ロッジにて
力をつけろとジェサリアには言われたものの、
具体的なことは聞いていない。
明日からしごかれるのか仕事に駆り出されるのかわからないが、
とにかく今日はさっさと休んで備えた方が良さそうである。
ではあるが、夕食が済んですぐに眠るというのは早すぎるので、
ジャカたちはロッジの一室に集まっていた。
「ずっと落ち着けていなかったから、改めて言いたいんですけど…
すみません、オータさん」
ソファーに深く腰掛けて天井を見つめていたオータの前におずおずと出て、
ジャカは言った。
彼が何について謝っているのか、オータはすぐに理解した。
かの街ではジャカ自身にも色々とあったはずで、
心身共に消耗しているに違いないのに、損な性分だなと思った。
「君が謝ることじゃない…って、前にも言ったかな。
ポンペスの所に行った時点で、
いずれ俺たちが襲われることは決まっていたのさ。
疾風のラサがいたことを考えると、君たちと組まなければ
俺も死んでいただろう。
もちろん、ライドとナイラのことは悔しい。
だが、あいつらがやられたのは君のせいじゃない」
「…仇を…
取りたかったですか?
あの時…」
「…」
問われて、オータは目を伏せた。
あの時。
アンジェがラサを退け、用心棒を失い茫然自失となったポンペスの前を
通り抜けて進もうとしていた時。
ジャカは無論、彼の命を取る気はなかった。
しかし、後ろに続くオータが剣を握り直す音を、
聞いた気がした。
一瞬、斬るのか、と思った。
そうしたとしても、当然であろう。
オータにとっては、友の仇なのだから。
が、オータは斬らなかった。
それは、ジャカのためでもあったのかもしれない。
「ナイラさんを襲わせたことはわかっていましたけど、
…僕には、ポンペスさんを討つことはできない。
でも、オータさんには関係のない話で…
斬るとまではいかなくても、殴りかかったっておかしくない
状況だったと思うんです」
「…そうだな…
もちろん、あいつを斬りたいって気持ちはあった。
けど、俺はわからなくなったんだ。
君から、ポンペスは最初に会った時は
気のいい商人のおっちゃんだったって聞いていただろ。
そのポンペスがあんな風になったのは
君たちと一緒にいたことで巻き込まれた事件が原因で、
でも事件を起こしたのは軍の奴らで…
堂々巡りになって、剣を向けられなかった。
俺自身がそんな状態で、あいつを斬っちまうわけにはいかないと思った。
消えた命は戻らない、迷いながら人を斬っちゃいけないんだ。
この先、俺がポンペスを斬るかどうか今も答えを出せていないが…
これだけは言っておく。
次に会ったら、俺はあいつを全力で殴る。
…って、ところかな」
「…ありがとうございます」
最後に微笑んでくれたオータに、ジャカは頭を下げた。
彼の肩を軽く叩き、オータは頭を上げさせた。
「君は、ポンペスを巻き込んだことを気に病みすぎている。
君自身がそうさせようとして起こしたことならともかく、
ジャカ君だって巻き込まれた側と言ったっていいくらいだろう。
ポンペスは不運だったし気の毒だったかもしれないが、
怨念に取り憑かれガーラントで多くの人間を犠牲にしたのは
あいつの業だ。
恨みに身を任せ事情を知ろうともせず君を憎むんじゃなく、
別の道はあったはずなんだ」
「オータさん…」
「なかなかいいことを言いますね!
あなたは商売に向いているかもしれません。
私と組んでみませんか?
うまくいく気しかしません!」
オータの言葉に胸にこみ上げるものを感じていたジャカの脇から、
ジルドラが割り込んできた。
彼が商売などと言うと、阿漕な稼ぎ方をしようとしているとしか思えない。
「つーか、お前ね?
何だかことあるごとに金、金うるさいけど
そもそも一体何の目的でガーラントにいたわけ?」
右眉の跡を指でなぞりながら、キーンがきいた。
その言葉で皆思い至ったが、アンジェにいきなり連れて来られたジルドラは
何をしようとしていた人物なのか。
一応神官ではあるようだが言動を見聞きしていると怪しいし、
携えている武器が神の教えがびっしりと刻まれた金属製の杖というのも
何だかうさんくさい。
皆にそう思われていることを知ってか知らずか、
ジルドラはにやりと笑んだ。
「そうですか、あなたの目にはお金お金とうるさく映りましたか…」
「え?
そう映らないヤツっているの?」
「まずは、そこについて話す時が訪れたようですね…
なぜ私が、お金にうるさくなったのか」
「自覚はあるんだな…」
「私の生家、ジーン家は…
とても貧しかったのです」
左手を胸に当て右手を肩の高さまで持ち上げながら
自らの境遇について語り始めたジルドラだが、
そこまで言って動きを止めた。
拍子抜けしたとばかりに、キーンは首を少し前に出すようにした。
「…終わり?
それだけ?」
「それだけって!
あなた、一日一食、干からびたパンだけで
何日も過ごしたことがあるんですか!?
カッスカスのパンを水に浸して『水の風味が加わって大分違うね』なんて
家族同士で語らったことがあるんですか!
味なんて変わりゃしませんよ、いくら水に浸けたって!」
「…ないけど、それ以上言わないでくれ。
悲しくなるから。
オレが悪かった」
「お待ちなさい!
