。エルダートレントがいたということは、こっちは北東――領都の方角は、あっちですね」
「うっわ、地元民ハンパねぇー」
頼りになるココに、リシャスはパチパチと拍手を送る。しかし腕だけならなんとか動くが、立ち上がるのは、しばらく無理そうだ。するとレクスバルトが、懐から何かを取り出しながら、こちらへと歩み寄ってきた。
「今日はこのまま、ここで過ごす。明日になったら森を出て、領都まで徒歩で移動する」
「は?いや、まだ午前中だぞ?別に全回復まで待たなくても、少し魔力が戻ったら」
「私は何か適当に、食糧になる獣を狩ってくる。リシャス、貴様はココ嬢を、そうだな膝にでも乗せておけ」
「な、なんで膝?じゃなくて、聞けよレクス――うわっ!?」
すれ違いざま、顔面に何か紙のようなものを貼りつけられて、リシャスは思わず声を上げる。ところがレクスバルトは一切歩みを止めずに、そのまま森の奥へと消えていった。あの野郎。いくらなんでも、マイペースが過ぎないか?
「なんだかレクスバルトさんって、思ってた感じと違うというか」
「あーうん、そうね。オレも、あんな頭おかしい奴とは思ってなかった。お!これ、魔獣避けの護符じゃん」
「あ、じゃあ安心して休憩できますね!でもリシャスさんとレクスバルトさんは、騎士団の同期なんですよね?」
ココがそわそわしながら、リシャスの膝を見つめている。しかしそれには気づかないふりをして、リシャスは顔から外した護符を、さり気なく自分の膝の上に置いた。隣から落胆した気配が伝わってくるが、空を見上げて太陽の位置を確認する風を装って、さらに誤魔化す。
「そうそう。ただ、訓練は一緒だったし模擬戦でもボコボコにされたけど、任務はあんま被らなかったからさ」
「見た感じはすごく真面目そうなんですけど。いえ、本当に真面目な人だと思うんですけど。でも、ちょっと」
「なーんか、受ける印象と実際の中身が、違うんだよなぁ。騎士すぎるほど騎士らしい奴ではあるんだけど、そもそも、オレらが一般的に想像するような騎士じゃなかったっつーか」
「ですよね――あ、そうだ!リシャスさん、私、魔力譲渡しましょうか?」
良いこと思いついた!というように、今日一明るい表情になるココ。ありがたい申し出だったが、しかし受け入れるわけにはいかなかった。
魔力譲渡は、魔力総量が多い者から少ない者への一方通行だ。そしてリシャスがかなり大きな魔力の器を持っていることを、レクスバルトは知っている。それでも魔力譲渡が成立する、つまりココが膨大な魔力の持ち主だと奴にバレるのは、都合が悪い。
落ちこぼれ聖女候補のふりをしてまで、ようやくコソラット子爵領に帰ってきたのに。レクスバルトに何か勘付かれたら、ココが王都へと連れ戻されかねなかった。
「んー?いや、遠慮しとくよ。気持ちだけ貰っておくね」
「でも、少しは楽になるはずですから。ねえリシャスさん、ちょっとだけでも」
「なかなか誘惑してくれるねぇ。でもやめとくー。ココちゃんは、家族と再会しても感極まって泣かないように、今から脳内シミュレーションとかしといたら?泣き虫なんだからさあ」
「――私が泣くのは、ようやく家族と会えたからじゃなくて。リシャスさんと、もう会えないからだと思います」
ぽつりとそう呟かれて、リシャスはオイオイ勘弁してくれよ、と頭を抱えそうになった。そんなことを言われたら、一緒にいたくなってしまう。帰したくなくなってしまう。
ココは聖女であろうとなかろうと、このコソラット子爵領で生きていくべき子だ。だからそろそろ離れた方がいいと、さっきから距離を置こうとしているのに。
リシャスは余計な考えを振り切って、殊更明るくおどけてみせた。
