第18話 家がほしい。そうだ、クエストをこなそう!
朝。
まだ淡い光が差し込む宿舎の小部屋で、俺は目を覚ました。
「……うぅー……ん……」
寝ぼけたまま、もぞもぞと体を起こす。
──が。
(……わーお)
半分ずり上がったシャツから、
なまめかしい曲線が大胆に露出している。
パンツルックも腰骨ギリギリまでずり落ちていて、
下手したらアウトなレベル。
(……あっぶねえ……)
寝起きでぼんやりしている。
──ベッドの隣。
ルミナスが、
小さな両手を頭の上に乗せ、すやすや寝ている。
(……可愛いなぁ……)
──その足元では、
ジョンが丸くなって、ふかふかの毛をわさわさと揺らしていた。
しかも寝返りを打つたびに、
巨大な尻尾で床をばふんばふん叩いている。
(……平和だな)
ほっとしながら、
俺はそっとベッドを抜け出し、
シャツを引き下ろし、パンツルックを整えた。
よし、これでだいぶマシだ。
顔を洗いに、宿舎敷地内の井戸へ向かおう。
***
小走りに外へ出た、その時だった。
「──あっ」
「お、おはようございますっ!」
「ぅあっ、ぉはよっす!!」
出くわしたのは、宿舎に住んでいる青年たち数名。
彼らは、俺の姿を見た瞬間――
一斉に硬直した。
(……ん?)
首を傾げる俺。
だが、彼らの視線は明らかに不自然だった。
顔を真っ赤にし、
目を逸らしながら、
苦しそうに喉を鳴らし、
そして、順番に前かがみになっていく。
(……え、なに? なんか俺、ヤバいもんでもついてる??)
心配になって服をさりげなくチェックするが、
問題はない。
──ただ。
朝露に濡れた空気と、
乱れかけた服を直した直後の名残で、
無自覚に「色気」だけはダダ漏れだった。
知らず知らずのうちに、
フェロモンを撒き散らしていたのだ。
「……っ、お、お先にどうぞ……!」
「……し、失礼しましたぁ……っ!」
青年たちは、妙に腰をかがめながら、
脱兎のごとくその場を逃げていった。
(……え、俺、なに? 魔物?)
ポカンと立ち尽くす俺。
すると、
すれ違った女性宿泊者が、
冷たい目で青年たちを一瞥し、ため息をついた。
「……朝から、あの子たちったら……はしたないわね」
ヒディには、その冷ややかなセリフだけが、やけにクリアに耳に残った。
(いや、俺、被害者だよな……?)
そう心の中で反論しながら、
そそくさと井戸へ向かう。
(……何事もなかった顔しとこ。うん)
顔を洗ってシャキッとすれば、きっと気分も切り替わる、はずだ。
そう信じながら、
俺は冷たい水を両手にすくった。
井戸の冷たい水で、
顔をじゃぶじゃぶと洗う。
ぴしゃっ、ぴしゃっ。
頬を打つひんやりした感触が、
さっきまでの妙な恥ずかしさを、少しだけ吹き飛ばしてくれる。
「……ふぃー」
タオルで顔を拭きながら、
俺は空を仰いだ。
朝の空は、透き通るような青。
太陽はまだ低いけれど、
空気は柔らかく温かい。
(……家、欲しいなぁ)
自然と、そんな思いが浮かんできた。
(借家暮らし……いや、まあ、それも悪くなかったけど……)
元の世界では、
一生懸命働いて、
それでも結局、死ぬまで借家だった。
ちょっといいアパートに移ったり、
引っ越しを繰り返したり――
でも、「自分だけの家」を持つことは、ついぞ叶わなかった。
(こっちの世界なら……)
ふと、そんな甘い期待が胸をよぎる。
小さな一軒家でいい。
庭があって、
木を植えて、花を育てて。
ルミナスとジョンと一緒に、
バーベキューをしたり、
子どもたちを呼んでピクニックごっこをしたり。
のんびり、ゆったり、笑いながら過ごす――
(……いいなぁ)
想像するだけで、
頬がゆるむ。
(……でも、家って、どれくらい金かかるんだろ)
現実的な問題もすぐ頭をよぎる。
(今の貯金だと……無理だろうなぁ)
ちょっとしょんぼりしながら、
でも、すぐに気を取り直す。
(いや、今はまず目の前のことだ)
洗顔を終えた俺は、
ふうっと息を吐き、
ふと傍らの棚を見やった。
そこには――
「……あったあった」
飾るように置かれた、
一本の、手作りの歯ブラシ。
細い枝を丁寧に削り、
先端をほぐしてブラシ状にしたものだ。
(……サバイバル時代の遺産だな)
手作りの歯ブラシをそっと撫でる。
「……さて」
俺は新品のちゃんとした歯ブラシを手に取り、
軽く笑った。
(……それにしても)
自分の歯を磨きながら、ふと考える。
この、美人すぎる体にも――
(……ずいぶん、慣れたよなぁ)
青い肌、
長い耳、
スラリとした四肢。
最初は違和感しかなかったけれど、
今では鏡に映るこの姿にも、
そんなに驚かなくなった。
(……中身はオッサンだけどな)
苦笑しながら、
右手でシャカシャカと歯を磨く。
──が。
ふと、気づく。
(……歯を磨くだけなのに、胸が……)
細かく腕を動かすたび、
胸元がゆさ、ゆさ、と微かに揺れる。
(……こ、これだけは……! まだ慣れない!!)
