第10話 色街とダークエルフ
色街の通りに足を踏み入れると、そこはもう別世界だった。薄着の呼び込み嬢たちが笑顔を浮かべ、道行く男たちに声をかける。腕を絡めたり、手を恋人つなぎしたり、顔を近づけてささやく声はどこか甘く、妖艶だった。
そんな中、一際美人なヒディの姿が目立たないはずもなく、薄着でもないというのに、どこからともなく声がかかる。
「やあやあお嬢さん、こんな時間にひとりとは感心だねぇ……」
現れたのは、金襴の上着を羽織った脂ぎった中年の男。見た目は金持ち風だが、その笑みは下卑ていて、全身から嫌な気配が漂っていた。
「いやぁ、いい色艶だ。肌が青いなんて、なんとも珍しい! 好きなんだよね、そういう“希少種”……ふふふ……今夜はねぇ、ちょっと特別な趣味を楽しみたい気分でね」
ぞっとするような口調で語るその男の周囲には、筋骨隆々とした護衛が回り込み、逃げ道を塞いでいた。
「ささ、遠慮なさらず。気持ちよくしてあげますよぉ……私の“館”でね。ふふふ……この子猫ちゃん」
(うっわぁ……気持ち悪……なんか性癖が危ないタイプの金持ちって、ほんと現実でも最悪だったな……)
ヒディが一歩下がったそのとき、通りの向こうから数人の呼び込み嬢たちが駆け寄ってきた。
「そこのお嬢さん、困ってるの? この油野郎、またナンパかけてんの?」
「あんた、ここで顔広いだけで勘違いしてるけど、女からの評判は最低なんだよ!」
「この前なんか、店の子泣かせて出禁食らってるじゃないか」
周囲の空気が一気に冷え込む。護衛たちもどこか気まずそうに視線を逸らし、男の顔が引きつっていく。
「な、なんだね君たちは……私は客だぞ、客……っ!」
「はいはい、金はあっても品がないってのが一番タチ悪いんだって」
結局、男は護衛に腕を引かれてその場を離れていった。ヒディは礼を言おうとしたが、呼び込み嬢の一人がウインクして言った。
「いいのいいの。あんたみたいな子が変なのに絡まれたらこっちも商売上がったりだよ。……にしても、あんたほんっと綺麗だねぇ。どこのお店? ……って、まさか遊びに来た側?」
ヒディはばつが悪そうに視線を逸らした。
「ありがとう。……さっきは助かりました。借りは、いつか返します」
ヒディが頭を下げると、嬢たちは手をひらひらと振って笑った。
「気にしない気にしない。変なのに絡まれるより、あんたが元気に遊びに来てくれた方がいいからさ」
ヒディが高級店に行くつもりだと伝えると、嬢たちは一斉に驚いた顔をした。
「えっ……高級店って……あんた、相当好き者なんだねぇ!」
嬢たちは笑いながらも親切に教えてくれた。
「入り口で受付の女将さんに入場料を払って、それから嬢に別途サービス料ね。で、これ裏技なんだけど……料金にチップを上乗せすると、サービスが段違いに跳ね上がるの。覚えとくといいよ」
「なるほど……覚えておきます」
「次はうちの店にも来てよね?」
「ええ、必ず」
軽く手を振って、ヒディはその場を後にした。
さっきの気持ち悪い油デブのことなどすっかり忘れ、気分はどんどん高まっていく。
(……よし。いろんな意味で、準備は整った。行ってみよう、高級店)
高級店の前に立ったヒディは、思わず息をのんだ。
建物は通りの中でもひときわ大きく、豪華な佇まいだった。磨かれた石造りの壁、彫刻の施された扉、そして軒先には繊細な模様のランプが灯り、夕闇に温かい光を放っている。
(……やば、緊張してきた。いや、武者震いか?)
