迷宮都市
曇天の鉛色の下に広がる緑の大地の中で、
朽葉色の壁のようなものが視界に入り始めた。
初めて目にする者は禿げ上がった小山かなどと思うかもしれないが、
あれこそがウィルスター有数の大都市、ガーラントである。
かつて丘の上に建てられた砦のあった場所を中心に
発展していった集落であり、
古い建造物が急勾配の丘の上部から裾の方まで
びっしりと並んでいる様が壁を思わせたのだった。
「僕、行くのは初めてなんですけど、皆さんは…」
「オレも行ったことはないな」
ジャカの問いにキーンは首を振ったが、
「わたくしは、家族でジェルミに向かう途中で
立ち寄りました」
「私も数日滞在したことはある」
アイスレアとアンジェはそう答えた。
ジャカがわざわざ尋ねたのは、ガーラントという街が
ウィルスター国内でも少々特殊な土地であるからだった。
わかりやすく風変りなのが街並みで、
砦の周辺に広がったという経緯もあって
敵の襲撃を想定したものになっている。
家々や集合住宅が壁のように連なって非常に入り組んでおり、
侵入した敵の進路を限定した上で両脇に並ぶ建物に隠れ
奇襲をかけたとする記録が残されていた。
その建物というのもまっすぐに整然と区画されているわけではなく、
そのために道は曲がりくねって先を見通すことが難しくなっている。
砦であった遺跡のある丘の上部付近は特に勾配がきつく、
道そのものがスロープや階段になっていた。
高低差があり乱雑な造りのこの街はまた、
隙間なく建ち並んでいるように見える建造物の間に
細い路地が不規則に通っていることでより複雑にさせていて、
まさしく迷路のようであった。
そんな構造であるから、よんどころない事情を持つ者が逃げ込んだり
大っぴらにできない活動をしている集団の拠点になったりという例は
枚挙にいとまがない。
対策としてウィルスター軍は巡察隊を置くだけでなく
十隊長を交代で送り込んで重しをきかせていた。
甲斐あって大きな騒乱などは起こっていないが、
常に不穏が身近に潜み火種がそこここでくすぶっているような、
独特の空気が全体を覆っていた。
それでも観光に訪れる者が多いのは、
至る所で感じる歴史の気配、ここにしかない風景という光と、
街角の一つ一つに野望や欲望、怨念や悪意が宿っているかのような闇、
それらが入り混じる緊張感と陰影が興趣を添えているからだろう。
ジャカは、そのガーラントの巨大な姿が近づくにつれ
肌にまとわりつく不気味な風が吹いてきて、
しかもそれが一歩進むごとに勢いを増しているような気がしていた。
「ここが…ガーラント…!
入っていきなり曲がり角なんだ」
街の南門をくぐって、ジャカは感嘆の声を上げた。
多くの人が行き交う幅の広い通りは、
数十メートル入った所で大きく右にカーブしている。
道の両側は行政関係の建物や店舗で、
曲がり角の部分は建造物の向きを少しずつずらすことで
きちんと通りに入口が面していた。
「“南の端角”と呼ばれる場所ですね。
敵の直進を防ぐための造りとも言われています」
アイスレアの説明を聞きながら歩を進めていると、
この一帯は左右の建物が全て五階、六階という高さを持つため
巨大な迷路に入り込んだような感覚に陥った。
薄鈍色の石畳の道に朽葉色の建造物が並ぶ様は
統一感があって美しいとも言えるのだが、
同時に圧迫されるような若干の息苦しさも覚えるものだった。
「かなり人の出入りが激しそうな街ですね」
せわしなく首を動かして辺りを見回しているジャカに、
キーンはうなずいた。
何しろ出入り口である門付近のこの場所では、
出て行く人と入って来る人の姿が切れることがない。
「身の隠しやすさで言えば上の上と言っていいだろうよ。
人の出入りが多ければ、当然情報も集まる。
ここで、いくらかでもインフォアやベルクルナ、そして王都といった
以北の大都市の現状を把握しておきたいところだな…
なあ、天使殿?」
そう言ってキーンはアンジェに視線を送ったが、
当の彼女は全く違う方向を見ていた。
アンジェは視力が良く鋭敏な感覚を備えているから、
一人何かに気づいていることがある。
レキッタの出来事はまだ記憶に新しく、
キーンは肝を冷やす思いだった。
「何だ?」
「巡察隊だ」
それだけつぶやいた彼女の見る先を、
ジャカたちも窺った。
ガーラントはあまり治安が良い方ではないから街独自の守備隊と、
十隊とは別に軍から派遣された兵たちが
巡回している。
そのことは、ウィルスター国内では有名な話だったので
ジャカも知っていた。
「…見つかったらまずいですか?」
「無論、目を付けられたくはないが…」
「…何です?」
「…!」
アンジェの瞳が、鋭く煌めいた。
他の三人が何事かと目を凝らすと、
人波の切れ間に揃いの防具に身を固めた戦士たちの
姿が見えた。
「第三部隊か…!」
「第三…!?
