↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
12/22

第11話 孤児院の少年

ヒディがギルドに戻ってきたのは、まだ夜明け前だった。街は静まり返っていたが、ギルドの建物だけは明かりが灯り、人の気配が残っていた。


 ここは夜でも営業しているらしい。夜の仕事も多く、遅い時間に依頼を受けにくる者や、報告に訪れる者もいる。斡旋業務も随時対応しているのだろう。


 石の階段を登って扉を開けると、先ほどより人の数は減っていたが、いくつかのテーブルには遅い食事や軽い打ち合わせをしている冒険者たちが残っていた。


 誰もがヒディにちらりと視線を向けたが、特に何かを言うわけでもなく、それぞれの作業に戻っていった。


 ヒディはロビーを抜け、足音を立てないように気を配りながら宿舎の廊下を進んだ。


 忍び足で、文字どおり壁に背をつけながらの移動である。絶対に気づかれてはいけない。特にルミナスには。


(……もしバレたら……いや、きっと蔑んだ目で見られるに違いない。あの、無垢な瞳で「ヒディ、えっちー……」とか言われたら……死ねる。精神的に)


 顔を赤くしながらも、慎重にドアの前にたどり着いた。


 中は暗かった。ホッと胸を撫で下ろす——が、どこか、何かが違う。


 目を凝らして室内を見回すと、窓辺に置かれたベッドが、夜の薄明かりに浮かび上がっていた。外から差し込む月明かりに照らされて、シルエットがうっすらと浮かび上がる。


そこには、ジョンの白い体と、窓辺に座ったままこちらを見つめるルミナスの姿があった。ゆっくりと上下するジョンの呼吸と、ルミナスのかすかな唸り声のような音が、静寂の中に柔らかく響いている。


窓辺に座ったままのルミナスが、暗がりの中でじっとこちらを見つめていた。金色の瞳が、月明かりに反射して静かに光っている。


「ヒディ……どこ いってたー?」


 低く、眠そうな声だが、妙に圧がある。


(ば、ばれてる!? いや、なんで起きてるの!?)


 ヒディは慌てて口を開きかけたが、その前に視線がもう一つの方へ向けられた。


 ジョンがルミナスの横で、なぜか目だけギラリと怪しく光っている。だがその表情は……どこまでも呑気だった。口元を開け、舌を出しながらも、まるで「おかえり」と言っているような顔で尻尾を一回だけ振った。


「……ジョン、おまえ……わかっててそれか……」


 ヒディはそっとため息をついた。


 その直後、ルミナスの声がさらに続く。


「ルミー しってるよ。ヒディ よなかに いなくなった。おいてった。さみしかった」


「いや、ちょっとだけだし……すぐ戻ったし……」


「ダメー! よるは こわいの。にほんと ちがうー。ここ あぶないー。おんなのひと ひとりで あるいちゃ ダメー。ばしゃ つかうの、ふつうはー」


「う……はい……すみません……」


 ぺたんと座ったルミナスは両手を腰に当てて、どこで覚えたのか“おかんポーズ”で睨んでくる。


「それにね、ジョンも いってたー。『ヒディ いなくなって さみしかった』って。ねー、ジョンー」


 ジョンはというと、舌を出したまま尻尾を軽く振っているだけだった。どこまでも呑気である。


「……ほんとに、そう言ってたのか? いや、うん、言ってたんだよな、きっと……」


 ヒディは肩を落としながら、そっとドアを閉めた。


 まだ眠そうなルミナスの頭をそっと撫でながら、ヒディは声をかけた。


「……な、なあ。ごめんな。ちょっと……うん、ちょっとだけ、外の空気が吸いたくてさ。……もう、少し寝ようか」


 ルミナスはぷいっとそっぽを向いたが、撫でる手を拒むことはなかった。


「ヒディ……もう どっか いかない?」


「いかない。……今日は、ずっと一緒だ」


 誤魔化すようにそう言いながら、ヒディはそっとルミナスの隣に座り、体を寄せた。ルミナスの小さな体がふにゃりと肩に凭れかかり、ジョンはベッドの足元で丸くなった。


 夜の静寂に包まれながら、ヒディは目を閉じた。


 ——そして、朝が来た。


 窓から差し込む光に、ヒディはゆっくりと目を開けた。体を起こすと、肩と腰にかすかな疲労感がある。けれど、不思議と心は軽かった。


(……昨日の“夜ハッスル”のせいか、知らない間に溜まってたストレスが吹き飛んだみたいだな……)


 ルミナスはまだすやすやと眠っている。ジョンも足元で気持ちよさそうに寝息を立てていた。


 ヒディはそっとベッドを抜け出し、窓辺に立って朝の光を浴びた。新しい一日が始まる。


 ふと、部屋の隅に置かれた脇台に目が留まった。そこにはタライと水差しが載っている。おそらく、顔を洗うためのものなのだろう。


(……あ、そうか。自分で水、汲んでこなきゃなんないのか)


 タライを片手に、ヒディはそっと部屋を出た。建物の作りや、人の流れの感覚でなんとなく方向を見定めると、井戸場と洗濯場のある中庭に出ることができた。


 朝日が差し込む中、すでに何人かの住人が洗濯や水汲みの準備を始めていた。ヒディは井戸の縄を巻き、重たい水桶を引き上げる。こういった地道な作業に、妙な現実味と、どこかノスタルジックな安心感を感じていた。


