#248
軌道エレベーター地下に存在するスラム街。
『…随分汚いですね』
少なくとも露出していた皮膚から採取した大気成分を見たルシエルが絶句をするほどには空気が汚いこの場所。
現在作業用エレベーターでさらに下に降りており、スフェーンの手には拳銃が握られていた。さっきの一件で、ドン引きしている表情のジョン達を見て、ちょっとやりすぎたかなと軽く反省しながら残りの銃弾を確認する。
「(拳銃はあと七発…小銃は五発)」
安全装置を入れているとはいえ、銃弾を薬室に入れたままの対戦車ライフルを背中に抱える彼女は、確認を終えるとそのまま上を見上げる。
「わぁー、でっかい」
上で今にも崩れて来そうな薄暗い光が差し込んでおり、巨大な影が自分たちを覆っていた。
「こうしてみると、本当に大きな街ですね」
「そうね…」
ガスマスクをつけるスフェーン達はスラム街を見て言う。
今は電気が切れたことでネオンライトもその役目を終えており、最上層からは国軍と軍警察の工兵隊がスラム街の解体作業を開始していた。
このスラム街の地図を作る毎にその階層の解体工事が行われ、ある種の合同訓練の一環として行われていた。
「軌道エレベーターの地下空間は広大だ。それでいて通路は人が余裕で渡れれば御の字と言った具合。恐ろしく入り組んでいるな」
ジョンはそこで少し謎かけを行う。
「ふむ…少し暇だ。一つ問題でも解かないか?」
「は?」
「いいですね」
スフェーンは『何言ってだ?』と困惑、ユウナはノリノリでソレに乗っかる。
ネクィラムは治安官から話を聞いており、三人はソレに耳を傾けつつも暇なのでジョンが問題を出した。
「簡単な数式の問題だ。『6÷2(1+2)』の答えは?」
彼の問いにスフェーンとユウナは答える。
「9」「1」
二人は違う答えを出した。
「あれ?」
「答え違いますね」
知識を使うまでもない即答だったが、そこでルシエルが呟く。
『ああ、大昔にネット上で大論争になった問題ですね…』
「(え?そうなの?)」
『ええ、検索を行ったら出て来ましたよ』
するとジョンはふふふと笑った。
「答えは『分からない』だ」
「は?」
ジョンの問いにスフェーン達は首を傾げた。
「正確には、この問題は算数的か、数学的かによって答える。スフェノスの答えが前者。ユウナの答えが後者だな。一部では問題が間違っていると言う指摘もある」
「えぇ…」
「ちょっとモヤっとボール投げいいかい?」
スフェーン達はジョンの答えに不満げにジト目で溢すと、ジョンはスフェーンに聞いた。
「…ちなみに聞くか、どのくらいの勢いだね?」
「サウスポー、ストレート。時速三二〇キロ」
「ソレはもはやデスボールだ。いや、投石に近いか?」
自分はどこもサイボーグ化していないので死ぬと彼は言う。
そりゃそうだ、いくら柔らかいボールでも時速三二〇キロで飛んで来たら平気で肉体は貫通する。
「というか、スフェーンさんは左利きなんですね」
「ええそうよ?だから銃も左じゃないの」
「ああ…」
妙に納得した顔でユウナ達は軽く頷いた。ちなみに拳銃の取り扱いが制限されつつある中で、スフェーンの銃に関しては『自衛用の黙認』と言う形で治安官達は納得していた。
すると緩やかにエレベータの速度が落ち始めたのを見た。
「さて、そろそろかな?」
そこで斜行エレベーターが停車し、そこでまた新たに広がっているスラム街深層を見た。
「「「…」」」
誰もがその投光器がついているにも関わらず感じる薄気味の悪さに絶句していると、同乗していた治安官が言う。
「どうぞ、ガスマスクを外してください。ここの大気に細菌の類は確認されていません」
言われ、一応の検測を行った後に安全と判断されて全員がガスマスクを外した。
