幻のマロウド
かつてガーラント周辺で激しい戦いが勃発した時、
一部の住民が神官戦士に導かれて故郷を後にし、
北東に位置するシュテス山の上に住み着いた。
神官戦士は聖戦士として讃えられ、
指導者として集落を発展させていった。
それがシュテシアの街の始まりである。
シュテス山は百メートルほどの高さしかなく、
傾斜はなだらかで山頂付近も険しくはない。
周囲を囲う防壁の内側には古き街並みが広がり、
訪れる観光客は多かった。
今、この街には普段の賑わいとは異なった騒々しさが
満ちている。
若き才能が集まる展示会という行事を控え、
彼らを求める機関や企業、富豪、権力者、
行事の様子を取材、報じるマスコミといった人々が
押し寄せているためだった。
ジャカもまた、その展示会に関わる者としてシュテシアに来ていた。
同行しているのはキーン、アイスレア、オータ、ジルドラ、ロズウェルと
レッドハンドのジェサリア、セファー、リメロウ、
デュエル、ランカーナ、ストール、そしてアンジェである。
到着して早速宿を取ると、アンジェを除くレッドハンドの面々は
てんでんに出て行ってしまった。
ジェサリアとリメロウは依頼人に会いに行くと言っていたが、
他のメンバーがどこへ何をしに行ったのかは全くわからない。
アンジェによれば
「街の造りや人出の具合を見に行ったのだろう。
その後は飲むんだか食うんだか、好きなようにするんだろうが」
とのことだが、ジャカは感心しかけて損したというように眉をひそめた。
「ロッジにいる時はあまり感じませんでしたけど、
まとまりないんですね」
「あるような連中に見えたか?」
「…まあ、見えませんでしたけど…」
「しかし、街の様子を見ておくというのは見習うべき点じゃねえか?
相手が相手だ、街の外で食い止められるかわからねえし
今の内に知っておくのはいい準備だ」
横からキーンが言うと、ロズウェルも大声で同意した。
「展示会当日まで、まだ二日あるからね!
できる限り見て回っておこうよ」
他の皆も賛成し、ジャカたちは早速シュテシアの街を歩いてみることにした。
シュテス山はあまり大きくないので利用できる土地は限られており、
街自体もさほど広くない。
東西に向かって横長という山の形に合わせて建物が並び、
その列が平行にいくつか連なることで細長い街を形成している。
飾り気のない民家が多くある落ち着いた風景は、
道行く者を穏やかな心持ちにさせてくれた。
夕暮れが近づくにつれ香ばしくも優しい匂いが鼻をくすぐり、
空腹を覚えさせるとともに郷愁を誘った。
ジャカも朧げな記憶をたどると、遠い遠い昔、
ルフィカでこうした匂いを嗅いでいたような気がする。
その思い出を塗りつぶすように恐ろしい光景がよみがえろうとするのだが、
だからこそ憧れに似た想いを抱くことがある。
「これが家庭の…
家族の匂いなのかな…」
歩きながら、ある家の窓に目が留まった。
あの窓の向こうには、どんな家族がいるのだろう。
どんな料理が並んで、どんな会話をしているのだろうか…
「あそこが、展示会が行われるサンシュテス広場ですね」
前を行くアイスレアの声が、ジャカの意識を引き戻した。
街の中心部にある開けた場所が広場になっていて、
その一角では展示会に向け準備が進められている。
噴水やベンチが設置された憩いの場には、
今も多くの人の姿があった。
「あの人だかりは何でしょうか?」
商売になりそうな気配でも感じたのか、
ジルドラは左手の方に人が集まっているのを見つけて指差した。
結構な人数のように見える。
何かがなければ、ああはならないだろうと思えた。
「展示会関係の何かがあるのかな?」
「行ってみりゃわかる。
この際どんな情報でも入れておこう」
ロズウェルに答え、オータは人だかりへと足を向けた。
ジャカたちも後に続く。
そして野次馬をかき分けて前に出て行くと、
騒ぎの中心は一人の少女と七人の男ということがわかった。
「ケンカ…ではなさそうですね」
「綺麗な娘さんだな。
雰囲気も変わってるし、外国の人かね…」
ジャカに続いて口を開いたキーンは、一見子供のようにすら思えるほど
細身の美しい少女にある特徴を見た。
中身が透けるのではないかというくらいに白い肌に
初夏の新緑のような鮮やかな色のさらさらとした長い髪、
そしてその髪から覗く二つ連なった細長い耳。
それは、彼女がほんの一握りの者しか目にしたことのない
幻の存在であることを示していた。
「…デュプラル…
デュプラルなのか、あの子…!?」
「…まさか…!」
キーンが口走った言葉に驚きながら、ジャカの視線は
切れ長のエメラルドの如き瞳で男たちを見据える少女に
釘付けになった。
世界樹の守護者として知られる妖精族のデュプラルはしかし、
人間たちの前に姿を現すことはほとんどなかった。
そのために幻の種族と言われてきたが、
目の前に存在する妖精の少女は伝聞で知ったとおりの特徴を持っていた。
あまりにも華奢な身体には質素ながら精巧な造りの細身の剣と胸当て、
それに青いマントを携えていて、まるで絵画から抜け出て来たかのような
幻想的な美を完成させていた。
最も目を引く二重の長い耳は左右ともに一方は真横に伸び、
もう一方はそれより少し垂れ下がった状態で、時折ぴくりと動く。
ジャカは、己の鼓動の音まで彼女には聞こえているのではないかと思った。
「すっごい…!
