#272
タラコマの海峡横断路線は、電気機関車の接続を基本とした複々線路線である。
複々線専用貨物列車の終着駅でもあるこの地は、巨大なコンテナヤードが港と隣接していた。大陸外周路線を走る複々線専用貨物列車は、ここでコンテナの積み替え作業を行うために停車していた。
「…あっ、連絡来た」
その市街地に買い物に出掛けていたスフェーンは一件のメールを受け取った。
ノルのおすすめの私営工場での整備をしようと思い、またタラコマの近くにその場所があると言うことで事前に話を通してくれると言うのは非常にありがたかった。
『いつでも来ていいようですね』
「まあ直ぐに行こうか」
『ですね。整備に何日かかるかも分かりませんし』
スフェーンの列車に搭載されているエーテル機関は、大災害以前に製造されたと思われる試作されたエーテル機関であり、希少性といえばとても高いもので、事実過去に整備を行った工場で『売ってくれ!!』と泣いて懇願された過去があった。
その時は設計図を渡しただけで終わらせることができたが、今度それがうまくいくかどうかはわからない。
「いずれは自分で全部やらないといけなくなるのかなぁ…」
『設計図はありますし、最悪部品も自作できます。そのときになったら考える方向でよろしいのでは?』
「まあそうだね…」
初めて列車のオーバーホールを行った時に、紹介してもらった工場や周辺の工員も総動員してボルトの一つまで徹底的に分解して行われた。
その時に書き起こしてもらった設計図は今も持っている。
「あれから随分、時間が経ったものね…」
もう何年になるのだろう。もうすぐ十一年目に突入する頃合いだったか。
「ふぅ…行きますか」
そこでスフェーンは買い物を済ませてバイクに跨ると、エンジンをかけて走り出していった。
メールを返すと、誘導ルートの入った地図が送られてきた。
留置線に停めてあった列車に乗り込んでスフェーンは近くの司令所に連絡を入れると、信号所は少し待った後に転轍器が稼働して切り替えが行われる。
『信号を受信した。まっすぐいけば、目的地だ』
「了解しました」
信号所との連絡をすると、最後に信号所の職員が言う。
『気をつけろよ。お前さんが何で知っているかは知らんが、あそこは『魔女の家』だ』
「魔女…?」
そう言うあだ名がつけられているのかと、スフェーンはこれから向かう場所に若干不安を覚えながらマスコンを操作してゆっくりと移動を始めた。
場所はタラコマ郊外の旧市街地、大半が併用軌道を通る古い路線である。
併用軌道を通行する際の最高速度は時速四〇キロ、普段からバンバン幹線を時速三〇〇キロで爆走しているいつもとは段違いに遅い速度で運行していた。
「静かね」
『本当ですね』
タラコマの旧市街地はかつて、この海峡横断路線ができる前に繁栄していた港湾都市であった。
しかし、今では海峡横断路線と共に整備された新市街地の方に市民は流れ、旧市街地は半ば忘れ去れた場所として廃墟が多く残されていた。
併用軌道の沿道には浮浪人やホームレスが横たわっており、街路樹も薪にされたのか、根本以外何も残っていなかった。
そんな場所を安全のため、数回の警笛を鳴らしながらゆっくりと通過していく。そして残っていた住民は併用軌道を走る一本の貨物列車に誰もが珍しがって見ていた。
「誰かが飛び込んでこなきゃいいけど…」
『その場合、即刻で轢き殺されますよ』
自重何百トンとある巨体は直ぐには止まれない。ゆえに真昼間ではあるが、前照灯をハイビームにして前方を照してゆっくりと進んでいた。
人がいれば警笛を鳴らして避けさせる。こう言う時、基本的に飛び出した方が悪いので、轢き殺されて訴えても勝てないのが悲しい現実だった。
「あっ、あれか…」
すると併用軌道がある交差点でカーブをしており、その先には長い屋根の建物があった。多分、大きさ的に鉄道用の工場だ。長編成でもこれなら整備が可能だ。
一度そこで列車を停めて、数回汽笛を鳴らすが返事はない。二回目もやるが返事はなかった。
「…仕方ない」
工場は防音でもしているのか?と軽く訝しみながらも仕方ないので列車を降りてから扉に近づく。
ドンドンドン「すみませーん、メール受け取ったから来ました〜」
入り口のドアを三回叩くと、少しした後にゆっくりと観音開きの扉が開いて、中からある少女が顔を覗かせた。
「あっ、どうぞ…今、開けるから」
少々もっさりした雰囲気のある口調でフードを目深く被った彼女は言うと、工場の入り口を開けた。
スフェーンはそこでちゃんと住人がいたことに安堵しながら列車に戻ってゆっくり前進させた。
「オーラーイ…」
そして前方では赤旗を振って誘導を行う先ほどの少女がおり、スフェーンも窓を開けて誘導の声を聞いていた。
「ストーップ」
そして旗の誘導と共にブレーキをかけて列車のエンジンを停止させると、そこで扉を開けて出迎えた少女を見た。
「どうも。君が、連絡の子だね?」
「よろしく頼むわ」
すでにオーバーホールの注文をしていたのでスフェーンは早速少女に依頼をしたが、
