得難きもの[伍]
【白皙】肌が白くてきめが細かく、美しいこと。
公爵邸の自室に戻ると、そこには既にソファに腰掛け、俺を待っているクローディアの姿があった。
磨き上げられた机の上には、彼女の前に置かれた紅茶入りのティーカップと、まだ湯気を立てているティーポット、そして可憐な茶菓子。さらに、俺のために用意してくれたのだろう、空のティーカップが一つ置かれていた。
俺はクローディアの向かいのソファへと気怠げに身体を預け、自身のカップへセピア色の紅茶を注いで、ようやく一息ついた。立ち上る果実の甘い香りが、戦闘で疲弊した俺の心を優しく解きほぐしていく。
「それで?ディアはどうしてここに来たんだ?何か話したいことがあるのか?」
気怠げな調子のまま尋ねると、クローディアは不意を突かれたようにスッと完璧な顔を横に向け、少し拗ねたような表情を作った。波打つ長い髪が、その拍子にふわりと優雅に揺れる。
「特に何もないわ。……ただあなたの顔が見たかっただけよ。」
いつもは気高く、皇女としての完璧な振る舞いを崩さない彼女が、ほんのりと頬を染めて目線を下げる。俺にだけ見せるそのいじらしい横顔に、胸の奥から押し寄せるような、たまらない愛おしさを感じた。
「そうだったのか。それは本当に嬉しい理由だ。ディアが皇女でなければ抱きしめたいところだけれど……。」
俺はソファから立ち上がると、迷いのない足取りで彼女の側まで寄り、その場に静かに跪いた。目の前にある、クローディアの初雪のように白い肌が煌めく手。それを壊れ物を扱うようにそっと取り、俺の両手で包み込む。
「ディア、いつか君が誰かに嫁ぐ日まで、どうか俺の側にいてほしい。理由なんて必要ない、いつでも会いにきてくれ。俺も会いに行く。これ以上ないほど、ディアを大切に思っているよ。」
俺の素直な言葉に、クローディアは緋色の双眸をゆっくりとこちらに戻した。そして、切なげに、しかし僅かに微笑む。
「残酷だけれど、とても素敵な言葉ね。」
彼女は小さく囁くと、包み込まれていた手を滑らせ、俺の頬を優しく包み込んできた。拒む隙など与えない、有無を言わさぬしなやかな動作。クローディアは優雅に首を傾げ、吸い寄せられるように、自らの額を俺の額へと重ね合わせた。——こつん、と微かな衝撃が伝わる。白皙の肌同士が触れ合った場所から、じわりと彼女の温かい体温が溶け出してくる。
彼女が息を吸うたびに、胸元から漂う耽美な香りが、俺を甘く満たした。逃げる隙を覆い隠すように、彼女の豊かな波打つ髪が二人の視界を優美に遮り、世界を二人きりにする。
彼女の長い睫毛が触れそうなほどの至近距離。その甘く熱い吐息が、俺の唇を微かに掠めていく。至近距離で見つめ合う彼女の双眸は、潤みを帯びて妖しく揺らめいていた。合わさった額から伝わるのは、幼馴染としての親愛をとうに通り越した、息の詰まるほどに激しい情愛だった。
このまま時間が止まればいい。皇女としての重責も、身分違いの壁も、すべてを忘れて彼女を強く抱きしめてしまいたい——そんな甘美な熱情が、俺の理性を狂わせそうになる。
俺はそっと、名残惜しさを覆い隠しながら、重ねられていた額を離した。
「……ディア。あんまり俺をからかわないでくれ。」
俺はどうにか苦笑を浮かべてみせる。本当は、胸の奥で心臓が爆発しそうなほど高鳴っていた。
クローディアは、ゆっくりと離れていく俺を名残惜しそうに緋色の双眸で見つめていたが、やがて、いつもの気高く美しい、皇女としての微笑みを唇に湛えた。
「あら、からかってなどいないわ。私はいつでも本気よ? ノア。」
そう言って彼女は、自身に用意されていたお茶菓子へと視線を戻し、白い指先を伸ばした。
(……本当に、心臓に悪い。)
俺は元のソファへと戻り、少し冷めかけた紅茶を口に運んだ。長いようで短い、離れたくない気持ちを抑え、立ち上がろうとしたまさにその瞬間のことだった。
(——ぐっ!?)
心臓を、灼熱の杭で貫かれたような強烈な激痛が襲う。あまりの衝撃に胸元のシャツをきつく掴み、なんとか酸素を吸い込もうと喘いだ。
だが、胸の奥で渦巻く異様な熱は消えず、呼吸はまたたく間に浅くなっていく。ドクン、ドクンと、不規則で狂暴な脈動が耳の奥でうるさいほどに鳴り響く。喉の奥が焼け付くように熱く、まるで肺が内側から燃え盛っているかのようだった。
「ノア!ノア!どうしたの!?」
慌てたクローディアがソファから跳ね起き、床に膝をついて俺の身体を抱き起こす。
「……うっ、くっ。……い、息が、っ……。」
言葉を紡ぐことすら叶わず、必死にクローディアを見上げる。彼女の端正な顔が、恐怖で青ざめていくのが見えた。常に凛とした佇まいを崩さない彼女が、見たこともないほどに目を見開き、その綺麗な唇を戦慄かせていた。
「ノア! あなた瞳が……! 月白の瞳が、紅色に……!?」
瞳が……なんだ?俺の身体の中で、一体何が起きている……?体内で未知の魔力が暴走しているかのように頭が焼かれ、状況を整理することすらできない。
視界が急速に点滅する光と闇に染まっていく。自身の身体でありながら、すでに指先一本さえ動かすことすら叶わなかった。
(あぁ……だめだ……もう意識が……。)
背中に感じる彼女の震える腕のぬくもりさえも、急速に遠ざかっていく。耳元で響く彼女の悲鳴のような声を最後に、俺の意識は深い闇へと墜ちていった。
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