(……こういうのも、悪くないな)


 と、そんなことを思っていたヒディだったが。


「……あっ」


 思わず声が漏れた。


 ヒディはすっかり忘れていた。昨晩、寝間着がわりに着た初期装備——水着のような布面積の少ない服装のまま、外に出てきてしまっていたことを。


 露出の多い服のせいで、街のハンターたちの視線が突き刺さる。しかも昨晩ハッスルした名残が、肌や表情に色香となって残っているのか、無駄に艶っぽい。


 ギルドの宿舎だけあって、若い男のハンターも多い。その彼らが水を汲んでいる最中、ふとヒディに気づき、次々に固まった。


「……っ……!?」「あれ……やばくね……?」「なにあの美人……服、え? 水着?」「てか……なんか色気すごくない……」


 彼らは顔を真っ赤にしながら、そそくさと建物の中へ戻っていった。中には井戸の水桶を地面に落としそうになった者もいた。


(……? なんか……見られてる……? え、なに? ……あー……服か……いや、でもまあ、もう気にしない……ってか、スルースキルもだいぶ磨かれてきたしな……)


 ヒディは淡々と水を汲んでいると、宿舎の奥からどたどたと足音が近づいてきた。


「なーにやってんのアンタ! そんな格好で!」


 現れたのは、ギルド宿舎の管理人らしき中年のおばさんだった。


「え……あ、これ寝間着で……その……」


 おばさんは呆れたように両手を腰に当て、ヒディを上から下まで睨むように見てから、大きくため息をついた。


「アンタねぇ、見た目があれだけ綺麗なんだから、目立つのも当然ってわかってんでしょ? 朝っぱらからそんな色気振りまいて……!」


「いや、そういうつもりは……!」


「まともな服、ちゃんと買ってきなさい。おすすめの古着屋、教えてあげるから」


 おばさんはしっかりとした足取りで戻り際、「あとで地図持ってくるから部屋で待ってな!」と叫んでいった。


 ヒディは水差しを抱えて、ゆっくりと首をかしげた。


(……朝から疲れた……)


 部屋に戻ると、ルミナスが目をこしこしとこすりながら、ジョンを抱いて起き上がっていた。「ヒディー、おはよー」


「おはよう。起きたばっかか」


 ヒディはルミナスの顔を拭き、口元に水差しの水を注いで飲ませた。ジョンにも同じように水を与える。


 自分の顔も洗って、ふぅと一息つくと、ふとあることを思い出した。


「さて、歯も磨くか」


 ヒディはカバンの中から、かつてサバイバル生活で苦労して作ったお手製の歯ブラシを取り出す。木の枝と丹念に潰した繊維を使った、見た目は雑ながらも気に入っている一品だった。


 それを見たルミナスが、きょとんとした顔で首を傾げた。


「ヒディ、それ なに?」


「ん? ああ、歯磨くやつ。昔、森の中でサバイバルしてたときに作ったんだ。命かかってるときって、こういう工夫が命綱になるんだぜ?」


 得意げにドヤ顔で語るヒディに、ルミナスはぽかんとした表情で聞き返した。


「でも、クリーンの まほう あるよ? ピカピカなるよ?」


「……」


「まほう つかいたくないならー、ざっかやで はぶらし うってたー」


 ヒディはその場に膝をつき、床に両手をついて項垂れた。


(俺の……この努力……この工夫……無意味だったのか……)


 そのとき、ノックもなしに扉が開いた。


 「……ちょっと、朝っぱらから何やってんのさ!」


 入ってきたのは、管理人のおばさんだった。


 ヒディは思いっきり手を床についた状態で、しかも水着のような寝間着姿のままだった。


 結果、まるで土下座ポーズのようになり、しかもお尻をドア側に向けて突き出している格好だった。


 おばさんは一瞬固まり、それから顔を赤くして叫んだ。


 「アンタ、なにその格好! 慎みなさいよ慎みを!」


 それはもう、こってりと怒られた。こってりと。


 ヒディは正座しながら頭を下げ、ひたすらうなだれていた。


 ジョンはいつものように呑気な顔でごろんと寝転がっており、ルミナスはその背中に乗ったままポカンとした顔でおばさんとヒディを交互に見ていた。


 「……なにが“忠犬”だよ……」


 ヒディはジョンを横目に、嘆きのため息を漏らした。




ヒディは朝の支度を進めながら、ふと思い出していた。


「……あ、そういえば。さっき言ってた“クリーン”って……魔法、だったよな?」


 寝起きでぼんやりしていた頭を振り払い、ヒディはルミナスに尋ねた。


「なあ、ルミナス。クリーンって魔法、どうやって使うんだ?」


「んー? クリーン? かんたんー。『クリーン』っていえば、ぴかぴかー」


「……マジでそれだけ?」


「うん。ヒディ、やってー!」


 ヒディは言われた通り、ゆっくりと掌を掲げて魔力を集中させる。


「……クリーン」


 瞬間、ふわりと淡い光が体を包み、次の瞬間——


「おおっ……!」


 ヒディの身体はまるで魔法のようにピカピカになった。肌はすべすべ、髪はツヤツヤ。服の隙間から覗く肌が、朝の光を受けて淡く光っているようにすら見える。


「……な、なんだこれ……便利すぎる……」


 腕を触ってみる。しっとりとして、それでいてサラサラの手触り。足もツルツル。顔を指でなぞってみても、何も引っかかりを感じない。肌が……生きてるみたいだ。


「……私の、サバイバル時代の努力って……」


 遠い目になりつつも、ヒディはこの魔法の凄さに改めて感動していた。


(なんか……この身体にも、少し慣れてきたな……)


