歌う隊
ガーラントの街においては、特に夜間は争いが頻発する。
単なる喧嘩から決闘、乱闘、抗争など規模や原因は様々だが、
見つけ次第そのどれもに介入していくのが
ウィルスター軍所属の巡察隊である。
ガーラントには暗躍する一大組織や裏社会では知られた殺し屋といった
この上なく物騒な連中も潜んでおり、いついかなる相手と
刃を交えるかわからないという状況にあって
毎日駆け回りながら治安を守る巡察隊の任務は
極めて大きな危険を伴う。
第三部隊に属するトラバース・エランカも、
何度命の危機を感じたか数えるのも嫌になるほどであった。
そういう場面に直面する度に『なぜこんな仕事をやっているのだろう』と、
そんな想いが頭をよぎることもあるのだが、
街行く人々の姿を見るとそれも吹っ飛ぶ。
皆の暮らし、皆の笑顔を守ることが己の使命なのだと。
だから、彼は今夜もガーラントの街を駆ける。
「逃がすか、このっ!」
人通りのなくなった午後十時半、街灯の下で
がっしりとした体格の賊の剣とエランカの剣が激突し、
火花が散った。
敵は、五人。
こちらは十人の隊で人数では勝るが、
ここには隊長のジェスパーも副隊長のギブンもいない。
決して楽な戦いではなかった。
それでも連携して何とか五人を捕えたが、
エランカの視界の隅に動く影があった。
「フラックス先輩、まだいます!」
「行くぞ!」
同じく動く影に気づいた隊のリーダー、ニナン・フラックスを
先頭に追走する。
大通りを進む内に、追う影のさらに先に何者かが立っていることがわかった。
無意識に、フラックスは舌打ちする。
もし何者かというのが住民や旅行客で、
その上賊に斬られでもすれば大問題になる。
それ以前に、市民を犠牲にしたくない気持ちが当然一番だ。
しかし、賊を追いながら警告を発しようとしたフラックスやエランカらの目に、
予想外の出来事が映る。
前を走っていた四人の賊たちが、右へ左へ弾き飛ばされるように宙を舞って
地面に倒れ込んだ。
気づくと、彼らは失神していたのである。
思わず足を止めた隊の中でエランカは、前方を確認して
うっ、と息を呑んだ。
そこに立っていたのは、たった一人。
最初は少年かと思ったが、よく見ると細身ながら鍛えられた肉体を持つ
ウィルスター軍の剣士だった。
四人の荒くれ者を一蹴した直後とは思えぬ飄々とした様子で
にこにこと笑っている。
子供のような笑顔で、そのために少年に見えたのだったが、
どことなく不気味さも感じさせた。
すぐにそれが、彼の底知れない実力ゆえだということは
ぼんやりと理解できたが、あどけなさの残る顔立ちに
エランカは見覚えがある。
そう思っていると、隣のフラックスが口をぱくぱくさせるようにした。
何をやっているのかと怪訝そうに目を向けてから三秒ほど過ぎて、
ようやく先輩騎士は往来の中央に立つ剣士に
ちらちらと視線を送りながら抑えた声を発した。
「…おい、神童だぜ…」
「…そ、そうか…
セレンティア・エリン…」
大仰な呼び名を耳にして、エランカは思い出した。
第九部隊の若き副隊長であった。
神童とは彼が入隊した頃から言われていたあだ名で、
十代の時にすでに頭角を現していた。
軍ではあまりに有名人で、姿は写真や遠目でしか見たことがなかったために
至近距離にいる状況に現実感がなく、すぐに名と顔が一致しなかった。
天才剣士と名高い彼の噂は何度も耳にしていたので、
本人を前にしてエランカはやや緊張していた。
「…しかし、全く剣が見えなかった…!」
「そりゃあ、そうでしょうよ。
抜いていないもの」
エランカの言葉を聞いて、エリンは両手を広げて見せ
からからと笑った。
声の質は柔らかく、笑顔も人懐こさを伝えるもので、
先程までの不気味さは感じなくなり好青年という印象に変わった。
「…あ、手刀ですか、なるほど…
いや、ちょっと待った!