「はぁ〜…」
「わっ、冷たい空気だ」
「なるほど、これは凄い」
現在、海抜マイナス八〇〇メートル。外気温は摂氏十度で、四人が吐く息も白くなる。
「ふぅ…」
そしてネクィラムもスフェーンによってガスマスクを外すと、思わず溢す。
「ほぉ…これは…」
彼の視界にはいっぱいのエーテル光が映し出され、それだけで近くの建築物の雰囲気から人影まで、全て把握できた。
「まるでエーテルの海だな」
「え?でもエーテル空間濃度は…」
ユウナとスフェーンは反射的に持っていたエーテル空間濃度測定器を確認してしまう。示された数値は安全圏だった。
「ど、どう言うことですか…?」
困惑するユウナが聞くと、ネクィラムは答える。
「さあな、だがこのエーテルは『優しい』エーテルだ」
「害はない、と言うことですね?」
「そう言うことだ」
「?」
首を傾げるユウナをよそに、ネクィラムは言う。
「コパリー少尉、ここからは我々だけにしてくれ」
「え?い、いや、しかし…」
「安心せい。こやつがいる限りは、私は死なんさ」
ネクィラムはそう言い、今もよく見えるスフェーンを一瞥すると、エレベーターに同乗した治安官達は若干不安げに見つつも、彼らの事は聞いていたので、要望通りにした。
「では行こうか」
「はいはい…」
程の良い人払いをしたかと軽くため息をつきながら検測機器を持ったスフェーンは、先に歩き出したネクィラム達の後を追った。
「良くやるよ。変態」
「ふんっ、君のことを知られると厄介だろう?」
「まぁ…ソレはね」
スフェーンは警戒の為に持っていた小銃を片手に持つと、そこでモード・アザゼルを起動して目の色を空色にすると何もない空間で勝手に小銃の槓桿が勝手に動くと、薬室に装填された真鍮製の薬莢を確認した。
「ほぉ、便利だな」
そしてネクィラムの目には、周囲の空間エーテルが集約されて手の形になっているのを見ていた。
「ええ、よく使っているわ」
するとソレを見ていたユウナ達が驚いた様子でスフェーンを見た。
「スフェーンさん、その目…」
「驚いた…君も異能者なのか?」
二人は驚いていると、ネクィラムが言った。
「こやつは少し特殊でな。まあ詳しいことはまたいずれ話そう」
一瞬驚いた空気であったが、ネクィラムの落ち着いた声色を前に二人は騒ぎ立てることはせず、静かにスフェーンの変わった目の色を見た。
「この事は話そうと思っていたのだが…ああ。無論、このことは内密にな」
スフェーンはネクィラム・ラボにあの青い林檎を送って調査を依頼していた。
その調査結果はまだ帰って来ていない。と言うことはまだわかっていないと言うことだった。
「ええ…」
「わ、わかりました」
現在、大幅な増員と予算追加で大きくなったネクィラム・ラボ。
その中でも中心に立っているネクィラム自身はスフェーンの正体を一番知り、同時にその存在を隠してきた人物だった。
「見ての通り彼女は異能者だ。今はソレで通してくれ」
彼はそう言うと、二人は少々困惑気味に頷いた。
そして四人はそのまま前進を再開したが、
「あれ?出入り口は?」
「おかしいな…」
事前情報にあった地図と、目の前の施設に相違があり、首を傾げた。
「おかしい。この先に下に続く階段があるはずなのだが…」
「え?どうしてないんですか?」
「分からん」
ネクィラムはユウナにそう返した。
「道間違えた…訳ないな」
「ああ、ここまでは一本道だ」
深層のスラム街、ここまで他に道はなかった。
「応援呼ぶ?」
「いや、必ずここら辺に道があるはずだ」
ネクィラムは確信めいた表情で答えると、四人はあるはずの出入り口を探した。
「こっちは?」
「うーん…」
「すまん。私もこの場所は見えん…」