 朝の空気は冷たいけれど、ヒディの中にはほのかな満足感が満ちていた。


 さらにルミナスに聞くと、クリーン魔法は込める魔力量によって効果が変わるのだという。強く魔力を込めれば、それだけ汚れ落ちもよくなり、肌や髪の仕上がりもさらに上質になる。


 節約派の人々は、まず水である程度汚れを落としたあとに、軽くクリーンをかけるという使い方をしているらしい。


 また、街では子供たちが「クリーン屋」として、小銭をもらいながら旅人や冒険者に簡易クリーンをかけてくれることもあるのだそうだ。


「……ほんと、生活に根付いてるんだな、この魔法」


 ヒディはしみじみと呟きながら、自分の腕をもう一度さすった。


 そして、クローゼットの隅に掛けておいた旅用の装備に目を向ける。寝巻き姿のままでいるのはさすがにまずいと、いつもの旅服へと着替えることにした。


 着替えを終えると、もう一度小さく息を吸い、「クリーン」と唱えて旅服全体に魔法をかける。


 ふわりと淡く光る衣服。砂ぼこりや古い匂いがすっと抜け、繊維の一本一本が蘇ったように新しく見えた。


「うん、完璧」


 そうつぶやいて、ヒディはルミナスとジョンの準備を確認した。


 さて、とヒディは腰に手を当てて小さく息をついた。


「おばさんに怒られたし……ちゃんとした服、買いに行くか。古着屋だっけ」


 ルミナスはベッドの上でくるりと寝返りを打ち、ジョンに抱きついたまま「ふくー?」と寝ぼけ眼で聞き返す。


「うん、服。さすがにこれじゃ目立ちすぎるし……」


 ヒディは現在の街行く人と明らかに違うデザインの服を見て、肩をすくめる。


「行ってくるよ。ついでに、何か朝ごはんも買って帰るから」


「ジョンもー。ジョン、いくー」


「いや、ルミナスは寝てていいから。……ジョンは、まあ、ついてくるんだろうな」


 だが、当然のようにルミナスは布団をけとばし、「ヒディと いくー!」と宣言して支度を始めた。ジョンもそれに釣られて立ち上がり、ぐるっと伸びをしてからヒディの足元へ移動してくる。


 ヒディは苦笑しながら二人の様子を見て、肩をすくめる。


「……だよな。はいはい、じゃあ三人で行こうか。とりあえず、朝ごはんが先だな」


 ヒディたちは、ギルドの一階に併設された食堂へと降りていった。


 朝の時間帯だけあって、すでに数人のハンターらしき男たちが食事を取っていた。その中には、先ほど井戸場でヒディの“水着のような寝巻き姿”を目撃した者たちも含まれている。


 彼らはヒディの姿を認めた瞬間、ビクッと肩を揺らし、顔を赤くして目線を逸らした。無言でスープをかき混ぜる者、無理に笑って話題を変える者、それぞれに動揺の色が濃い。


 だが、当の本人であるヒディはまったく気づいていない。


「おはようございまーす。あ、朝食セット三人分、お願いしまーす」


 元気よく注文を済ませると、空いているテーブルに着席した。料理が運ばれてくると、ルミナスとジョンの世話を始めた。


 スプーンを握らせたルミナスに、こぼさないようにゆっくりねと声をかけ、ジョンにはテーブルの下で専用の皿に取り分けたパンを差し出す。


 ヒディ自身も、素朴なパンと温かい野菜スープ、香ばしく焼かれたベーコンを口に運びながら、心の中で(……異世界の朝って感じだな)と密かにしみじみしていた。


 食事を終えたヒディは、ルミナスとジョンを連れて食堂を後にし、ギルドの出口へと向かう。


 朝のギルドは活気にあふれていた。ハンターたちが依頼掲示板の前に集まり、受付で交渉したり、仲間同士で打ち合わせをしたりと、それぞれの一日を始める準備に追われている。


 そんな中、のんびりと歩くのはヒディ一人だけ。


 足取りこそ軽やかだが、場違いなほどにマイペースな様子で、忙しげな空気の中をすり抜けていくのだった。


 ギルドの扉を抜けると、朝の街の光景が広がった。

 石畳の通りには行き交う人々、商人が店先で声を張り、パン屋の煙突からは温かそうな香りが漂ってくる。荷車を引く獣とそれを操る男たち、街角の演奏家、そして窓を開け放って掃除する住人。