「うん、初めて聞く音だ…ワクワクしてくる」
少女は先ほどならしていたエンジンの音を聞いて、早速機関部に触れて呟いていた。
「ねえ貴女」
「ん?」
そんな彼女に、スフェーンは周りを見回しながら聞いた。
「名前は?」
「…あぁ、」
スフェーンが聞くと、忘れていた様子で反応をした彼女は言う。
「僕はみくり、山城みくりっていうんだ。よろしく」
「よろしく」
みくりは挨拶を済ませると、そこでスフェーンに聞く。
「君、すごいね。こんな珍しいエーテル機関を使っているなんて」
「まあ、譲り受けた代物なんだけどね」
スフェーンはそこで自分の列車を見る。
今から十年前、あの忘れられた建設現場にの取り残されていた、忘れられた列車。
この車両に乗り込んだ時、この新しい人生が始まった。
「古いエーテル機関を搭載しているらしい。前にオーバーホールをした時に、教えてもらった」
「うん、すごく珍しいよ」
みくりは頷くと、音を聞いただけでその珍しさを理解していた。
「少なくとも、この時代に作られるエーテル機関とは全く違う方法で作られたエーテル機関だ。初めて聞いたエーテルの声だった」
彼女は今のスフェーンより少し小さい身長だったが、その興奮度合いはスフェーンの想像を遥かに超えていた。
「多分、大災害以前に作られたエーテル機関なんだろうね」
みくりはそう推察をすると、その的確具合にスフェーンは驚いた。この少女、とても優秀なようだ。
魔女という異名は多分、整備員としての腕が買われてのことなのだろう。
「早速だけど、仕事をするよ」
みくりは嬉しげな声で機関部のハッチを開けると、そこで構造を軽く確認してから電動工具を手に取る。
「あれ?他に作業員は?」
しかし、作業を始めたのはみくり一人。
何ならこの工場には彼女に外に人の気配もなかった。すると天板を外したみくりが答える。
「居ないよ。ここは僕だけしか居ないんだ」
「…え?」
そこで彼女の言った一言に、スフェーンは目をやや見開いた。
このレベルの大きさの工場を、一人で?
「ちょ、ちょっと待って?!」
「ん?」
驚くスフェーンにみくりはどうしたのかと首を傾げたが、
「え?これ、全部一人でする気なの?!」
「うん、いつもは小さいものばっかりだったけど、今日のは大きいから腕が鳴る」
そう言い、天板の武装区画のハッチを開くと、彼女はそこで腕を接続して状態を確認した。
「嘘でしょ…」
スフェーンはみくりの返答に軽く唖然となっていた。
「ほ、他に作業員とかは?」
「みんな、新しい工場の方に行った。今ここにいるのは僕だけ」
「…」
みくりはそこで武装区画のハッチを開けると、腕に巻いてあるキーボードを操作し、工場のクレーンが稼働してフックが接近してきた。
「大丈夫。オーバーホールだったら一人でもやれるから」
彼女はそう言うと、早速作業を始めた。
「冗談でしょ…」
一旦工場を出たスフェーンは建物近くの小高い丘を歩く。
何も無い、簡単に組まれた階段を登り、丘を登り切ると、
「おぉ…」
そこからは色々なものが一望できた。
場所的に街全体が見渡せ、新市街地も、海峡横断路線も、今いる鉄道工場も一望できた。
「結構大きいのね…」
そこで今いる鉄道工場の敷地の広さに少し驚く。
十二両編成の列車が丸々入れるから大きいだろうとは思っていたが、
『反対にもヤードがありますよ』
「操車場…草ボーボーだけど?」
そこには長年手入れされていないのだろう。操車場があり、中には貨車や機関車が放置されていた。
ッーーー!!
すると微かに汽笛の音が聞こえると、新市街地の港湾地区に一隻の軍艦が入ってる。
「あれは…」
その艦影を見たルシエルがすぐに検索をかけた。
『あれは軍警察の高雄型巡洋艦四一番艦の『大淀』ですね』
「…なるほど」
南北戦争中に追加で建造が行われて四二隻となった高雄型巡洋艦。陸奥型戦艦と合わせて建造され、軍警察の威容を世界に知らしめる象徴であった。
陸上でも瑞穂級陸上戦艦がどっしりと構え、十基の巨大な履帯ユニットを稼働させる。
交通の要所であると言うことは、自然と軍事的な要所ともなる。
ここには軍警察の総合基地が存在し、港には多くの軍艦。陸上には陸上戦艦や爆撃機が駐機されていた。
「しかし…」
その丘に軽く座り込んでスフェーンは我慢していた煙草に火を付ける。
「まさか一人で整備するとは思わなかった…」
あの規模の工場を一人で運営していると言う時点で恐ろしい話だ。アンドロイドや、ロボットすらないと言うのだから尚更。
『ええ、あれでは何日かかるのやら…』
ルシエルも、これでは予定の大幅な遅延を覚悟する必要があると軽く忠告をする。
「どうする?」
『既にオーバーホールは始めてしまっています。今更断るわけにもいかないでしょう』
「…手伝ったほうがいいかな?」
『そのほうが作業は早く終わるかと…。まあ、一人が二人になったところで作業効率が上がるのかと問われれば疑問ですが…』
ルシエルの返答にスフェーンは暫く丘の上で動かなかった。