彼らはあるはずの出入り口を探す。
「はぁ…全く、どこにあるのやらね…」
そこでスフェーンが軽くため息をついて壁に手を押し当てた時、
バキッ
「あら?」
脆くなっていたトタン製の壁が抜け、スフェーンは派手にそのまま倒れた。
「スフェーンさん!?」
「大丈夫かい?」
転けたスフェーンにユウナは駆け寄った時、
「…風?」
ふと髪が揺れて冷たい風が吹き込んだのを感じて、その方を見ると
「あっ…」
「これは…」
壁に穴が開き、その先には赤い重厚そうな扉。地図によれば、この先の海底区画に繋がる階段があることを示していた。
「おお、ビンゴだな」
ジョンが言うと、使い物にならなかったネクィラムを呼んでスフェーンが扉のロックを外す。
「ふっ…んんっ!!」
一〇〇年以上放置されていた割には比較的簡単に開くと、そこでドアを開けた瞬間に気圧の変化で風が少し強めに吹いた。
四人はそこで臆することなく、開いた扉を進んでいくと視界の先に淡く光る場所を見た。
「わぁ…」
そして階段を抜けた先で、ユウナ達は思わず足を止めた。
「凄いな…」
「これ、全部エーテルか…」
地下空間の最深部、地面に深く突き刺された杭を支えるために存在する巨大空間。
その地下、かつて海面と冷却用の海水が保管されている場所には、大量のエーテルが湧出していた。
海水で蓋をされ、プールにはエーテルと海水が分離して堆積していた。
「眩い光だ…まるでエーテル鉱脈を見ているような気分だ」
ネクィラムがその景色を目に焼き付けた瞬間、
「っ!」
即座にスフェーンは視線を感じた。
「伏せぇ!」
そして怒声と共にスフェーンは右手をグッと握った。
その直後、四人を守る障壁が展開され、同時に展開した障壁に雷のような音と共に電流が迸った。
すぐに四人は施設の出てきた出入り口の影に隠れる。
「なんだ今の!?」
「畜生…」
驚くジョンに軽くスフェーンは悪態を吐いて小銃を手に取る。
「異能者か…面倒な」
軽く毒吐いて彼女は銃弾の飛んできた最深部を見た。
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「グハァッ!!」
列車のドアに顔を押し当てられ、気絶し、そのまま縛られる。
使っている紐は車掌室から拝借した緊急時の誘導に使うナイロンロープ。電気的なものではないので、解くのは難しいだろう。
「盾か…」
そこでジェロームは強盗の落とした防弾盾を見る。それは指向性対人地雷をガムテープ巻きして使う、対ドローン用の近接対空用の即席防弾盾だった。
今まで使った銃弾は一発だけ。残りの銃弾は今持っている拳銃に入っていた。
「有難い」
ジェロームはその防弾盾を手に持つと、地雷を装着したまま次の車両に駆け出す。
「急げ!」
「もうそこまで来ているぞ!」
強盗は逃げ出そうと食堂車に集まり、次々とやられている報告を前に警戒した。
「っ!」
すると目の前の客車のドアが開くと、そこで指向性対人地雷を構えた防弾盾があり、逃げようとしたのも束の間、
ッーーー!!
地雷が炸裂、無数の小球が狭い客車に放たれると、待ち構えていた強盗達を一掃した。
反動は、ジェロームの持つ腕で凌ぐ事は容易だった。
「「「「っーーーー!!」」」」
僅かな悲鳴。一瞬で戻る静寂。
車両の入り口で防弾盾を構えたジェロームはそのまま盾を前に一歩踏み出した時、
「っ!!」
その瞬間、気配を感じ取ったジェロームは即座に前に防弾盾を放り投げると、そこに雷のような音と共に電流が迸った。
「チッ…」
一瞬流れた高圧電流。即座に横に転がって座席下に隠れたジェロームは毒吐いた。
「異能者か…厄介だな」
彼は噂に聞く新時代の歩兵を前に、残った車両の方を見た。




