僕とパソコン②
放課後。
「起立。」
「礼。」
「さようなら。」
先生が教室を出ると、教室は一気に騒がしくなった。
「今日も公園寄る?立花公園!」
「いいね!」
「俺チャリ取ってくる!」
笑い声が飛び交う。
浩一はランドセルを閉める。
いつものように、一人で帰るつもりだった。
「よぉぉーーー!」
廊下から声が響いた。
「中村浩一くーーーん!」
またか。
浩一はため息をつく。
教室の入り口から顔を出したのは、大翔だった。
片手を大きく振っている。
「生きてるかぁ!」
「死んでたら返事しない。」
「それもそうだ!」
大翔は一人で笑う。
少し笑いすぎなくらいだった。
近くにいた男子が苦笑する。
「あいつ今日も元気だな。」
「毎日あんな感じじゃね?」
「電池切れねぇのかな。」
大翔はそんな声も気にしない。
「帰ろうぜ!」
「おう。」
二人は廊下へ出る。
昇降口までの短い道。
「そういえばさ。」
大翔が言う。
「今日の算数、また一番だったじゃん。」
「簡単だった。」
「先生ちょっと困ってたぞ。」
「何で。」
「途中で答え言うから。」
「だって分かるし。」
「分かるけどさぁ。」
大翔は笑う。
「みんながみんな浩一じゃないんだから。」
「知ってる。」
「なら待ってやれって。」
「時間かかる。」
「それも知ってる。」
「じゃあいいじゃん。」
「よくねぇよ。」
大翔は笑った。
笑っている。
でも、その笑いはどこか作り物だった。
無理に明るくしているような。
空気を重くしないための笑顔。
昇降口へ着く。
二人並んで靴を履き替える。
「土曜さ。」
大翔が急に言った。
「駅前に新しい電気屋できるらしいぞ。」
「へぇ。」
「知らないの浩一?」
浩一は少し考えた。
「噂だけは」
「見に行けよ。市内唯一の電気屋だぞ」
「いいや。いい」
「なんでだよ」
大翔は不思議な顔をした。
"一緒に行こうぜ!"と誘ってこない割には。
「まぁいいや。10時からオープンだぜ。」
「早い。」
「遅いとこの時期蒸し暑いぜ?」
「確かに。」
「だろ?」
校門まで歩く。
そこで道が左右に分かれる。
大翔の家は右。
浩一は左。
「じゃ!」
大翔は手を上げた。
「また月曜な!」
「うん。」
「宿題忘れんなよ!」
「お前こそ。」
「俺は忘れる!」
「威張るな。」
「あはは!」
大翔は笑いながら走っていった。
その背中を見送る。
浩一も少しだけ笑った。
本当に少しだけ。
それが消えるのは、一秒もかからなかった。
周りには、誰もいない。
話し声も、笑い声もない。
住宅街へ続く一本道。
ここから家まで三十分。
毎日変わらない、一人きりの帰り道だった。
浩一はポケットに手を入れ、ゆっくりと歩き始める。
大翔の姿が見えなくなる。
浩一には、大翔が不自然に物陰で急に走るのをやめるのが見えなかった。
大翔は深いため息をつき、家へ一直線へと向かうのであった。
交差点の信号が青に変わった。
浩一は横断歩道を渡る。
歩く。
歩く。
この道は長い。
学校から家まで三十分。
毎日同じ景色なのに、今日はやけに静かだった。
ランドセルが肩に食い込む。
信号待ちをしている親子を追い越す。
後ろから笑い声が聞こえた。
「今日さー!」
「お前ずるいって!」
振り返らない。
聞き慣れた声でもない。
どうせ、誰かが友達と笑っているだけだ。
浩一はポケットに手を突っ込む。
指先が、小さな傷に触れた。
昨日、工作の授業でカッターを滑らせた傷だ。
かさぶたになっていた。
爪で少しだけ引っかく。
痛い。
でも、それ以上は触らなかった。
歩きながら、昼休みのことを思い出す。
『私、あんまり好きじゃない。』
みのりの顔。
『浩一と話してると、自分が全部ダメって言われてる気がする。』
あの時。
何て返せばよかったんだろう。
……分からない。
考える。
十分くらい考える。
結局、答えは出ない。
「……。」
だったら、黙ってればよかったのか。
いや。
聞かれたから答えた。
じゃあ、答えなければよかった?