 ギルドの扉を抜けた先に広がる街の景色は、かつてゲームで見慣れていた景色とはどこか違い、しかしどこか懐かしい匂いがした。


 ヒディは立ち止まり、深く息を吸う。


 しばし街の朝の空気を味わったあと、ヒディは足を進めた。


「さて、と……古着屋に行こうか」


 そう言いながら、商人たちの呼び声や行き交う荷車を避けつつ、人の流れに合わせて歩き出す。ヒディはルミナスの手を握り、ジョンはその脇をゆっくりと歩いてついてくる。


ルミナスは今日は自分で歩きたいようだ。ルンルンでトテトテ歩いている。ぜひ、あのピコピコ音の鳴る笛靴を履かせてみたい。さぞかし可愛いだろう。


 街のあちこちには小さな露店や簡易テントの市も立っていて、野菜や果物、布地に小物、アクセサリーなどが並んでいる。そんな通りを抜けて、ヒディはおばさんに教えてもらった古着屋を目指す。


 やがて、通りの一角に年季の入った木製の看板がかかった建物が見えてきた。『服の小屋・リオナ』と手書きされたその店は、石造りの街並みの中ではやや古ぼけていたが、ドアの前には手入れの行き届いた花鉢が並べられ、どこか温かみがあった。


 ヒディがドアを押して中に入ると、カランコロンと鈴の音が響く。店内は思ったよりも広く、棚には畳まれた衣服が丁寧に並べられ、奥にはハンガーにかかったコート類が揺れていた。


 色とりどりのシャツ、ズボン、スカート、そして冒険者向けの軽装備まで品揃えは豊富で、カバンや帽子、小物類も充実している。子ども用の服も少しだけ置かれており、ルミナスがそちらに吸い寄せられるように歩いていく。


 ヒディは一角に掛けられていたフード付きの厚手コートに目を留めた。


(これ……いいかも。街中でも浮かないし、外でも暖かそう)


 試しに袖を通しながら、ヒディは鏡に映る自分をじっと見つめた。


 実のところ、こうして鮮明な鏡で自分の全身を正面から見るのは、これが初めてだった。窓ガラスや水面に映った姿でなんとなくのイメージはあったが、明るい照明のもとで、しっかりとしたガラスに映る自分の姿はまるで別人のように見えた。


 青みがかった肌に、整った顔立ち。長く流れるような銀髪に、すらりとした手足と引き締まった腰回り。


「……ほんとに、これ……私なのか……?」


 思わず小声でつぶやく。


 その姿は、どこからどう見ても“美しい女性”そのものだった。


 ヒディは軽く咳払いをして気を取り直すと、ふと店の奥に目をやった。


 ルミナスは子ども服のコーナーで、うっとりとした表情で色とりどりの服や小さなマントを眺めていた。


 時折、「これ かわいー……」「ルミーに にあう?」といった呟きが漏れ聞こえてきて、どうやら夢中になっているらしい。


 一方、店の外ではジョンが入口付近の石畳に伏せて待っていた。退屈そうにあくびをしながらも、時折尻尾をぱたぱたと揺らしており、ヒディの帰りをきちんと待っているようだった。


 ヒディは店内をひと通り見渡し、実用品を中心に選び始めた。普段使いできそうなシャツとズボン、街中でも目立たないための落ち着いた色味のフード付きコート、それに夜用の露出の少ない寝間着を手に取る。


 そして、下着売り場の前で足が止まった。


(……そういえば、これも必要だよな……)


 誰に見られているわけでもないのに、なぜか視線を泳がせつつ、戸惑いながらも数枚の下着を選んで手に取る。男物のブリーフと比べて布の少なさと行ったら……。こんなのを買う日が来るとは。と思いつつ選ぶ。


淡い色やシンプルなものを選んでいる自分に、心の中で「何照れてんだか……」と突っ込みを入れながら、そっと買い物かごへ入れた。


 ふと顔を上げると、ルミナスはまだ子ども服のコーナーで熱心に選び続けていた。小さな手で裾を広げたり、鏡に映してみたりと、どれにするか本気で悩んでいる様子だ。


 ヒディはその後ろ姿に苦笑しながら、(……さて、こっちも早めにまとめなきゃな)とレジの位置を探し始めた。


 レジカウンターに向かうと、店番らしい中年の女性が笑顔で迎えてくれた。


「あらまあ、お客さん綺麗な顔してるわねぇ。これなんてどう? 最近仕入れた可愛いワンピースよ」


 ヒディは勧められたひらひらのピンク色の服を見て、反射的に首を横に振る。


「あ、いえ……そういうのはちょっと……その……」


「ふふ、そっか。じゃあ実用的なやつでまとめて……」


 と、そのタイミングで「ヒディー! みてー!」という声が店内に響いた。


 ルミナスが満面の笑みで、両手に抱えるように小さなワンピースとフードつきのマントを持って駆け寄ってきた。


「ルミー、これ きるー! ヒディ、いいー?」


「……うん、いいよ。それ、似合いそうだな」


 ルミナスはぱあっと顔を輝かせた。


 店主は微笑みながら商品を確認し、「いいお目が高いわねぇ。これ、うちでも評判なのよ」と言って会計を進めてくれる。


 ヒディは購入予定の衣類をすべて差し出し、ふと手に取ったそれぞれの縫製や質感に目を留めた。


 どれも古着とはいえ丁寧に補修され、糸の目は真っ直ぐで丈夫そうだ。国民服と呼ばれるほど大量生産された元の世界の服屋には及ばないものの、元の職人が持っていた技術の高さと、店側のリペアの腕前がうかがえる。