手刀で四人をこれだけ吹っ飛ばしたんですか!?
人を殺せるじゃないですか」
「ははは、面白い人ですね。
皆さん、お勤め御苦労さまです」
丁寧に頭を下げるエリンに、フラックスも会釈をした。
抜群の腕という評判はどうやら本物らしい。
風変わりな男という評判もだ。
内心、面倒なことにならなければいいと思っている。
「九部隊のセレンティア・エリン殿ですな。
お一人ですか」
第九部隊の者がなぜここにとか、エリンがなぜこの道にとか、
疑問は色々あったがまずはそれだ。
なぜ一人で行動しているのか。
通常、ガーラントではウィルスター軍の者は
単独行動はしないことになっている。
軍を目障りに思っている無頼者や不逞の輩は多いはずなので、
一人で歩いていては憂さ晴らしの格好の的になる。
が、
「ええ、一人です。
少々散策に出て来ただけなので」
事もなげにエリンは答えた。
規則を破っているし何より危険なのだが、
天才などと言われるような人物はどこか造りが違うのだろうか。
任務でやって来てこの街の現状を知ったエランカは、
とてもではないが制服を着て一人で散策に出る度胸はない。
「ご旅行とも思えませんし、
九部隊がここへ来ているのですか?」
エリンの無謀さと豪胆さに面食らいながら、
フラックスは続けて尋ねる。
第九部隊が来るとは聞いていなかった。
「全員ではありませんが、エシエン・ドロウ隊長以下
途中いくつかの仕事をこなしながらやって参りました。
三部隊の皆さんはそろそろこの街に馴染んだ頃ですかね?
飯が美味いお店があったらぜひ教えてください。
僕、酒はやらないんです。
その分、ご当地の名物を存分に楽しみたいんですよ。
同僚に辛党が多くて参っちゃうんですが」
「はあ…」
エリンに少々ずれた質問をされてエランカが生返事していると、
小走りに近づいて来る青年が目に入った。
格好からすると第九部隊の人間のようなので、
エリンの同僚だろう。
彼はエランカらの所までやって来ると一礼し、
「九部隊所属、ロンシュタット・アスリルです」
と名乗ってからエリンに顔を向けた。
「探しましたよ、エリンさん」
「さん、はやめてくださいよ、アスリルさん。
あなたの方が年長じゃないですか」
「歳が上だからといって副隊長を呼び捨てにするわけにはいかないでしょう…
と、もう十回以上答えた記憶があります。
それに、剣を遣う者ならあなたをぞんざいには扱えませんよ」
アスリルの言葉の後半部分は、エランカには理解できた。
まだ剣を振るう姿を見ていないものの、
エリンが恐るべき男であることはひしひしと伝わってきた。
同じ剣士として、並外れた才と技を持つ者に
思わず敬意を払ってしまうのは自然なことと思えた。
「それで、僕に何か御用ですか」
「本気で言っているんですか」
年長とは言っても一つか二つしか変わらないだろう。
自分より長身のアスリルを見上げるようにして
エリンが暢気に問うと、
敬意を払っているはずのアスリルもさすがに嫌な顔をした。
「ガーラントでは一人歩きをしないようにと、
街に入る前に隊長と私が何度も釘を刺したはずですが」
「そうでしたかね。
ま、こうしてあなたが来てくれたんだからいいじゃないですか」
「…エリンさん、私があなたを尊敬しているのは
剣に関してだけですとこの際はっきり申し上げておきます」
「これは手厳しいな。
でも、あなたもお一人なのでは?」
「いや、すぐ近くに四人います。
三部隊の方々にいらぬ不審を与えてしまわないにと
私が代表して来ました」
「気を遣いますねえ。
そういう感覚が、僕には欠落しているんだな。
同じ軍の仲間同士、もっと気楽に仲良くしたらいいとしか思い至らない」
「今、エリンさんが最も気を遣わなければいけない相手が同じ隊にいます。
隊長が、戻れと」
「そりゃあ、いけない。