肩に力が入りすぎて、ぎこちない動きのまま扉を開ける。
中は静かで、空気に高級な香油の匂いが漂っていた。
受付には、年配の女性が背筋を伸ばして立っていた。歳は重ねているが、その所作や物腰には凛とした気品があり、若かりし頃は相当な美人であったことが窺える。
「ようこそ、月影館へ。ご予約でしょうか」
隙のない笑顔をたたえながらも、女将の視線はヒディの姿を値踏みするように観察していた。肌の色、体のライン、物腰。今までのどの客とも違う、と判断したのだろう。
(なんか……品定めされてる……?)
しかし、すぐに売り込みではなく客として来たのだと見抜かれ、女将はふっと微笑んだ。
「女性のお客様も、時折いらっしゃいます。……さて、ご要件と、お好みのタイプ、嗜好などをお伺いしても?」
「あ、えっと……一番人気の子で、お願いしたいです。あと……ローション系のプレイで。ローションは、えっと……持参してます」
女将はその言葉に、少しだけ目を見開いたが、すぐに表情を整えた。
「申し訳ありませんが、衛生と安全の観点から、お客様ご自身のローションの持ち込みは禁止となっております。ですが……当館では特注の高級魔性スライム由来のローションをご用意しておりますので、ご安心ください」
「あ、そうなんですね……なら、それでお願いします」
(よかった……あるなら、それでいい)
ヒディの胸の奥に再び期待と高揚が湧き上がる。
準備は万端、あとは“現場”を体験するのみである。
そのとき、女将が静かにお盆を差し出してきた。
「では、お代はこちらに」
言葉少なに提示されたそれに、ヒディは思わず引きつった笑顔を返す。
(……金額、書いてないんだけど!?)
視線を泳がせて辺りを見渡すが、どこにも料金表のようなものは見当たらない。チラシもなし、壁の掲示もなし。
(え、まさかの時価!? いや、言い値ってやつかこれ!?)
さすがに不安になり、ヒディは懐からギル金貨を十枚、まとめて取り出す。元々はあとで両替しようと思っていたが、これだけ出せば足りるだろうと判断した。
女将はその金貨を見て、はっと目を見開いた。
「これは……随分と古いものを。古銭として価値が高く、当館の特性上、質屋的な取り扱いもしております」
女将は奥から金庫らしき箱を取り出し、慎重に中を確認すると、やがて柔らかく微笑んだ。
「本日のお代として、半額分——五十万リドを入場料としてお預かりいたします。残りの五十万リドを、直接お嬢様にお渡しいただければ、きっと喜ばれることでしょう」
「……それは、助かります」
ヒディも微笑み返すが、その奥にはぐるぐるとした金額感覚の混乱があった。
「当館も長くやっておりますが、古銭を十枚まとめてご持参された方は、これが初めてですわ」
「はは……恐縮です」
そこへ、小柄で小綺麗な少女が奥から姿を見せた。まだ幼さの残る顔立ちだが、きびきびとした動きは慣れたものだった。
「ご案内いたします」
そう促され、ヒディは女将に一礼すると少女の後をついていく。おそらくお客を取る年齢ではなく、裏方の仕事をしているのだろう。
(……いや、それよりも今は……)
意識はすでに、これから始まるプレイのことでいっぱいだった。胸は高鳴り、期待が身体を熱くする。
(さあ……どんな体験が待っているのか)
案内された先には、重厚な扉。その奥に足を踏み入れると、まず目に飛び込んできたのは、広々とした応接間だった。天井にはシャンデリアのような魔石灯が控えめに灯り、明るく温かな雰囲気を作り出している。
そして、仕切りの向こうにちらりと見えたのは、広々としたベッドと、奥に据えられた個室露天風呂。さらにその傍のスペースには、きらめくような照明に照らされたローションプレイ用のマットが丁寧に敷かれていた。