 また、素材は化学繊維ではなく天然の布地が使われており、触れた瞬間の肌なじみとぬくもりに、ヒディは思わず感心した。


 、ルミナスの服とあわせて精算を済ませた。


(……そういえば、“おすすめ”ってのにも理由があったんだな)


 そんなことを思いながら、包みを受け取ったヒディは軽く頭を下げた。


 するとルミナスが、受け取った小さな包みをぎゅっと抱きしめたまま、「ルミーの、ルミーが もつ!」と宣言する。


「え、いや、重いかもしれないし——」


「もつー!」


 頑として譲らない。


 結局、ルミナスは自分の服が入った包みをしっかりと両腕に抱えて、満足げに胸を張っていた。


 ヒディは苦笑しつつ、(まあ、本人が嬉しいならそれでいいか)と肩をすくめた。


 こうして買い物を終えたヒディたちは、古着屋をあとにして街へと歩き出す。


 ルミナスは小さな包みを大事そうに抱え、ジョンは軽やかな足取りでその脇を歩く。


 ヒディも新しいコートを抱えて、目的もなく石畳の通りを進んでいく。


 旅先の異国で、ただ街を歩く——そんな感覚に近い。元の世界でも旅行に出かけると、決まった観光地を巡るパッケージツアーより、自由に街を歩いて空気を感じるのが好きだった。


 建物の造り、人々の声、遠くで聞こえる鍛冶の音や、焼きたてパンの香り。


 そんなささやかな風景を楽しみながら、ヒディたちはのんびりと街を歩いていった。


 ——と、そのとき、ふとヒディはあることを思い出した。


「あ……そういえば、生活魔法の中に“アイテムボックス”ってのがあったような……」


 名前だけは記憶に残っていた。確か、手荷物程度の大きさなら出し入れできる、簡易収納系の魔法だったはずだ。


(うまく使えれば、買い物した荷物とか持ち歩かずに済むかもしれないな)


 ヒディは少しだけ期待を込めて、魔力を集中しながら小声で呟いた。


「……アイテムボックス」


 試しに手のひらを開くと、ふわりと小さな光が浮かび上がる。


 光が収まったあと、視界に表示されたのは、ごく小さな空間。手荷物数個分程度のスペースがあり、気軽に出し入れできるような構造になっていた。


「あー……ここに入れるのか。便利だな……」


 ヒディはそう呟きながら、自分が持っていた荷物をひとつずつ収納してみる。思ったよりも簡単で、反応も軽快だった。


 ふと、ルミナスの方に手を差し出し、「荷物、入れておこうか?」とジェスチャーで伝えてみる。


 しかし、ルミナスはぶんぶんと首を横に振って、ぎゅっと自分の包みを抱きしめた。


「ルミーの! ルミーが もつー!」


「……はいはい。分かったよ」


ヒディは苦笑しつつ、魔法の便利さと子どものこだわりに、どちらも尊重することにした。


歩きながら、ヒディは少しだけ顔を上げて、周囲の様子を楽しんでいた。


ジョンが足元でぴょんぴょんと歩きながら、ルミナスとヒディの間を行ったり来たりしているのを見て、ヒディは少しだけ安堵の表情を浮かべた。


街角を抜けて歩いていると、ふと路地のそばに座っている少年の姿が目に入る。


それは昨日、ヒディたちが通りかかった時に見かけた精霊種の少年だった。年齢はおそらく6歳くらいだろうか、細い手足に、少し小柄な体格が印象的だ。


その少年は、街の雑踏の中でひとり静かに座っている。


(……治安が良いとはいえ、こんな小さな子どもが独りで歩いているのはどうかと思うな)


ヒディは少し心配になりながらも、目線をその少年に向けると、ふと昨日の3人組が浮かんできた。あのような連中がまだ街の中にいるかもしれないと思うと、少し不安になった。


(あの3人組みたいなのがいなければいいけど……)


と、思ったその時、少年がヒディたちに気づくと、満面の笑みを浮かべながら近づいてきた。何か言いたげに手を伸ばしてきて、ヒディの袖を掴む。


「ん?なーに?」


ヒディが軽く問いかけると、少年は黙って嬉しそうに引っ張りながら、なおも顔を輝かせている。ヒディはその手に導かれるままに、何の疑問も抱かず少年についていくことにした。



路地の先に、小さな教会風の建物がひっそりと佇んでいた。周囲の大きな建物に囲まれ、目立たないように隠れている。その建物に見覚えがあった。かつてゲーム時代に、よく通った場所だ。


「ここ、まだあったんだな……」


街が発展するにつれて、すっかり目立たなくなったけれど、変わらずそこに存在しているのがどこか安心感を与えてくれる。


「懐かしいな……」


ヒディはふっと微笑んだ。変わり続ける街の中で、ひっそりと残るこの場所が、少しだけ心を温かくさせた。



少年はさらに内部へと案内しようとする。そのまま付いていけばいいのか、少し迷ったが、やっぱり大人に許可を取らないとまずいだろうと思う。しかし、少年はそんな気にしていない様子で、無言のままヒディを引っ張る。