軍の仲間どころか隊内でもこれだ。
我が隊長は誰よりも大雑把な人だと僕は思っているんですがね」
おどけた仕草を見せ、エリンはエランカたちを振り返る。
「それでは皆さん、機会があれば街を案内してください、
奢りますよ。
我々はあまり長居できないかもしれませんが、
またお会いできたらいいですね」
そして、にこやかに手を振りながら去って行った。
エランカたちは呆気にとられながら軍屈指の遣い手とされる男の
後ろ姿を見送った。
ここ数ヵ月ウィルスター北東部の街、メツメス周辺で暴れ回っていた
野盗団の連中は、アジトに戻ろうとした道中で
かすかに音楽のようなものが耳に届いていることに気づいた。
その音色には艶があり、心を躍らせる響きであったが、
なぜか夕立前の空に湧き立つ雲のように
陰を広げ、不安を掻き立てる音でもあった。
それは、だんだんと近づいて来る。
奇妙に思って、彼らは近くにあった林に身を隠した。
音は、少しずつ大きくなっていった。
笛や太鼓などの楽器で奏でられている、ゆっくりとした行進曲のようだ。
それがわかった時、彼らの顔は青ざめた。
聞いたことがあったからだ。
その音楽を、ではない。
曲を奏でながら進む隊の噂を、である。
「…ソルツォーネが…
奴の隊が、来る…!」
一刻も早く、この場を離れなければ。
そう考え、林の中を通って逃げようとした時。
彼らの前に、十人前後の人影が立ちはだかった。
先頭にいるのは、赤茶色の髪を揺らす長身の端麗な女性だった。
彼女は、静謐を湛えるダークブラウンの瞳で野盗どもを一人一人見た。
「我々はウィルスター軍第十部隊。
聴こえるだろう?
無法者を追及する際に奏でられる旋律…
知らぬならば教えてさしあげる。
この曲を聴いた以上、貴公らは逃げられない」
その言葉通り、野盗団は瞬く間に壊滅した。
全員が、女性の鮮やかな剣技によって地に沈められたのである。
剣を納めた女騎士、ジェシス・エルマージュの元に、
残る第十部隊の隊員たちが到着した。
隊列の前部にいた者の半数ほどは楽器を手にしているが、
今は演奏を止めている。
中央には八人の隊員に担がれた木製の輿があって、
上に一人の男性が片膝を立てた姿勢で座っていた。
細身に細面の美青年で、華やかな容姿と物憂げな表情は
常に多くのご婦人方の目を引くことであろう。
緩くウェーブがかかった金髪が風に揺れ、
長い睫毛の下の碧眼で隊員たちを見下ろしていた。
「終わりましたね、エルマージュ君」
「はい、隊長」
男性にしてはやや高めのよく通る声で問う輿の上の美青年に、
エルマージュは短く答えた。
彼女が言ったとおり、この隠君子の如き気品をも備えた男が
第十部隊の隊長である。
彼、メアッツァ・ソルツォーネがわざわざ輿に乗っているのは、
気取っているからとか変人だからとか、そういう理由からではない。
幼少の折に落馬したから馬には乗りたくないと言い張ったところ、
隊員たちに
「じゃあ私たちが担ぎますよ、それなら文句ないでしょ」
と言われて断れなかったためだった。
いざ乗ってみると本人も気に入ったらしく、
以降移動時には部下に頼んで担いでもらっている。
進行の際に音楽を奏でさせているのは、
気取った変人だからである。
しかし、いつしかその音楽を伴った進撃は
隊員たちの精強さと相まって第十部隊の恐ろしさを悪党どもに
知らしめることとなっていた。
「では、次なる戦地へ赴きましょう…
この世に悪がはびこる限り、我らの旋律がやむことはない。
勝利への水先案内となり、平和に導いてくれることでしょう」
「承知致しました」
エルマージュの合図に合わせて再び隊は動き出し、
優雅な演奏が鳴り響く。
ソルツォーネ率いる第十部隊は、
人々の安寧を脅かす者たちを震え上がらせながら
今日もゆく。