明るい応接間とは対照的に、寝室は落ち着いた明かりでしっとりと演出され、風呂スペースは淡い青紫の間接光で幻想的な空間を作り出していた。
その中で、扉の奥から現れたのは──褐色の肌に銀の髪を揺らす、妖艶なダーク・エルフの女性だった。
背が高い。ヒディよりもはるかに高く、おそらく185センチはある。しなやかでありながらグラマラスな体型。胸も腰も豊満で、女性の魅力を凝縮したかのような肉体美だった。
彼女は、褐色の肌を引き立てるような薄いブルーのドレスに身を包んでいた。胸元には控えめに谷間が覗き、膝から下の脚線美もスリット越しにチラリと垣間見える程度の露出。しかしそれは、後に裸になったときのインパクトを最大限にするための計算された“控えめ”だった。
そのドレスはストレッチ素材のように体にぴったりとフィットしており、胸のふくらみ、腹部の起伏、腰回りの曲線に至るまで、細かな凹凸までくっきりと浮かび上がっていた。
その姿を見た瞬間、ヒディの中の何かが“ビンッ”と反応する。
(……どストライクすぎる……)
目のやり場に困りながらも、視線は彼女の全身を無意識に追っていた。
扇情的すぎず、それでいてすべてが洗練されたプロの色香。にじみ出る余裕と気品。まさに“トップ”の風格だった。
気分は最高潮に達し、ヒディの鼓動はどこまでも高鳴っていた。
一方、トップ嬢のダーク・エルフ──彼女もまた、内心で驚きを隠せずにいた。
女の客が来ること自体は稀にある。しかし、ここまで美しい相手は記憶になかった。あまりに整った容姿を目の前にして、思わず自分の美貌に自信をなくしそうになるほどだった。
だが、彼女はプロだった。表情ひとつ乱さず、いつものように優雅に一礼をする。
しかし彼女の視線は、ヒディの青い肌に強く引かれていた。自分もダーク・エルフでありながら、見たことのない青い肌。
そして、ある記憶が脳裏に甦る。
幼い頃、まだ貧しいダーク・エルフの村にいた時。空腹を忘れようと、暖炉の前で祖母と身を寄せ合いながら聞いた昔話。
青い肌のダーク・エルフが、かつてこの世界の半分を穏やかに統治していたこと。優しさと強さを兼ね備え、人々を救い導いたという伝説の存在。そして、いつかその者が再び現れ、貧しき自分たちを救い出してくれるかもしれない、という話。
当時は夢物語として、ただの童話として受け取っていた。
だが──目の前に現れた青き肌の女性を見た瞬間、脳裏にその物語が鮮やかに蘇った。
しかしすぐに自分を戒める。
(そんなこと、あるわけがない。これは現実。あたしはプロ……お客に夢を見させる側だ)
彼女は微笑みを深め、完璧な所作でヒディを迎え入れた。
そっと腕を差し出し、ヒディの腕を自然に絡めるようにして歩き出す。柔らかな感触が肘に当たって、ヒディは思わず内心でガッツポーズを取った。
案内されたのは応接スペースの一角。対面のソファに向かい合って座ると、ふわりとスカートのスリットから太ももがチラリと覗く。
(うわ……これはやばい……)
ヒディが感激しきっていると、ダーク・エルフの嬢が柔らかく問いかける。
「お飲み物は、なにがよろしいですか?」
「……あ、そういえば……お酒、あるんですね」
ゲーム時代には存在しなかった要素に、ヒディは思わず感心した。クリスマスの時期にだけ出るシャンパンアイテムくらいしか、当時はなかった。
「はい。いろいろご用意しております。軽いカクテルなども……お作りいたしますよ?」
「じゃ、じゃあ……それでお願いします」
嬢は頷き、カートの上のグラスを手に取ってカクテルを作り始めた。その手際は流れるようで、胸元がふと前かがみになったとき、ドレスの谷間が再びちらりと覗いた。
(うぉおおおお……これもサービスのうちか……プロってすごい……!)