「え、あ、ちょっと待って……」


何となくその勢いに流されるように、ヒディは少年に引っ張られるまま教会の中に足を踏み入れてしまった。


少年に引かれるまま、ヒディは教会の奥へと進んだ。案内されたのは、孤児が集まるような大部屋ではなく、どこか静かな個室だった。部屋は大きくなく、寝るためだけのシンプルな空間のようだ。


部屋に入ると、目に入ったのはベッドとテーブル、そしてテーブルの上に置かれた洗面器、水差し、タオルだけ。何も派手なものはなく、ただ静かに佇むその部屋には、どこか落ち着いた雰囲気が漂っていた。


そのベッドの上には、精霊種と思しき、4歳くらいの少女が横たわっていた。半透明で綺麗なその姿は、まるで夢の中にいるかのように儚げだ。しかし、その姿にはどこかぐったりとした様子があり、まるで力を使い果たしたかのように見えた。


ヒディたちが部屋に入ってきても、少女はまったく気づかない様子で、ただ静かに横たわったままだ。


少年はヒディの袖を掴んだまま、少女の近くへと引っ張った。その手は強く、しかし必死にお願いするかのように引き寄せられる。


「セレナ……」少年は小さな声でつぶやく。目を大きく見開いて、ヒディを見上げてきた。無言のお願いに、ヒディは何とも言えない表情を浮かべる。


「おお、分かったよ……そんなに言うなら、どうにかしてあげないとね」


ヒディは内心でちょっと笑った。あれだけ無防備な美少年のお願いに弱いのは、どうやらお姉さん(中身はおっさん)だったからだ。


「わかったよ、助けるからね」


しばらく考えていたヒディは、ふと思い出した。街へ向かう街道の途中で立ち寄った池のほとりで、珍しい果物を見つけたことがあった。


「リンファの実……」


その名前が頭の中でひらめく。リンファの実は、精霊の力が宿った木から実る珍しい果物で、力を必要とする者にとっては貴重なアイテムだったはずだ。色も鮮やかな赤色で、見た目も美しく、まるでリンゴのように丸くて艶がある。


「そうだ、あの実を持ってたんだ。あれなら、もしかしたら……」


ヒディはふと思いつき、目の前の少女を見つめながら考えを巡らせる。ポーションは確かに万能薬ではない。病気には効かないことがあるが、リンファの実はその力が精霊の恩恵を受けているため、体力回復や生命力の回復には格段に効果が高いはずだ。


「リンファの実、持ってるんだ。あれを使えば、少しは助けになるかもしれない」


ヒディはリンファの実を一つ、少年に渡すと、少年の顔がぱぁっと明るくなり、満面の笑みを浮かべた。嬉しそうにその実を大事そうに抱えた少年は、すぐに少女に渡そうとする。


「おいおい、ちょっと待ってくれ」


ヒディは慌てて手を出して止めた。少し焦りながらも、「病気の時はすり下ろしリンゴだろう、ってことで」とつぶやき、リンファの実をどう使うか考え始める。


「でも、すりおろすにはどうすればいいんだろう……」


ヒディがどうすればこのリンファの実を使えるか考えていると、少年はそれを手に取って、何も言わずに嬉しそうに少女の口元へと近づけた。


「おいおい、ちょっと待って!」


ヒディが慌てて声をかけるも、少年は無邪気な笑顔のままで、実を少女の唇にそっと押し当てようとした。


「これ、食べるー?」


その無邪気な行動にヒディは驚き、急いで駆け寄って「おい、ちょっと待て、そうじゃない!」と手を出した。


少年は少し戸惑った表情でヒディを見上げる。


「おい、あれはすりおろさないとだめなんだよ!」ヒディはそのままビーカーを取り出し、どうにかして実を潰す方法を考え始める。


ヒディはしばらく考えた後、試しにリンファの実を手に取ると、軽く握ってみることにした。意外にも力を入れずとも、実はあっさりと潰れてしまい、細かい実がジュースとともにこぼれ出た。


「どんだけ怪力設定なんだ……まあ結果的にOKか」


美味しそうな香りが漂い、ヒディは少し嬉しくなった。細かく潰された果肉が入っているのが見え、まるでフレッシュなジュースのようだ。


少年が興味津々で見つめていたが、ヒディはふと思う。彼にやらせると、ジュースが飛び散ったり、うまく飲ませられなかったりするかもしれない。そうだ、やっぱり自分で飲ませてやる方がいい。


「よし、じゃあこれを飲んで元気を出してくれよ」


ジュースはビーカーに入れたままで、ヒディは少し考えた後、慎重に少女の後頭部に手を回して支えた。静かに少女を少しだけ起こし、顔を優しく持ち上げると、少し戸惑いながらもビーカーを口元に近づけた。


