疾風の剣
両者の距離は、およそ五メートル。
アンジェは抜き身の剣を手に、一見棒立ちのように見えるが
彼女の場合はそれも一つの構えである。
ラサの方は背を屈め、右手を後方に回している。
背に隠した小太刀の柄にかけているのだろう。
その状態で向かい合ったまま、互いに微動だにしなかった。
後ろで一応身構えているジャカは、ぴんと張り詰めた空気に
喉がからからになって、唾を飲み込むことさえ難儀する有様だった。
ポンペスも、彼自身は武芸の心得は全くないが、
真夜中に咲いた純白の花の如く凛々しく、美しい佇まいの少女から
睨まれるだけで斬られる気がするほどの鋭利な気配を感じ取り、
一向に動こうとしないラサに「さっさと片を付けろ」と
声をかけることはできなかった。
この狭い空間、しかも遣い手同士である。
何合も撃ち合うような勝負にはならない。
それがわかっているから互いに呼吸を読み合い、
気を練り、時が満ちる瞬間を探る。
奇妙な静寂が訪れる一方、後方ではキーンとソロムが
激しく競り合っていた。
技量はソロムが勝るが、彼が持つのは自分の背丈ほどもある大剣で、
細かな取り回しがきかない。
その難点を突いて、キーンが幾度も槍をしごき攻め立てた。
さすがのソロムは幅広の刃を盾のように使って防ぎつつ、
隙を見てキーンを両断しようと大剣を振り下ろした。
頭上から落ちて来るギロチンのような刃を、
後ろへたたらを踏んで何とかかわす。
肌に感じた剣圧にさえ裂かれる想いがして、
額に脂汗が滲んだ。
「野郎…!(ムカつく奴だが、さすがに強えぜ…!
この場所で互いの武器を考えれば、こっちの方が
断然有利なはずなのによ…!)」
大きく息を弾ませながら、キーンはソロムを睨む。
狭い路地で大の男が武器を構えて立っていては並ぶこともできず、
アイスレアとライドはなかなか手を出せずにいた。
せいぜい、アイスレアが援護魔法をキーンに施してやるくらいである。
「どうしたどうしたァ…!
ずいぶんくたびれちまってるようだが…
その程度でこのラグラング・ソロムを殺ろうなんざ、
身の程知らずが過ぎるってもんじゃねえか!」
「身の程なんかわきまえてたらな…
オレたちみたいなはみ出し者は何もできやしないんだよ!」
「わめくなッ!」
二人は、同時に動いた。
槍を繰り出すキーン。
大剣を振り下ろすソロム。
あれほどの大身の得物を扱っているというのに、
ソロムの挙動はあまりに速い。
まずい、と判断しキーンは槍の穂先を跳ね上げて大剣を止めようとした。
だが、がきん、という音と共に槍と衝突した刃は止まらず、
キーンの右肩に食い込んできた。
「ぐっ!」
うめき声を上げ、キーンは片膝をつく。
勢いのままに叩き斬ってやろうと、ソロムは両腕にさらに力を込めた。
興に入って口端を上げ、にいっ、と笑う顔は、
人の持つ狂気、残酷さを全て象徴しているかのようだった。
そんな彼の視界に、正面に立つアイスレアの姿が飛び込んできた。
キーンが地に膝をついたことで空いた自身の目の前の空間を利用し、
魔法を放とうとしていたのである。
「てめえ…!」
「正しくはてめえら、でしょうか。
キーンさんも承知しているはずですから」
「…!」
アイスレアが突き出した右手が青く輝き、
激しい冷気がソロムに叩きつけられた。
ソロムはキーンを両断せんとすることをやめて、
大剣を自身の前にかざし少しでも冷気を防ごうとした。
アイスレアが発した氷の魔法の光を合図にしたかのように、
ラサが動いた。
身体を深く沈め、己の異名である疾風の如く前に出る。
突如しゃがんだかのような低い姿勢になったため、
正面から見る者にとっては一瞬、消えたように映っただろう。
だが、アンジェも反応し動き始めていた。
ラサの斬撃が下段から迫る。
逆手に持った小太刀の抜き打ち。
即座に上半身をそらし、最小の動きで外す。
しかし、ラサの攻撃はまだ終わっていなかった。
振り抜いた姿勢から、小太刀を握った右手を押し込むようにして
刺突に変化させ、アンジェの心臓を狙ってきたのである。
「(この二撃目が本命か…!)」
切れ目のない、流れるような追撃。
すさまじい速度、恐ろしい技の冴え。
加えて突然の変化に、対応できる者はそういないだろう。
「っ…!」
それでも、倒れたのはラサであった。
薄れゆく意識が途切れる直前、彼は見た。
繰り出した刺突に合わせるようにアンジェが剣を伸ばしてきたのを。
己の切っ先は相手の鍔にぶつかり止められたが、
小太刀の短さ故にアンジェの剣はラサの身体に到達し、貫いていた。
あの一瞬、初見で敵の技を見切り迅速、正確に剣を操って
鍔に当てさせ防ぎつつ反撃する、攻防一体の一撃を放つとは。
「…恐ろしい…
恐ろしい剣技だ、不殺の天使…!」
そう、彼女の二つ名は不殺の天使である。
つぶやいて倒れたラサは、気絶しただけだった。
だがその圧巻の勝負、敗北の仕方は、彼が手練れの剣士だったこともあって
敵味方の区別なく大きな衝撃を与えた。
勝敗を決した攻撃はまるで、剣の鬼の技と思えた。
それほどに速く、針の穴を通すように正確だった。
「…アンジェさん…!
一体…!」
「ラサは剣の短さゆえの軽さを活かす剣士だった。
だから、こちらは剣の長さを活かした」
飛び出しそうなくらいに目玉を剥いて、
かすれる声で尋ねるジャカに彼女はこともなげに答えたが、
誰にも真似できるというものではない。
練習すれば何とかなるという次元を超えているように思えた。
「話は後だ!
キーン殿たちもついて来ると信じて突破しよう!」
オータが叫び、駆け出すアンジェに続いてジャカも走った。
前にいる自分たちが進まないことには、後ろの面々も動けない。
アンジェの技量を目の当たりにした前方の兵たちはすくみ上がり、
彼女やオータにやすやすと退けられた。
そして、怯えた表情で立ち尽くすポンペスの前を通り過ぎようという時、
走りながら彼と目を合わせてジャカは素早く頭を下げた。
「すみません、ポンペスさん…
僕はいきます。
いつかまた、この街を訪れるまで…
ポンペスさんもお元気でいてください」
「…ランディアク・ジャカ…!
私は、お前などに…
お前などに、負けはせん…
お前などに、私の人生を…壊されはせんぞ…!」
遠ざかるポンペスの姿と声。
自分は、そして彼は、彼の怒りから解放されたのだろうか。
それを確かめる術も時も、今はない。
たとえ憎まれたままだったとしても、
全て背負ってジャカは進むしかないのだ。
これまでの己の運命の結果である。
その運命には、不可解な部分がいくつもあった。
それらを解き明かし、一つの結末にたどり着くまで
この先何を背負うことになろうとも、立ち止まることはできない。