でも、それは無視になる。
無視は悪いことだ。
じゃあ。
優しく言えばよかった?
……優しくって、何だ。
口の中で、小さく笑う。
「分かんねぇ。」
誰もいない歩道に、声だけが落ちた。
毎回そうだ。
言ったあとに考える。
家へ着く頃には、毎回後悔する。
なのに。
次の日になると、また同じことを言ってしまう。
直そうとは思っている。
何度も。
もう言わない。
今度こそ。
そう思って学校へ行く。
でも、気付いたら口が動いている。
自分でも、自分が分からなかった。
橋の上で立ち止まる。
川が流れている。
水面に石を投げている小学生がいた。
一人。
二人。
三人。
楽しそうだった。
浩一は少しだけ見て、また歩き出す。
自分が入ったら。
あの空気は止まる。
そんなことくらい知っている。
知らないのは。
「……何で直せないんだ。」
その一つだけだった。
家まで、あと五分。
マンションの階段を上る音が響く。
二〇三号室。
浩一は鍵を差し込み、玄関を開けた。
「ただいま。」
「おかえりー。」
台所から母の声が返ってくる。
「今日早かったね。」
「うん。」
「手洗ってきなさいよ。」
「……はーい。」
洗面所で適当に手を洗う。
鏡を見る。
制服は少しくしゃくしゃで、髪も跳ねていた。
蛇口を閉める。
タオルで手を拭き、そのまま自分の部屋へ入った。
六畳ほどの狭い部屋。
ベッド。
机。
本棚。
そして、窓際に置かれたデスクトップパソコン。
少し古い型だった。
ケースには細かな傷がいくつも付いている。
何度も開けて、中を覗いた跡だ。
浩一はランドセルを床へ置くと、制服のまま椅子に座った。
電源ボタンを押す。
――カチッ。
ファンがゆっくり回り始める。
画面が暗闇から青く光る。
その音を聞くだけで、不思議と肩の力が抜けた。
学校では一度も笑わなかった浩一の口元が、ほんの少しだけ緩む。
「……よし。」
ログイン画面。
パスワードを打つ。
指は迷わない。
カタカタカタッ。
エンターキー。
デスクトップが表示される。
そこにはゲームやフォルダが几帳面に並んでいた。
母親には全部同じに見える。
でも浩一にとっては、一つひとつ置く場所に意味がある。
まずはブラウザを開く。
次にお気に入り。
ニュースサイト。
プログラミングの掲示板。
いつもの順番だった。
画面の中は静かだった。
誰も「言い方が悪い」とは言わない。
誰も困った顔をしない。
検索すれば答えが返ってくる。
分からなければ調べればいい。
間違えたら直せばいい。
そこには、人間みたいな曖昧さがなかった。
「浩一ー。」
母が部屋の外から声をかける。
「宿題は?」
「あとで。」
「ゲームばっかりじゃダメよ。」
「ゲームじゃない。」
「はいはい。」
母は笑いながら台所へ戻っていく。
浩一は何も言い返さなかった。
画面には、小さな文字がびっしり並んでいる。
それを読む。
また読む。
学校で感じていた重苦しさが、少しずつ薄れていく。
マウスを動かす。
リンクを一つ開く。
また閉じる。
もう一つ開く。
その繰り返し。
時間だけが静かに流れていった。
ふと、画面の隅に見慣れないリンクが表示された。
青い文字で、たった一行。
「ようこそ。このサイトは...」
その先の文章は、浩一だけが静かに読んでいた。
浩一の指が止まる。
「……なんだ、これ。」
カーソルが、その文字の上へゆっくりと重なった。