心の中で叫ぶ。
歯を磨くだけ。
それだけなのに、
無駄にエロい動きになってしまう。
(……なんでだよ……俺はただ歯を磨きたいだけなのに……!!)
誰も見ていないのをいいことに、
ひたすら早送りみたいな勢いで歯磨きを続行する。
シャカシャカシャカシャカ!!
(早く終われ! 早く終われ俺の朝!!)
泣きそうになりながら、
俺は朝の儀式を終えた。
***
顔も歯もすっきりしたところで、
俺はタオルを肩にかけ、
ルミナスを抱えに部屋へ戻った。
さあ、今日も一日が始まる。
皆て仲良く朝食を食べ
宿舎を後にして、
俺はてくてくと孤児院へ向かった。
朝の街は、のんびりしている。
パン屋からは焼きたてのパンの匂い、
露店の準備をするおじさんたちの威勢のいい声。
のんびりした空気を吸い込みながら、
俺は孤児院の門を叩いた。
***
コン、コン。
軽くノックすると、
ほどなくして中から元気な声が響いた。
「はーい!」
きぃ、と門が開く。
現れたのは、小さな女の子。
少し前まで、顔色が悪く、
おどおどしていた子だ。
だけど今は――
頬が赤く、目もきらきらしている。
「ヒディだー!!」
少女が嬉しそうに叫んだ。
その声につられて、
中からぞろぞろと子どもたちが飛び出してくる。
「ヒディさーん!」
「ルミナスちゃーん!」
「ジョーン!」
みんな、元気いっぱいだ。
そんな中。
二人の小さな影が、そろそろと近づいてきた。
精霊種の兄妹――
言葉少なな、あの二人だ。
少年が、無言で俺の前に立つ。
少女も、ぴたっと背後にくっつく。
(お、おう……?)
戸惑っていると、
少年が小さく手を伸ばし、
ぎゅっと俺の袖を掴んだ。
それから、
少女がぽすんと俺の腰に抱きつく。
「うおっ……」
不意を突かれて、よろめきそうになる。
(あ、ああ……そういう……)
彼らなりの、「ありがとう」だった。
言葉ではなく、
肌と心で伝えようとする、静かな、でも真っ直ぐな気持ち。
「……元気になって、よかったな」
そっと頭を撫でると、
二人はほんの少しだけ、微笑んだ。
(……ヤバい、尊い)
心の中で泣きながら、
俺は彼らの小さな温もりを、しっかり受け止めた。
(リンファの実と……謎肉、様様だな)
心の中で、そっと苦笑いした。
もちろん、リンファの実は、
本来は精霊種の少女のために預けたものだ。
でも、たぶん、ほんの少しは、
他の子どもたちにも分けられていたのだろう。
そして、何より。
たっぷりと渡した、
あの謎肉――
(……犬用テイムアイテムって、マジかよ……)
今さらながら、
自分でもツッコミたくなる。
だが、
子どもたちの満面の笑顔を見れば、
もう細かいことなどどうでもよかった。
***
「ヒディー、あそぼー!」
「ヒディ、だっこー!」
小さな手が、次々と俺に伸びる。
「はいはい、順番な!」
苦笑しながら、
ひょいひょいと子どもたちを持ち上げたり、回したり。
ルミナスは、
俺の肩の上にちょこんと乗って、
「ルミー、いちばんー!」と得意げだった。
(……平和だなぁ)
ほんわかした気持ちでいると、
ふと、
空気が変わった。
もふっ。
「──!?」
背後から、
巨大な影が迫ってきた。
振り向くと――
そこには、
立派な毛並みをたなびかせた、
超大型ジョンがいた。
「ジョン、でかっ!」
思わず叫ぶ。
昔からでかかったけど、
今はさらに一回り、二回りは大きくなっている。
俺の肩に、前足をかけるだけで、
軽く見下ろされる高さ。
(……育ったなぁ、おまえ……)
感慨深く見上げた、
その次の瞬間だった。
べろべろべろべろっ!!
「ぎゃあああああ!!」
顔面に容赦ないベロベロ攻撃!
ぬるぬる、べたべた、
毛と唾液のダブルパンチ!
