真夜中の特訓
ちょうど空が暗くなってきたこともあって、
ジャカたちはベルゼナッハを伴い宿に戻って来た。
レッドハンドのメンバーは一人も帰っていない。
酔っぱらったデュエルやランカーナが
ベルゼナッハに絡むのを阻止せずに済んだという意味では、
不在で幸いだったと言えるだろう。
「私、皆さんに提案があるのですが!」
「その前に言っておくが、
ベルを利用して金儲けしようという話は一切無用に願おう」
「…よく考えたら、提案なんてありませんでした」
ジャカとキーンの部屋に集まったところで
勢いよく挙手したジルドラだったが、
アンジェに釘を刺されてそろそろと手を下ろした。
その彼に、キーンが小声できいた。
「バカだな、お前…
ちなみに、何を言おうとしてたんだよ」
「別にあくどいことではありませんよ!
街の皆さんはなかなかお目にかかれないエクティナーさんとふれあえ、
我々は旅の資金を得られる、皆さんがハッピーになれる方法を
思いついただけです。
ベルゼナッハさんと三分間お話できる権とか、
百メートル一緒に歩ける権とか、
なるべく彼女に負担がかからないように配慮するつもりでした」
「…十分あくどいだろ…」
二人の内緒話は長い耳を二つ持つベルゼナッハには
筒抜けであったが、興味がないので無視した。
彼女はエクティナーの中では人間に友好的な部類に入るが、
それでも大抵の人間にはほとんど関心がない。
が、アンジェもそうだが、中には交流してみたくなる者も
いることは確かであるし、現在ミラストラの大部分を支配している
人間の世界を知るのはエクティナー全体のためにもなる。
「だから、私はミラストラ大陸を旅している。
これからどこで何をするかは、決めていないわ」
自分のことを尋ねられたベルゼナッハは、簡潔に話した。
その間、何人かの視線が耳に集まっていたのは
わかっている。
人間との一番の違いがそこだから、これはやむをえない。
エクティナーの側からすると、なぜ人間の耳は
頭に張り付くような形をしているのか不思議でならない。
「やっぱりあたしたちよりよく聞こえるの?」
いかにも好奇心の強そうなロズウェルが問うた。
気を遣ってか妙に遠慮がちに尋ねる者もいるが、
これくらい素直に質問された方が答えやすいというものだ。
「あなた方の聴力がどの程度か知らないけれど、多分」
「アンジェさんの魔導の素質について言ったそうですが、
僕の素質はどうでしょうか!?
精霊術って僕にも使えますか!?」
やや身を乗り出して、ジャカが言う。
ベルゼナッハは早くも面倒になってきたが、
少年に悪気がないことはわかっているので答えてやった。
「アンジェには適当に言っただけ、
あなたの素質なんてわからない。
精霊術を使えるか使えないかで言えば、不可能ではないわ。
精霊の力を借りられればね。
ただし、精霊は通常、人間には力を貸さない。
だから、あなたが使えるようになるのは難しいでしょうね」
「…そうですか…」
「答えるのにも飽きたからこちらからきくけれど、
あなた方はこの街に何をしに来たの、アンジェ?」
続けてオータが何かきこうという気配を見せたので、
ベルゼナッハは椅子の背に身を預けてアンジェに目をやった。
彼女は、人間が大人数で話す場に加わったことがない。
打ち解ける必要も感じないので、正直な気持ちでは
アンジェだけがいればいいのだが。
「この街にいたくらいだから、展示会という行事が行われるのは
知っているだろう。
その警備だ、不穏な情報もある」
「そう。
主要人物の一人らしいし、アスフィアナも危険なのかしら」
「彼女とお知り合いなんですか?」
アイスレアがきくと、ベルゼナッハは小さくうなずいた。
「彼女の故郷で知り合った。
アスフィアナは将来について迷っていて、
何がきっかけになったかはわからないけれど
私と話している内にその展示会に参加してみることを決めた。
だから、私も見届けようとしてこの街にいたの」
「マジで!?
アスフィアナとつながりがあるのか!」
どん、とテーブルに両手を突いてキーンは立ち上がる。
その無遠慮な音に、ベルゼナッハは整った顔をしかめた。
興奮気味だったキーンは彼女の心情に気づかなかったが、
平常でも気づくことはなかったかもしれない。
「それなら、オレたちの仲間になってくれるよう
話してみてもらえねえかな!」
「…キーンさん、だからそれは無理ですって…」
ジャカはなだめるようにキーンの背中に手を当てながら言い、
ベルゼナッハの方は興味なさげに鼻を鳴らした。
「私は見物に来ただけ、この街でアスフィアナに会う予定もないわ。
どこにいるのかも知らない。
申し訳ないけれど、力にはなれないわね」
「力になれない…か。
彼女を仲間にすることについては、だな」
急に、アンジェが割り込んできた。
妖精の長い耳がぴくりと上下し、翠玉のような切れ長の瞳が
彼女に向けられた。
「何が言いたいの、アンジェ?」
「お前も警備に協力しろ」
「それはあなた方の仕事でしょ」
何やら思わぬ方向に話が進んでいるが、
アンジェの提案を聞いたジルドラは
オータにそっと顔を寄せて声を低くして話しかける。
彼も、アンジェに急に協力を迫られた一人だった。
「私の時もそうでしたが、アンジェさんて意外と強引に来ますね。
勧誘の仕方はメチャクチャなんですが、
不思議と断れないんです」
「…それはあんた、不殺の天使が怖かっただけじゃないのか?」
「違いますよ!