「ほら、これを飲んで元気を出してくれ」


ヒディは優しく、しかし確実に少女にジュースを飲ませ始めた。リンファの実の新鮮な甘さと、ほんのりとした酸味が少女の口に広がる。


少しずつ飲みながら、少女は目を細め、顔にほんのりとした表情が戻ってきた。その姿を見て、ヒディはほっと息をついた。


「よし、これで少しは元気になるだろう」


ヒディがジュースを少しずつ少女に飲ませていると、驚くべきことに、少女の顔色がみるみる回復していった。最初はぐったりとした様子だったが、徐々に顔に赤みが差し、目元にほんのりとした安堵の表情が浮かんだ。


少女はまだ目を開けることはなかったが、彼女の体が元気を取り戻し、静かな呼吸で眠り続けている様子は、まるで深い安らぎの中で休んでいるかのようだった。


「よかった……」


「やったー!」少年は無邪気に声を上げ、ヒディに向かって両手を広げる。


ヒディはその姿を見て、思わず微笑みながら言った。


「そうだな、よかったな。」


そばにいたルミナスとジョンは、最初は少女の回復を心配していた様子で、じっと見守っていた。しかし、少女が元気を取り戻し、安らかに眠り始めると、その表情に変化が訪れた。


ルミナスは、目を輝かせながらビーカーの中に残っているジュースに注目し、少しだけ手を伸ばして、ヒディの顔を見上げた。


「ヒディ、これ、飲むー?」


ジョンも鼻をひくひくさせながらビーカーに近づき、興味津々でそのジュースに顔を突き出した。まるで、少女が飲んだジュースが余っていることに気づいた瞬間から、その美味しそうな飲み物に目を輝かせているかのようだった。


「おいおい、ジュースは飲むなよ、ジョン。それにルミナスも、今はそれよりも少女のことを心配してろ。」


ルミナスは少し不満そうに首をかしげるが、ジョンは何も言わずにおとなしくその場でじっとしていた。



少女の手を握りながら喜ぶ少年に、ヒディは残ったジュースの入ったビーカーを渡した。


「これ、後で飲んでね。」


少年は何も言わずに頷き、ビーカーを大事そうに受け取ると、再び少女の側に戻った。嬉しそうに少女の手を握り、目を輝かせているその姿を見て、ヒディはほっと胸をなでおろす。


「よし、じゃあ、俺たちは出るか。」


ヒディはそう言って部屋を出る準備をし、振り返ると、ルミナスがまだジュースに未練があるようにビーカーをじっと見つめていた。どうやら自分にはジュースを飲むチャンスがなかったことが気に入らなかったようだ。


「ルミナス、ジュースはもうあげたから、また後でな。」


ヒディは少し微笑んで言ったが、ルミナスは頬を膨らませて不満そうにヒディを見上げる。


「ルミー、のむー!」


その口調に、ヒディは苦笑しながらルミナスの頭をポンと軽く撫でた。


「お前も、また別の機会に飲ませてやるからな。」


顔色が良くなり、安らかな表情でベッドに横たわっている少女の手を、精霊種の少年が嬉しそうに握っていた。おそらく兄妹だろう。互いに深い絆が感じられる。


その二人を部屋に残し、ヒディ一行は廊下に出た。


廊下を歩いていると、突然、修道服を着た痩せた老女が目の前に現れた。年の頃は六十くらいだろうか。その鋭い目がヒディたちを射抜き、不審者を見定めるような視線を向ける。


「どなた様?」


その一言に、ヒディはびくりと肩を震わせた。思わぬ圧に押され、喉が詰まる。


「えっと、しょ、少年に案内されて……」



廊下を歩いていると、突然、修道服を着た痩せた老女が目の前に現れた。年の頃は六十くらいだろうか。その鋭い目がヒディたちを射抜き、不審者を見定めるような視線を向ける。


「どなた様?」


その一言に、ヒディはびくりと肩を震わせた。思わぬ圧に押され、喉が詰まる。


「えっと、しょ、少年に案内されて……」


緊張で言葉がもつれ、説明になっていない。後ろではルミナスがヒディの服の裾をぎゅっと握り、小さく身を寄せる。対照的にジョンはまったく動じる様子もなく、尻尾を揺らしている。