そのとき、ふとヒディの目に、嬢の腕の内側にある淡い文様が映った。
「それ……タトゥー? きれいですね」
嬢の手が一瞬止まり、次の瞬間、ふっと柔らかく笑った。
「お客さま……奴隷文をご存じないのですね。珍しいです」
「……えっ」
「これは、経済奴隷の魔法契約で刻まれる印です。法に則った、れっきとした契約の証ですので……別に、恥ずかしいものではありません」
「……あ、そうなんですか……」
ヒディは少しだけどもりながらも、記憶をたぐった。かつてゲーム時代には存在しなかった“奴隷システム”——それはゲームの終焉後、この世界が現実として定着したのち、世界の経済と雇用を維持するために、後からGMたちが苦労して整備した制度だった。ヒディはこの世界に召喚された際、GMセックとの会話の中で、その修正作業の苦労を聞かされていたのだ。
(……そうか。そうなったんだ……)
「……ということは、そんなに貧しかったんですか? ごめんなさい、気になってしまって」
ヒディの問いに、嬢は少し目を伏せて、そして静かに微笑んだ。
「名前はリシャ。……うちの出身の村、ダークエルフの村なんですけど、まだまだ貧しくて。……あの世界がどれだけ変わっても、村の暮らしはそう簡単に良くならないのかもしれませんね」
ヒディは黙って耳を傾けた。
「子供を手放す時は、みんな泣きます。親も子も。でも、どちらかが飢え死にするくらいなら……手放して、送り出すしかない。……あたしもそうでした」
リシャは静かにカクテルを差し出し、ふわりと座り直す。
「もうすぐ、契約の期限が来ます。そしたら自由になる。でも……私はこのままここで働くつもりです。稼いだお金を、これまで通り実家に送って、弟や妹に幸せになってもらいたい。……それが、今の私の生きる理由です」
ヒディは、言葉を失った。
「私は長命種だから……弟たちが大人になって、独り立ちしたら。そしたらその時に……旦那でも見つけて、家庭を築いて。……やっと、私の番が来る。そう思ってます」
その言葉を聞いた瞬間、ヒディはふと我に返った。
「あっ、そ、そうだ! まだ渡してなかった!」
慌てて持っていた袋から、嬢への分として渡す予定だった五十万リドを取り出し、リシャに差し出した。
「これ……さっきの、あなたへの分……その、受け取ってもらえるかな」
リシャはその金額に目を見開き、思わず吹き出すように笑った。
「……これって、私を見受けでもするつもり?」
冗談めかしつつも、その笑みにはどこか嬉しさが滲んでいた。
「じゃあ……めいっぱい、サービスしなくちゃね」
そう言って、リシャは艶やかに微笑む。
「なんでも、わたしってこの色街で一番らしくてね。特に……ローションプレイに関しては、絶品だって噂されてるの」
その声色と笑みだけで、ヒディの背筋をゾクリとさせる熱が走った。
目覚めた時、ヒディはふと見上げた天井に見覚えがある気がして、ぼんやりと瞬きをした。
(……知ってる天井……だよな)
横を向けば、すぐ隣にはリシャの顔がある。少し寝ぼけた表情で、それでも相変わらずの色気を放っていた。
その体の感触と温もり、柔らかく絡む手足——そして身体の奥に残る、熱と心地よい余韻が、直前の激しいひとときを思い出させる。
(……やば……思い出したら……顔熱い)
なぜか窓ガラスが少しだけひび割れている。大声でも出したのだろうか。記憶は曖昧だが、ただひとつ「気持ちよかった」という確かな実感だけが残っていた。特に、あの“ネバネバスライムローション”の感触は、なぜか鮮明に覚えている。
まだ夜明け前の薄闇。ルミナスが目を覚ます前に戻らなければ、と焦りが胸を突いた。
「……子供、いるの?」
ぼそりとリシャが聞く。ヒディは少し驚いてから、苦笑した。
「いや、預かってるだけ。そんな感じ」
リシャはふっと微笑んだ。「……羨ましいな」と呟くその声に、どこか温もりがあった。
「また、来てね?」
「……うん。稼いだら、また来るよ」
ヒディは頷きながら、内心で別の決意をしていた。
(……これ以上、古銭の大盤振る舞いしたら、さすがに怪しまれるだろうし……よし、稼ぎまくって、お金貯めて……また来よう)
窓の外に薄明かりが滲み始める前に、ヒディは静かにベッドを抜け出した。