「おー!ついにココちゃんまでオトしちゃったか、男前は辛いねえ。じゃあオレの、えーっと何人目かな?よくわかんないけど、たぶん十何人目かの彼女になっちゃう?ああ、浮気は笑って許してね。オレ、すっげーモテるからさぁ」
「えっ。リシャスさんって、そんなにモテるんですか」
「そりゃそうでしょ、だってこの顔だよ?自分で言うのもなんだけど、オレって性格も軽いしねー。遊びだったり本気だったり、とにかく、ひっきりなしに声かけられちゃって」
「た、大変そう。だってリシャスさん、本当は女の人、あんまり得意じゃないですよね?」
笑顔のまま、リシャスは固まった。それに気づかずココは、私はコロおじいちゃん似だから平気みたいですけど。などと、もごもご呟いている。
つい蘇りそうになった、馬乗りになって首を絞めてくる母親の記憶を振り払い、リシャスはなおも軽薄に返そうとして――
「知ったような口、きかないでほしいなあ」
――失敗した。
夜の闇を赤々と照らす焚き火に、枯れ枝を放り込む。音を立てて爆ぜながら燃え尽きていくのを、リシャスは見るともなしに見つめた。
ココとは結局、あれからずっとギクシャクしている。今のなし、ごめん!と言う前に、獲物を仕留めたレクスバルトが戻ってきてしまったのが痛かった。
ちなみに昼食も夕食も、超巨大イノシシの焼肉だったわけだが――普通こういう時って、ウサギとかシカとか狩るもんじゃねえの?森には一日しか滞在しないのに、小動物どころかヌシ狩ってくるとか。レクスバルトの自由さは、とどまるところを知らない。
おかげでリシャスは、せっかく魔力が全回復したのに、残りの牡丹肉を氷魔法で冷凍する羽目になった。
そのフリーダム野郎ことレクスバルトは、先程からなにか工作をしている。木を組んで糸で結合した骨組みに、護符を数枚貼り、中に光るクズ魔石を入れたもの。恐らく、魔獣避けの紙ランタンだろう。
一方ココは、明るいうちに採取したシスの実を、黙々と選り分けていた。子どもの頃からやってきたのか、実に手慣れている。農家の女の手仕事って感じ。
続く沈黙に耐えかねたリシャスは、どちらに話しかけるか迷った末に――レクスバルトを選んだ。
「その骨組みって、普通の木でいいんだ?妖花とかは向かねえの?」
「魔燃素材は、クズ魔石でも発火の危険性がある。一番良いのはまあ、竹だろうな」
「へえ。護符の方は、そんなに使っていいわけ?結構高いんだよな?」
「魔獣避けの護符は、比較的安価だ。それに私の護符は、すべて父が作っているからな」
あっそ、とリシャスは会話を打ち切った。魔力なしでもちゃんと親に愛されていて、なんとも羨ましいことだ。
それから何気なく視線を向けると、まだシスの実が残っているのに、ココの手は完全に止まっていた。俯いて手元を見つめたまま、口を真っ直ぐ引き結んでいる。
あーやべ、選択ミスった。と、リシャスは意味もなく夜空の星を見上げた。今の態度は、かなり露骨だった。ココと話すのを避けたのは、さっき地雷を踏まれたことを、まだ怒っているからではないのだけれど。
「オレ、もーちょい枯れ枝、拾ってくるわ」
「こ、今度は私が行きますっ!リシャスさん、さっきいっぱい集めてくれたから!」
これは戦略的撤退あるのみ、と判断したリシャスが立ち上がると、何故かココまで腰を上げた。いやいやいや。オレらは訓練で夜目が利くけど、君はあくまで民間人でしょうに。暗い中でも確実に伝わるよう、過剰にヘラヘラ笑って見せながら、リシャスは大きく片手を振った。
「危ないから、いいって。ココちゃんは座ってて。火の番もオレとレクスバルトが交代でやるし、なんならもう寝ちゃったら?」
「いえ、大丈夫です。そんなに遠くまで行かないですし!」
「んー…でもなぁ」
「夜の森で騒ぐな。どちらが行くか決まらないなら、いいから二人で行ってこい」