わかるんですか?」
「十ある隊の者たちの鎧の左肩には、
所属する隊の数字が入っている。
個人で動いたり街から街へ移動したりする時には
あえて外す者もいるが…」
「第三部隊というのは…
何かあるのですか?」
アイスレアが尋ねた。
それと知った時のアンジェの反応を受けてのことである。
「正直、十隊のどれかがいるとすれば
私は第七部隊だと思っていた。
これまでがそうだったからだ。
隊長のマステマは任務に積極的ではないし、
そういう長の性質上あまり組織だって動く隊ではない。
だが、第三部隊は勤勉な上に結束が強い…
私たちを狙って来るかはわからないが、
あまり好ましい状況とは言えない」
「そこへきて、天使殿は目立つからな…
白い髪、白い衣装にまばゆい美貌!
どれもこれも目を引いちまうぜ」
肩をすくめてキーンが首を振っていると、
細身の優男がすたすたと近づいて来た。
にこにことして敵意も感じられなかったので
ひとまず様子を見ていたアンジェに向かって軽く右手を挙げ、
彼は声を発した。
「初めまして、皆さん!
そこのあなた、驚くべき美しさですね。
どうです、モデルやりませんか」
「やると思うか?」
ぎらりとした光を放つ黄金の視線に射抜かれ、
男は背筋が寒くなって震え上がった。
すらりとした美しい少女から、
容姿からは予想もできないほどの威圧感が発されたのだ。
「はっ…(死ぬのかな?
オレ、スカウトしただけなのに死ぬのかな?
そんなバカな!
声をかけただけだぞ!
しかも褒めながらだぞ!
嘱託だけど一流ファッション誌のデルモスカウトだぞォォォ!)」
「待って!
皆さんちょいとお待ちを!
俺の顔に免じて勘弁してやってください!」
「免じるには知らない顔だな。
誰だお前」
なぜだか危機に陥って硬直している優男を救うべく
割り込んで来た男を、
すかさず睨みつけるアンジェ。
小柄なもう一人の男を背後に連れたその人物は、
両肩の間に顔をうずめるようにして会釈する。
そうしながら彼は順にジャカたちの顔を見ていったが、
アイスレアの所で動きを止めた。
「おや…
ノワーズ家のお嬢さんじゃありませんか」
「あら、あなたは…
ええと、どなただったかしら」
アイスレアの方は、小さく首をかしげる。
脇に立っていたジャカは、無意識の内にうっすらと笑みを浮かべてしまった。
アイスレアはルフィカで自分と出会っていたことを
完全に忘れていたが、それはジャカの印象が薄いからというわけではなく、
彼女は人の顔を覚えるのがあまり得意ではないらしい。
が、ジャカと違って突然現れた男の方は
少しも気にした様子はない。
「ああ、覚えていないのも当然ですね。
俺、ジェルミで何度かお宅に配達したことがあるんです」
「まあ、それは失礼を致しました。
その節はお世話になりまして…
今日はこんな遠くにまで配達ですか」
「はっはっは、面白いお方ですね。
俺は今、この街で働いているんですよ。
見たところ何か訳ありのご様子ですね…
俺の友人が迷惑をかけたお詫びに、力になりますよ。
ここじゃ、安心して滞在できる宿を見極めるだけでも
一苦労ですからね」
その申し出に、アイスレアはジャカたちを見回した。
アンジェはこの街の事情をある程度知っていたので、
状況や情報を把握している者の協力があるかどうかで
雲泥の差があることもわかる。
「いかがです」と尋ねるアイスレアに彼女が「不審を感じれば即座に斬る」と
答えたので男は顔を引きつらせたが、
彼は何とか笑顔を取り繕ってうなずいた。
「お嬢さんのご両親には良くしていただきましたから、
できるだけのことはさせていただきますよ。
俺の名はオータ・ヤスヒロ、
この二人はヒューセル・ライドとウリミ・ナイラといいます。
よろしく!」
スカウトしてきた方がライド、小柄な方がナイラという名のようだ。
二人は、そろって軽く頭を下げた。
「よろしくお願いします…
ところで、申し訳ありませんけれど
ヤスヒロさんって少し呼びにくいですね。
オータさんとお呼びしてよろしいかしら」
「お好きにどうぞ。
歩きながら事情を聞きましょう、
ライドがスカウトしようとしただけあって、
白い髪のお嬢さんは立っているだけで人の目を集めますからね」
にっ、と笑ってアイスレアに答え、オータは先頭に立ち歩き始めた。
その後にライドとナイラ、さらにその後に
ジャカたちも続いたが、無論まだオータたちを
全面的に信用したわけではない。
それでも、協力者を得られるかもしれないのならば
警戒しつつも同行してみる価値はある。
ガーラントはそうでもしなければならない土地らしい、
そしてそういう場所に自分たちは足を踏み入れた。
出会ったばかりのオータらの背を見て歩きながら、
ジャカは目の前に広がる迷宮都市について
様々な想像を巡らせた。