「や、やめろっ、ジョンー!!」
子どもたちはきゃっきゃとはしゃぎ、
ルミナスはケラケラ笑っている。
(……この世界、平和すぎるだろ……!)
涙目になりながら、
俺は《クリーン》を発動。
パァアァァァ!
光に包まれ、
俺もジョンも、瞬時にピカピカになった。
「はぁ……助かった……」
ぺたりと地面に座り込み、
そっと空を仰ぐ。
(……でもまあ、これも悪くないか)
ジョンの鼻先を軽くつつきながら、
俺は小さく笑った。
ギルドのロビーに、俺はふらりと顔を出した。
──いや、厳密に言えば。
ここに住んでるから、
毎日顔を出してると言えば出してる。
でも今日は、
単なる生活動線の一環じゃない。
「……別件だ、別件」
誰にともなく呟きながら、
俺は受付カウンターへ向かう。
目指すは、掲示板。
依頼一覧が、今日もぎっしりと貼り出されている。
***
(……家が、欲しい)
強く、心に思う。
(できれば、小さくてもいい。庭付きがいい。バーベキューしたい)
孤児院の子どもたちや、
ルミナスやジョンと一緒に、
わいわい騒げるマイホーム。
そのためには――金だ。
(古銭なら、いっぱい持ってるけど……)
ゲーム時代の遺産、
年代モノの古代通貨。
これだけでも、
家一軒くらい買えそうな気がする。
……が。
(──流石に不自然だろ)
いきなり古代の金貨やら銀貨やらを、
ぽんと積み上げたら、どう考えても怪しまれる。
最悪、貴族とか役人にマークされるかもしれない。
(……いやだ、絶対めんどくさい)
だから、普通に、地道に稼ぎたい。
あくまで、表向きはコツコツ労働者。
地味に、こつこつ、お金を貯める。
そのために。
(──何か金になる依頼、ないか……!)
目をぎらつかせながら、
掲示板を見上げた。
***
──Eランク依頼一覧。
・「広場の側溝掃除」(すでにクリア済み)
・「薬草の採取」(安定だが単価安)
・「廃屋の整理」(ゴミ屋敷並み)
・「害虫駆除」(地味にキツい)
・「商隊護衛の補助」(危ない、たぶん)
(……んー、どれも地味だなぁ)
まぁ、Eランクだから当然っちゃ当然なんだけど。
(できれば、ラクして儲かるやつ、ないかな……)
わずかな希望を抱きつつ、
さらに目を凝らすと。
ぴら、と一枚の張り紙が目に留まった。
【特殊調査依頼】
対象:旧市街地・未整理区画
内容:簡易清掃&調査補助
報酬:成果に応じてボーナスあり
「……ほう?」
興味を引かれて、身を乗り出す。
特殊調査、と書いてはあるが、
よく読むと、要は「掃除とちょっと探検」らしい。
(……これ、行けるかも……?)
Eランク向け依頼だけど、
成果次第ではボーナスがつく。
そして、未整理区画ってことは――
(……お宝とか、ありそうじゃね?)
うずうずする。
たしか、前に精霊種の少年たちから聞いた。
旧市街には、今でも古い屋敷跡や、
誰も知らない小さな祠が眠っているらしい。
(ワンチャン、レアアイテム拾えるかも……?)
そんな妄想まで広がる。
***
「……よし、これにしよう!」
俺は意を決して、
依頼票をぺらりと剥がした。
受付嬢のところへ向かう。
今日は、珍しく、
しっかり地に足つけて仕事するモードだ。
(……色街も、もうすぐ行きたいしな)
小声で付け加えたその本音は、
誰にも聞かれていないことを祈りたい。
依頼票見て
ふと、妙な既視感を覚える。
地図に描かれた、
旧市街地の区画。
崩れた通り、朽ちた屋敷、
謎のマークがついた未踏エリア――
(これ……見覚えある……!)
バチッ、と記憶が繋がった。
(そうだ……ここ、ゲーム時代の、メイン地区じゃん!!)
