第九部隊新隊長(仮)
ウィルスター軍の新兵となったモロク・ヨト・アスフィアナは、
インフォアにいた。
国土の中央近くに位置する大都市である。
古くから人や物の流れが集中する土地柄であったこの街は
要塞都市であり、
ぐるりと防壁に囲まれた中に三層からなる立体的な造りが
特徴であった。
一番下に当たる第三層から上に行くにつれ面積は狭くなり、
遠目には大きさの異なる板が三枚重なっているように見える。
軍の一大拠点であることは確かだが、
期待の新人であるアスフィアナが王都ではなく
インフォアで規律について学んだり訓練を受けたりしているのには
理由がある。
彼女が第九部隊の配属となり、
その第九部隊がガーラント近辺での任務を終え
インフォアに立ち寄るので、そこで合流するよう
指示があったためだった。
自分が所属する隊が決まった時、
アスフィアナの緊張は一層高まった。
いきなり十隊に配属されるのはいわゆるエリートコースであるが
それゆえの重圧以上に、
“剛将”エシエン・ドロウや
神童と言われたセレンティア・エリンが属する隊というのが
大きかった。
十隊に入ることを目指す先輩たちに話を聞くと、
第九部隊を希望する者は多いらしい。
ドロウは情に厚く、大変部下想いであるという。
隊としてもまとまりがあり、
働きやすいのも理由だというのだ。
せっかくそこへの入隊が決まったのだからと
励む彼女の元にやがて件の隊が到着したとの報がもたらされ、
慌てて上司となる豪傑たちが待つ部屋へと急いだ。
扉の前に立つと息を整えるように右手で軽く胸を抑え、
深呼吸してからノックをした。
中から「どうぞ」と返事があったので、
固い動きで扉を開き入室する。
そこには、二人の人物がいた。
おや、と思った。
一見したところ、二十歳をいくつか過ぎたくらいの
比較的細身の若い男しかいない。
隊長のドロウは身長ニメートルを超える大男だと聞いたが…
もっとも、二人の内の一人の顔には見覚えがある。
だが、今のアスフィアナには彼の正体を
思い出している余裕はなかった。
「しっ、失礼します!」
「やあ、新しい隊長が来た」
「は、はい?」
背筋を伸ばしてお辞儀をしたアスフィアナは、
にこやかな男にかけられた言葉に目を丸くする。
ちゃんと聞き取れたはずだが、
内容が頭に入って来ない。
ずいぶんと奇妙なことを言われたようだ。
混乱する彼女を見かねた様子で、
もう一人の生真面目そうな男が間に入った。
「…エリンさん、いきなりそれでは彼女も困惑するばかりでしょう。
きちんと説明しないと…
と言っても、今回ばかりは説明したところで
納得しろという方が無理な話でしょうが。
モロク・ヨト・アスフィアナさんですね、
私は九部隊のロンシュタット・アスリルです」
こちらに目を向けて、
アスリルは軽く会釈をした。
それに続いて、そうか、とつぶやき
にこやかな男も頭を下げた。
「確かに、不足でしたね。
初めまして、僕はセレンティア・エリンです。
以後よろしくお願いしますよ」
「こここ、こちらこそ!
モロク・ヨト・アスフィアナです、
よろしくお願いします!」
そうだ、とアスフィアナは心の内で声を上げた。
この朗らかな笑みを浮かべる優男こそ、
若くして天才剣士と名を馳せるセレンティア・エリンである。
愛想のいい若者という印象だが、
剣を抜くとどう変わるのか。
アスフィアナはちらちらと視線を向けて観察しつつ、
おずおずと言葉を続けた。
「…それで、あの…」
「僕が最初に言った件ですね。
まあ、あまり深く考えないでください。
冗談ではありませんけどね」
ますますよくわからない。
謎かけでもされている気分だった。
そもそも、ここにはいるはずの人物がいない。
「…すみません、
ご挨拶をしたいのですけれどドロウ隊長はどちらに…」
「一時的に抜けています。
期間は不明ですが、
しばらく戻られないらしいです」
「ええっ!?
それって、大変なことなのでは…」
「そうなんですよ。
隊長は僕に代理をやれとおっしゃったんですが、
僕は隊長なんて別にやりたかないんです。
その上、アスリルさん以下
隊の皆さんも我々の長はドロウ隊長以外ないというお考えなので、
誰もできないわけなんですよ。
そんな折に、優秀な新人さんが来るという話を小耳に挟みましてね。
僕が言ったんです。
じゃあ新人さんにやってもらいましょうよって」
ぺらぺらと何を言い出すのだ。
まさか入隊する前から欠席裁判が行われていようとは
予想だにしない。
アスフィアナは少し調子を強くして抗議した。
「いえっ、あのっ!
色々とおかしいと思います!
