及第点
「……千年前の身の程知らずって、つまり『黎明』ですか?」
うん、と何かは軽く頷いた。そして、それ以上は語らなかった。
『しかしやっと正統な主人が見つかった。剣状態では全然身動きできなくて不便だったし、これを機に汝に取り憑くのも良かろう。それにしても魔力が荒くて住みづらいな。もっと磨け、凡愚』
いきなり取り憑かれて何か勝手なことを言われているのだが。シノレの目は濁った。
「……僕に取り憑いた場合、何か変わるんでしょうか?剣の時よりも力が落ちるとか、機能が変わるとか」
『ない。汝は正式な主だ。対価として魔力を払うなら、大抵のことは叶えてやる。白竜の時と同様な』
一瞬蜥蜴の瞳孔が歪み、底光りしたように見えた。親指にじりりと痺れのようなものが走る。シノレは何とも言えない胸騒ぎを覚えた。
『だが一応試しておくか。シノレ。汝はそこなる窓から飛び降りた』
「は!?」
何を言っているのかと、シノレは訝しんだ。
この部屋は監視されているのだ。つまり、逃がさないよう計算されているのだ。窓の外は見張りが立っているか、逃げようのない高所かのどちらかだろう。案内された時の道のりから推測するに、多分後者だ。階段を何度も昇った覚えがある。
そもそも窓自体、高い場所にある上小さい。景観など望むべくもない、明らかに明り取りと換気のためのものだ。目測だが、シノレの体格でも潜り抜けることは難しいだろう。そんな窓だった。
なのに次の瞬間、シノレの体は宙を舞っていた。
「…………えっ」
壁が急速に視界を流れ、瞬く間に窓が離れていく。夜の外気が一気に肺に流れ込んでくる。急激に体が冷えるのを感じる。耳元でごうごうと風が鳴っている。その音がどんどん大きくなり、痛いほどの風圧を受ける。
これは死ぬ。間違いなく。こんな勢いで叩きつけられたら、下に何があろうと助かるまい。刻一刻と死が迫る。状況を打破する手段を自分は知らない。
そうはっきりと認識した瞬間、狼狽していた心が静まった。だから、勝手な声がいやに大きく響いた。
『どうにもできぬなら、死ぬがいい。このくらい対処できぬようなら期待は持てん』
「…………」
シノレの心は静かだった。脳だけが大慌てで、これまでの記憶が、凄まじい勢いで巡っていく。ああ本当に、ろくでもないことばかりの人生だったとげんなりする。若干の現実逃避も入っている。
……教団に入れられたところから、記憶は微妙に色彩を変える。聖者のこと。長櫃のこと。魔力のこと。次々と溢れ、流れていく。
蜥蜴の姿がどんどん離れていく。白い体は闇の中目立つはずなのに、もう全く見えない。それでも、こちらを凝視しているのが分かる。傲然とシノレを睥睨する視線を感じる。
血が沸き立つのを感じる。口が開く。落下している最中なのに、何故かはっきりと言えた。
「僕は地面に降り立った」
――すとんと、足裏が地に接した。覚悟していた衝撃は訪れず、精々階段を一段降りる程度のものだった。
何が起きたのだろう。ここはどこだろう。これからどうすれば。混乱してその場から動けず、シノレは立ち尽くした。
『まあ、及第点だな。魔力の練度も、最低基準は満たしている』
羽を広げながら、ふわふわと蜥蜴が降りてくる。銀色の瞳孔は、闇の中でも鮮やかに輝いた。
『――汝に魔力の何たるかを教えてやろう。さあ、そこからあの窓辺まで帰還せよ』