ちらっと目を向けると、レクスバルトは顔も上げずにそう言った。いや、間とってお前が行けよって意味で見たんだが?しかも絶対気づいてるだろ。なに紙ランタンの改良に凝りだしてんだ。
するとココが焚き火を離れたので、リシャスは一つため息をついて、仕方なく彼女を先導することにした。
「あの、リシャスさん。私、お昼前のこと、ずっと謝りたくて」
「えー?なんだっけ?ああ、あれかぁ。別に気にしてないから、いいよ。実はオレ、あん時、腹減ってイライラしてただけなんだよねー」
想像通りに切り出されたので、リシャスも用意していた答えを返す。これで引いてくれたらありがたかったが、やはりそう上手くはいかなかった。ココは暗い顔のまま、足を止めて立ち尽くしている。
「私、すごく気をつけてるんですけど、それでもたまにやっちゃうんです。知ってるはずがないこと、わかっちゃって。人の事情に、無遠慮に踏み込んじゃうの。どうしてかなあ」
それはたぶん、ココが本物の聖女だからだ。リシャスたちには見えていないものが、きっと彼女には見えている。
「さあね。人間なんだから誰にだって、悪いとことか短所とか欠点とか、いろいろあるでしょ。オレは今日一日で、レクスバルトのそういうの、死ぬほど見たわー。まったく知りたくなかったけど」
「ふふっ。でもリシャスさん、結局全部フォローしてあげてましたよね。だから私、本当に優しい人だなあって」
「いや、あいつに振り回されてただけだから。できればガン無視したかったから」
すかさず否定をするが、ココはくすくす笑うのをやめない。かと思ったら、口元に当てていた両手をゆっくりと上に滑らせて、そのまま顔全体を覆ってしまった。そしてすぐに、小さなすすり泣きが漏れ始める。
リシャスは、胸を掻きむしりたいような、とにかくたまらない気持ちになった。
「ごめ、なさ――リシャス、さん、あんまり良い人、だからっ。私、やっぱり、もう会えな、なんて――やだぁ」
「ココちゃん」
「こいだば、まねのに。わぁ、たげ、みったぐねぇ。めぐせくて、リシャスさんのつらっこ、おがまいねぇじゃ」
「ごめん。リシャスさん以外、なに言ってんのか全然わかんねー」
とはいえ、泣いているのだから慰めたいが、この状況で、安易にそうするのもどうなのか。いつもなら、女の涙なんて見たくないから、抱きしめてキスでもして、適当に泣きやませるのだけれど。今のココ相手にそれをやるのは、傷口を広げるだけな気がした。お互いの、心の傷口を。
「だ、大丈夫に、なりました!急に泣いちゃってごめんなさい、リシャスさん。私、今夜はもう、なにがあっても絶対泣かないです!明日になったら、わかんないけど」
「うん。お疲れ、ココちゃん。よく頑張ったね」
「――もっともっと頑張ります、私。一人娘なんだから!しっかりしないと、うちのりんご畑も守れないし。あの、リシャスさん!コソラット子爵領では、りんごを使ったお菓子にも、力を入れてるんです。これからいっぱい、王都にも売り出す予定って聞いてます。だからいつか、私が育てたりんごで作ったお菓子、リシャスさんも食べてくださいね!」
「ん」
オレってもっと気が利かなかったっけ、とリシャスは思った。口から先に生まれた男だと言われたこともあるのに、なんだかちっとも言葉が出てこない。涙を拭ったココが、こんなに無理して笑っているのに。なにもしてやれない自分が、もどかしくて仕方がなかった。
そんなリシャスに背中を向けて、ココは「さあ、早く枝を拾い集めなくっちゃ!」と空元気で言い、歩き出す。その割に、下はまるで見ていない。
それじゃあ転ぶよ、とリシャスが声をかけようとした、まさにその時――彼女の靴が踏んだ何かが、カチッと嫌な音を立てた。
「――! ココッ!!」
咄嗟にココを突き飛ばしたリシャスの腕に、鋭い痛みが走った。