かつて、俺たちがクエスト三昧していた、
にぎやかだったメインストリートの跡地。
あの頃は、
あっちでレアモンスター、
こっちで隠し宝箱、
さらにはNPCイベントがわんさかあった。
(いや待て、でもな……)
ゲーム時代でも、
ここを自由に探索するには、
【専用地図】っていうキーアイテムが必要だった。
適当に歩き回っても迷うだけで、
地図がないとロクに探索できなかったんだ。
(その地図、たしか……)
頭をフル回転させる。
(……丘の上の、人里離れた雑貨屋……
そこの前にいた、精霊種の少女から、もらったんだった……)
あの、ぽつんと佇んでいた少女。
ほとんど喋らず、
プレイヤーの行動によっては何も起きなかった少女。
だが、何度も話しかけて、
根気強く接していくと――
彼女は、
そっと地図を手渡してくれたんだ。
(……でも)
苦笑する。
(3000年も経ってるしなぁ)
そんなピンポイントなNPC、
今でも残ってるわけがない。
普通なら、そう思うところだ。
だけど――
(……でも、万が一ってこともあるよな)
俺はそのまま受付カウンターへ向かった。
待っていたのは、
ギルドの名物受付嬢――リサ。
「……ヒディさん」
リサはにこやかに微笑んだ――かと思いきや、
すぐに溜め息をついた。
「また……またやらかしましたね?」
「え、な、何を……?」
思わず身をすくめる俺。
「自覚ないんですか!? いろいろ噂が流れてきてますよ!」
ぴしっと指を突きつけながら、
リサはきつめに睨んできた。
「ただでさえ目立つんですからね?
青い肌、長い耳、モデルみたいな体型、しかも超絶美人!
もう、目立つ要素の詰め合わせパックなんですから!」
ぷんすか怒りながら、
リサはちらりと俺の胸元を見た。
そして、
そっと自分の胸元にも視線を落とす。
……見比べる。
……沈黙。
「チッ……」
舌打ち、小さく一発。
(聞こえたぞ、おい……)
顔には出さず、心の中でツッコミを入れる俺。
だがリサは即座に、
満面の営業スマイルに切り替えた。
「では、依頼票をお預かりしますねっ♡」
小さく苦笑しながら、依頼票を手渡した。
リサは手際よく依頼内容を確認し、顔を上げる。
「今回のご依頼は……旧市街地の未整理区画の調査ですね」
「うん」
頷く俺に、リサは慣れた調子で続ける。
「この依頼は街中扱いなので、
一応Eランク向けになっています。
危険を感じたらすぐ戻ってください。
報告だけでも、依頼達成になりますから」
(……ちゃんと説明してくれると安心するな)
素直に思っていると――
リサは、ふと、
微妙に難しい顔をした。
「……でも、ヒディさんだしなぁ」
「えっ、なにその不穏な前置き」
「いや、その……」
リサは少しだけ言いよどみ、
それでもきっちりと付け加えた。
「もし、安全に対応できそうなら、
問題解決しても構いません。
でも、絶対に無理はしないでくださいね?」
「りょ、了解っす!」
思わずぴしっと敬礼する俺。
リサはふっと柔らかく笑った。
「ヒディさん、変なところで真面目なんですから。
本当に無理しないでくださいね」
「……善処します」
苦笑しながら、受領証を受け取る。
(……受付嬢って、意外と保護者ポジなのかもしれないな……)
心の中でそんなことを考えながら、
俺はカウンターを後にした。
ギルドを後にして、
俺は旧市街地への道を歩き始めた。
空は快晴。
けれど、街の西側――旧市街地は、
別世界のように静かだった。
***
石畳の道はひび割れ、
ところどころ雑草が突き破っている。
崩れかけた家々、
蔦に覆われた石塀、
風が吹くたびに、どこからかカラカラと瓦礫が転がる音。
(……うん、まさに廃墟)
思わず、肩をすくめた。
今は人が寄りつかないこの場所も、
かつては栄えていたんだろう。
(ゲーム時代でも、ここは"メインの街"だったからな……)
武器屋、宿屋、広場、城門。
活気にあふれた、あの光景がふと脳裏に蘇る。
でも、今は。
見る影もなく、廃墟と化している。
(……3000年も経てば、そりゃこうなるか)
ため息交じりに、足を進める。
目指すは、丘の上。
人里離れた小さな雑貨屋――
その前に、精霊種の少女がいた場所。
(……まあ、いないとは思うけど)
期待半分、諦め半分で、
俺は朽ちた街を歩き続けた。
***
しばらくして、
丘へと続く緩やかな坂道に差しかかった。
道の両脇には、
かろうじて残った石垣と、
それを這うツタの群れ。
小鳥のさえずりもなく、
ただ風だけが吹き抜ける。
(……静かすぎるな)
なんとなく、足音を控えめにしてしまう。
坂を登るにつれ、
視界が少しずつ開けていく。
そして。
(──見えた)
丘の上に、
ぽつんと残る、石造りの基礎跡。
かつて、雑貨屋があった場所だ。
屋根も壁もすっかり朽ち、
ただの廃材の山になっている。
だけど、そこに立った瞬間――
(……あぁ、間違いない)
胸の奥が、微かに震えた。
ここだ。
間違いなく、あの少女がいた場所だ。
(……でも、流石に、もう……)
苦笑しながら、
俺は雑草に覆われた瓦礫を、そっと踏みしめた。
***
と、その時だった。
風に吹かれて、
がさり、と何かが動く音。
(……?)
耳を澄ませる。
……気のせい?
それとも――
何か、いる?