本物だよね…!?
本物のデュプラル!」
本人は小声のつもりらしいが十分に大きな声で、
ロズウェルはジャカの肩をばんばん叩きながら言った。
少々痛かったものの、ジャカには彼女に触れてもらえた
嬉しさの方が大きかったので我慢した。
いっそそのまま叩いていてくれという気持ちだったが、
寸分違わず同じ場所を叩き続けるのでだんだん痛さが勝ってきた。
「…本物…みたいだね…!
本当に、世界樹の所以外にもいるんだ、デュプラルって…!」
「その名で呼ぶのはやめていただきたいのだけれど」
突然鋭い声を発して、デュプラルの少女は
険のある目つきでジャカを睨みつけた。
いきなり標的となったジャカは狼狽して背筋を伸ばし、
「でも僕より先にキーンさんが言ってたし、
僕より大きい声でロズウェルさんも言ってたんだけど…」
と心の中で思いつつも口に出すことはせず、とりあえず謝った。
デュプラルがデュプラルと呼ばれるのを嫌がると聞いたことがあったのを
思い出したからである。
「す、すみません」
素直なジャカの反応にデュプラルの少女はいくらか表情を緩め、
口調もやや穏やかになった。
「人間が勝手にそう呼んでいるのは不愉快なの。
私たちはエクティナー、覚えておいて頂戴」
「は、はい、覚えました」
「それから、お久しぶりね。
アンジェ」
「え?」
ジャカのみならず、キーンたちも思わずアンジェを振り返った。
エクティナーの少女が、なぜ彼女の名を知っているのか。
そう考えていると、アンジェの方は表情を変えることなく
平然と答えた。
「ああ、久しぶりだ。
お前に魔導の素質をうんこ以下だと言われて以来かな」
「エクティナーさんに言われたんだったの!?」
「つーか、あの気品ある妖精さんがうんことか言うんだな…」
驚くジャカの隣で、キーンは遠い目をする。
アンジェやエクティナーの少女といった幻想的な美貌を誇る両者が
いかなる流れでそんな表現をするに至ったのか、
知りたいような知りたくないような、無意味に複雑な心境だった。
当のエクティナーの少女は、不思議な魅力のある笑みを浮かべた。
「根に持っていたの、アンジェ?
それは申し訳ないことをしたわ」
「事実を言ったまでだ。
根に持つどころか、感謝している。
剣に専念したことで、剣への尽きることのない探求心を得ることができた」
「そう。
あえてあんな言い方をした甲斐があったわね」
「どうなんだか…」
「感謝してくれているのならいいじゃない。
あなたには強い魔力があったけれど、
魔導なんて必要ないでしょ」
美しき二人の少女のやり取りがひと段落着いたとみて、
アイスレアがアンジェに顔を向けて声を発した。
「お知り合いの魔導士というのは、こちらの方のことだったのですね」
「ああ、ずいぶん前だが王都で共に過ごしていた時期がある。
エクティナーは人間より寿命が長いためか、
当時から今と変わらない背格好だったが」
彼女らの会話を聞いて、エクティナーの少女は再び表情を曇らせた。
「当時も言ったけれど、私は魔導士ではないわ。
あえて言うなら精霊術師、精霊の力を借りて
あなた方の知る魔導に似た効果をもたらす者。
ご友人方に名乗っておかなくてはね、
先程言ったけれど私はエクティナー、名はベルゼナッハ」
「あ、は、初めまして、僕は…」
「あんたらの自己紹介はどうでもいいんだがね…
デュプラルのお嬢さんとは俺らが先に話をしていたんだ、
一緒にひと儲けしませんかってな。
引っ込んでいてもらおう」
妖精族であるベルゼナッハの存在感が大きすぎて眼中に入らなかった
七人の男たちの中の一人がジャカを遮って割り込んできた。
彼がさらに一歩前に出ようとした時、ベルトが切れて腰の剣が落下した。
男の目の前には、アンジェの姿があった。
恐るべき身のこなしと剣の冴え。
そして彼女の美しさと射抜くような黄金の瞳とに圧倒された男は、
金縛りにあったように動けなくなった。
かろうじて自由が残されていた視線が、アンジェの赤き左手を捉えた。
「…あ…あんた、まさかレッドハンドの…!」
「彼女は私の友人だ。
話があるなら共に聞く」
「…ヘッ…!
なめないでください…
レッドハンドのお方がいらっしゃるからといって、
僕たちが怖気づくとでも思っているのですか…!?」
「…怖気づいてるかはともかく、急に敬語にはなっているね」
ロズウェルがつぶやいていると、
男は震える手で地面に転がっている剣を拾い上げ、
一旦仲間たちと顔を見合わせてから再度アンジェに向き直った。
「おっと…
残念ながら、用事を思い出してしまいました…
今日のところは、この辺で失礼させていただこうと思います…」
「話は明日しようということか?」
「そんなワケあるかッ!
…いえ、僕たちはしばらく多忙な日々が続くので
いつかまたこちらから伺います…
でも、あなたたちがどこにいらっしゃるのか知りようもないから
難しいかもしれませんね、フフフ…!
それでは、さようなら!」
くるりと背を向け、男たちは走り去った。
しかし、依然としてベルゼナッハは注目の的だし、
ごろつきどもを追い払ったアンジェもまた耳目を集めてしまっている。
一行はひとまずその場を離れることにした。