いえ、正直に申しますと怖くはありました。
雰囲気が常人とは異なりましたし、
彼女は少々、いや、怖いほどに綺麗すぎる!
それはやはり、普通の人ではないと思わせる要素です。
しかし、それだけではないのです!
見ておいでなさい、ベルゼナッハさんもきっと承知しますから」
「どうかね…」
アンジェが協力を求めるくらいだから、
ベルゼナッハの力量は相当のものなのだろう。
が、あの妖精族の少女が人間のいざこざに関わろうとするだろうか。
「お前は一際荒々しい傭兵団に所属する傭兵アスフィアナを
見たいのか」
「一体何の話をしているの?
見たいわけがないでしょう。
荒々しい傭兵団なんてあの子には向いていない」
「それなら協力しろ。
私たちが戦う相手はおそらく荒々しい傭兵団だ」
「アスフィアナのことを持ち出さなくても、
友人の頼みなら私は引き受けるけれどね」
「ならば話は早い。
友人として協力しろ」
「…いくら友人でも、頼み方はもう少しあると思う…」
呆れたような様子を見せながらも、
ベルゼナッハは一応承諾した。
それを受けてジルドラは「言ったとおりでしょう」と得意気にしていたが、
オータは「強引なだけじゃないか」と返した。
日付けが変わる頃、同室のキーンが寝てしまった後に
ジャカはこっそりと宿を抜け出て来た。
レッドハンドのロッジを離れてからも彼は魔導の勉強を続けていたし、
ジェサリアにもらった剣での素振りを続けていた。
「僕は人より弱くて進歩も遅いんだから…」
訓練を怠ることはできない。
今のところは暁の牙が本当に襲って来るのか半信半疑なのだが、
来るのだとすれば戦いが迫っている。
下手をすれば明後日、いや、もう明日だが、
展示会の開催日に死ぬことになる。
その前に、できることはやっておかなければ後悔してもしきれない。
しかし、道や広場で剣を振り回していると不審者と間違われそうなので
ジャカは目立たず訓練に励める場所を探して歩き回り、
広場の脇にあるちょっとした林に目を付けた。
「あそこなら人目を気にしなくても平気かな…」
広場にはいくつかの人影があったが、林に入ってしまえば
何をしていても気づかれることはないだろう。
そう思って足を踏み入れたが、林の中にまでは街灯はなく真っ暗で、
ちょっと怖くなってきた。
草むらの近くを通っても虫の声がやまず、
臆病な自分を馬鹿にしているような気になる。
「くそう、こうなったら何が何でも訓練してやるぞ…!
でもあまりにも暗いし、教えてもらったばかりのアレで…」
少し広い場所に出たジャカは、慣れない手つきでゆっくりと印を結びながら
たどたどしく魔導の詠唱を始めた。
そしてそれが完成すると胸の前に、ぽうっ、と拳くらいの大きさの
光の球が発生した。
その光は暗闇を照らしただけでなく、ジャカの気分も明るくした。
魔法を完成させたことに、大きな喜びを覚えたのである。
「やった!
明りの魔法はもうマスターできた…
ん?」
言いながら、ジャカは視界の右端の方で何かが光ったことに気づいた。
それは今彼が生じさせたものとそっくりな光の球で、
淡い光が何者かの姿をぼんやりと浮かび上がらせていた。
やや距離があったこともあって、この世ならざる存在に見えた。
背中がぞくりとして、急激に血の気が失せていく。
「で…で、で、で、出たァァァァァ!!!」
「きゃああああああ、出たァァァァ!!!」
ジャカが思わず大声を出した時、光に照らされた何者かも大声を出していた。
聞こえたのは細くてよく通る少女の声であり、
そのことを知ったジャカはいくらか平静を取り戻した。
「ァァァ…あ?
あれ?
…あ…あの、
…に、人間の方ですか?