ここで終わったら結局生い立ちのせいで貪欲な大人になっただけの
生臭坊主みたいじゃないですか。
私は道で食べ物に困っている人を見かけたら、
密かにいくらかのお金を渡したり食べ物を差し上げたりしているんですよ!
そうして各地を回っていたんですよ」
「まあ、素晴らしい…
そのような善行を積んでいらっしゃるのなら、
神様ももうあなたを飢えさせたりはしないことでしょう。
これからも、あなたのパンを人々に分け与え続けてください」
「うん、えらい。
思ったよりえらいヤツだよ、お前は。
少し見直した。
ちょっとだけな」
いたく感心しているアイスレアに同意して、
キーンは何度もうなずきながら言った。
二人以外の者たちも、少しだけジルドラを見直した。
そして、ただの生臭坊主でなかったことに安堵していた。
「ここに着くまでは、ショックも大きくてあえて言及してこなかったが…」
ジルドラの話がひと段落したようだったので、
オータは再び口を開いた。
「ヴァントレイ・ジェスパーは、本当に強かったな…」
その名を聞いた時、アンジェを除く全員が背中が冷たくなるのを感じ、
身震いした。
ジェスパーは決して冷酷でも残酷でも、卑怯でも尊大でもなく、
そういう意味で恐ろしいわけではなかったが、
実力はとにかく圧倒的だった。
誰もが天才と認め、またそれに違わぬ剣腕をもって
多くの敵を一蹴してきたアンジェが、終始押された挙句に
吹っ飛ばされてしまったのである。
特に、アンジェを吹き飛ばしたその攻撃は彼女自身も正体を見極めることは
できなかった。
まさにそれについて、ロズウェルが尋ねた。
「剣で飛ばされてきたって感じじゃないように見えたけど、
何が起きたの?」
アンジェは答えようとして、当時のことを思い出しながらかすかにうなずいた。
「ずっと左腕を隠していたジェスパーが
その左腕を出し、両手で剣を握り戦い始めた…
私は押されていたが、まさに撃ち合っている最中、
彼の手元で何かが光り、吹き飛ばされた。
攻撃を受けた感触では、あれは魔導ではないかと思う」
「魔導…?
魔法ということですか?
魔法って、両手で剣を使いながら撃てるんですか?」
ジャカは、アイスレアに顔を向けてきいた。
「無理でしょうね。
わたくしの知らない秘術などがあるのなら話は違いますけれど…
相当の魔導の技量を備えていることが前提ですが、
指の何本かでも空けられるのであれば魔法の詠唱をせず、
また印も結ばずに簡易的な魔法を放つことはできるかもしれません。
ですが、彼が剣を握る指を緩めたとして
アンジェさんが気づかないとは思えません」
彼女は、静かに首を振る。
同じく魔導の使い手であるロズウェルの方にも目線を送ってみたが、
こちらもやはり首を振った。
「詠唱と印を省略すれば発動までの時間と手間は少なくなるけど、
全く手を使わずにというのは無理じゃないかな…
仮に撃てたとしても、人をあんなに吹っ飛ばすほどの威力が出るかどうか…
どっちを省略しても効果が落ちるのに、両方ともほとんどやらないんじゃ多分
元の半分にも届かないよ。
アイスさんが言ったように、指だけでも使えれば
簡単な印を切っていくらかは威力を上げられるだろうけど」
「一つ可能性があるとすれば、神が降りた状態ですね」
「何だい、そりゃ」
アイスレアに、オータが問うた。
神に関係する仕事でもしていなければ、神が降りるなどという表現は
そうそう聞く機会はなかった。
「我が身を依り代に神を降臨させる奥義中の奥義、
というより奇蹟です。
魔法というのは、魔導で魔力を操って発動させるものですが、
原点は神の力の一部を人間にも可能な限り
模倣できるようにするというところで、
詠唱と印で魔力の制御を補い様々な効果をもたらせるようにしたものです。
つまり、神であれば補助がなくても魔法が使えるということになります」
「いくら強いって言ったって、さすがにジェスパーも神様じゃないだろ」
「そのとおりだ。
彼は極めて優れた力を持つ人間だ」
キーンの言葉に、アンジェはうなずく。
「あの攻撃は、それによって私を倒そうとしたのではなく
とどめを刺す一つ前の段階だった。
撃てるはずのない状況で撃ってきたところに意味があったのだ。
結果として、彼は部下を救出することを選んだが…
おかげで、ほぼ敗北という勝負でありながら私は生き残ることができた。
彼との一戦は、私にとって大きな財産になると思う…
次は負けない。
必ず勝つ」
アンジェの澄んだ金色の瞳に、皆の視線は惹きつけられていた。
彼女は、恨みや仕返しのために強い決意を示しているのではない。
ひたすらに一人の剣士として強敵を超える、
そのことしか考えていないに違いない。
赤き手に護られ、育てられたアンジェは純粋なる剣士となり、
己の道を歩んでいるのだろう。
ジャカは、自らの手に目を落とした。
ルルメクに頼りきり、握っていただけの手に。
一途に剣を極めんとするアンジェに、歯が立つわけがないのだ。
恐れと迷いしか持たない、惰弱なるこの手が。