納得も理解もできません。
なぜドロウ隊長以外ないのに私なんですか?」
「だってあなたはドロウ隊長に会ったことがないんだから、
拘泥する理由もないじゃないですか。
気兼ねする必要もないでしょ」
肩をすくめて、平然とエリンは答えた。
この人物がある種の変人であるらしいとの噂は聞いているから、
百歩譲ってこれはいい。
しかし、常識を備えていそうなアスリルが黙しているのは
どういうわけだ。
詰問するようなアスフィアナの視線に気づいて、
アスリルは居心地が悪そうな顔をした。
「…エリンさん、我々はエシエン・ドロウこそ我が隊長と思ってはいますが、
あなたが代理を務めるというのであれば
何が何でもドロウ隊長以外では駄目だとは言いませんよ。
でもどうしても嫌だとおっしゃるのだから、
そうなると我々の内の誰かが隊長というのは無いなと、
そういう話です」
そんなことはどうでもいい。
アスフィアナは、抗議を続けた。
「何よりもまず、
新人の私に隊長なんてできるわけがありません!」
「そうでしょうね。
でしょうけども、別にいいんですよ」
「え?」
「隊長であってくれればそれでいいんです。
仕事の方はこちらでやりますから」
「…つまり、お飾りの隊長でいいという…」
「いやいや、
そう否定的に捉えないでください。
裏で手荒に扱うようなことはありませんから。
隊長役をやってくれたら皆感謝しますよ」
「…役っておっしゃいましたね。
隊長役って」
「おや、これは失言。
まあ、正直に言ってしまうと隊長になんてなると
剣だけ扱っていればいいというわけにはいかないですからね。
面倒なんですよね」
「…それは正直すぎると思うんですけれど、エリンさん…
そもそも軍の偉い方が承知してくれないでしょう、
新人が隊長なんて。
偉い方々が決めるんでしょう、隊長って」
「そこは何とかします。
なに、きちんと仕事さえしていれば、
誰が隊長でもあの方々は困りゃしません。
大体、お偉方のことなんて考えても仕方ないですよ。
ドロウ隊長ご自身が突然隊を飛び出しちゃっているんですから、
もはや九部隊は問題児集団ですね。
七部隊のことをとやかく言えなくなるなあ、はははは」
からからと、エリンは笑った。
アスリルはというと、ため息をついている。
第七部隊には不良隊員が多いらしいという話は聞いているが、
実は第九部隊も問題が多かったのではないだろうか。
人望厚いドロウと神童エリンを中心に軍屈指の結束を誇る隊。
そう聞いて自らが配属されることを喜んでいたが、
順風満帆とはいかないようだ。
明るいというより単なる能天気にも思えてきたエリンの笑い声を聞きながら、
アスフィアナはやはりケーキ屋になるべきだったかもしれないと
暗澹たる心持ちになりつつあるのだった。
いや、ここで黙ってはいけない。
弱い自分と訣別する、己と本気で向き合い
剣も魔法も全力で取り組むと決めてここへ来たのではないか。
アスフィアナは、力強く燃え上がる瞳でエリンを見据えた。
「わかりました、
隊長役でも何でもやります。
ただし、私のお願いもきいてください」
「へえ、綺麗でたおやかな人だと思っていましたが
なかなか言いますね。
では、お願いというのを聞こうじゃありませんか」
相変わらず、エリンは笑っている。
アスフィアナも、変わらず真剣な眼差しを向けていた。
「毎日稽古をつけてください。
少なくとも、あなたが私を手強いと思うようになるまで」
「いや、アスフィアナさん、それは…」
慌ててアスリルが口を挟んだが、
エリンはそれを左手を軽く挙げて制した。
笑みは浮かべたままだが、
目つきが少し変わったような気がした。
「それは難しいですね」
「…多忙なエリンさんには、
私のような新人に付き合っている暇なんてありませんか?」
「いえ、僕はどうも人に教えるというのが不得手なんですよ。
だから、稽古と言ってもただ試合をするだけになってしまうと
思うんですね。
そうなるとあまりうまく加減ができる自信がないんです。
未熟者ですのでね。
毎日試合をするというのはいいんですが、
あなたはご自身で言ったとおり新人でしょう。
死ぬかもしれませんよ」
「…!」
「まあ、剣術なんてのはそんなもんです。
新人さんを死なせてしまったら、
いくら僕でも寝覚めが悪いと感じるくらいの感性は
持ち合わせていますからね。
そういう意味でも、あまり気は進まないんですが」
「…大丈夫です、
私は死ぬつもりはありませんから」
アスフィアナの決意は固い。
彼女の言葉をどう聞いたか、
エリンは小さく肩をすくめた。
「わかりました、
そこまでおっしゃるならいいでしょう。
存分に」
「それからもう一つ、
私は魔導についても精進したいんです。
優れた指導者などいらっしゃいましたら、
ご紹介願いたいのですが」
「魔導のですか、うーん…
そちらの方は心当たりがないなあ。
アスリルさん、いかがです」
首を捻り、エリンはアスリルを振り返った。
二人とも魔導は使わない。
心当たりなど、あるはずもなかった。
しかし、アスフィアナが稀有と言われるほどに
剣魔双方の才を秘めた逸材であるということは
アスリルも耳にしている。
それが開花すれば、
エリンとアスフィアナの二枚看板で
第九部隊はさらに充実するのではないだろうか。
ドロウも戻って来た暁には喜ぶだろう。
そのためにも、やってみる価値はあると思えた。
「私もありませんが、
探してみます」
「では、その件についてはお任せします。
どうです、アスフィアナさん。
ご納得いただけますか」
「はっ、
…はい」
思いの外あっさりと要求を受け入れてもらえたので、
アスフィアナは大きな瞳をぱちくりとさせながら
うなずいた。
軍の中でも精鋭ぞろいの十隊の人々は
どれだけ怖いのだろうと思っていたが、
エリンもアスリルも頼れる先輩、兄貴分になってくれそうな気がする。
訓練は厳しいだろうががんばろうと、
アスフィアナはぎゅっ、と拳を握った。