生きている人間の方でしょうか…?」
「…は…はい、自分ではヒト科だと思ってこれまで生きてきました…」
やや幼いような、可愛らしい声で返事が返ってきた。
自分よりおどおどしているように聞こえる。
安堵したジャカは大きく息を吐き出して、少女の方へそろそろと近づいていく。
かさっ、と物音がして、向こうが少々警戒した気配を感じたので、
ジャカは意識してやわらかく、穏やかな声で話しかけた。
「え、え~と、驚かせてすみません。
僕は近くの宿に泊まっている者です。
寝る前に身体を動かそうと思って、場所を探していたら
ここらへんがいいかなと…」
「…わ…わたしも…同じです。
眠れなかったので、少し運動しようかと…」
幾分ほっとしたような声音で、少女は答えた。
魔導の白い光が映し出すその姿は幻想的で、豊かな金髪が神々しくも
光り輝いていた。
その髪が幕のように覆い隠していたうつむいた顔を彼女が上げた時、
端麗な細面に見覚えがあった。
が、屋内の十分な明りの下でないのですぐには確信が持てなかった。
「…もしかすると、あなたは確か…」
「いえ!
そんな、わたしなんて滅相もない!」
「まだ何も言っていませんけど…」
ぶんぶんと頭を振る少女の不安定さを目にして、
かえって記憶と目の前の存在が一致した。
それに気づき、ジャカは今更ながら驚きを露わにした。
「ええええええ!
あなたは、アスフィアナさん!?」
「はっ、はい、モロク・ヨト・アスフィアナです!
申し訳ないです!
わたしですみません!」
「…何について謝られているのかわからないんですが…」
異様におどおどしているが、近くで見ると確かにテレビで目にした
次世代のスターとも言われるアスフィアナに間違いなかった。
意外と上背がある。
背筋を伸ばして堂々とすれば、華々しい姿を見せてくれそうな
魅力を感じた。
間もなく開催される展示会で主役の一人となる彼女が
なぜこんな時間にこんな所にいるのか、
ジャカは尋ねずにはいられなかった。
「…僕は、ランディアク・ジャカといいます。
弱っちいですが、展示会の警備に協力することになっています…
アスフィアナさん、ウィルスター中から注目されているあなたが
一人でこんな所にいて大丈夫なんですか?」
「…わたしは…
皆さん期待してくださいますけれど、
要領が悪くて…
だから、剣とか魔法とか、練習しないと駄目なんです。
自分の力を役立てられる場所に行くことを決めたんだから、
わたしを必要としてくれる方々の期待に応えられるように…
少しでもやっておこうと思って…」
「…」
瞳を伏せながら語るアスフィアナを眺めながら、ジャカは思う。
優柔不断で臆病で、特別な力を持たない自分と、
天才と呼ばれ、多くの人々から求められている彼女。
それでも、不安な気持ちは同じだった。
画面の向こうでマイクに応える眩しい存在であったはずのアスフィアナも、
悩みを抱える一人の少女であることに変わりはなかった。
多くを失った弱い己だからこそこれほど悩むのだと考えたこともあったが、
才能に恵まれ輝かしい未来が待っているであろう者にも、
彼らなりの苦心がまたあるのだ。
「…(そうなんだよな…
アスフィアナさんやズィフィードさんには
僕みたいな奴の気持ちはわからないかもしれないけど、
僕も彼女たちの苦労とか辛さをわかってない…
どっちがの方がいい、どっちの方が不幸なんてないんだ。
僕は僕、自分自身をしっかりやる、それしかないんだ。
彼女たちほどは輝けないかもしれないけど、
僕もがんばってるよって胸を張れるくらいは…
そうでなきゃ、悔しいじゃないか。
凡人だからって、天才に差を広げられるばかりじゃ…)」
ジャカは、拳を握った。
大きく、うなずいた。
瞳を、きらりと煌めかせた。
「やろうよ、アスフィアナさん。
相手がいた方が、いい訓練になるよ」
「え…?」
「こんな時間だから、そんなに長くはできないけど…
剣と魔法、一緒に訓練しよう。
きっと、お互いにいい所と直すべき所が見えてくるはずだから」
「…わかりました、
…お願いします!」
アスフィアナも、表情を引き締めて力強くうなずいた。
立場は全く異なるが、同じ十八歳同士である。
切磋琢磨して、共に高め合うことができるはずだ。
「ぐおおおォォォそんな馬鹿なァァァ!」
撃ち合い始めてすぐ、ジャカは打ち倒された。
アスフィアナが持っていたのは訓練用の剣だったので
斬られたわけではないが、自信なさげに振るい始めた彼女の剣に
あっさりとやられてしまったのだった。
「…な…何これ…
これが天才ってやつなの…?
これが凡人の限界なの…?
差…広がるばかりじゃん…このままだと…」
考えてみれば、ジャカは自分やアスフィアナより年下ながら
天才剣士と呼ばれるアンジェに幾度となく打ちのめされてきたではないか。
今ここでアスフィアナにもやられたからといって、何も不思議なことはない。
ジャカとしては不本意ではあるが、不思議ではないのだ。
「あ、あの…!
大丈夫ですか…?
すみません、最初だし軽く打っていこうと思ったんですけど…」
気遣ってくれているはずのアスフィアナの言葉に
傷をえぐられた気分のジャカは、
立ち上がろうとして起こしかけていた上半身の力を抜いてがくりと地に伏した。