女性はしばらくヒディをじっと見つめ、ため息混じりに言った。


「……なるほど。精霊種の少年に案内されたのね」


「あ、はい。迷ってしまって……つい」


ヒディは安堵しながら深呼吸する。女性は数秒沈黙し、表情をわずかに柔らかくした。


「まあ、悪気があったわけじゃなさそうね」


それでも念を押すように続ける。「ここは孤児院だということは理解している?」


ヒディは真剣に頷いた。「はい、もちろんです。すみません」


女性はじっくりとヒディを見つめると、やがて言葉を継いだ。


「私はこの孤児院の院長よ。せっかくだから、少し話をさせてもらいたいわ」


院長室へ案内されると、落ち着いた雰囲気の空間が広がっていた。壁際にずらりと並んだ本棚、古びた机と椅子。窓からこぼれる柔らかな光が部屋に静寂をもたらしている。


「座って」


院長の言葉に従い、ヒディたちは席についた。まだ緊張が解けず、ヒディは背筋を正しつつ目の前のテーブルを見つめる。


院長はゆっくりと話し始めた。「精霊種の少年、アレンと妹のエリーナは、ここで私たちが預かっている子たちよ」


そう言われ、ヒディは思わず息をのんだ。


「あなたのおかげで、エリーナの容態も少しずつ良くなっているようね」


「ええ……少しだけ様子を見ただけなので、確かとは言えませんが」


ヒディは慎重に言葉を選びつつ答える。リンファの実を使ったとはいえ、どの程度回復しているのかはまだ判断が難しい。


その間に、院長はそっと扉の向こうへ視線を投げた。ちょうどそのとき、修道女が静かに戻り、お盆をテーブルに置いた。湯気の立つお茶が並び、ほのかな香りが漂う。


「まあ、話の続きはお茶でも飲みながらにしましょう」


院長の言葉に、ヒディはゆっくりと息をついた。




「実は……」院長は少し肩を落として言った。「この孤児院、最近は経営が厳しくてね。街の経済も不安定だし、寄付金も昔ほど集まらなくなってしまった。それに、リンファの実は高価すぎて、簡単には手に入らないのよ。」


ヒディは黙って話を聞きながら、カバンをまさぐる。「あ、実は私も持ってるんですよ、リンファの実。エリーナにも使いましたし。」


そう言って取り出した実を机の上にそっと置く。


院長は目を見開いた。「……本当に?」


驚きのあまり、しばし固まる。


「まあ、ちょっとだけですけど。」ヒディは照れくさそうに笑いながら、さらに数個取り出し、院長の前に並べた。


院長はそれを見つめたまま、驚きと感謝の入り混じった表情を浮かべている。


そして、ふとヒディは別の袋にも目を向け、「あと、これもあるんですよ。」と言いながら、肉の詰まった袋を取り出した。


院長の目がさらに大きく開く。


「えっ……?」


「まあ、旅の途中で余っちゃって。」


そう言いながら、ヒディは袋を開け、テーブルの上にごっそり並べる。


「余ったってレベルじゃないでしょ……!」院長はあまりの量に思わず息をのんだ。


ヒディは少し恥ずかしそうに頭を掻く。「まあ、食料として持ってたんですけど……いろいろあって、大量に残っちゃったんですよ。」


院長は困惑しつつも、目の前の肉の山をじっと見つめる。


「でも、どうしてこんなに?」


「うーん……」


ヒディは一瞬遠い目をして、ふと懐かしそうに微笑んだ。


(昔はゲームの中で犬をテイムするためのアイテムだったんだよな、これ……)


(無駄遣いしてたなぁ、肉。でも、あの時の犬たちはめちゃくちゃ頼りになったし、戦闘でも助かったんだよな……)


気づけば、ヒディの口元がほんのり緩んでいる。


「……それ、どうしたの?」院長はヒディがニヤけていることに気づき、怪訝そうに尋ねた。


「いえ、何でもないです。」ヒディは慌てて顔を戻し、「とにかく、これを使ってください。」と肉の袋を押し出す。


院長はまだ驚きが抜けきらない様子で、目の前の肉の量をじっと見つめながら、「本当にいいの……?」と尋ねた。


「ええ、持ち歩いても仕方ないですし、役立ててもらえたらそれが一番です。」


院長はしばし呆然としながらも、感謝の気持ちを抑えきれずに言った。「こんなにたくさん……ありがたすぎるわ!」


「気にしないでください。」ヒディはさらりと笑う。


院長はしみじみと肉を見つめながら、「これで、少しでも子どもたちが元気を取り戻せるわ……本当にありがとう」と、深々と頭を下げた。


ヒディは軽くうなずき、「それならよかったです。」と微笑んだ。




ヒディが肉を院長に渡した瞬間、ジョンがその肉に鼻をヒクヒクさせて凝視し始めた。肉を見つめる目は真剣そのもので、主人の手元と肉を交互に見つめながら、せつなそうに小さく鳴く。


ヒディはその様子に気づき、少し驚きながらも心の中で納得した。


(ああ、そうか。これ、元々ジョンのための肉だったもんな……。)


それは、ゲーム時代にジョン用として確保していたアイテムだった。ヒディはその肉をジョンと一緒に食べることが多かったが、今その肉が他人に渡されていることに、ジョンが焦りを感じているのだろう。


「ジョン、大丈夫だよ。」ヒディは安心させるように声をかけながら、肉をまだたっぷり持っていることを伝えた。「まだまだいっぱいあるから、心配しないで。」


ジョンは少しだけ安心したようにヒディを見つめ、尻尾を振り始めた。ヒディは微笑みながら、再度ジョンの頭を撫でてやる。


院長は嬉しそうに肉を手に取り、ヒディに向かって微笑んだ。「本当にありがとうございます!これなら、みんなに少しでも元気が出るわ。そうだ、昼食でもどう?普段は朝食と夕食だけだけど、今回は特別に昼食を作るわね。」


ヒディは少し驚いたが、笑顔で答えた。「ありがとうございます。でも、無理はしないでくださいね。」


「いえ、無理じゃないわ。」院長は気を張って言った。「みんなが元気になるんだから、私だって嬉しいの。料理を作る時間があれば、院内を見て回っていてください。ここで待っててもらえたらいいわ。」


院長は嬉しそうにキッチンへ向かい、ヒディはその後を追うように院内を歩き始めた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。